【55】ふざけるんじゃありませんわ。





 宿を出て、余らは食料の買い出しがてら、魔王襲来による被害が

 齎されたという街の東側の様子を見にいく事にした。


 歩を進めていく内、だんだんと視界の先にその痕跡が見え始める。

 フローリアの表情が悲しそうに曇っていった。


 今は荷台や木箱、積まれたパレット等が並ぶ通りを歩いているが、

 周囲に人通りは無い。


「……しつ、れい。貴女たち、ちょっとよろしいかしら……?」


 不意に後ろから何者かに声を掛けられた。

 余らは一様に目を見開き、にわかに緊張が走る。

 まるで気配を感じなかった……これは、件の追っ手か?


 三人同時に振り返る。

 そこに立っていたのは……一人の、人間の女であった。


「……うそ……? そん、な……」


 余が臨戦の心構えで見据えたその女は、しかし何やら驚愕……

 あるいは困惑の表情を浮かべて、小さく呟いた。


「声を掛けたのはアンタか? どっから現れた……?」


 眉を顰め、威嚇するような声音でフレイが尋ねる。

 しかし女はそれに応えず、表情も視線も動かない。


 その視線が向けられているのは……余、か?


「ナナ……?」


 女が呟く。


 その短い呟きに、微かに頭の中が疼いた。


 ナナ……?


「なぁ、無視しないでくれよ。声掛けといて黙んないでくれるか?」


 フレイが一つ歩み出て強い語気で言う。

 しかし、女の様子の変化にぎょっとして困惑する。

 余もフローリアも同じく戸惑う。


 女が急に、涙を流し始めおったのだ。


「ナナ、ですわよね……? あなた……生きてましたの……? 

 わたくし……もう……」


 途切れ途切れに紡がれる涙声。

 やはりそれは、余に向けられた言葉であるようじゃ。


「それは、余に……言うておるのか? お主は余を知っておるのか?」


 口元に両手を添えて、ぽろぽろと涙し続ける女に余は訊ねる。

 その言葉を聞いて、女は「え……?」と当惑した表情を見せた。


「な、何を言ってますの……私、ラナンキュラスですわよ……!!

 知っているのかって……一体、それは……」


 ラナン……キュラス? それがこの女の名前……


 なんじゃ、覚えがないが……何やら、胸がざわつく。


「ミミ様、この方は……魔族です」


 フローリアが突然そんな事を言う。

 フレイが息を飲み、咄嗟に剣の柄に手をやった。


「ラナンキュラス様、私はフローリアと申します。

 縁あって、ミミ様……こちらの方と同行させて頂いております。

 貴女は……ミミ様の、お知り合いなのですか?」


「ミミさま……同行……? 貴女、何を仰ってますの……」


 女は涙を浮かべたまま、しかし強くフローリアを睨んだ。


「この方は、記憶を失われているそうなのです。

 本来の名も姿も……ご自身の出自も覚えておられません。

 ナナ様というのが、本来のお名前なのですね?」


「じゃあこいつはミミの知り合い……? って事はなんだ、やっぱり

 ミミは元々魔族だったってことなのか?」


 フレイが余を見て言う。

 そして、再び女……ラナンキュラスを見据えた。


「なんにせよ、魔族……おかしな動きは、するんじゃねぇぜ」


「……記憶が……無い? それは、本当ですの?」


 魔族であるらしい女は震える声で、余に尋ねる。


「本当じゃ。先日見ず知らずの場所で目が覚めたのじゃが……

 余は自分が何者なのか、全く覚えておらんのじゃ」


 余の応えに、ラナンキュラスは目元を拭ってから顎に手を添え、

 何事か思案を始めた。視線だけは、相変わらず余を見つめておる。


 しばらくそのままおったが、やがて彼女は口を開いた。


「そう……わかり、ましたわ。今はただ、貴女が生きていたというだけで十分。

 ともあれナナ、私と一緒に魔族領へ戻りましょう。今すぐに」


 言いながら、彼女はとても……優しい笑みを見せた。

 その笑顔を見て、また小さく頭が疼く。


「ちょ……ちょっと待てよ、魔族領? 戻るだって?

 いや確かに元々こいつはそこへ向かってはいたが……」


 フレイが慌てて割って入る。


「……知り合いですったって、いきなり出てきたやつの言葉を簡単に

 信じていいのか? こんな街中に当たり前みたいに魔族がいるって

 ただ事じゃねぇしよ……なぁ、フローリア?」


「はい、あまりいたずらに疑いたくはないのですが……

 もし出来ましたら、何か証明を示していただけませんでしょうか?

