【56】ナナでもミミでもなく。





 黒き光の柱が収まると、余を囲む風景は一変していた。


 そこはどこかの……屋敷か何かの中のようだった。

 淡く花のような香りが漂う、上品な佇まいの部屋の中。


 典雅な調度品や家具類の多くは白と赤あるいはピンクを基調としており、

 気品溢れる中にも割とガーリーな雰囲気を醸しておる。


 恐らく、ラナンキュラスの自室ではなかろうか。


 部屋の内装に軽く視線を走らせてから、隣に立った彼女を見た。


 一瞬、余はびっくりする。

 彼女の外見はいつの間にか変化しておった。

 一言で言えば、いかにも魔族らしい姿。額からは、一本の角が伸びている。

 これが彼女の、真の姿か。 


 彼女は余を、じっと見て……


 ま、また涙を流しておる。

 心配そうな、でも笑っているようにも見える顔で。


「ナナ……本当に、貴女なのよね……?

 夢じゃなくて……本当に生きて、ここに居ますのよね?」


 ラナンキュラスは少し屈み、余の頬を両手でそっと包んで言った。

 余は少し返答に困ってしまう。


「さ、先ほども言うたが……余は、ほんとに記憶が無いのじゃ。

 色々な知識や常識は覚えておるみたいじゃが、どうしてか……

 名前やら知人の有無やら、肝要な部分は何も思い出せぬ」


「そう……ですか」


 ラナンキュラスは、応えながら……

 なぜじゃろう、その表情はどこか安堵の色が浮かんでおった。


「……?」


「ねぇ、ナナ……いえ、ミミと名乗っていましたか?」


「ん? うむ、名が無いのは不便かと、自分で適当に付けたものじゃが」


「なるほど……。

 あの、私がこれから貴女に言う事は、少しショッキングな物になります」


 ほぁ?

 なんじゃいな、いきなり。


「貴女は魔族、それは間違いありません。そして、以前の貴女は……」


 ラナンキュラスは、そこで一度言葉を切った。

 頭の中で、何かを逡巡しておるように見える。


「……いいですか、貴女は――」


 彼女が言葉を再開する。

 しかしその時、余の身体に突然異変が起った。

 ラナンキュラスが目を見開いて余の肩を掴む。


「えっ……? あ、貴女なんか身体が明滅してますわよ……!?」


「ほぁ?」


 言われて自分の身体を見下ろす。

 た、たしかになんかチカチカしとるな??


 あ、これって……もしや……


 余が思い当たると同時、この身体を中心に光が放出される。

 一瞬それが部屋の中を照らし、その瞬きの後には……


「……ニュ」


 やはり、思った通りじゃった……。

 余の姿は、再び灰色のウサモフのものへと戻ってしまった。


(恐らく、フローリアから離れてしまったが故じゃろうなぁ……)


 突然に、まさかの姿に変容してしまった余を見て、

 当然ラナンキュラスは――


「な……、は……、え……???」


 見事に、表情が固まってフリーズしておった。


「ニュ、ニュニュー……」


 なんか目の前のこやつが数秒後に喚き散らすのが目に見えたので、

 余は先手を打って事情を説明し始めた。


 …………


 ……



『と、いった感じじゃの。なぜウサモフかは、余にもさっぱり分からん』


 余が一方的に念話でペラペラと身の上を語る内に、ラナンキュラスは徐々に

 固まった表情が解けていった。


 あ、ちなみにクロウ達の事は迷ったが話さん事にした。

 奴は魔族領と関わりを断っているような事を言っておったからの。


 余の説明に、ラナンキュラスは若干困惑の色を残しつつ言った。


「奇々怪々というか……。ですが、貴女が生きてこうしているんですもの。

 尋常ではない何かが起ったとしても、驚くのも今更さらですわね……」


『むぅ……それなんじゃが。余が生きておったのが不思議みたいじゃが、

 それって余は死んだと思われておったという事よな?

 かつての余に一体、何があったというのじゃ……?』


 特に気になっていた事を、余は尋ねた。

 それを受けたラナンキュラスは、しかし中々答えない。

 余はじっと、言葉を待ってみた。


 やがて、彼女は意を決したようにひとつ頷くと、言葉を紡いだ。

 その内容は、中々に衝撃的なものであった。



「……以前の貴女は、魔王様の不興を買い、処刑……されました」


『え……しょ、処刑……!?』


 な、なんと……しかも、魔王の不興をじゃと?

