【37】魔王様、泣きたくはない。





 リリィにナナと呼ばれぬようになってから、二週間が過ぎた。


 時折、彼女とすれ違う事はもちろんあった。

 その度、リリィは余にぺこりと頭を下げ、挨拶をする。


「おはようございます、魔王様」

「おやすみなさい、魔王様」


 どれも、常に明るく、微笑みと共に手渡された。

 余はそれに「うむ」だとか「あぁ」とだけ短く返す。


 アホの余でも分かる。

 あの子は、余があえてそのように振る舞っている事を理解している。

 分かっているから、いつも気まずくならぬよう気遣っておるのじゃ。


(余は……しょーもない事をしとるの)


 今更突き放したとて、もうとっくに手遅れだというのに。


 いつか、

 その意図など、リリィが汲まぬはずがないのに。


 どうあっても、もう余のせいでリリィを傷つけてしまうのは、

 半ば確定してしまっておる。



 魔王を討ち果たした後、勇者がどのような道を辿るのかは、

 実は不明なところが多い。


 皆例外なく、魔王の戦いに忘我し、討ち取った直後はまるで

 燃え尽きたように……あるいは憑き物が落ちたように、

 ふらりと何処かへ自らを隠匿する。


 当然人族の者達は英雄たる勇者を探すし、実際多くは再び発見される。

 しかし、彼らは一様に覇気も、ともすれば生気すら抜け落ちてそこにあった。

 あるいは姿を隠したまま、ついぞ見つからぬ者もある。


 勇者とは、魔王を葬る者。

 その魔王が失われた時、勇者は意義の根のところを失う。

 以前言ったように、魔王と対峙した勇者はそれこそ心無き魔導人形のように

 冷徹かつ苛烈に魔王を打ち据え、徹底的に滅殺する。

 ただそのためだけに在る機械のように。


 人族としては、勇者には引き続き立ってもらい、残る魔族の残党をも

 根こそぎ滅ぼして欲しいと考える。

 しかし、勇者達は基本、その覚醒した力を再び振るう事はほとんど

 なかったそうだ。


 まるで、抜け殻のように。

 彼らはもう、何事にも興味を示さなかった。



 リリィもまた同じように、空疎な抜け殻のようになるのなら。

 余を屠った事に、心を痛めないでくれるだろうか。


(かと言って……のぅ)


