《44》いつかの誓い。





 7年前、魔族領。


 山と海、両方を臨むことができる魔族の地の西北に位置する、

 のどかで小さな町。


 穏やかに時間が流れるその町並みは、ある日突然……

 魔族領へ攻め入ってきた人間たち、その鉄火による蹂躙に曝され、

 瞬く間に様相を変えた。


 あちこちで上がる火の手、悲鳴や怒号、辺りを覆う焦げ付いた臭い。

 そんな突然降ってきた地獄絵図の中を、少女は走っていた。


 兄のように慕ってきたスラルという少年に手を引かれて、

 父と母の待つ家へと、一刻も早く帰り着くために。


 けれど、あともう少しという所まで来て、とうとう彼女らも

 人間の兵士と出くわしてしまう。


 少年は戦えたが、少女はまだ戦い方をろくに知らない。

 多勢で囲む兵士をスラルは迎え撃った。


 しかし、竦み震え上がる少女は足がもつれ、へたり込んでしまう。

 スラルに手を伸ばし、急いで手をついて起き上がったけれど。

 迫るひとりの兵士の掲げた剣が、少女を袈裟に切り裂いた。


 叫ぶ少年の目の前で、鮮血を吹き上げる。

 スラルはもはや兵士に目をくれず、少女を抱き留めた。

 敵を睨み付ける。その視線を受けて、兵士は笑う。


 ぜんぶ八つ裂きにしてやる、そうスラルが狂乱しかけた時。


 腕の中の少女が、むくりと彼の手を解いて立ち上がった。

 少女は己の片目を抑えながら、茫洋とした面持ちで何かを呟く。


 次の瞬間、周囲の兵士たちがことごとく、もがき苦しみ出した。

 阿鼻にて叫喚をあげるかの如く、目玉が取れそうな程見開き、

 激しく痙攣をみせる彼らは、やがて一人残らず動かなくなった。


 呆気にとられる少年を置いて、少女は黙したまま飛び上がり、

 見下ろした町に向けて恐ろしき呪術を見舞った。


 少女は隣接する町や村落にも飛び、数百、千と超え次々に

 人間の命を摘み取っていく。


 やがて、少女は魔族領の外へと飛び去り、兵達を送り込んだ

 小国そのものをも報いのもとに滅ぼしてしまった。


 巻き込まれた形になった多くの国民たちのおよそ7割強、

 そして侵略を意図した大罪人たちは一人残らず死滅した。


 なぜゆえか見逃された民達もあったが、もはやその小国は明らかに

 国として死んでしまったため、後にその残り滓を中央国家に

 吸収併合される事となる。


 もたらしたのは、たった一人の少女。


 魔王来臨、その日であった。





 再び町でスラルが少女の両親と共に彼女の姿を見つけたとき、

 少女はそこかしこに人間の遺体が転がる中で、立ち尽くしていた。


 当惑する少女は彼らの姿を見て、泣きながら駆け寄った。

 少女は父に縋り付いてわんわん泣きじゃくる。

 しばらくそうした後、ようやく落ち着いた少女は言った。


「これはみんな……ナナがやったの?」


 怯えた表情で、少女が三人に問う。

 スラルは一寸迷った後、頷いた。


「ナナは、なんなの? ……わたしはどうしちゃったの?」


「ナナ、落ち着いて聞きなさい。ナナはね、魔王に目覚めたんだ」


 父が、努めて優しく娘に言った。


「まおう……? ナナが、魔王に……」


 俯き、小さな声で呟く。

 そして、もう一度父や母、スラルの顔を順に見る。

 その表情はより怯えの色が強くなっていた。


「じゃあ……ゆうしゃは? 勇者が来ちゃうの? ナナは殺されるの?」


「……ナナ」


 いつもカラカラと笑う母が、とても悲痛な顔を浮かべる。

 皆、言葉を失っていた。


「やだ……ナナ死にたくない。魔王になんかなりたくないよぉ……」


 懇願するように言い、再び泣きじゃくる。

 父と母が、ナナを抱く。


 スラルは、ただ、立ち尽くして少女の泣き顔を見ている事しか出来ない。





 スラルがそれに遭遇したのは、魔王来臨から二月程経ったある日の事だ。


