《57》あーんですわ。





 正直、ラナンキュラスは叫びたい程に気分が高揚していた。


 魔王が……ナナが、生きていたのだ。

 ひと月前からずっと、もう二度と会えないのだと思っていた親友が。


 きっと……

 もし、例えば神が彼女に、お前が醜い悪鬼に身も心も成り果ててよいなら、

 ナナを生き返らせても良いと告げたとしたら、すぐに首を縦に振っただろう。

 それくらい、失われた友人は大切な存在だった。


 実際、少女を勇者から護る力になれたらと、彼女は7年間随分と苦心し、

 苛烈な修練をもって魔力の研鑽に励んだ。

 元から備えていた才覚も相まって、ラナンキュラスの魔力強度は

 17歳の魔族の少女としては明らかに逸脱したレベルに至っている。



「はい、あーん……ですわ」


 言って、灰色のウサモフの口元にスプーンを運ぶお嬢様。


『あ、あーん……』


 それに、微妙な面持ちで応えて口を開ける雌のウサモフ。

 つい先ほど、彼女はポムと名付けられた。


 もぐもぐ。

 運ばれたシチューのにんじんを飲み込んで、ポムは言う。


『の、のぅ……これ余は大変なんというか、はずいんじゃが』


「こらっ。口調が戻っていましてよ、ポム」


 めっ、とお嬢様はポムの額を指で軽く突いた。


『あ、うん、恥ずかしいんだけど、キューちゃん』


「ふふ……こうしていると、昔風邪を引いた貴女を看病した日を思い出しますわ」


 聞いとんか? とポムは思ったが、親友であったという少女が

 とても満足そうにニコニコしているので、言葉を飲み込んだ。


 結局、食べ終えるまでこの「あーんですわ」は続いた。

 恥ずかしさに慣れることはなかったが、とりあえずシチューは美味かった。

 最後にナプキンで口を拭かれる。


「さて、では我が屋敷を一通り案内しましょうか。

 それにあたって、先ほどの話をもう一度おさらいしておきましょう」


 ラナンキュラスが言う。


 先ほどの話、というのは、ポムがこれから魔族領で活動するにあたって、

 彼女の正体に関していくつか設けた取り決めや口裏合わせのことだ。


『私はポム、あなたの……ぺ、ペットのウサモフ。昨日までは野生の魔物。

 基本的に今のところはキューちゃん以外とは念話で話したりしないでおく。

 万一魔王様に会っても、動揺したりせずにウサモフとして振る舞う……』


 最後のは、少し不安だった。

 魔王というのが、どのような存在なのか未知すぎた。

 しかも以前に、ポムはこの魔王に粛正されているというのだ。

 動揺というか、びびってしまわないか心配である。


「……大丈夫ですわ。魔王……リリィは基本的にお優しい方ですから」


『その優しい方に、私は処されたって事でしょ?

