【35】魔王様、母君とお話なさる。





 ただいまーっつってのぅ。

 パスラで事を終え、魔王城に帰還したのは夕刻前であった。


 辛気くさい顔を晒してまたリリィにいらん気遣いをさせたくない。

 努めて明るく健やかな面持ちで余はエントランスを歩く。


 途中すれ違ったハルニレが、なぜだか余の顔を見てニヨニヨしておる。

 なんじゃこいつ。


「……フフ……ここまで進展が早いとは、このハルの目を持ってしても

 見通せませんでしたよ……ナイスでございます魔王様」


「はぁ……?」


 ……いや待て、こいつ昨日の夜こと知っとるんか。なぜ。


 問い質そうかと思ったがメイド長は「フフフフ……」とほくそ笑みながら

 さっさと余の視界から遠ざかっていきおった。


(何も無かったとは言え……二人だけの内緒にしておきたかった)


 余は何とも言えぬ辱めを受けた気持ちで廊下を歩く。

 自室で着替えていつもの魔王様的外套を羽織り、特に用もないが

 リリィ達の家に顔を出しにゆく。

 何はともあれリリィの顔が見たいのじゃ。



 そして”ブルームハウス”と呼ばれる事になったリリィ達のコテージハウスの

 玄関前に到着する。

 いつまで経っても、あの子に会おうとすると変に胸が高鳴るのぅ……


 一応扉横に備え付けた呼び鈴を鳴らそうと指を伸ばした時、

 家の中から聞き覚えのある意外な声が聞こえた。


「なるほどねぇ、そいつぁ大変だったねオマエたち……!!」


 ……このやたら声量のある声……


 余は扉を開ける。入ってすぐ見えるリビングには、やはり思った通りの

 人物がそこにおった。


「か……かかさま……?」


「おぉぉお!! こりゃアタシの愛娘のナナちゃんじゃないかい!!」


 声がでかい。

 そう、この一見すると清楚風の美女こそ余の実母、メルメル=ニーヒルじゃ。

 ちなみに、余のミドルネーム"フォビア"は魔王である余しか名乗らぬ。


「こ、こんな所で何してるの、かかさ……ぁいやメルメルよ」 


「それ止めてって言ってるじゃないかナナ、娘にその名前で呼ばれるの

 もじょもじょするんだよ、なんか!! せめてメルにしとくれよ」


「かかさまこそ、ナナはやめて。魔王様でしょ!!」


 父といい母といい、何度言っても聞かぬ……。

 母は「まぁいいやそんな事」と言って余を手招きする。

 余はため息ひとつ吐いて中に入り、戸を閉めた。


「お出かけだったんだってぇ? せっかく顔出したってのにいなくってさ。

 じゃあ一旦娘に新しく出来たっていう人間のお友達にご挨拶しようかなってね。

 みんな良い子たちじゃないか、なんか肌もキレーな色してるし」


 言いながら、リリィの頬を手の甲ですりすりさする。

 頬をムニョムニョされながらリリィは困惑しながら余に言う。


「お、お母さん……だったのね」


「名乗ってなかったんか……相変わらずじゃのぅ」


「そだよー、アタシがこの子をひり出したおかーさんなのさー」


 あっけらかんとして言う。

 やめてなんか恥ずかしい。


 母は改めてリリィに向くと、その顔をじーっと見つめる。

 リリィは若干気圧されておる。


「なんじゃ、リリィに絡まんでくれメルメル」


「ねね。あんたらってデキてたりすんのかい?」


 いきなり母がなんか言うた。


「――ぶふぉぇ?!! なっ、ななな、なにを」


「いや別に、なんとなく。オトモダチとか言って、実際のトコは

 ナナが惚れでもしてウチに連れ込んできたんじゃないのーとかさ。

 だって中々無いよ、人間を魔王様が御自ら招きこむなんて話は」


 ……かかさま、相変わらず変なとこでカンが鋭い!!


「り、リリィはそんなんじゃ……な、ないものにょ?

 ほれ、リリィだって困っとるじゃろ、あんまり巫山戯た事言うでない!!」


「えーそーなのかい? つまんないねぇ、お母さんガッカリ。

 孫をこさえて会わせてくれるのかって期待したんだけどねぇ」


「……ま、まご……こさえて……」


 あぁあ、リリィが茹で上がっとる……!!