 あてがわれた城に篭もり、日がな一日魔王以外禁制の書を読み漁る少女。

 魔王の歴史や勇者についての史伝を学ぶ程、その表情が日に日に

 暗く沈んでいくのを、スラルは直に感じていた。


 幼い頃から妹のように在ったこの子に、自分は何が出来るだろう。

 答えが出せないまま、スラルは魔王城付きの使用人として

 できる限り少女の傍にいた。



 その日も、スラルは少女に食事が出来たと覚え立ての念話を使って

 連絡を入れたのだが、なぜか返答が返ってこなかった。


 胸騒ぎを覚え、スラルは普段立ち入りを許されていない書庫へ

 自分の直感に従って無断で入った。

 扉は……開いていた。


 はたしてそこに、少女の姿はあった。


 部屋の隅で座り込み、身体を震わせている。

 胸の前で両手に何かを掴み、心臓辺りに突き立てていた。


「……!? ス、スラル……」


 少女が彼を見てとても驚いた顔をする。

 そして、気まずそうに顔を伏せた。


「ナナ……どうして、そんな」


 スラルは少女の胸を捉えている、虹色に煌めく短刀を見つめる。

 その短刀の切っ先は美しいが、魔族の彼の目には禍々しく映った。

 あれは、ただのナイフではない。


「これ、魔王城の宝物庫にあったの。強い霊力が封じられた短剣なんだって。

 なんでこんなものが魔王城で保管されてたんだろうね……」


 少女がか細い声で、独白のように言った。

 スラルには、なんとなくその短刀の所以に想像がついた。


「歴代の中にはね、少しだけど……自殺した魔王もいたんだって。

 ナナにはね、その魔王たちの気持ちが分かるの」


「ナナ……」


「スラル……ナナは、どうしたらいい?」


 少女の目から零れた涙が、短刀の上に落ちる。


「ずっと、怖いの……今にも勇者が来るんじゃないかって……

 だからもう、こんな思いをしながら生きるならって……でも……」


 少女が、ナイフを取り落とす。


「こわい……怖いよぅ、スラル……どうしよう……」


 スラルは、少女のそばに歩いていく。


「死ぬのより……ととさま、かかさま……キューちゃん……スラルも……

 大好きなみんなにもう会えないのが、怖いの……」


「ナナ……僕が」


 スラルは決意し、言った。


「僕が、今度こそ君を守る。僕が必ず、勇者を阻止する。

 そして君を……死なせない」


 根拠の欠片も無い言葉。


「スラル……」


「僕はナナを、ほんとの妹のように思ってるよ。

 君の父上も母上も、ほんとの両親のように思っている。

 みなしごだった僕がもらった、大事な家族だ」


 スラルは短刀を拾いあげる。


「これは、僕が預かる。いいかいナナ、君は幸せになるんだ。

 これから長く、幸せになれる……だから、」


 スラルは迷う。

 けれど、それを言った。


「……死なないでくれ」


 とても無責任で、残酷なお願いだと知って。

 それがあるいは、呪いとなるかもしれないと知っていても。

 スラルはその言葉を手渡した。


「……分かった、スラル」


 ナナが、ぎこちないけれど、微笑む。



 しばし沈黙が流れたあと、何気なくナナは言った。


「いつか、ととさまやかかさまみたいに……

 ナナにも、素敵な恋人ができるかなぁ……」


「できるさ、きっと」


「うん、してみたいな……恋」


 年相応の少女のような、罪のない願い。


 勇者から守って、

 そして恋の実りも守る。


 スラルは手に握った短刀を、誓うように握りしめた。



 やがて7年の歳月が流れ。

 スラルの元に勇者発見かとの報せが入る。



 その間、一度だって、ナナは死にたいと思うことはなかった。




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