《63》聖女の密やかな夜。





 夜も更け、辺りにすっかり静寂が落ちた頃。


 パスラの宿場の一室、灯りを落とした部屋の窓辺に立ち、

 外の景色を見るともなく見ているのは、聖女フローリアだ。


「……何か、面白いものでも見えるか?」


 ベッドから上体を起こして、フレイが訊ねる。

 フローリアがそちらを見て、微笑んだ。


「ごめんなさい、やっぱり起こしてしまってましたか」


「いや、実は最初から寝付いてないよ」


「そうでしたか。それなら良かったです」


 フレイはベッドから降りて彼女の傍へ行こうかと思ったが、

 服を身につけるのが億劫だと思いやめた。

 裸でカーテンを開けた窓際に立つわけにもいかない。


「あのウサモフさんは、お元気でしょうか……」


 再び窓の外へ目を向けて、ぽつりと言った。


「そーだな……ちょっと、想像が付かねぇよ。

 でも、アイツが自分で決めて行ったんだ、きっと大丈夫だろうぜ。

 冗談みてーに強かったしな、あのモフモフ」


 彼女らがあの謎のウサモフと別れたのは昨日のこと。

 いや、つい先ほど日付が変わったから2日前になる。


 あの後、彼女らはパスラの東側、魔王の襲撃の爪痕がほぼそのまま残る

 街並みを歩き、改めて魔王というものの逸脱した力に戦慄した。


 同時に二人は、あれだけ苛烈な破壊が行われていながら、

 その対象が随分と細かく選定がなされている事に驚いた。


 まず、通常の民家や小さな商店等にはほぼ、被害が無かった。

 それに対し、富裕層の屋敷などは被害が大きく、他には奴隷の商館で

 あったり、娯楽的な施設や工業設備などが標的にされたようだ。


「まるで、あらかじめ下見でもしたのかって位、丁寧な仕事だな」


 瓦礫と化した地方豪族のものらしい、半壊した屋敷を眺めながら

 フレイが感想を述べた。


「そうですね……さらに攻撃を行う際も、それに巻き込まれる人間が

 いないよう細心の……変な言い方ですが繊細な破壊に努めているようです」


「脅しだけのつもりだったにせよ、そこまで気ぃ使うもんなのかね魔王様が。

 てっきり人間の命なんてゴミ同然で1ミリも気にしないもんだと思ってたが」


「真意は分かりませんが……あえて手間を掛けて行われたのは事実でしょう。

 歴代のほとんどの魔王であれば、このような持って回ったやり方は

 していなかったと思います。変わった方なのですね、今代の魔王は」


 そんなやり取りを交わしながら、彼女らは半日程街を歩いた。


 翌日の彼女らは追っ手を気にしてほとんど外出せず、

 今後の方針について話し合ったりした。

 特に問題無くその日は過ぎる。



「明日はどうする? そろそろ次の街に向かわないか?」


 時は戻って再び夜のパスラの宿場。

 窓際のフローリアに、フレイは進言した。


 元々、パスラに長居するつもりはなかった。

 ここへ寄ったのは、フローリアが街の惨状を見ておきたいとフレイに

 申し出たからだ。

 もしそこで何か出来る事があったとしても、どのみち

 自分らの立場的に目立った活動は出来ないが……

 聖女がそう言うのなら、フレイが却下する理由はなかった。


「そうですね……。はい、明日改めて考えましょう」


 俯きながら、フローリアは応えた。

 その表情はどこかぼぅっ……としている。

 疲れているのだろうか、とフレイは少し心配になる。


(この街に入ってから、少し沈みがちだな……フローリア)


