【17】魔王様、ウサモフを発見なさる。





 早朝、出立前の自室で事前に擬装を己に施し、用意させた衣服に袖を通す。

 姿見で一通り見た目を確認する。うむ、少し美貌が目を引き過ぎる所だが

 人間のごく一般的な家庭の娘って感じじゃ。違和感なし、と。


 姿見の前からそのまま、魔族領と人間領の境界手前辺りに転移をする。

 魔族領にある内にいくつか大規模魔術の事前詠唱を済ませておくか……?

 んー……まぁいらんじゃろ。半減した力でも余に迫れる人間なんぞ

 そうおるもんじゃ無し。


「どれ。とりあえずあの時と同じ街でも訪ねてみるかの」


 上位飛翔魔術を展開、余は雲々の高度まで上昇した。

 今日はスラルに合わせて速度を落とす必要も無い。

 方角を定め、音をも置き去りにする速度で移動を開始する。





 さほどせぬ内に、やがて視界に以前降り立った雑木林が見えてきた。

 またここに降りるとするかの…………ん?

 林立の隙間に誰ぞの姿が見えるな。


 我が魔王様アイは10里先にいる人物の顔形まで判別可能じゃ。

 少しずつ降下しながら、余は捉えた人影に目を凝らす。

 鎧を着込んだ人間の男が数名と、それらと対峙する準中型の魔物の姿。


 人間領発祥である″動物”が魔族領でも割と普通に見られるように、

 魔族領発祥の″魔物”も普通に人の地に住まっておる。


(珍しいのが人里におるの……あれは“ウサモフ”ではないか)


 ウサモフ……もふっとした体毛にまるまるした全身を包まれた、長く垂れた

 兎のような耳が特徴の比較的大人しい魔物じゃ。正式名称はチルファング。

 大人しいが、成体の戦闘能力は中々に高い。そしてあれは成体じゃな。


 見るにそのウサモフの白色の体毛は剣山のように逆立っており、

 普段は目元まで垂れた耳もピンと真っ直ぐ天を突いておる。

 ふむ……あれはまさに威嚇全開モードじゃ。彼奴きゃつがあんな姿を見せよる

 シチュエーションと言えば大体が……


 考えている内に、余は林の只中に降り立った。

 音も気配も無く人間共の背後に立った余の存在はまだ気取られていない。

 しかし、ウサモフは余の姿を認め、タテ線のような目を大きくして驚く。


「そのチルファングは母親じゃ――こほん、母親よ。たぶん近くに子供がいる」


「――――!?」


 唐突に掛けられた声に大層驚いて、人間共が後ろを振り返る。

 そしてその中でも特に上等な鎧をつけた男が声を出した。


「な、女の子……こんなところになぜ一人で……?!」


 その声には過分に色濃い困惑が見て取れた。

 余は構わず言葉を続ける。


「お散歩してるだけ。いい、その子は子供を背にして気が立っているの。

 刺激しなければ襲ってはこない。無駄な殺生はやめて剣を収めて」


「子供を背に……?君は一体……いや、なんにせよそうはいかないのだよ。

 我々はこの雑木林に入ったパスラの住民が幾人か食い殺された件で

 ここへ派遣されてきたんだ。害成す魔物は放置しておけない」


 ウサモフに注意を向けながら、男が余に語る。

 子供にも丁寧に説明するではないか、真面目なんじゃろうな。


「あなた、お名前は?」


「え……名前?リンドだが、お嬢ちゃんもう少し下がってくれないか」


「リンド。人間を食い殺したのはその子じゃない。チルファングは攻撃に

 牙を使ったりしないの。この子達の攻撃手段は魔術だもの。

 住民を襲ったのはきっと、他の魔物じゃないかしら」


「は……いやしかし……」


 しかしもかかしも無いわ。面倒じゃのー……寝かしつけてしまうか?

 いや、あまり無用な波風は立てたくないしのぅ。

 こんな事なら顔を隠せばよかったか……そもそも話し掛けたのが失敗か?


