《64》悲しい笑顔。





 翌日、朝食を食べていると、フローリアが妙に自分の顔を見つめるので

 フレイは首を傾げて「なんだ、どうした?」と訊ねる。

 それにただ首を振って、微かに微笑んでフローリアは返した。


「なんだよ、それ」


 苦笑するフレイだったが、しかしなぜか少しずつフローリアのその笑顔が

 悲しげに曇ってゆく。


「……ほんとに、どうした?」


 急に心配になって、尋ねる。

 それに、フローリアは少し下を向いて黙っていたが、

 やがて何かを決したように真っ直ぐフレイを見て、言った。


「今から、行きたいところがあります」


 それは突然の、申し出だった。



 時刻は朝の8時を回ったばかり。

 目覚めて間もない街並みは、しかし意外と人の姿が多く見られた。

 街自体がまだ災禍の只中にあるのだ、慌ただしいのは当然だろう。


「大抵の民家は無事でも、住処を失った上流もんは多いし商いのタネを失ったり

 職にあぶれた奴も沢山いるだろうしな。この街はしばらく大変だぜ」


「そうですね……」


 ちらり、横を歩くフローリアを覗う。

 明らかに、元気がない。


 というより、何か……緊張している、という印象をフレイは受けた。


(今向かってる先、どこなのか教えてくれねぇし……何なんだろな)


 何にせよ、あまり楽しいデートにはならなそうだな、と思う。

 そしてそれだけならまだ、いいんだけどな……とも。


 何だか、胸や腹の辺りが、妙にざわつく。

 フレイは比較的大らかで、いわゆる竹を割ったような性格と言える。

 そんな彼女が、このように正体の分からぬ不吉な予感を抱える事は希で、

 今までにほとんどなかった。





 果たして二人がやって来たのは、辺りに建物のほとんどない、

 随分うら寂しい雰囲気の閑散とした街外れの一角だった。


 こんな所に何が? と思いながら歩いていると……、

 不意に、視界に広がる景色が一変した。


 目の前に、いきなり少なからぬ数のテントや布張りのむろ

 そして大勢の法衣姿の人間が現れたのだ。


「……っ!? お、おぉお?!」


 あまりに突然の事に一歩後じさって驚くフレイ。


 しかし、すぐに目の前に現れたその光景がなんなのか理解する。


(……これ、認識阻害の大規模霊術じゃないか?)


 フレイが即座に想像が付いたのは、彼女が法庁に属する人間であるためだ。

 彼女の言うその霊術とは文字通り、人の認識に働きかけるための霊術。

 この術法は、主に聖霊法士という法庁直属の霊術士が扱いに長けるものだ。


 この突然現れたかのように見えた光景も、実際は初めからフレイたちの

 目の前にずっと、初めから存在していたものだ。


 大規模霊術による結界の外側にいた自分には、その内側に広がるこれらが

 見えているはずなのに認識出来なかった。そこにあるのに無いものとして

 認識を捻じ曲げられていたのだ。


(これだけの規模の大霊術……上級霊法士が5、6人で集中がかりの代物だ。

 これは火の中に飛び込んじまったか……?)


 目の前の光景、そこにいる者達は自分たちに向けられた追っ手なのだと、

 絶望的な気持ちと脂汗が滲むフレイだが、しかし同時に疑問も浮かぶ。


 そもそも、ここへやって来たのはフローリアの意図だ。

 フローリアはこの有様を知っていてここへ来たという事か?

 いや馬鹿な、一体なぜそんな……


「落ち着いて下さい、フレイ。大丈夫……大丈夫ですから」


 そう言って、フローリアはフレイの手を握った。

 けれどその言葉は、

 まるで自分に言い聞かせるようだぞ、とフレイは思った。



「聖女様!? 貴女様がなぜこちらに……!?」


 前方から、聞き覚えのある声が届く。

 その困惑に満ちた声音は、法庁のラムザ司教のものだ。


(し、司教まで出向いてるだと……? まずいなんてもんじゃ……)


 焦りがみるみる募っていくフレイを余所に、ラムザが駆けてくる。

 そして、二人のすぐ前までやってくると、彼はフローリアに言った。


「なぜ、ここに? 貴女様は霊法庁を守護されているはずでは」


 戸惑う司教のその言葉が、一瞬フレイは理解出来なかった。


(は……? 何言ってんだこいつ、フローリアが法庁を……?)


