《58》たたかいたくはない。





 いつか述べたように、衛星都市パスラは最も魔族領に接近した街だ。

 故に軍備に注力しており、中央を除けば戦力の規模は最も大きい。


 しかし、あくまでもそれは8つの衛星都市の中では、に過ぎない。

 ここ20年以上もの間、魔族との大きな衝突やいざこざはほとんど

 無かった事もあり、正味の所パスラの軍部はかつてのものと比べ

 手薄となっていたのは否めない。


 現に、生地せいちとしてここパスラに根差していた"剣聖”ユリウス……

 その一族と郎党も、二年前に中央に招喚され引き払ってしまっていた。


 一言で言えば、油断。それ以外にない。

 魔王来臨の報せが国土を駆け巡った7年前は、さすがにパスラの軍備周りも

 改めて見直されはしたが、結局のところ、彼らにはどこか慢心があった。


 その慢心を産んだ最大の要因は、人族が長年実現を夢見て追い求めた技術、

 人族の法術による空間転移がついに完成を見た事にあった。

 “賢者”クロム師によってこの革新が成されたのは、18年前。


 そして"転移局”と、それに連なる体系の完全構築は10年余で成り、

 これにより小規模ごとではあるが遠方への人員の迅速な派遣・招喚が

 可能となったのだ。そう、そしてそれが、油断の種となった。



 五日前だ。静謐の魔王と称される程に、沈黙を続けていた魔王が……

 何の先触れもなくパスラ上空に現れ、状況はまさに瞬きの間に一変した。


 魔王は何の意図か、まずその場からパスラ街より少し外れた東方の平野、

 そこに向けて一条の光線を放った。


 轟音と共に、草原の広範が爆裂し……閃光と煙幕のあと、

 抉れて消し飛んだ巨大な環形の窪地が出来上がっていた。


 これは、何のことは無い。魔王は測ったのだ。

 加減した己の力が、実際に生み出す破壊、その規模を。


 魔王は自ら生み出したクレーターを眺め、そして己の掌を見つめる。

 理解した、と言うように頷いて、彼女はパスラを囲む外壁に掌を向けた。





 パスラの中心、一際大きく荘厳にそびええる城。

 パスラの最高権威に座する、グラム伯爵の居城だ。


 城のバルコニーに立ち、グラムは空を睨む。

 外壁が何者かによって破壊された、との報が入ったばかりだ。

 城より西方で上がる黒煙、そこには瓦礫と化した外壁の名残が見える。


 ……東、魔族の地より襲撃があった。

 それが自然な想像だが、しかしグラムにとって肝要だったのは

 その破壊を齎した魔族が何者であるのか、という一点だった。


(……まさかとは、思いたいが)


 グラムの目には、上空に点のように映る人影。

 それはしばらくその場に留まっていたが、やがてこの城へ……

 あるいはグラム自身の元へ、みるみる近づいてきた。


 そしてその人影は彼の期待を裏切り、自らを魔王と名乗った。


 そしてその後、一切の先触れも用意の暇もなく、

 伯爵と魔王との会談の場が設けられる事となった。


 その際、魔王を自称したその少女が要求したのは、

 奴隷……特に卑人の解放と彼らの身柄を魔族領に引き渡す事だった。


 彼は己の置かれた立場、そして何より相手が自称とはいえ魔王こと、

 それらを鑑みて……その場は要求を棄却してしまった。


 彼の答えを聞いて、魔王は特に何を言うこともなく立ち去った。

 しかし、それから間もなく、パスラは曝される事となる。


 ……魔王による、圧倒的な力の一端、それによる災厄的な破壊に。





 そして現在、時はあの日から5日後。


 彼の元に、再び……最初の時のように何の予告もなく、

 二度目の邂逅がやってきた。


 魔王はまたしても伯爵居城のバルコニーへと降り立ち、

 今まさに魔王への対策会議を行っていた大広間へと入り込んできた。

 彼らが一様に驚愕したのは言うまでもない。


「おはよう」


 扉を開き、無表情に立つ魔王は、誰にともなく言った。

 そして、椅子から立ち上がり自分を唖然と見つめる要人達に目もくれず、

 魔王はグラムのもとへとやってきた。


「へんじを、ききにきた」


 簡潔な言葉。


 返事、それはつまり5日前彼女がグラムに行った要求への返答。

 なぜ魔族、それも魔王がそのような要求をするのか、見当も付かない。


 前回は己の立場、そして相手が魔族の王であるらしいとの事を鑑みて、

 その場の一存だけで応える事ができず要求を蹴ってしまった。


 そして、齎されたものは、あの惨状である。


 それに比して、今回は事情が大きく異なる。

 まず目の前の相手が本物の魔王であろうという認識がある事。

 その上で、今回は自分だけでなく、中央から派遣されてきた

 戦術的要人、そして彼らが率いてきた少なからぬ兵力が控えている。


 その中には、あの“剣聖”ユリウス=ラウランの姿もある。

 グラムは、魔王が歩み寄ってくるさなか、ユリウスに目を向けた。

 彼は、しかし魔王の姿を見据えたまま、動く気配は無い。


 それは他の騎士団長や中央の軍務局長らも同じ。

 ただ目の前に実在する災禍に、黙する以外を忘れてしまっていた。

 