 貴女が、本当にこの方の友好的なお知り合いであると……」


「……証明? 貴女達にですか? そんなもの……必要ありませんわ。

 ナナは、連れて帰ります。どうか邪魔をなさらないで」


 静かに、しかし確かに怒気を孕んだ声でラナンキュラスが告げる。

 同時に醸される強大な魔力。


(これは……凄い。並の者では無いと思ったが……)


「……やべぇな、こいつやっぱり……上位魔族か」


 フレイが明らかに気圧された様子で苦い顔をする。

 そしてフローリアが尋ねた。


「貴女はもしかして……魔貴族ですか?」


「ええ。ご存じでしたら話が早いですわ。抵抗されても無駄です。

 人間が私を退けたいのでしたら、剣聖あるいは聖女……その辺りを

 ご用意なさらないと、如何様にもなりませんわよ」


 言うと、さらに彼女の魔力が膨れ上がった。

 冷ややかで、切りつけるような鋭い魔力じゃ。


「聖女……ね。そいつは良い事を聞いたな。

 安心してくれよ、それならご用意できそうだぜ……?」


 フレイが不敵に笑う。

 ラナンキュラスが微かに目を細める。


「……と、言われますと?」


『フローリア、はったりでいい。頼む』


 念話で、フレイはフローリアに促した。

 頷いて目を閉じ、聖女は祈るように両手を組む。

 すると、その身から凄まじいまでの霊力が迸った。


「……ッ!? この、不快極まりない霊力……まさかこの人間……!!」


「……はい。私は、今代の聖女を務めさせて頂いております者です。

 ラナンキュラス様……どうか、落ち着いて御一考下さいませんか」


 フローリアが毅然とした態度で言い放つ。


 ただもちろん、心中はそうもいかないはずじゃ。

 この聖女は攻性霊術を扱えんのだから。

 自らが相手の天敵であると示して、場を納めようと言うのだろう。


 ……しかし。


「あ、あはは……聖女? よりにもよって聖女ですって……?」


 突然、笑い出すラナンキュラス。

 しかし……あれは、目が笑っておらん。

 なんじゃろ、とても嫌な予感がする。


「……者の次は……聖女……ふ、……ふふふ」


 何やら小さな声でぶつぶつと呟いておる。

 そして……


「――私の友人をどこまで振り回せば気が済みますの、人間!?

 ああもう憎々しい、ふざけるんじゃありませんわぁぁぁあ!!!!」


 ほ、吼えた……ぶち切れではないか!?

 魔族の娘は両の掌を突き出し、詠唱を始める。


「――蕩々とうとうと吹き荒れよ!! 凍衣を纏い喪に沈め!!」


 彼女の詠唱に呼応して、周囲の空気がみるみる冷気を帯びてゆく。

 掌の前方に、青白い輝きが収束していくのが見える。


 対して、フローリアも返しを紡ぐ。


取り々々とりどり彩なせ虹光こうこう、あえかな雛児ひなご、かごめ、かごめ――」


 恐らく防護法術の詠唱。

 こちらも並外れた術法であるのが見て取れる。


(……フローリアの法術、これは……何かまずい気がするぞ)


 余のそれは直感であった。

 攻性霊術では無いが、これは目の前の魔族にとって危険な……

 まずい、詠唱が終わる、


白凍氷斂破フロスト・ノヴァ――」


虹光三稜鏡プリズマイト・ミラー――」


 余はほぼ無意識、反射的に二人の間に割って入った。


「二人とも、やめよ!!」


 余は声を張って二人を制す。

 すると、キィン――と甲高い音が響き、二人の手元に組まれた

 魔力・霊力の収斂が解け、弾けて消えた。

 

「――きゃ!?」


「――!! こ、これは……?」


 驚いた顔で自分の手、それから余の方を見る両名。

 余は二人の視線を受けて、とりあえず胸を撫で下ろす。


「ばかもの、いきなりおっぱじめるでない……こんな街中で。

 どちらも手を下ろすのじゃ、良いな」


 余は頑張って厳しい口調を意識する。

 内心はどきどきじゃ。


「ナナ……でもぉ……」


 ラナンキュラスが何だか情けない声を出す。


「でもではない。……安心せい、余はお主に付いてゆく」


「えっ……おい、まじか。いいのかよアンタ」


 フレイが心配そうに言ってくれる。


「うむ……どのみち余が向かうのは魔族領じゃ。問題なかろう。

 こやつに敵意や謀りの意図は感じない……なんか分かるのじゃ。

 もちろん同行するのは余だけじゃ。短い間だが世話になったの」


「ミミ様……」


 フローリアが眉尻を下げる。

 むぅ……そんな顔をするでないよ。


「まさか魔族領まで同行させる気も最初から無かったしの。

 今生の別れとも限らん。お主らの行く末も気になるしの」


 また会うやも知れん、と余は二人に言った。

 フローリアとフレイは顔を見合わせ、やがて頷いた。


「分かったよ。アンタが自分で決めたんなら、それでいいさ」


「突然すぎて名残惜しいですが……。お気をつけ下さいね、ミミ様」


「うむ、ありがとう。では、達者での」


 ラナンキュラスに向き、余は頷いてみせた。

 彼女は、なんだかとても嬉しそうな顔をしておる。


「よかった……では早速よろしいかしら」


 ラナンキュラスが言うと、地面から法陣が立ち上がり、彼女と余を囲う。

 これは……転送陣、か?


「……さすが上位魔族、これが転移魔法か」


 フレイが感嘆する。


「お元気で、ミミ様……ありがとうございました」


 フローリアが手を振る。

 余もそれに返した。


 陣から黒い光が立ちのぼる。

 魔族領か……さて……


 気を引き締めた時、視界が暗転した。




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