「何か、緊急の事でありましたか?」


 ラムザがフローリアに緊張した面持ちで尋ねている。

 フレイも、彼女を見た。


「はい。緊急事態ですわ、司教様」


 フローリアが答える。


 彼女のその表情を見た時。

 フレイは、息を飲んだ。


(何を……笑ってるんだ、フローリア)


 そう、笑っていた。

 しかしそれは、いつものような柔らかな、たおやかな笑みではない。


 今まで一度だって見たことのない、フローリアの……

 昏く、妖しげな……薄笑み。


 聖女は言った。



「中央霊法庁が、もうじき、崩壊してしまうのです」



 …………


「……え?」

「……は?」


 ラムザとフレイ、同時に頓狂な声を上げる。


 とん、とフローリアが後ろに飛んだ。

 二人から距離を取った彼女の足下に、眩い光とともに霊法陣が浮かぶ。


 幾層にも重なるそれは、並の霊術のそれではない。

 積層の霊法陣、それは大規模霊術を行使するためのものだ。


 驚愕する二人、しかしフレイの驚きは別の所にあった。


 なんで……


(なんで……? それは、攻性霊術、だよな……?)


 そう。

 彼女の足下から展開するそれは、紛れもなく攻性の霊法陣だった。


 二人……いや、例の結界の内にいる全ての人間が、呆気に取られながら

 光に囲われる聖女の姿を見つめた。


の詠唱が終わりました。

 皆さん、失われる命を悼み、祈りましょう」


「フ、フローリア……!!」


 フレイが声を上げる。

 それをちらりと見て。


 聖女が、凄まじい霊力の放出と共にを発動した。



 圧倒的な霊力の奔流は、霊法士達の野営地を颶風のように薙いだ。

 各々、吹き荒れる風圧に顔を腕や手で覆う。


 …………


 やがて風が収まり、打って代わって場が静まりかえると、

 彼らは覆う腕を下げて聖女を見た。


「フロー……リア」


 フレイは、ただ唖然として名を呼ぶ事しか出来ない。

 自分がなぜ震えているのかも、分からなかった。


「ひとつは、これでおしまいです。

 さぁ、もう一つ、仕上げをしましょう? ね、フレイ……」


 にっこりと微笑んで、フローリアは言う。


「しあげ……? 何を……

 ねぇ、わかんない、分かんないよフローリア……」


 フレイは訳も分からず、泣きそうな顔をしている。

 おしまい? 仕上げ?


 さっきの攻性大霊術は、何をするためのもの?


「ずっと待たせてしまって、ごめんなさい」


 フローリアが、本当に申し訳なさそうに言った。

 フレイと正面に向かい合い、深く頭を下げる。

 そして、距離をあけた彼女に再びゆっくりと近づいていく。


「何を……待たせたって?」


 問うフレイの額辺りに、傍まで来たフローリアは指先を向ける。

 そして、その指先に何やら小さな霊術陣を浮かべた。


「こんな女に付き合わせてごめんなさい。今、お返ししますから」


 彼女が何かの霊術を発動しようとした直前に、ラムザが気付く。


「あれは……認識阻害の……? いや、違う、記憶の……」


 ラムザが言い終わる前に、フローリアの指先から一条の光が飛んだ。

 それはフレイの額を打ち抜き、弾けた。


「――っ」


 よろり、フレイはふらつく。

 そして、額を両手で抑えた。


「ぅ……うぅ……!? なに、を…… あたま……が、」


「大丈夫……すぐ、思い出しますから」


 フローリアがフレイの肩に手を添えて、優しく言った。


(あたまの中が……熱い……煮えてるみたいに……)


 悶えるフレイ。

 脳がぐつぐつと沸騰するような感覚。


 それに耐えていると、やがて。

 唐突に、彼女の脳内でいくつもの記憶がフラッシュバックした。


 今の今まで、ずっと忘れていた、それを見た時。


 フレイは、無意識に、彼女の名を呼んだ。


「――フローリア、おまえ……どうして」


 どうして。

 彼女に問う。


 どうして、を思い出させたんだ?



「ねぇ、フレイ……本当にごめんなさい。

 でも、今日は逃げませんから……」


 フローリアが微笑む。

 こんな悲しい笑顔があるのか、とフレイは思う。


「私を殺して、フレイ」


 言って、聖女はフレイを抱きしめた。




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