【71】次から次へと。





 なぜ彼女がここに、という思いが先に立つはずであった。

 再びこの街を破壊しにでも来たのか、と。


 しかし。

 彼女の姿を見た時、真っ先に余の胸中に浮かんだものは。


 彼女に、、という思いであった。


 何を言うというのか。

 それは分からない。


 でも、理屈の通らぬまま、余はそうすべきだと思った。


 気がつくと、余の身体は地面から僅かに浮き上がっている。

 自分が飛べるなど、記憶になかったのに。

 飛び方など分からぬはずなのに。


 いや、そんな事はどうでも良い。

 行かなければ。

 彼女のもとへ。


(……行って、どうするというのじゃろう)


 分からぬ。

 でも、知らぬ。


 しかし――


 余が飛行魔術を完全に発動させようとした、その時。

 上空のリリィが、弾かれたように猛然と、

 何処かへと飛び去ってしまう。


(――は、速い……!!)


 咄嗟に追おうと考えるも、それはあまりに速すぎた。

 魔族領とは反対の方角へ向けて、彼女の姿はあっという間に

 流星の如き速度で遥か彼方へと行ってしまった。


「く、くそ……一体、なにが……?」


 余は得も知れぬ焦燥に胸を抑えながら呟く。


「……よりによって……最悪、ですわ」


 横でラナンキュラスが苦いものを吐き捨てるように言った。

 余は彼女を向いて、尋ねる。


「最悪……? どういう事じゃ、魔王はなぜ我らを見て……」


 余の言葉にこちらを見て、しかし彼女はすぐに目線を外す。


「殺したはずの者が、生きておったのを見たのじゃよな……?

 しかしあれは我らを見て、まるで逃げるように……飛んで……」


 言いながら、しかし、余はそんな事を気にしてはいない。


 ……あの子は、我らを見て逃げたのではない。


 余だ。

 余を見て、逃げ去ったのだ。

 この胸になぜ故か、確信があるのじゃ。


 ウサモフではないこの姿、記憶を失う以前の姿に近しいのか、

 あるいはそのものなのか。

 分からぬが、魔王は余のこの姿を見て、のだ。

 


「――あれが、魔王……? 失礼、今更だが君らは一体……」


 法衣姿の男が、余たちに尋ねてくる。

 だが、今はこやつらの事などどうでも良い。


「ラナンキュラス、余は彼女を……魔王リリィを、追うぞ」


「……ナナ……それは……」


 ラナンキュラスが僅かに余へ手を伸ばしかけて……しかし、

 言葉はそこから続かなかった。


 そして、力なく呟く。


「……馬鹿ですわ。こんなことになるなら、すぐに明かしてしまえば……」


「キューちゃん……」



 ……分かっておるよ、キューちゃん。


 お主が余にどんな嘘を付いているのか――ではない。

 なにゆえ事実を誤魔化し、隠そうとしておるのかをじゃ。


 決してそれは、害意からではない。

 ポムと名を付けられた日からまだ数日。記憶も戻っておらんが……

 でも、この子が余に向ける優しさや慈しみのようなものは、

 十分に伝わっておるし理解しておる。

 

 形は違えど、そこにある不器用さ、やるせなさは。

 恐らく、先のフローリアが抱えておったものに近いのではないかな。


(……あるいは、記憶喪失以前の余自身にか)


