《73》もう邪魔させぬ。





 ひとまず魔族二人とウサモフ一匹は魔王城エントランスに到着する。


 ラナンキュラスは玄関の扉の方を、

 スラルはそこから伸びるレッドカーペットの向こうを。

 しばらく、到着した時そのままの視線を維持していた。


 スラルが先に口を開く。


姿を見て、君たちの元へ降りていく時。

 私は”精神抑制トランキル”の魔術を自分に施した。

 この魔術は君も知るように他の魔術と同時に展開は出来ない」


 そう説明する彼の声は、抑揚がいささか不安定だった。

 彼が言っているのはつまり、先ほど転移魔術を使用したことで、

 その精神抑制が途切れてしまったのだという事だろう。


 ラナンキュラスは、ようやく彼の方を向いて言う。


「……希望があれば、聞きますわよ」


 スラルはまだ彼女の方を見ていない。


「もし、がそこにいるなら、」


 一度、彼は言葉を詰まらせる。


「教えて、くれないか」


 彼らしくない、意訳の必要な言い回し。

 ラナンキュラスはふっと笑って、頷く。


「では、こちらをお向きなさいな。……この子、ナナの方を」


 スラルは振り向く。


 まぁ、あなたもそんな顔をなさるのね? と、

 茶化したりはもちろんしない。


 彼女はスラルに全てを話してやれる事を、本心から嬉しく思っていた。

 だから、何もかもをつまびらかに語る。



 …………


 ……



「……君の判断の是非はともかく、少なくともこれだけは言える。

 恐らく、君と私の立場が逆であっても、そう違いはなかっただろうね」


 ラナンキュラスから、あらましを聞き終えたスラルは言った。

 その声音は、いくらか平静さを取り戻している。


「でしたら、私も貴方も揃っておバカさんね。

 でも……きっと、貴方だったら、もう少し上手にされたのではないかしら。

 あまり言いたくありませんけれど……」


「どうかな。わからないよ、ラーナ」


 ほんの少し、微笑む。

 そして、自分を見つめるウサモフを見た。


「……話が、出来るのだね」


 ここまで一切、鳴き声の一つも聴かせなかったそのウサモフに、

 彼は僅かに躊躇いがちながら訊ねた。


『……うむ。なんか、すまんの。何も覚えておらんくて』


 あくまで、念話越しではあっても。

 頭に響いたその声は、確かにスラルが何より聴きたかった声だった。


 彼は、今一度"精神抑制”を己に施そうか、よほど迷ったけれど。

 しかし、今はこの感情さえ、手放したくは無かった。

 彼は再び震えそうになる声のまま、ラナンキュラスに言う。


「私は、この子に真実を伝えて良いと思っている」


「私も、そう考えています」


 二人は、ウサモフ……いや魔王ナナを見て言った。





 場を変え、魔王の寝所へとやって来る。


 切り出したのは、ラナンキュラスだった。


「ポム。私が貴女に偽りを伝えていたのは、もう気づいてますわね?」


『……まぁ、うん、そうじゃの』


「それについて謝罪をするのは、今は控えさせて頂きますわ。

 貴女の記憶が戻ってから、改めて謝らせて下さいな」


『ん、良いぞな。何でか分からぬけど、理由を知っても余が怒ることは無い、

 それはなんとなく確信があるのじゃ』


「……そうですか」


 仄かに微笑んで、ラナンキュラスはモフモフと撫でる。


「ニュ……」


「まず貴女の本当のお名前は、ナナ。

 ナナ=フォビア=ニーヒル……今代の、魔王ですわ」


『魔王……それは、リリィでは?』


「いいえ。彼女のそれは……彼女自身の、自称ですわ。

 リリィは魔王ではありません。彼女は――」


 目線をやや逸らし、その先を言うのを躊躇う。

 しかし、決心したのだと頷き、続けた。


「彼女は、勇者です」


 言葉の後、沈黙が降りる。


 ややして、ナナが問う。

 しかしその声には、魔族二人が予想したような動揺は無かった。


『――そうか。あの子は勇者じゃったのか。そうか』


「あまり、驚きませんのね」


『驚いては……おるよ。しかしなぜじゃろうな。

 とても綺麗に胸に収まったというか、腑に落ちたというか』


 記憶の有無関係なく、ナナにはそれがとても自然な事実に思えた。

 そして、そこから導き出される予測も、口に出すことをほとんど

 躊躇う必要が無かった。


