【5】魔王様、ひとめぼれなさる。





「ナナ……勇者に……ひとめぼれ、しちゃった、かも」



 余の寝所。

 ベッドの縁に腰掛け身を縮込めて、呼びつけたスラルに言う。


 余の足元にかしづいていたスラルが、顔を上げた。

 その表情はなんだか、遠くを見るように茫洋としておる。


「今、なんと仰られたのですか?」


 スラルは余が今し方言った言葉が理解できなかったのか、

 はたまた聞こえなかったのか復唱を要求する。


 余はまごまごしながら答える。


「いや……だから……リリィちゃんの事、好きになっちゃったかも……」


 両の人差し指をつんつん突き合わせながら、非常に気まずい心持ちで

 余は消え入りそうな声音で伝える。


「スキニナッチャッタ? ……はて。学の浅い私をお許し下さい魔王様。

 それは一体いかなる呪言の類でしょうか?」


「いや、呪言とかではなくて……あの……ほんと……好きで……」


「……何寝ぼけた事言ってるんですか、ナナ?」


 思わず地が出ちゃうスラル。

 あっ、と声を上げ、慌てて訂正する。


「何をほざいていらっしゃるのですか、魔王様」


「言い直しても割とからい……」


「あのですね、お分かりですか魔王様、今あなた途方も無い事を

 仰ってるんですよ? 勇者に? 惚れちゃった?」


 はい??と大げさに首を傾げるスラル……。


「聞いた事が無い、魔王が勇者に慕情を抱くなど……

 今はまだ勇者として目覚めていないとは言え、時間の問題です。

 いずれ彼女は、間違いなく魔王様の宿敵となるのですよ?」


「うん……分かっておる……んじゃけどぉ……」


「一目惚れって、そんな恋に恋する人間の小娘じゃあるまいし……

 それもよりにもよって勇者って……そんな馬鹿な」


 目をつむって指で鼻梁を抓み、スラルは天を仰ぎよる。

 もう何と声を掛けたらいいのか分からず、あわあわするしかない余。


「でも、好きなものは好きなんだもん……」


「もん、って…………はぁ」


 だんだんいじけてきた余の態度に、溜息をつくスラル。

 何とも気まずい空気が流れる寝所。


「初めて耳にした魔王様の懸想の先が……人間。勇者。そして女性」


「はい……」


「……魔王様、私は魔王様の忠実なるバトラー。

 私の義はいかなる事物にも揺るぎはしません、が」


「しませんが?」


「ちょっとさすがに、ないな、と思ってしまいました」


「そ、そんな無体な……見捨てないでスラルぅ……」


 あぁあ……超優秀な余の右腕が辞表を出しちゃう……

 なんでこんな事に……


 でも……


「でも好きぃ……リリィちゃん好きぃ……」


 ベッドの上に転がって枕をひっ掴んで抱き込み、ごろごろ転がる余。

 そばでスラルの「気色悪い……」という呟きが聞こえる。

 ひどい……


「いやぁしかしの……スラルよ。なんて言うのか……」


 枕から目元だけを覗かせて、余はスラルを見据えて言う。


「恋って、良いもんですねぇ……」


「ちょっと一旦黙っていただいてもいいですか」


「あっ、はい」


 こめかみを指で押しながら、スラルはしばらくぶつぶつと

 なにやら一人で呟いておったけれど……

 やがて、溜息をひとつ吐いて改めて余を見て言った。


「えぇ、はい。ひとまずは了解いたしました。

 魔王様は人間の、それも勇者で同性の娘に何を思ってか恋に落ちた」


「は、はいそういう感じ……ですねぇ」


「よろしい。よろしいという事にいたしましょう。

 しかしこの事は、私と魔王様だけの胸中に秘めておいて頂きたい」


「え、なんで? 余はこの素敵な気持ちを領内の者たちに

 めっちゃ吹聴して回りたい」


「ボケるのも大概にして下さい魔王様。無論魔王様のちゃらんぽらん具合は

 他の同胞達にもすでに広く知れている事ではありますが、」


 え、そうなの?

 いやそれ以前に酷くない?余ってちゃらんぽらん?


「とは言え事が事です。自分たちが信奉する至上の御魔王様が、人間の勇者に

 一目惚れしてしまったなど知れて御覧なさい、魔族領全体がパニック必至です」


 たしかにー……。

 改めて、自分の身に降って湧いた事態の深刻さが分かってくる。


 えらいことになった。


「り、理解した。余のこの想いは他の者には絶対内緒にする」


「お願いします」


「あれ、ところでリリィちゃんにも言っちゃダメなのかの?」


「当たり前です」


 うそ……そんな……

 悲恋の気配に余、泣きそう。


 ……しかし。


 しかし一度灯ったこの胸の火は、すでに獄炎の如く盛っておる。

 無理じゃ、割り切れぬ諦められぬ。



 だって、余はリリィちゃんの事、もう好きだから――――!!




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