 あのような街の様相を見てきたからだろうか。

 出来れば明日にでも、ここを離れると決めてほしいな、とフレイは思う。


 フローリアが窓辺を離れた。

 羽織った衣を脱いで、ベッドに戻ってくる。


 近づいてくる聖女の姿を見て、何度見ても綺麗だ、とフレイは思った。

 この子と自分なんかが恋仲であること、そして何度も求め合ってきたこと、

 それが信じられない位、その姿は神々しくさえ映った。


 ベッドに上がった聖女は掛布を引かず、フレイに覆い被さるようにして

 手をつき、じっと見つめた。フレイの喉が、こくりと小さく鳴る。


「……いいですか?」


 フローリアがささやくように言う。

 先ほども、彼女の方から求められて、応えた。


「昨日もだけど、今日も……ずいぶん欲しがるな、フローリア」


「えへ……そうですね。いやでしたか……?」


「まさか」


 言って、フレイは彼女の背に手を回して引き寄せた。

 柔らかな重みが伝わる。


「ね、フレイ……激しく、してくれますか……?

 いつもよりずっと……痛いくらい」


 フローリアがそんな事を言ったのは初めての事。

 フレイは戸惑ったけれど、頷いた。


「ん……いいぜ、後悔するなよ」


 いつものように、優しいキスから。

 二人はひととき、熱い吐息を交わし合った。





 フレイにはこの時、知る由もない。


 遠く中央都市の霊法庁にて、とある動きがあった事を。



 魔王が卑人の引き渡しのためパスラを再訪する予定の日、

 その前日の夜更け前。


 聖女の寝所の扉の前に、豪奢な法衣を纏った男が立っている。

 男は扉を数度ノックし、その向こうへと声を掛けた。


「聖女様。お加減はいかがですか?」


 低く、通りの良い声で訊ねる。

 それに、扉越しの声が返した。


「……ええ、大分良くなってきました。

 パスラへの派兵は、滞りありませんか?」


 声が訊ね返す。


「はい。貴女様の進言の通り、第一から第三までの師団長並びに師団員、

 精鋭の聖霊法士は本日正午前にはパスラにて配置が完了しております。

 私も明朝、ここを発ち合流いたします」


「ありがとうございます」


 男が少しだけ眉をひそめ、そして扉の向こうへ再度訊ねる。


「……しかし、本当にかの魔王が進撃を目論んでいるのでしょうか。

 グラム伯爵や剣聖殿の言では、魔王にひとまずそのような兆候は

 見られなかったとの事ですが……」


 聖女の進言により、現在霊法庁が本来抱える戦力の実に7割以上が

 パスラの街に派遣され、その一角に密かに陣を敷いていた。


 聖女のその言とは、以下である。


『先の襲撃の際、自分は魔王の人類に対する底知れぬ悪意を察知した。

 その恐ろしいまでの憎悪に、事無しと楽観する事が出来ない。

 何かあってからでは遅い、あくまで念のために……

 例のパスラでの卑人引き渡しが行われ、自分の杞憂が確認されるまで、

 事の成り行きを監視・警戒して欲しい』


 彼女のその言葉により、法庁は実際にパスラへの派兵を取り決めた。

 魔王に悟られぬよう、グラムらにも伝えられぬまま、聖女を除いた

 霊法庁の最上位戦力がパスラに密かに展開している。


 そして今、聖女と言葉を交わすこの男、聖女に次ぐ法力を誇る

 司教ラムザもまた、明朝にパスラへと出立するという。


「しかし私のような若輩の言葉に、このように大規模な派兵を……

 それも見事に密やかに行っていただいて、感謝します」


 聖女はラムザに礼を述べる。


「いえ、誰あろう聖女様の託宣……当然の事でございます。

 事がなければ、それで良いのです。仰るとおり何かあってからでは遅い。

 しかし我々が出払っております間、どうか法王様の事はくれぐれも

 お願い致しますぞ」


「……はい。もちろんです、体調もほとんど良くなっていますし。

 万が一の事も無いよう、全力で守護いたしますわ」


 聖女の優しく、穏やかな声。

 司教はそれを聞き届けると、部屋の前を後にした。



 そしてその後、静寂が戻った聖女の寝所。


 部屋の中央辺りに立つ、一人の女性の姿。

 目を閉じ、ただじっと立ち尽くすそれは、微動にもしない。


 まるで魂が抜けたかのように、ただそこに在った。


 やがて、そこに与えられた使命を果たす、その時まで。




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