「分かった。待っていなさい、犯人捜しをしてあげるから」


 言って、余は目をつむって軽く周囲を探る。ざっと半径15kmほど。

 ……む。こやつか? 大きな魔物が一体こちらに向かって駆けてくるな。


「大型の魔物が一体、こちらに向かってきてる。標的はこの子ね」


「なんだって……? 待ってくれお嬢ちゃん、君にどうしてそんな、」


 男が言い終わる前に、それは林立の間から猛然と姿を現した。

 濃緑色の爬虫類型の魔物……ふむ、こやつか。


「ビ……ビリジアーノだと、こんな水場から離れた場所に!?」


 男が驚愕したこの大型の魔物は、言うように本来水場近くに棲息する

 言うならドラゴンもどきと言った風体の肉食の魔物じゃ。


「ま、まずい隊長、こいつはまずいですよ!! 今の我々の戦力では

 手に余ります、一度撤退し再編成をせねば!!」


 やたら焦りを浮かべた男の一人がリンドに進言しておる。

 ん……? 確かにこやつはウサモフよりは強いが……所詮トカゲぞ。

 何をそんなビビっとるのじゃ、爬虫類ダメなタイプか?


 む……待てよそういえば……


 ……ウサモフか……ちょっと妙案を思いついたかもしれん。

 こやつの特性はたしか……


「君、我々と一緒に来るんだ、逃げるぞ!!」


 リンドが余に手を差し伸べておる。お主らと一緒にするでない。

 余は爬虫類でも虫でも平気系女子じゃ。


 面倒くさい。あまり目立ちたくないがこれくらいならいいじゃろ……


「……爆ぜよ」


 ちょい、と人差し指を指して僅かに念を込める。

 するとビリジアーノは一瞬発光し、次の瞬きには血煙となって霧散した。

 一瞬じゃ、苦痛は無かろう。


「え、――は?」


 何やら間抜けな顔で立ち尽くすリンドらの横を通り過ぎ、余は萎縮した

 ウサモフの傍へ歩いてゆく。


「あなたの子供は向こうね?来なさい、安全なところへ連れていくから」


 優しく語り掛ける。言葉を介さないが余の意思は伝わろう。

 ウサモフは毛をへにょりと落ち着かせ、奥にもそもそ歩いてゆく。

 余はそれに付いていった。


「ま、待ってくれ、君は、一体」


 後ろからリンドが問うてくる。

 それは無視して余は振り返って言う。

 

「お兄さんたち、付いてこないでね。この子たちがまた怯えるから」


「え……?いやしかし」


。言う事を聞きなさい」


「――ッ!?」


 少しだけ、本当に少しだけ威圧を視線に込める。

 男たちは竦み、固まった。


 余は再びウサモフの背を追う。

 少し離れたところに、5匹の子ウサモフが身を寄せ合っていた。

 ちっちゃくてなかなか愛らしいのぅ。


 余は念のため、あの男たちが付いてきてはいない事を確認してから、

 手早く転送陣を展開し、ウサモフらを引き連れて魔族領へと転移した。


 …………





 ――魔王が飛び去った後の、林道脇――



「隊長……なんなのです、あの子供は」


「そんな事、俺の方が聞きたい」


 半ば放心する部下に返すリンド。


 しばらく困惑と混乱でその場に張り付けられていた男たちは、意を決して

 少女が消えた方向を辿り林を進んでいった。

 しかし歩けど少女とあの魔物は一向に姿を見せる事はなかった。


 先ほどの出来事に未だ混乱が冷めやらぬリンドだったが、

 やがて彼の頭の中には一つの想像が形を成し始めていた。


(数日前に“宣託の徒さきがけ”の方々が勇者降臨の兆候を捉えられたと聞く)


 あくまで降臨の兆候であり、勇者として覚醒したものではないとの事だが。


(あるいはあの少女は……)


 まさかな、とは思いながらも。

 リンドは、今はもう見えない少女の正体に取り留めない思いを巡らせた。




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