 やがて、魔王……見目は少女にしか見えぬその災厄は、目の前に立つ。


「いうことをきく? きかない?」


 余計な前口上、導入は無い。

 前回同様、不自然なほど拙い言葉繰り。

 グラムは、固唾を飲んだ。


 彼にとって幸いであったのは、すでにその要求に対する回答が、

 この要人会議によって丁度まとまっていた事。

 彼は大きく息を吸い、用意された答えを手渡した。


「……現在、我が街が居住を確認している卑人は472名。

 実数は上下するかも知れないが、それら全てを街の閑散区一角に集める。

 彼らを其方らに引き渡そう」


「いつ?」


「3日後、正午までに整えよう」


「わかった。ありがとう」


 魔王は用件は済んだといったように、グラムから視線を切り

 踵を返して大広間の出口へ向かう。


 魔王が現れてから、僅か1分程度のやり取りであった。


 要人達は、その間誰一人として言葉を発していない。

 いや、口を開くどころか、微動にさえ出来なかった。


 グラムは、去って行く魔王の背に、意を決して最後に言った。


「魔王……リリィ、だったな。

 今この期になって、君は……我々と戦を、始めるつもりなのか」


「たたかいたくはない」


 振り向かず、魔王は応える。


「たたかいに、ならないといい」


 やはり短く言って、彼女は出ていった。

 律儀にも、扉をきちんと閉めて。


 しばらく縫い止められたように誰一人動けず、声も発せられなかった。


 グラムは剣聖を見て、尋ねる。


「……良い、機会であった……かな? ユリウス殿……」


 一聴するとわけのわからない言だが、ユリウスは意訳する。


「そですね。魔王をこのように間近に見られるとは、びっくりです。

 そのうえで皆、五体満足なのだから、僕らは大した幸運ですね」


 天井を上目に見て、なんだかおどけたような顔で言うユリウス。

 少なくとも、彼に他の要人ら程の緊張は無いように見えた。


「どうであった? 君の目から見て、やはりあの者は……」


「さぁ……魔王なんじゃないですか? 分かんないですけど……

 とりま、あんまり言いたくないけど僕じゃ相手にならないかな?って」


「そう、か……」


「敵意どころか何の心の動きも感じませんでしたけど、

 これだけは言えます。ありゃ反則ですよ。同じ次元の生き物とは思えない」


 こめかみ辺りを掻きながら、ユリウスは軽い調子で言い切った。

 だがグラムに取って、それは決して軽い内容では無い。


 剣聖ユリウスが、勝てぬと断じたのだ。

 それはつまり、彼女は実は魔王を騙る、魔貴族辺りではないかという

 希望的憶測の否定。


 グラムは、東を向いた窓から、遠くを見やった。

 小事で済むはずはない。


 今度こそ認めよう。

 魔王の静謐は、破られたのだ。



 …………



 …………



 グラム伯爵の城から飛び立ち、上空からパスラを見下ろす魔王。


 彼女は、共にやってきた少女の事をもちろん忘れていない。

 あの令嬢が何を求めてここへ付いてきたのかは分からないけれど、

 とりあえず自分の用件が済んだことを伝えたかった。


 しかし、人間の彼女と魔族であるラナンキュラスは、

 念話を行うには制限が多い。あまり距離が空いているとほとんど

 通じないのだ。多分、せいぜい3km位の範囲が限界だろうか。


 改めて、自分は単に魔王を名乗っているだけの人間に過ぎない、と

 かつてのリリィなら思っただろう。


 しかし、今のリリィは特に何を思う事もなく、すぐに諦めて

 自分だけでとりあえず魔族領へと戻る事にした。

 先に、ラナンキュラスは戻っている可能性もある。



 魔王城へと戻り、しばらく彼女は何をするでもなく玉座に座ったまま

 じっと静かに時を過ごしていた。


 その内不意に思い立ち、ラナンキュラスの屋敷を訪ねる事に決める。


 彼女に限って心配する事はないだろうと思っていたが、

 けれど、リリィは胸の奥に微かに残った場所で、彼女を気にしている。

 ラナンキュラスは、ナナの友人だ。


 いなくなってほしくない、ひと。


 かつて、まだ勇者として覚醒する前に、一度リリィは

 ラナンキュラスに屋敷へと招かれた事があった。

 場所は、覚えている。


 三方を深く木々に囲まれた屋敷。

 その玄関前に降り立ち、扉に手を掛ける。


 しばし、そのまま止まる。


 何かを感じた。


 なんだろう?

 リリィは珍しく、表情をほんの僅かにだが動かした。


 なかに、なにか。


 なにか、わからないけど、いる。


 リリィは首を傾げた。

 ドアノブを掴んだ自分の手が、微かに震えているのだ。


 あけていいのかな。


 そんなことをかんがえた。


 あけたい?

 あけたくない?


 わからない。


 これは、なに?



 取り留めなく、しずかに、頭を問いがぐるぐる回ったけれど。


 リリィは、扉を開ける事にした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る