 一体何やらかしたのか気になる一方なんだけど……』


「……そ、そうね。でも考えても詮無い事ですわよ。……ね?」


『んむ……まぁ、そうね』


 釈然としないが、ポムはとりあえず気にしないよう努める事にした。

 いずれ記憶が戻れば、その辺りだってどうせ嫌でも分かるだろう。


「さて、では……」


 ひょい、とポムをお嬢様が持ち上げる。

 そのまま、ぬいぐるみにするように胸に抱きかかえた。


『い、いや。自分で移動できるから降ろしてくれていいけど』


「う……そ、そうですか? ま、まぁ今回だけいいではないですか。

 まるで勝手の分からない場所を案内するのですし、こちらの方が

 色々と都合がいいでしょう?」


『でしょう?と言われても……いいけど、別に』


 その答えに満足気な顔を浮かべて、お嬢様は部屋のドアを開けた。





 なかなか大きな屋敷だった。


 先刻ラナンキュラスに対し、魔貴族か、とフローリアが尋ねていた。

 ポムは魔貴族というものが記憶にあるか探ってみたが空振りだった。

 やはり、教養の類も抜け落ちているものが割とある。

 なので、本人に簡単な説明を求めてみる。


「魔族の中でも、特に強大な魔力を有するものが上位魔族。

 さらにその中から一握り、上澄みから選定されるのが魔貴族ですわ。

 襲名制ではなく、あくまで当人の実力のみを以て選ばれるのですよ。

 私の家系で、魔貴族の誉れを拝しているのは私だけですわ」


 ふふん、とお嬢様は誇らしげに胸を張った。

 ポムは豊かなそれと腕に挟まれる。


『むぎゅ……そ、そうか。凄いんじゃの、キューちゃんは』


「そう、凄いんですのよ。ほほほほ」


 高らかに笑うお嬢様。

 確かに、フローリア相手に見せた魔力の奔流は凄まじかった。


(魔王はきっと、あれをも大きく凌ぐんじゃろうな……こわい……)


 心の中で大いに戦慄するポムだった。



 ダイニングやエントランスホール、テラスや広い庭園。

 ゆっくりと見て回りながら、ラナンキュラスはそれぞれにまつわる

 昔のポムとの思い出等を楽しそうに語った。


「ほらあの二人掛けのガーデンチェア、あれでコテンと眠ってしまって……

 私の脚を枕にしたんですのよ、3時間くらい。足が痺れてしまって――」


「おや、おかえり」


 言葉の途中で、ラナンキュラスの背後から声が掛けられる。

 振り返ると、そこには壮年の魔族の男性が立っていた。

 穏やかな顔で、一人と一匹を見つめる。


「帰っていたのか、ラーナ。なにやら楽しそうな声が聞こえたが……

 その腕の中の子は、チルファングかね?変わった色合いだが」


「ええ、お父様。可愛いでしょう?

 私この子をペットとして迎える事に決めましたの」


「ペット……。珍しいな、お前が……」


 言いかけて、しかし何か思うことがあったのか一度言葉を切る。

 そして、ふっと笑って続けた。


「……そうか。良いじゃないか、大事にしなさい」


「ええ、それはもちろん。めいっぱい大事にしますわ」


 ラナンキュラスはポムの頭を見て、愛おしそうに微笑む。


 彼女には、父の心中が分かる気がした。

 ここ一ヶ月程、娘はずっと酷く落ち込み、塞ぎ気味であった。

 理由は明白で、両親は娘を心配し通しだった。


 恐らく、父は私が突然ペットなどと言い出したのも、ナナを失った事に

 起因した事なのだと思っただろう。そうラナンキュラスは想像する。

 勘違いではあるけど、構わない。

 両親に心配を掛け続けている事を、彼女も辛く思っていた。


「その子には、もう名前があるのかい?」


「ええ、ポムといいますわ、お母様にも紹介しようと――」


 そこまで言って、ラナンキュラスは身体をびくりと震わせる。

 そして、エントランスホール……玄関の方を見やった。


 彼女の腕の中で、ポムはその身に走った緊張を感じ取る。


 しかし、それ以上に。

 ポム自身、全身が感電するような強烈な感覚に見舞われていた。


(――これ、は……?)


 得体の知れない感覚……あるいは感情に、ポムは固まる。

 自分に芽生えたそれが、なんなのか正体が分からない。


 恐怖とも、歓喜とも、困惑とも、期待とも絶望とも、どれとも違い……


 あるいは、その全てであった。



 ホールの扉が、開く。


 そこに、立っていたのは、一人の少女。


 その姿を瞳に映した瞬間。


 ポムは、何かを叫びそうになった。


 何かとは、何だろうか。


 分からないけれど。



「リ……リリィ……」


 ラナンキュラスが呟く。


 ポムは、その響きと少女の姿に、

 一瞬で心の奥まで捕らわれてしまった。




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