《72》執事の方便。






「これはご丁寧にどうも……僕はユリウス。こっちはリネイ」


 スラルの名乗りに、剣聖が応える。

 それに少しだけ、スラルがぴくりと眉を動かす。


 しかし、それ以上は表情を変えずに返した。


「本日こちら人族の街より、所定の人間を魔族領に身受けせよと主より

 仰せつかっております。時間には少々早いのですが、魔王様がこちらへ

 すでに向かったようであると聞き及びましたので」


 淡々と語る。


「なるほど。僕らもチラっとしか見えていないのだけど、

 確かに先ほど魔王は現れたがすぐに何処かへ飛んでいってしまったよ」


「何処かへ……? ……そうですか。承知しました。

 では引き渡しは私と他数名の魔族により予定通り行わせて頂きます」


「そっか、いいんじゃない? その辺は僕じゃなく伯爵の管轄だけど。

 大きな霊力反応があってさ、それを僕と、この騎士団長とで現場確認

 するために先行でここに足を運んだんだよね。

 あと1時間位で、約束の場所に揃うと思うよ」


「そうですか。よろしい、どのみち予定に支障は無い。

 のちに、引き渡しの要員として私の他四名の眷属が改めて参じます」


 彼が言い終えるのを見計らい、ラナンキュラスは念話を試みる。

 もちろん、相手はスラルだ。


『……貴方は、見ましたか?』


『そのチルファングが変貌する以前の姿の事を言っているなら、

 ほんの一瞬だったが見えて……いたね』


『そう。後ほど魔族領できちんと説明をしますわ。

 ところで我々はここを早々に立ち去りたいの。機会を作って下さる?』


『……いいだろう』


 念話を終え、改めてラナンキュラスは彼のその精神性に畏敬を覚えた。


 彼はナナの姿を目撃していた。

 その上で、これほどまで冷静に、顔色一つ変えずにこの場に在るのだ。

 自分だったら、とてもじゃないがそのように振る舞えない。


 彼の今の心中に思いを馳せようとしたが、すぐにやめる。

 今はそれどころではない。この騎士が少々厄介だ。

 かつて人間に扮した魔王と面識があるらしい。


 彼女が目を向けたと同時、その騎士の男が再度彼女らに問う。


「問を繰り返してしまうが……どうか、説明いただけないだろうか。

 クルクマ殿と私は以前面識がある。完全に手前の勝手な都合ではあるが、

 どうしても、彼女と再度話す機会が欲しいのだ」


 先程は大きく取り乱していたが、すでに平静を繕っている。

 この男も中々の強者のようだが、さてどうしたものか……

 ラナンキュラスは一寸考えたが、結局は適当を並べる事にした。


「理由は話せませんが、この方はとある呪術に捕われておりますの。

 どんな呪術かは、ご覧の通りですわ。時折、このような姿に前触れ無く

 変わってしまうのです。今の彼女には人語を介す事は出来ません。

 先ほど聞いたと思いますが、記憶も損なわれています。

 おいたわしい事です……く……くるくま?ちゃん。ね?」


 よしよし、と頭をふわふわ撫でる。


「ニュニュー」


 とりあえず乗っておくウサモフ。

 それを、スラルは何とも言えぬ目で見ている。


「そうか……その呪術は、解けそうなのだろうか?

