【59】ポムと魔王。





 開いた扉、その向こうから差す陽光を背にした少女の姿は、

 少し逆光気味になっていた。


 肩より少し長い位の、さらりとした髪は雪のように白く。

 肌は浅黒く、瞳は碧い。頭からは立派な鈍い金色の角が二本伸びる。

 少し幼げな顔立ちの、一見魔王とは思えぬような華奢で可憐な姿。


 余は陰影が差したその顔を目にした瞬間、

 まるで時が止まったように感じられた。



 …………


 ……心が、右に左に同時に走り出そうとしている。


 余は、この子に会いたかったのだと感じる。

 余は、この子と会ってはならぬとも感じる。


 何か、言わなければならぬ。

 何も、口をきいてはならぬ。


 ――触れてほしい。

 ――触れてはだめ。


 心を、矛盾した想いが引っ張り合って


 張り裂けそう。



 少女が、自分の胸に手を添えた。

 その瞳はラナンキュラスに抱えられた余を見つめている。


 ひとつ、少女が歩み出た。

 びくり、余の身が震える。



『……落ち着いて、ポム』


 不意に、ラナンキュラスの声が届く。

 これは、余だけに向けられた念話じゃ。


『彼女が……魔王リリィ=フォビア=セプテムですわ。

 落ち着いて、貴女は今、ウサモフのポムですのよ』


 そう余に告げる彼女の念越しの声も、微かに震えておる。


 魔王。

 この子が、余を……?


 ……ほんとうに?



 また一歩、

 そしてもう一歩と、何かを探るようにゆっくりと、

 魔王リリィは少しずつ近づいてくる。


 そしてとうとう、手を伸ばせば余に触れられる所までやってきた。


「……これは、リリィ……どの」


 ラナンキュラスの父君が、固い表情で魔王に一礼する。


 リリィ殿、か……てっきり魔王様とかリリィ様と呼ぶものだと思ったが。

 少し意外であった。


 彼は、娘の顔を見やり、少し首を傾ける。

 彼女がそれに頷くと、父君はもう一度魔王に頭を下げてから

 その場を立ち去っていった。


 ……?



「……リリィ。帰っていらしてたのね?」


 ラナンキュラスが平静な声で言った。


「うん。あなたも」


 短い、魔王の応え。

 その声にさらに、胸の中がざわつく。


 なぜ、声を聞いただけで、こんなに切なくなる……?