 でものぅ。

 ひとつ、思い出した事がある。


 これは多分、以前の余が行き着いた答えだと思う。

 答えというほど大袈裟なもんでもないが。


「ちゃんと、彼女ともっと話をしないと……じゃ」


 さっきフローリアに余自身が言った事じゃ。

 頭の中で一人であーでもないこーでもない、ぶつくさ言ってたって。

 どこにも行けんし、余計に取り零し続け、拗れるばかりじゃ。


 怒られても恨まれても憎まれても嫌われても。

 出さないといけない答えというものがある。


「余はとても無責任な事をしようとしておるかもの、キューちゃん?」


「……かも知れませんわね」


 でも、と彼女は言う。


「貴女が決める事です。貴女自身が選ぶこと……私ではなく」


 少し儚げだが、彼女は微笑んだ。


「んむ。そうじゃな」


 余は頷き、そして再び空を見やる。


 余の内に、未だまごついておる部分がある。

 しかしもう決めた。

 余はリリィと会い、そして話をする。


 何を、とかも考えぬ。

 ただ会って話をせねばならんのじゃ。

 余は飛行を再度試みる……



 ……が。



「――クルクマ、殿か……?」


 そこへ、また覚えの無い男の声が掛かる。

 ええい、腰を折りおって……


「すまんが、ぬしらと話しておる暇はないのじゃ。

 ていうか、人違いじゃ。余は……」


 声の方を見やって、余は言ってやる。

 見ると、その男は法庁の連中のような法衣姿ではなく、

 一見騎士風の装いをまとっておった。


「すまない、しかし本当に……探したのだ、クルクマ殿。

 魔王襲撃の日より貴女を、ずっと。

 今を以てなお発現せぬ勇者、しかしその時は近いはずなのだ……」


 ……勇者ぁ? 何を言っとるんじゃこやつ……


「ナナ? なんですのこの人間」


「知らんよ。記憶が無いっちゅーんじゃ。

 記憶を失う以前に、会った事でもあるんじゃないかの、知らんが」


「――記憶が、無い……? クルクマ殿、それはどういった……」


 男が驚愕の表情で余に問うてくる。

 あぁもう、横槍が入っていいような場面ではなかろうに。

 しかしそんな事はおかまいなしと言うように……


「リネイ、その子なの? 以前君が言ってた勇者かもしれない少女って」


 まぁた別の男の声じゃー。

 もう無視して飛んでっちゃうか? ええよな?


 キューちゃんにアイコンタクトでもしようかと彼女を見る。

 すると、なにやら随分険しい顔で後から来た男の方を見ておった。


「……何怖い顔しとるの」


「あなた、只者ではないですわね」


 男を睨んでキューちゃんが低い声で問うた。

 むぅ……?


「うわめっちゃ美人。いやぁお嬢さんお分かりになりますか?

 そうなんですよ僕、タダモノじゃあないんですよ」


「そうです剣聖殿、この一見幼い少女こそが……」


「いや言っちゃうじゃんリネイ、もうちょっと勿体ぶらせてよ!!」


 なんか軽そうな男が騎士風の男に文句言っとるが……

 けんせい? それはもしや、


「……なるほど、聖女賢者と来て、次は剣聖ですか」


 キューちゃんがため息交じりに言う。

 ほぁー、まじか。

 人族の最強格揃い踏みじゃのぅ。


「賢者……やっぱり? あの妖怪ピンクおばばも来てたんだ……

 なんともイヤな気配するなって、ここ来る途中で思ったんだよ」


 ぴんくおばば……賢者の事か。

 ――え、お婆婆?


「んでもって、やっぱりあの特大霊力はフローリアちゃんか。

 くっそ、会いたかったなぁ……!! あぁあ麗しの聖女様ぁ……」


 剣聖とやらが、なんか悶えとる。気持ち悪いのぅ……

 しかしやはりどうでも良い、そんなことよりリリィじゃ。


 余は彼女を――


 ……


 ……お?


 なんか余、光っとる?


(……あ、これ、もしや)


 そのもしやであった。

 突如、余の身体は見覚えのある明滅を見せて――



「――ニュ、ニュ~~……!!」


 またもや、ウサモフの姿に舞い戻ってしもうた。


 そりゃ、フローリアに近づいたから戻ったというなら、

 彼女が消えてしまったらこうなるわのぅ……


 ……くそぅ!! 次から次へと!!


「ニュぁーー!!」


「……なに、どうなってんのこれ?」


 叫ぶ余を見て、剣聖が目を点にして言う。

 横に立つリネイは、口をぱかーっと開けて固まっておる。顎外れてそう。


「く、くく、クルクマ殿……そのお姿は一体……何らかの霊術なのか!?」


 うっさい知らんわ、ていうか誰じゃクルクマって!!

 えぇかげんにしてくれ、これ以上拗れさせ――


「ナナ、空を見て下さい」


 不意にひょい、と余を抱き上げたキューちゃんが言う。


 ハイ、今度はなんじゃろね!?


「ニュぅ~ん?」


 ぼけがー、というニュアンスの鳴き声と共に言われた通り空を見上げる。


 すると、先ほどリリィの姿を見た辺りに、今度は別の影が見えた。

 あれは……あの姿は、魔族か?


「スラルさんまで……」


 と、そばに立つキューちゃんが、かろうじて余にだけ届くような小さな声で、

 耳元で微かに呟いた。


 スラル……?

 名前の響きとその姿に、頭に鈍い疼痛を覚える。

 恐らく以前の余に馴染みのあった者か。


 その魔族は、余らの元へと真っ直ぐに降下してくる。


「……上級魔族、か」


 騎士が腰に携えた剣の柄に手を添える。

 それを、剣聖が制した。


「…………」


 スラルとやらは、余とキューちゃんをただじっと見つめる。

 その表情は色に乏しく、口も一文字に結ばれておったが……

 どこか、視線が不安定に揺らいでいた。


 一瞬、余としっかりと目が合う。

 しかし、すぐに逸らされてしまう。


 ……?


「……私は、魔王様付きの執事、スラルと申します」


「……っ!!」


 余たちから視線を外し、剣聖らに向き直ったスラルが自己紹介する。

 なぜか、キューちゃんが息を飲んだ。


 ……あぁ。


 恐らく、キューちゃんが人間の姿に擬態しておるのを見て、

 顔見知りのように振る舞うのを避けようと判断したのじゃろう。

 頭の回る男のようじゃな、スラル……とやら。


 しかし、

 しかしじゃ。


 なにはともあれ、

 余は一刻も早く、リリィを追いたいのじゃが……





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