【61】思い出したい。思い出さない。





「はぁ……なぜゆえこんな時間からいきなりお風呂に」


 キューちゃんが服をハンガーに掛けながら溜息をついておる。

 まったくもってその通りで、余としても意味が分からぬ。


 それを希望した当の本人をちらりと窺う。


(……これは……なんというか……)


 目に映った魔王のその身体には、服越しには想像せんかったような

 随分痛々しい傷や火傷跡のようなものが刻まれておった。


 魔王にこれだけの傷を何者が……? と一瞬思ったが、

 考えてみれば魔王とは誕生した時から魔王というわけではないのだった。

 この惨い傷痕は、魔王として覚醒する前に受けたものなのか……しかし。


(傷、消せないものなのかの……)


 魔王であれば、例えそれが古傷であろうがどんな派手なものであろうが、

 再生や復元を行うのは難しくないのでは……とも思う。

 理由を聞いてみたがったが、今は意思疎通するわけにもいかんしの。


 し、しかし……それはそうとじゃ……


 背中を見せていた魔王が、不意にこちらに振り向いた。


(ニュっ!?)


 反射的に、余は思いっきり目を逸らしてしまう。

 な、なぜじゃ? 魔王の裸体を正面から直視できぬ。


 なんか知らんが、めちゃくちゃどきどきしておるし……

 心がなんじゃろ、むよむよするというか…………


 試しに、ラナンキュラスの方を見てみる。

 幼さを残した魔王のものと比べ、かなり女性として成熟した体じゃ。

 女性らしい丸みがありながら適度に絞られた、ないすぼでーじゃの。


「ちょっと……あ、あんまりじろじろ見ないで下さいましな」


 ラナンキュラスが豊かな双丘を腕で覆って照れておる。


 ……


 ……うーむ、別にこっちは何も感じないんじゃよなぁ……

 余は関心なさげに目線を外した。 


「……え、なに? なんかそこはかとなくイラっとしましたわ」


 うーん、なぜ魔王の裸にはこんな……

 このどきどきはひょっとして……ときめいて、おる……?


 え……? 魔王というか、このまだいかにも少女な女の子に……?


(うそ……余……まさか、ろり……こん)


 ぴしゃーん!! と落雷に打たれたような衝撃が余に走る。

 余の脳裏に浮かぶ、【同性少女愛者】というワード。


 同性の部分はともかく、後者はなんかあかんくない?

 うそじゃ、余がそんな変態破廉恥魔族だなど、認めぬぞな!!


 いや、でも、余が同年くらいだったらギリセーフか?

 余って元々いくつだったんじゃ、今すぐ知りたい……!!

 もしまかり間違って二十歳も超えるいい歳の大人だったら……


「にゅ、ニュ~~……」


 恐ろしい可能性に、余はか細い鳴き声を出して震える。


「……さむいの? だいじょうぶ、おふろはあったかい」


 何やら勘違いした魔王が言って、暖めるように余を抱きしめた。


 ほ、ほぁあぁ、あったか、すべすべ、


(このモフっとした毛が邪魔じゃ……もっとダイレクトに……)


 ……


 ……変態破廉恥魔族だわ。

 同年だろうと年下だろうと、余はダメ魔族なのじゃわ。


 ニュー……





 そして変態魔族改め変態ウサモフの余は現在、湯桶の中のお湯に浸かって

 小舟のようにぷかぷかと湯の上を浮いて漂っておる。


「ふぅ……こんな夕刻前の半端な時間に入浴なんて普段いたしませんけれど、

 朝や夜とはまた違った趣がありますわね……悪くありませんわぁ」


 髪をまとめたラナンキュラスが、ふにゃけた声で言う。

 うむ……余も大変気持ちよいぞな。お風呂って良いものなんじゃのぅ……


 あ、ちなみにしっかりモフモフぼでーを入念に洗ってから湯に入ったが、

 おかげでなんかしんなりしておる。


 そうして目をつむってとろけておったが、突然湯桶の中から取り出される。


 その手は魔王のもので、彼女は余を持ち上げて、立ち上がる。

 なんじゃ、と思っておると、ぎゅっとまた胸に抱き込まれた。


 こ、こらこら……湯船に毛が入ってしまうぞ……?

 やめんかもう……ふふ、ふふふふへ。



「…………きこえる?」


 抱いた余に顔を近づけて、魔王がささやく。


「ニュ……?」


 何が、と思わず念話で訊ねそうになってしまう。

 慌てて、余は口をつぐんだ(念話じゃが)。


「……わたしには、きこえない。

 でもずっと、むねのなかで、だれかがなにかいってる」


 リリィはぽつぽつと言う。

 胸の中で、誰かが何かを言っている……?


 余にも、きっとラナンキュラスにも、その意味は汲み取れない。


「こうしてちょくせつくっつけば、きこえるかもって」


 ……なんの事かは分からぬ、けど。

 それを聴かせたくて、こうして風呂に入った?


 ……分からない。


 見ると、ラナンキュラスはなぜか、少し寂し気な顔をしていた。



 胸の中で、誰かが……。

 ほんの少し、余にも心当たりがあるかも知れぬ。


 もっとあなたを知りたい。

 だけどわたしを見ないで。


 ――思い出したい。

 ――思い出さない。


 余の中でも、何かがずっと……声を上げておる。


 余は、この子の……

 この子は、余の……


 何なんじゃろう。



「こうしていると、どきどきする」


 魔王は余を見つめる。

 ほんのりと赤く上気した顔は、湯のせいじゃろう。


 そのどこか切なげに見える表情に、

 余は見蕩れてしまった。




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