《60》お嬢様の懊悩、そしてウサモフ。





 魔王と対峙したポムが、相反する双極のせめぎ合いに揺れていたように。


 ラナンキュラスもまた、似たような矛盾を胸に抱えていた。

 それは、ポムが記憶を失っていると知った時から続いている。

 彼女の立場で言うなら、が記憶喪失であると知った時からである。


 かつてナナが見舞われた悲劇。

 彼女の恐らく初めての恋慕と、それを呪いと為した宿命。


 実らなかろうと、絶望が見えていようと。

 好いてしまったものはどうにもならない。

 報われる前提だけで誰かを愛すわけではない。当たり前の事だ。


 リリィという存在に対して、ラナンキュラスが抱える気持ちというのは、

 スラルのそれと、ほとんど差異は無い。

 彼女もまた憐れな少女であり、勇者であったという事自体に咎は無い。

 あの子もまたナナのように優しく、思いやりの強い子だ。


 実際、かつてのラナンキュラスは薄々だがナナがリリィに向ける視線に

 含まれているものに感づいていた。

 ラナンキュラス自身はそこまで焦がれる程の恋を経験した事はなかったが、

 多分親友のあの子の事だったからこそ察せたのだろう。


 相手が人間の同性、というのはさすがに驚いたけれど、まぁ何せナナだ。

 あの子の純粋さの前で、性別や種族と言ったくびきなど些末なのだろう。


 親友の初恋を、ラナンキュラスは微笑ましく、そして嬉しく思っていた。

 応援し、事によってはお節介を焼くつもりでもあった。

 あの子が幸せを手に出来るなら、是が非でも報われさせたいと。

 いつか、遠くない日に離別が定まっていたとしても、だ。



 そんな、友人の恋路を実らせたい気持ちと。

 記憶を失い、生きて戻ってきてくれた奇跡が。


 彼女を再び、苦悩させる。


 記憶を取り戻し、もう一度二人が引き合う事を望んでいる自分。

 記憶が戻った時、また再び悲劇が繰り返される事を恐れる自分。


(リリィの勇者の因子が失われていると、スラルさんは言っていたけれど)


 それでも、不安でないはずがない。

 ナナからも、かつてあった魔王の因子が失われているのは、

 すでにラナンキュラスは感じ取っている。


 このまま二人とも、魔王でも勇者でもないもので居続けられるのか?

 もうずっと、ナナはただの魔族で、リリィはただの人間のままなのか?

 今のところ、それを示してくれる手掛かりは無い。


 もし……ナナが記憶を取り戻す事がきっかけで、

 あるいはリリィがナナの生存を知る事がきっかけで。


 また以前のように、討つ者と迎える者として、何もなかったように

 元の鞘に戻ってしまったとしたら……。


 考えたくもなかった。

 もう、彼女はナナをあんな形で決して失いたくはない。





『……ここが、ブルームハウスですわ』


 闇が晴れると、二人と一匹は一軒のコテージハウスの前に立っていた。

 周囲には、色とりどりの花が咲き乱れる花畑が見える。


 リリィが玄関の戸を開け、ポムらを待った。

 ラナンキュラスは少しだけ躊躇ったあと、そこへ歩いていく。


 …………


 ……悲劇が繰り返されるのをただ忌避するだけならば。

 ここへは近づくべきでないのは、もちろん彼女は重々承知している。


 リリィは魔王を自称するようになってから、恒常的に“擬態”を続けている。

 魔族のような姿、魔王のような鈍い金色の角。彼女が擬装を解いた姿を、

 ラナンキュラスはこのひと月の間一度も見ていない。


 けれどブルームハウスの中では、それを解いている可能性もある。

 そうすればリリィが人間である事がナナに当然知れる。

 自分がナナについた嘘はその時点で大きく破綻するのだ。


 ここへ来るリスクは他にも色々とある。

 何が記憶復活のトリガーになるか予測が付かないし、

 スラルだってこの近くにいる。あのよく勘の働く執事が。


 それを全て、ラナンキュラスは理解している。

 なのに、その上でこうしてやって来たのはなぜだろう?



 さきほど、リリィがポムを撫で、そして抱いた。

 そこで見たもの……見えてしまったものが、彼女をここへ連れてきたのだ。


 彼女らは今も、求めている。

 ナナは……そしてきっと、リリィも。

 心か魂か、内側のどこかで、お互いを求めている。

 ラナンキュラスにはそれを感じ取れてしまった。


 彼女にとってそれはもう誤魔化しようのない、鮮烈な事実だった。


 どこかで、全て明るみになってしまえばいい、と思う自分がいる。

 貴女達は幸せになれるかもしれないのよ、と彼女は二人を見て思う。


(どちらも選びたくない、でもどちらかは選ばないといけない……か)