『余はリリィに討たれたのじゃな? そこは偽りではないのであろ?』


「え……えぇ。そうですわ」


 ナナが落ち着いた様子で言ったことに、ラナンキュラスは驚く。


「正確には、違います。

 魔王様にとどめを刺したのは、私です」


 スラルが訂正を入れる。

 その表情は無表情だが、色濃く影が差していた。


「えぇ。勇者に追い詰められ引導を渡される直前に、彼が……。

 けれど、それには理由が、あって……」


 ラナンキュラスが慌てて彼の非を否定しようとする。

 しかし、ナナはそれを止めた。


『大丈夫じゃ。記憶も無いのに何を、と思うだろうが……

 余は、その男が害意でそれをしたと思えぬ。これも、確信がある』


 彼女のその言葉に、スラルの表情が一瞬固まる。

 そして、ふい、と後ろを向いた。


 それを見て、ラナンキュラスは少し笑ってしまう。


『まぁ、そうなると確かにひたすら奇妙よな。

 余は魔王として、その定めに抗えず勇者に敗れ死んだ。

 しかしその死んだはずの余は、今こうして生きておる。

 記憶を失い、しかもどういうわけかウサモフの姿での』


 ナナはかつて聞いた、クロウという元魔王を名乗った男の言葉を

 思い出している。

 あの男もまた、自分のように奇妙な顛末を経験したという。


 他の魔王も、史伝に伝わらぬだけで同じだったのだろうか?

 胸の内で考えるが、しかし当然そこに返る答えは無い。


「貴女は……少なくとも今の時点ではですけれど、魔王の因子を失っている。

 勇者リリィも同じく、勇者の因子を失っているようですわ。

 私達に感知できる範囲では、ですが」


『そうか……では、余の最も訊きたい事を訊いてよいかの』


「貴女とリリィを、私達が会わせたくなかった理由ですわね?」


『……うむ』


 ナナは、以前リリィをハーリィ邸で見た時の事を思い出す。

 あの時感じた、胸の……あるいは魂の震えを。


 スラルは、勇者に討たれる前にその手で魔王を殺した。

 勇者に、討たせまいとしたのだ。

 それはなぜか。


「貴女は、あの子に……リリィに恋をしていました。

 魔王として、あの子を勇者と知った上で。宿命を知った上で。

 貴女は苦悩し、そしてその想いはやはり何処にも行けなかった」


 ……そういうことだ。


 なるほど。


 なるほど、とナナは思う。

 あるいは、やはりなと。


 右に左に引っ張り合う心。

 その源泉。



 恋心か。


 "恋”とはのぅ……とナナは何だか笑えてきてしまう。


 なんとも……

 なんとも、可愛らしいではないか、魔王よ。


「ニュニュん……」


 本来なら、くくく……と忍び笑っていたのだろうが、

 ウサモフなので変な鳴き声になる。


『まったく、お主らも苦労するのぅ……そんな王を抱えて』


「……本当ですわよ。自分の健気さに涙が出ますわね」


 ラナンキュラスは怒ったような顔で笑い、ナナを指でプニプニ突いた。

 それを甘んじて受けながら、ナナは言った。


『のぅ、お主ら。

 余は彼女との思い出を何も覚えておらんのじゃ。

 あるのは胸の疼きと、ただ……リリィに会わねば、という想いだけ。

 しかし、以前の余が残したであろうものが一つだけある』


 ナナは目を閉じ、自分の中からを取り出し言葉にする。


『余は、もう逃げぬ。

 リリィの言葉、リリィの気持ち。余はそれを聴かねばならぬ』


 ちゃんと、お話をしたいの。

 そう、胸の内でのナナが求めている。


 スラルが振り向き、ナナを見つめる。

 そして、主に問うた。


「再び、貴女が魔王となり、彼女が勇者となるかもしれないとしても……

 それでも、ですか?」


『それでも、じゃ』


 即答する。


『余は必ず思い出す。そしてもう一度あの子に恋をするのじゃろう。

 それが間違いであろうが、呪いであろうが』


 それを訊いたスラルは、2mmくらい微笑んだ。


 ぴょん、とナナはラナンキュラスの腕から抜け出す。

 床に降り、窓の向こうを見て宣言した。


『余の恋路を、もう邪魔させぬ』


 宿命も。

 苦悩も。


 全部引き連れて、恋してやるのだ。


 そうでしょう、ナナ?


 胸の奥への問いに、

 誰かが頷いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る