 ていうかリリィ、魔族は女同士でも子供出来るって知っとったんか……


「ふぅん。まぁいいさ、お友達って話。まだ分からないわよね。

 それよりさ、ちょっと話があるんだけどナナ、二人でいいかい?」


「はぁ……なんじゃもう。良いぞ、二階のベランダに行こう」


 げんなりしつつ母を指で招き、階段を登っていく。





 母と二人でベランダに出ると、外は陽が沈み始めておった。


「それで、話とはなんじゃ」


「人間と仲良くしたいってね、ナナは」


 背をベランダの手すりに預け、母は言った。


「人間の街から、非道を受ける人間を引き上げて、居場所も作ったとか。

 それはこれからも、続けるつもりなのかい?」


 特に責めるでも詰問する風でもなく、いつものさっぱりした口調で尋ねる。

 しかし、そこに含まれた真剣さは余に伝わっている。


「……分からぬ。目に付いてしまえば、無視出来ぬ。それだけじゃ。

 己から首を突っ込んで……とまでは、考えておらぬよ」


「本当に?」


 ……


「……何が言いたいの?」


「ナナは、昔っから人の心に自分のそれを重ねすぎるトコがあるからね。

 あんたは、優しすぎる。そんなあんたは、もう知っちゃったわけだろう?

 人族の世の残酷さ、それがそこかしこに大量に潜んでるって事を」


 母が、少し寂しげな笑みを浮かべて余を見る。


「救い出した人間はきっと喜んでたろう? でもあんたはそれを見て思う。

 "けれど今この瞬間にも、まだこういう人間が大勢いるんだ”って。

 知っているものに、けれど自分に出来る事が見いだせない。

 どうにかしなきゃいけないのに、どうにもならないと悩んでる」


「…………」


「私も父さんもね、いつかナナのそんな懊悩のやがて行き着く先が……

 人間領への侵攻という未来に繋がるんじゃないかって思ってるのよ」


「そ、そんなことナナは、……」



 ……母の、言葉は。


 確かに、余の心根の隅……ほんの小さく、芽生えておった答えの一つじゃ。


 人間達をことごとく支配する事が出来たなら、あのような下らぬ価値観や

 差別など叩き伏せてやれるのではないか……そんな、安易といえば安直な

 子供じみた思索じゃ。事はきっとそんな単純ではない。


 けれど、少なくとも今よりは……とも。

 考えなくは、なかった。


「アタシも父さんも、ナナが魔王様としてどう在るのかに口を出すつもりは無い。

 動機がなんであろうと、アタシらも、きっと他の魔族達も、みんな喜んで

 あんたの腕に剣に盾になって付き従うさ。……けれど」


「……分かってる。勇者のことでしょ」


「その通り。あればっかりは、如何ともし難いわねぇ。

 あんたは知ってるか分からないけど、魔族の中には今代の魔王様ならば

 あるいは……なんて言ってるのも多い。歴代類を見ない魔力を誇られる、

 我らが魔王ナナ=フォビア=ニーヒル様ならばってね」


「それは……買いかぶりだよ。勇者には勝てない、きっと」


「ふむ……なんにせよ、さ」


 母は余に近づき、頭に手を伸ばした。

 そしてふわふわと撫でる。昨日のリリィのように。


「魔王は皆、死んだ。

 例外に一度勝利を収めたという魔王も、結局次代の勇者に殺された。

 それが、魔王の宿命。ナナもきっと……その宿命を負ってる」


 母は努めて表情を崩さないようにしているが、

 そこには隠しきれぬ無念や悲哀が滲んでいた。


「ナナが魔王として覚醒した時、魔族皆が諸手を挙げて祝福したね。

 でも、アタシと父さんは、こんなに悲しい事はないと思ったもんさ」


「……かかさま」


「ナナ、悔いの無いように生きなさいな。

 振り返った時、例えそれが過ちでも。ナナの命の使い道は自由なんだ。

 アタシも父さんも、ナナがしたい事なら何でも応援するから」


「……うん。ありがとう……かかさま」





 ……以前、エトラから聞いた。


 余の見てきたものは氷山の一角に過ぎぬ事。

 余が想像するより遙かにずっと、人の世は苦悶と血に塗れている事。


 余は母が帰った後もしばらく、沈む夕日を見つめていた。


 人と交わろうとしたとき、父が見せた悲しげな笑みを思い出す。

 父は、そこにやりきれぬ未来を予感したのだろうか。


(勇者が、リリィでなかったなら、今頃余はもう……)


 リリィの奥に潜み、萌芽を待つ種。

 余を手に掛けた後、リリィは何を思うのだろうか。


 ミミの墓が見える。

 リリィの大きな泣き声を思い出す。


 ……


 余はリリィと、最初から親しくするべきではなかった。

 こんな事さえ、想像できないなんて。


 余の魔王の力の多くは"破壊"と”呪い”を源流にする。


 余はすでに、リリィを呪っていたのやも知れぬ。




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