 これよりも辛いものが、ナナ達の抱えていたものか。

 ラナンキュラスはただ、やるせない気持ちになった。





「お姉ちゃん……?」


 家の中に入ってすぐ、一人の少女が顔を見せた。

 ミナという、リリィを除けば一番の年長者だ。


「ただいま、ミナ」


「……うん!! おかえりお姉ちゃん」


 少しだけ遅れて、少女の顔に笑顔が咲いた。


 ここにいる、4人の少女たちは皆、リリィの事情を知っている。

 リリィ自身が、この子らに勇者云々もナナとの事も、全てを……

 ほとんどそのまま話したのだとスラルがラナンキュラスに教えた。


 リリィは確かに色々なものが欠落してしまっていたけれど。

 だがそれでも彼女はきっと、なんの配慮も無くあの残酷な顛末を

 子供達に話したりしないだろう。


 理由は想像しか出来ないが、どうせそこには自責や自虐の類が

 過分に含まれているに決まっている、とラナンキュラスは思っている。


「おねーちゃーーん!!」


 年少のピッピが駆けてきて、リリィに抱き着いた。

 リリィは屈み、無表情ながら抱きしめ返す。

 それを後ろから眺める双子たちも、その表情は嬉しそうだ。


「お姉ちゃん、今日は泊まってくれる?」


 ミナが窺うような顔で、リリィに尋ねる。


「……ううん、ごめんね」


 静かに首を振って、拒否する。


 それくらい良いではないか、とラナンキュラスは口にし掛ける。

 けれど、リリィに何ひとつ寄り添っていない自分に口を出す資格は無い。

 そう思い、彼女は言葉を飲み込んだ。


「じゃあ、ただ会いに来てくれただけ?」


「ううん。この子を、うちの子たちにあわせたかった」


「この子? ……あ」


 リリィに注目していた子供たちが、薄灰色のウサモフの姿に気付く。


「わぁ……こ、この子もウサモフ? わたしたちみたいな色……」


「おみみも、ぴーんてしてる!!」


 一斉にポムは4人の子供から囲まれる。

 ラナンキュラスが足元にそっとポムを下ろした。


 わー、きゃー、とポムははしゃぐ子供達から一斉にもふもふされる。

 その様子を、少し離れたところから見るいくつもの目。

 すでにそこに住んでいた、ウサモフ親子が興味深げに見ていた。


「キュ……キュキュ……!!」


 大きな母モフが、何やら驚愕の表情を浮かべている。

 不意に、ポムにだけ声が届いた。


『まさか……あなたは伝説の、スーパーウサモフ……!?』


 またそれかい、とポムは思ったがとりあえず無視した。

 どうやらそのよく分からない伝説はシティ周辺限定ではないらしい。


 子モフ達を引き連れ、親子はポムのそばへとポヨポヨ近寄ってきた。


「キュー!!」

「キュッキュキュー?」


 子モフはどうやら、まだ念話を使う事が出来ないようで、

 何やら楽し気に来訪モフを囲んでキューキュー鳴いている。


「まぁ……いきなり大人気ではないですか、ポムちゃん」


 ラナンキュラスがくすくす笑う。

 ポムは、子供から子モフから寄ってたかってもみくちゃにされて、

 てんやわんやだった。


『ムニュー!! おい母モフ、この子らを何とかせよー!!』


 プニョンプニョンにされながら、ポムは母モフに念話で訴えた。

 しかし、当の母モフは何やら、じっと黙ってポムを見つめている。

 母モフは、その灰色ウサモフから、何かを感じて思案していた。


(キュ……? どこかで……お会いしたことがあるような……?)


 けれど、人間領にいた頃の記憶と合わせても、これといった記憶が無い。

 母モフは、うーんと考え込んでしまった。


『ほぁあ、キューちゃん、たすけ……ムギュ』


「さぁ、そのくらいにしてあげて下さいましな。ポムが変形してしまいます。

 リリィ、来て早々ですけれど、私達はそろそろ……」


「うん。じゃあつぎは、おしろにいこう」


 魔王が言った。


「……なぜですの?」


 ラナンキュラスが返す。


「その子と、おふろにはいる」


「は?」


『は?』


「……?」


 リリィは床からポムを抱え上げて、腕にくるんだ。


「……なぜ、ですの」


「……わからない。でも、そうしたい」


 普段、あれをしたいとか、これをしたいと口にする事の無い魔王が。

 そこに、執着のようなものさえ見せている。


 そしてリリィは小さく首を傾げて、


「この子をぎゅってして、おふろにはいりたい」


 そんな事を、無表情で言った。


 …………


(…………)


『…………』


 お嬢様と一匹は、お互いの顔を見合わせて一瞬沈黙する。

 そして、


(――な、何言うてますのこの子ーーー!!?)


(ニューーーー?!!)



 声なき絶叫がそれぞれの頭で響いた。




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