 一体何をやらかしたんじゃ、かつての余は……


「そう……ですわ。何をなさってそうなったかは、私にも分かりません。

 ですが、相当に強い怒りを買ったと……聞いています。

 ですので、貴女は決して魔王様に正体を知られては、なりません」


『そ、そうか……それはまた……困ったもんじゃのぅ』


「だ、大丈夫ですわ!!」


 急に大声を出して、ラナンキュラスが余のモフモフの身体を抱える。


「ニュっ?!」


「私が貴女を、匿って差し上げます!! 貴女を危険な目には、もう……

 決して、絶対に、遭わせません。ラナンキュラス=ハーリィの名にかけて」


「ニュ、ニュニュ……?」


 なんだか有無を言わせぬ必死な様子で言われて、余は思わず頷く。

 ポヨポヨと。


 そ、そうじゃそもそも……この娘は一体、余の何だったのじゃ?

 余は彼女に尋ねてみた。


「私は……あなたの……貴女の、し、親友……ですわ」


 なぜか顔を赤くして答える。


『親友……そうか、それを覚えておらんのは、その……すまんの』


「い、いえいえ!! いいんですのよ、仕方ありませんもの!!

 それより、よろしいですか? そんなわけですから、貴女は絶対に

 魔王様にご自身の事を悟られてはなりません。いいですね?」


『そうじゃな……分かった、幸い今はこのようなウサモフの身じゃ。

 己の実態を隠すのは、難しくないじゃろう。あい分かった』


「お願い……します。あ、その口調もお気を付けあそばせ」


 口調? そんな余、特徴的な口調して…………おるか。うん、おるわ。


『わ、分かった。気を付けよう……いや、気をつけるわ?』


「くれぐれも……お願いしますね」


 ラナンキュラスは念を圧した。

 心配そう、というよりなんだか、辛そうな顔をしておるのが……

 少しだけ、気になった。


『しかし、余……私は記憶の糸口を見つけたくて魔族領を訪ねてきた。

 ここに閉じこもるのは、さすがに勘弁願いたいのだけど……』


「そ、そうですわね……分かりましたわ。私が貴女を色々と案内します」


『うむ……いや、うん。助かるわ……よろしくね、ラナンキュラス』


「あ……その」


『ん? なんじゃ』


「わ、私の、事は……その、”キューちゃん”でよろしくてよ」


「ニュ?」


 きゅーちゃん?

 それはまた……なんというか……


 しかし、そうか。余は以前、そのように呼んでおったのじゃろうな。


『分かった。お世話になるね、キューちゃん』


「…………」


 な、なんじゃ……?

 なぜ、泣きそうな顔しとるんじゃ。


「ええ……ナナ。私に全部、任せてください」


 目端に涙を滲ませて、ラナ……キューちゃんは微笑んだ。


『じゃあ、私の事はミミと呼んでもらえばいいかな?』


「――いえ。その名前は……ダメですわ」


 ほぁ? なんで。


「ええと……えぇと……ぽ、ポムちゃん」


『ぽ?』


「ポムちゃん、にいたしましょう」


 えぇ……? ミミじゃいかんの?

 よく分からんが、まぁどのみち仮の名じゃ、まぁ良かろう。


『分かった。ポムじゃな。ポムポム……』


 余は自分に暗示でも掛けるように繰り返す。

 そうしていると、キューちゃんの余を抱く腕に力がこもった。


「……ナナ……」


 ぐす、とキューちゃんが鼻を鳴らす。

 余を抱き込む腕が、ふるふると震えておった。


(……この子はきっと、忘れるべきではない子なんじゃろうな……)


 余は、ひどく申し訳ない気持ちになる。

 そのまま、彼女の気が済むまで、余は大人しく抱かれておった。


「ほんとに、よかった……ナナ……」


 ナナではなく、ポムじゃろ。とは言わない。


 思えば己が何者かも分からぬ余が、初めて出会った知人じゃ。

 それが、このように余のために涙を流し喜んでくれる子であったのが、

 とても幸運で、そして幸福な事であるなと、改めて思った。


 余は、その頬に、すりすりと頬を擦りつけた。

 それが、ウサモフ流の親愛の証じゃ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る