「……その子は……どうしたの?」


 魔王が尋ねる。

 その子とは、もちろん余の事じゃろう。

 ラナンキュラスはすぐに答えた。


「見ての通り、ウサモフさんですわ……ちょっと変わっていますけれど。

 先日お会いしまして、なんというか、とっても惹かれてしまいましたの。

 この子も懐いて下さったので、ペットとして屋敷にお招きしました」


「ペット……」


 魔王は相変わらず、余をじっと見つめておる。

 最初に目が合ってから一度も、逸らされていない。

 そしてそれは、余も同じ……じゃ。


「その子をみてると……なにか、へんになる」


 まるで幼い子供のような語調で言う。

 そして初めて、魔王は余から視線を外し、ラナンキュラスを見た。


「……なでても、いい?」


「え? えぇと……いいですわよ。どうぞ……」


 了承を得て、魔王リリィはまるで恐る恐ると言ったように、

 ゆっくりと余に手を伸ばす。


 避けようとする自分と、待ち望む自分が同時にその手を見ている。


 ふわり。

 小さな手が、余に触れた。


 そのまま、優しい手つきで、余の丸い身体を撫でる。


「……ニュ……」


 ……心地よい。


 目をつむったら、あっという間に眠りに落ちてしまいそうじゃ。

 身体の中で、何かが甘く疼くのを感じる。


 手が離れ、その両手が余を掬うように添えられた。


「ちょ、ちょっとリリィ……?」


 ラナンキュラスが少し慌てる。

 けれど、魔王はそのまま余をそっと取り上げてしまう。


 そして、余は魔王の胸に抱き込まれた。

 柔らかく、仄かに暖かい。


 いつの間にか、彼女を遠ざけようという声は、

 余の中から聞こえなくなっていた。


 目を閉じて、もっと頬を寄せる。


 このまま……

 余は……



「――はい、そこまでですわ!!」


「ニ"ュっ!?」


 キューちゃんがでかい声と共に、ササッと魔王から余を取り上げる。

 それによって、微睡みから一気に醒めた。


「よーしよしポムちゃん、いいこいいこされて良かったですわね~。

 はい、リリィさんにありがとうはー?」


「……ニュニュ」


 もふり、と余は魔王に向けて出来てるか分からんお辞儀をする。


 見ると、魔王は無表情ながら……

 なんとなく、名残惜しそうに見えるような、そうでないような。


「で、ではリリィ? 他に何かご用件はありまして?」


 ラナンキュラスが魔王に訊ねる。

 ていうか、魔王を呼び捨てしとるなそういえば……いいのかの。


「ううん。ラナンキュラスがかえってきたなら、いい」


 対して、相変わらず抑揚の無い魔王の語調。


「そうですか。心配して下さったのかしら?

 大丈夫ですわよ、こう見えても私、はちゃめちゃに強いですから」


「うん、わかってる。じゃあ、いっしょにきてほしい」


「ええ、わかりまし……――はい?」


 脈絡の無い魔王の言葉に、キューちゃんが素っ頓狂な顔になる。


「きて、ほしい? え、どちらにですの……?」


「ブルームハウス」


「それはなんでまた……急に」


 ブルームハウス? とはなんぞや。

 余は魔王とキューちゃんの顔を交互に見る。


「もっと、その子といたいとおもった」


「え、えぇえ……?」


「あそこには、ほかのウサモフもいる。おともだちになれるとおもう」


 ほむ……

 どこかは知らんが、そこでもウサモフを飼っておるということか?


「……めいわく?」


 リリィが、首をほんの僅かに傾げてラナンキュラスに問う。

 何も見通せぬ、ぼんやりとした……しかし真っ直ぐな目で。


「め、迷惑という事は……ありません、けれどぉ……」


「じゃあ、おねがい」


 今度は余を見て、魔王は言った。


 ラナンキュラスは「うぅ……」と小さく唸っていたが、

 やがて観念したように言った。


「わ、分かりましたわ……少し、お邪魔しましょう」


「うん、ありがとう」


 相変わらず感情の読めぬ表情と声音で、魔王が礼を言った。


『……ブルームハウスって? 何か問題がある場所なの?』


『いえ、そういうわけではないのですけど……その、大丈夫ですわ。

 少し警戒しすぎというか、気にし過ぎね、私は。逆に良くないですわ』


『ふむ……?』


 よく分からぬけど、キューちゃんなりに気を配っておるのだろう。

 まぁたしかに思いもよらぬ事で身元がバレてしまうやも知れぬが。


 ただ……

 余にはどうしても目の前のこの子と、自分を処刑したという無情な魔王の

 イメージが重ならないんじゃよな……。


 かと言って、キューちゃんが嘘を付いていると言うのも……

 それはそれでピンと来ないしのぅ。


 余の口調の事だって、そもそも会話が通じる事自体を隠すというなら

 別に気にする事ではない。過剰に徹底し過ぎと言えばし過ぎじゃ。

 魔王であれば個人間の念話を盗み聞いたり出来るんじゃろか?

 分からぬけど、まぁそれだけ、細心に徹しているという事……なのかの。


 ただ余はその辺りに、命の危険だけでない、もう少し込み入った事情が

 あるような雰囲気を感じはじめておった。

 本人が言うように、確かに少し気が入り過ぎとるように思う。


「てんい、おねがいしていい?」


「あ、ええ……そうね、了解ですわ」


 魔王がキューちゃんに転移魔術をお願いしておる。


 ……? 特に問題無い事だと思うが、何か引っ掛かったの……

 なんじゃろ?


 キューちゃんを中心に、転送陣が展開する。

 便利じゃなこれ、余も使いたいのぅ……


 そしてまた前回同様、ふっと視界が暗転した。




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