 よければ、賢者殿か聖女殿に我々から掛け合わせて頂くが。

 火急の事なのだ、是非協力させてほしい」


「そ、それには及びませんわ。ええと……」


「そのチルファングは、我々魔族の小派閥の一つが、誤解から呪術を

 施してしまったのだ。大変申し訳無い事をした」


 言葉を探すラナンキュラスより先に、スラルが口を開いた。


『ス、スラルさん……』


「誤解だと? 詳細を聞いてもいいかね」


 騎士が目を細めてスラルに問う。


「あぁ。以前魔族の一人が彼女にを掛けたそうでね。

 彼は上位魔族であったのだが、驚く事に彼女に完敗し、屠られたらしい。

 その事で、死んだ魔族が名を連ねていた一派の長が早とちりしたのさ。

 この者が、"勇者の因子を持つものなのではないか”……などととね」


 スラルの言葉に、騎士は目を見開く。


「……それが、誤解であったと?」


「そうだ。少なくとも、我々はそう結論に至っている。

 なぜなら現に彼女はその長に克つされ、こうして呪術によって

 ほうぜられてしまっている。

 真に勇者であるなら、こんな簡単に御せると、君らは思うかね?」


「…………」


 騎士は、釈然としない顔だ。

 スラルとしても、彼らが自分の言を鵜呑みにするとは思っていない。

 しかし、反論のしようもないのだ。


「しかし脅威である事に変わりはない。故に彼女の身柄を拘束していたのだが。

 大したものだ、どうやってかこうして彼女らは人間領まで逃れてきた。

 しかし残念ながら、不幸にもこうして私の目に触れてしまったわけだ」


「……彼女達を、連れ戻そうと言うのか」


「そうだな。申し訳ないがそうなるだろう。

 納得行かないだろうが、しかしここは堪えた方が懸命だと思う。

 今手元のカードは我々の方が揃っている。君等は見送らざるを得ない」


 騎士は苦い表情を浮かべる。

 この魔族は今この場の話をしているのではない。

 彼らにはすでに魔王という鬼札があり、自分たちにはまだ

 勇者という切り札が配られていない、それを言っているのだ。


「我々は、今代の魔王様ならば勇者という厄災を克服なさると信じている。

 お互い、託す物がある。だが君等がそれを得るのはまだ先の事だろう。

 だから今は歯痒いだろうが、その剣は収めたままでいるべきだね」


「……彼女達に、それ以上の危害は加えるな」


 大きく息を吐き、己の情を抑え込んだ騎士がそれだけ言った。


「もちろんだ。きっと君らが思うよりずっと丁重に扱っているよ。

 そうだろう、お嬢さん」


「ふぇ?! え、えぇ……びっくりするくらい、無事ですわよ私達は。

 ねぇ、くるくまちゃん」


「ニュニュん」


 騎士は無念そうな表情ながら、ひとまず頷く。


「すまぬ、クルクマ殿。私がもっと疾く、要領よくしておれば……

 しかしこのままでは決して無い。今は耐えてくれ」


 言って、ウサモフに向けて頭を下げる。


「さて……ではそういう事なので、我々は一度魔族領へと帰還しよう。

 例の予定地へは、正午前に伺いますので準備を進めておくように」


 スラルはちらりと、騎士の横でずっと薄笑みを浮かべている男を

 見やった。


 男はそれに対し、「うん?」と言った表情をして、言った。


「あぁ、僕の事は気にしないで? 君が言うように、まだ剣を抜く時じゃ

 ないからねぇ。ほら、こうして大人しくしてるよー」


 両手をひらひらと振って、敵意無しとアピールする剣聖。

 スラルは思うところがあったが、ひとまず言及はしなかった。

 ラナンキュラスとウサモフの傍に寄り、転移陣を発動する。


 黒い光が立ち上がる中、最後にもう一度男を窺う。


 その目は、ラナンキュラスを見ていた。


 言及せずとも、だいたい分かった。

 スラルは微かにため息を吐き、魔族領へと帰還する。



 …………


 ……



「便利だねぇ、あれ。霊術にもあんなお手軽転送があったらいいのに」


 スラル達を見送った剣聖ユリウスが軽い調子で言った。


「……私は、あのチルファングとなった先の少女こそが、覚醒前の勇者で

 あると半ば確信しておりました」


 リネイが悔しさを滲ませた声音で呟く。

 それを見て、ユリウスは苦笑しながら相槌を返す。


「んー……まぁ、まだその可能性が無くなったわけじゃあないじゃん?

 もっとも僕はその子の実力を計った事ないから何とも言えないけど。

 でも、なんにせよあのクールな魔族君が言ってた事は……嘘かな」


「確証が?」


「ウサモフを抱っこしてた美人ちゃん。

 あの子、魔族だよね。気づいてた?」


「……いえ。本当ですか?」


「間違いない、とは言い切れないんだけど……まぁほぼクロかなぁ。

 魔族のお家芸の一つだしね、擬態だか擬装だか、そういうのって。

 まぁ僕としちゃ魔族でも何でも、美人ならウェルカムだけどねー!!」


 へらへら笑う剣聖。

 対して、拳をさらにきつく握り込むリネイ。


(ずっと黙していた魔王が突然行動に出た理由は分からぬ。

 しかし、クルクマ殿との邂逅がその要因になった可能性は……)


 考えるが、しかしもはや詮無い思索だ、とリネイは首を振る。

 そして、より強く、未だ見ぬ勇者の姿を希求し東の空を見た。




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