 あのふわりとした微笑みも、優しい声も失われてしまうなら……

 そうであれば良いな、とも思えぬ自分がおる。


 つまり、結局そこにはなにかしらの黄昏を感じずにおられんのだった。





「特区に収容する人族の総数も、二百に迫りそうですね」


 謁見の間、その玉座に座り、執事の言葉を聞く。


「そうだの。どうじゃ、問題は起こっておらぬか?」


「はい。そこまで大きなものはありませんが、やはり小競り合いは多少。

 魔王様のなさる事の性質上、霧人ミスティの割合が多くなるのは必然ですし、

 諍いの大抵の発端は非霧人からですが、あの環境であれば霧人たちも

 ただやられるばかりという訳ではありません」


「……同じ虐げられた者同士であっても、溝は生まれてしまうか」


「そうですね。例え霧人というものが絡んでいなかったとしても、

 人間はその数に比例して関係値が捻れ、争いの火種をまるで自らの手で

 育てあげます。そうしないわけには、いかないかのように」


「人間のさがか……」


「であるため、残念ながら再度人間の街へ送還される者も幾人か出ております」


 余は、ため息を吐いた。

 ままならぬものだ。


 余はこの二週間の間、幾度も人間の街へ赴いては、重く虐げられる人間達を

 特区に引き上げてきた。パスラに留まらず、他の街にも足を運んだ。

 それぞれの街に駐屯する斥候の手を借り、情報を集めての。


 繰り返す内、余の行いその情報は当然人族の間で駆け足で広まっていった。

 いつしか、奴隷を多く抱える商会や、他に後ろめたき者達などは、

 あからさまに警戒を強め護衛を増やすなど対処をし始めた。

 中には騎士団や自警組織が動く街もあった。


 たが、それでも相手は魔王じゃ。

 余の行く手を阻める者は、おりはしなかった。


「これからも、続けなさるのですね」


 スラルが余を見て言う。


「……そうじゃな。もう、止まることはないじゃろう」


「リリィ様が……」


 スラルは不意に、彼女の名を出す。

 余は、眉を微かに動かしたが、努めて表情を変えずに促す。


「リリィが、どうした」


「また、目眩を起こされて……今回は大分、重いものが長く続いたようです」


「……そうか」


 余が人間に力を振るう度、リリィに眠る勇者の素地が反応を強めているのは

 明らかな事であった。


「魔王様……一度ここで、お止めになる事は叶いませんでしょうか」


「珍しいの……貴様が、余の成そうとする事に口を挟むのは」


「魔王付きの執事としては、一切魔王様の望まれるようにするのみです。

 これは……あくまで私個人の、スラルとしての戯れ言でございます」


 スラルは、無表情なまま、けれど強い視線を余に向ける。


「……スラルよ。もうとうに遅いのじゃ。ミミ達を救出したあの日、

 すでにあの子の種は目を覚ましておった。根を伸ばし始めておったのじゃ。

 あとはもう、早めるか否かの違いしかそこには無い。

 どうあっても、いずれ遠からずあの子は勇者として覚醒を迎える」


「はい。理解、しております」


「スラル、余はの。もう以前ほど、死ぬ事は恐ろしくない」


 余は訥々とだが、本音を口にする。


「あるのは、悔いだけじゃ。

 あの子にそれをさせねばならぬ事が、それだけが……」


 言葉が尻すぼみに小さくなって、消えてしまう。

 スラルが相手だと、どうにも心が緩んでしまうのぅ……


「あの方は、貴女を恨みはしないでしょう」


「じゃろうなぁ……恨んで嫌いに……なってくれた方が、幾分良いが……」


 そう、そうであってくれた方が……


 きっと……。


「……魔王様……」


「……ふ……ぅ」


 余は目元を腕で覆い、天を仰ぐ。


 ……いかん、泣きとうない。


「こんな事に……なるなら、仲良く、なんて……しないで欲しかったって……

 怒って……憎んで……嫌いに、なって……」


 でも、止まらぬ。

 勝手にこの口が動いてしまう。


「うぐ……ぅ……ぅぅぅうう…………

 嫌じゃ、スラルぅ……余、嫌われとうないぃ……」


 耳に届く余の声は、まるで幼い子供のようじゃ。


「なんでぇ……? 余、好きになっただけなのに……

 なんでナナは魔王なのぉ…………ナナ、こんなのいらないぃぃ……」


 いやいやと首を振って、情けない声を上げ続ける。

 そばに、スラルが立った。


「ナナ、すまない……」


 スラルの悲しそうな声。

 余はスラルの袖を掴んだ。


「助けて……スラル…………ぇぐっ……ぅぅ」


 どこまでも、余は弱い。

 そこいらの小娘と、何も変わらない。


 スラルは、余に内緒でリリィを天秤卿による記憶処理に掛けようとした。

 掛けようと、してくれていた。

 でもそれは、リリィには通らなかったという。


 それを聞いた時、余は……嬉しかった。

 嬉しいと思ってしまった。喜ぶべき事じゃないのに。


 結局、そういう事なのじゃ。

 リリィを想いながら、それでも結局は、余は自分の事しか考えていない。

 突き放すと言っておきながら、未だに特区にリリィを行かせぬのはなぜか。

 余は……


 余は、どうしようもなく弱かった。


 スラルの手が、余の頭を優しく撫でた。

 この期に及んで、この手がリリィのものだったら、などと思っている。



 余のような者は、人を好きになんかなってはいけないのじゃ。


 でも。


 好きにならなければ良かったと、どうしても思えない。


 魔王の呪いは己にすら向き、例外ではないのだ。




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