《36》友達をやめる。





 魔王が、二階からリビングへ降りてきた。

 リリィがキッチンで振り返り、彼女に声を掛ける。


「あ、ナナ。お夕飯はシチューにしようと思ってるの。

 その……キノコがたくさんなんだけど、嫌いじゃ無かったらどうかな……?」


 辺りにはすでに、甘い匂いが漂っていた。

 魔王がリリィの方は見ず、応える。


「……いや、余はいい」


 短くそれだけ言って、そのまま玄関に向かう。


「あ……そ、そっか。うん、急に言われても困るよね。

 じゃあよかったら、また今度別の日に一緒に……」


「……余には、メイド達が食事を用意しておる。

 あまり普段、余所のものを口にすることはないのじゃ」


「あ――……そう、だね。皆さんがちゃんと美味しい料理を作って

 下さるんだもの。もう用意もしてるかもしれないのに……

 ごめんなさい、勝手な事言って」


 しゅんとして、リリィが謝る。

 魔王は、少し玄関の戸に手を掛けたままじっとしていた。

 やがて振り返り、リリィを見て言う。


「リリィ、少し外に来てくれるかの」


「あ、うん。ちょっと待ってね」


 リリィは隣のミナに鍋の事を頼んでから、玄関にやってくる。

 魔王は何も言わず、扉を開けて外へ出た。



「なあに、ナナ?」


 魔王の背にリリィは尋ねる。

 彼女は空の方を見て、少し何事か考えていた。

 そして、振り返らずに静かに言う。


「リリィ、これからも恐らく、霧人が幾人もやってくるじゃろう」


「うん……ありがとう」


「お主が礼を言う事ではない。

 それでじゃ。そうなっていく中で、やはりお主だけを特別扱いするのは

 あまり良い案配ではないと思うのじゃ」


「それは―――うん。そうだね」


 リリィが、少し俯いて応える。


「で、でも……お友達では、いてくれるんだよね?」


 努めて、明るくリリィは訊ねた。

 けれど、


「……特別扱いは、しない」


 返ってきた遠回しのそれは、否定だった。


「…………そっか……」


 リリィは短く返す。


 少しだけ、静寂が流れる。


 やがて、魔王が口を開いた。


「それだけじゃ。明日からは……」


 ほんの少しだけ、リリィに振り返って。


「あまり余に、馴れ馴れしく……しないようにの」


 冷たい声音で、言った。

 そして、その場を歩き去ろうとする。


「……あ、ナナ……」


「名で呼ぶでない。余のことは他の者と同様に呼ぶがいい」


 魔王は、歩いていく。


 その背に、躊躇いながらリリィは最後に言った。


「うん……魔王様、おやすみなさい」


「…………」


 何も応えないその背中を、リリィはしばらく見送っていた。



 …………


 ……



「ねぇ、いつまで拭いてるのお姉ちゃん?」


 不意にミナに声を掛けられて、リリィはハッとする。

 晩ご飯を終えた後、テーブルを拭いていたが、彼女はしばらく

 呆けた顔で同じ所を布巾で撫で続けていた。


「あ……ごめん、ちょっとぼーっとしてた」


「……大丈夫? また立ちくらみ?」


「ううん、違うよ。ほんとに、ただぼんやりしてただけ」


「なら、いいけど……」


 少し心配そうに言って、ミナはキッチンの方へ歩いていった。


 リリィは息を吐いて、首を振る。


(だめね……心配させちゃって)


 こんなことでは駄目だ、と背筋を伸ばす。


 けれど、長く続かず今度は、椅子に腰掛けたまま呆けてしまう。

 頭の中で、取り留めない思いがぐるぐる回っている。


 胸が苦しい、と感じた。


 どれだけ一人でそうしていただろうか、

 気づくといつの間に居たのかピッピが自分を見上げているのに気づく。


「あ……ごめんピッピ。気づかなくて……どうしたの?」


「お姉ちゃん、ごはんおいしかった」


 ピッピが、そんな事を言う。

 リリィは、一瞬きょとんとして、すぐに微笑んで返す。


「うん、美味しくできたね。よかった」


「ピッピね、おいしかったから、すごくしあわせ」


「そっか……うん、じゃあお姉ちゃんも幸せ」


 そう返したけれど、なぜだろう。

 ピッピはあまり嬉しそうな顔ではない。

 微かに首を傾げたリリィに、ピッピは続ける。


「ごはんがおいしくてね、うさもふとあそんだのも楽しかったの。

 メイドちょーさんがお菓子くれて、うれしかったの。

 あとね、あと……おてんきだったから、うれしかった」


「うん……そっか、よかっ……た……」


 頷いて応えるさなか。


(……ぁ……)


 リリィはようやく、思い当たる。


「お姉ちゃん、ピッピもう……いたくないし、こわくないの。

 いっぱいうれしい。おねえちゃん、しんぱいしない?」


 ピッピが、真っ直ぐリリィの目を見て訊いた。

 それに、微笑んで言う。


「うん、お姉ちゃんも、嬉しいわ」


 ピッピの頭を優しく撫でる。



 リリィはもちろん忘れていない。

 この子達が、まだ見た目ほど、あの日々から立ち直っていない事は。

 いや、ほとんど立ち直る事など出来ていないのだ、本当は。


 ここへやって来てからも、この子達が笑顔やはしゃぎ回る姿を見せるのは、

 自分……だけだ。

 それを、自分は気付いていた。


 ベルと話す機会があった時も、彼女に言われた。

 子供達は皆、重度の躁鬱を患っていると。

 それらは克服に、多大な時間とケアがこれから必要となるはずだ。


 あの子達は部屋をすっかり暗くしては眠れない。

 あの日々が強烈にフラッシュバックするためだ。


 そんなこの子達が、リリィの前でだけ明るく振る舞おうとする意味。

 かつてミミが今際に、何度もごめんなさいと繰り返したように。

 この子達もまた、同じなのだ。暗い罪悪感をずっと抱えている。


 リリィも、子供達も、お互いの辛い気持ちや痛みに、

 どうしようもなく敏感だった。


「ピッピ、今日はお姉ちゃんと一緒のお布団で寝てくれる?」


「……うん!! いっしょにねるー!!」


 ぴょんぴょん、リリィの腕にしがみ付いて嬉しそうに跳ねる。

 リリィはその姿を、切ない気持ちで見つめた。



 リリィは、先ほどの魔王の……最後に一瞬だけ見せた顔を思い出す。

 辺りが暗くなっていたから、よく見えなかったけれど。


 でも、とても辛そうな顔をしていたように見えたのは、

 きっと気のせいではないと思う。


 ピッピ達が自分を見るように、

 自分も魔王……ナナの事を、見ている。


(あの子はまた……何かを一人で抱え込もうとしてるのかもしれない)


 その気付きは、リリィの心をもちろん軽くしたりしない。


 どんな理由で自分を突き放そうとしていたとしても。

 それに対し自分が、何を出来るというのか……


(あの優しい子は、どんな気持ちだったんだろう)


 馴れ馴れしくしないようにと言った時の、その胸の中は……

 私なんかが適当に想像するべきじゃない。


 ピッピ達が自分に向けていた想いの、ほんの少しくらいだけど、

 自分の身で今さら感じられているように思えた。



 どうにも出来ないもどかしさ、切なさ。

 リリィはピッピを抱いて、それでもうまく眠れなかった。





 

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