《34》スラル、考える。





 魔王お付きの執事、スラルは先に魔王から命ぜられていたように、

 主が魔族領に招いた8名の霧人達を先日設けた居住地へと運んだ。


 例によって、彼らは己が連れ込まれたのが魔族領だと知って

 一様に絶望的な表情を浮かべたが、とりあえず執事は淡々と彼らの

 状況を説明し、特に身の安全を重ねて伝えてやった。


 特区と呼ばれる事になったこの、元人間の配した駐屯地に住まう者は、

 今回やって来た霧人を合わせて17名になった。

 ちなみにベルは、魔王城に客人として今も滞在している。


 先日にすでにやってきていた9名は、全員霧人ではない。

 スラルは、そこに居る者達全員に改めて魔王の言葉を繰り返した。


「重ねて言うが、この特区に居る上での大前提を忘れないように。

 魔王様は霧人――すなわち卑人と呼ばれた人間に対して差別が

 行われる事を断じて許されない」


 温度の無い表情で、スラルは霧人以外の人族を順に見る。


「此処は魔王様の人族への親愛と君らへの憐憫によってもたらされた地だ。

 あの方の慈悲に人種の区別は無い。その御意志に反する者があったなら、

 即刻この特区より排斥される。努々忘れないようにしたまえ」


 言って、スラルは一度指を鳴らす。

 すると、中空に黒い渦が生まれ、ややして中から一人の魔族が姿を見せた。

 小さな角に、背には蝙蝠のそれのような羽を携えた男性魔族。

 黒の礼装のような物を纏い、浅黒の肌に柔和な笑みを浮かべて一礼する。


「彼はスカニア。魔王様の命の元、この特区の目付け役を担っている。

 ここの状況を定期的に私あるいは魔王様に報告するのが彼の仕事だ。

 彼は君らの安全も担保しているが、同時に問題行動を監視する者でもある」


 紹介を受けたスカニアはもう一度礼をした後、柔らかな声音で挨拶をした。


「ただいまスラル様よりご紹介に預かりました、スカニアでございます。

 人族の方々とこのように接するのは初めての事ですが、敬愛するスラル様

 よりの拝命です。皆様の平穏な、平静な日々を精一杯お守り致しましょう」


 人間の男が一人、ごく、と唾を飲んで頷く。


「ふふ、このように如何にもな魔族でございますが、そう緊張されませんよう。

 皆様が魔王様の想いに悖らなければ、何も恐れられる事はありません。

 ただ反意ありと見えましたら、一切ご容赦いたしませんのでご理解をば」


 最後の一文は特にゆっくり、言い含めるように言って。

 スカニアはにっこりと笑った。





 スラルは魔王城へと戻る。

 途中、ちょうど城を後にしようとしていたラナンキュラスと鉢合わせた。


「お帰りかい、ラナンキュラス」


「いえ、一度おうちに教科書を取りに。またお邪魔しますわ」


「教科書……?」


「き、気になさらないで。それより魔王様は何処かへ?」


「人間領に出向かれているよ。そう遅くはならないと仰っていた」


「そう……また、人間の被虐者でもお探しに?」


「……それはひとまず済んだ。今は、ゴミ掃除をなさってくると」


「ゴミ掃除……人の地で? もしかして、それは……人間を……」


「気にしないでくれ」


「む」


 そっくり返され、少し頬を膨らませるラナンキュラス。

 彼女はスラルに言う。


「魔王様はここのところ、以前は見せなかったお顔をするようになりましたわ。

 そこには憂いのようなものも……私の気のせいではありませんわね?」


「おそらくね」


「魔王様が、かつて貴方を傍らに置かれるとお決めになりました。

 あなたの能力は私も一定は買っていますし不満はありませんわ。

 ええ、私ではなく貴方を選ばれた事に、何も不満はありません」


「……ああ」


 相変わらず、どう見ても不満そうにしか見えないよ、とスラルは

 心中で苦笑いを浮かべる。


「あの子は比類無く強い。けれど、いささか情に溢れすぎていますわ。

 あの子は優しく責任感も強く愛らしい良い子ですが、少々考えが

 甘いというかちゃらんぽらんで、おバカさんな所があります」


 褒めちぎっているのかそうでないのか。

 だが、スラルも概ね同意見だ。


「いいですことスラル。お側に仕える者であるなら、徹底なさい。

 情の事もそうですが、あの子には勇者という憂いもあるのですからね」


「分かっている。もちろん、君の事も頼りにしているよ、ラーナ」


 久方ぶりに、かつての愛称で彼女を呼ぶ。

 お嬢様は、ふんと鼻を鳴らしそのまま城を後にしていった。





 自分の執務室に戻る途中、今度はリリィを見かける。

 彼女は、壁にもたれ、目元をおさえていた。


「……どうされました? お加減が優れませんか」


 スラルが声を掛けると、目線を上げてリリィは彼を見た。


「あ……いえ、大丈夫です。なんだか少し、立ち眩みがしただけ」


「そうですか……無理せずお休みになられては。……目が痛いのですか?」


「いえ、痛くはないです、ただ少し、変な感じがしただけで何とも……」


 繕って笑うリリィだったが、スラルはほんの少し気掛かりを覚えた。

 そして、不意に思い当たる。


(……そういえば今頃か。魔王様が"掃除"をなさっているとしたら)


「もう、何ともないです。ごめんなさい、紛らわしくて……。

 じゃあ、私はミナ達のところに戻りますね」


 ぺこりと頭を下げて、リリィは歩いていった。

 それを目で追いながら、スラルは何事かを考えていた。


 考えすぎか、とも思う。

 けれど、今し方ラナンキュラスと話をしたばかりだ。


 心配しすぎる位が、自分の立場にはちょうどいい。


(勇者の因子……魔王様あるいは魔族が人間を害する程、

 その覚醒が早まるものだとは分かっていたが……程度は判然としていない)


 スラルは改めて、自分が何を考えるべきなのかを考えた。




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