【2】魔王様、勇者ちゃんと出会う。





 荘厳な佇まいの此処は、玉座が下々を見下ろす謁見の間。

 その大きな玉座には今、主である余……魔王ナナ様が座しておる。


「ほう……その薄汚れた女が、かの勇者と呼ばれる忌々しい人間族か」


 余は精一杯低い声を頑張って作りながら、目の前の女……

 娘を、睨みつけてやった。


(思ったより若いのぅ……というか女の子ではないか)


 イメージとは遠く離れておる姿じゃ。余は改めて観察する。


 これでもかとがちがちに魔術的拘束を施された少女。

 まず、身に着けた召し物からして、服と呼んで良いのかも分からぬ代物。

 麻袋に穴を開けただけのようなボロボロのそれは汚れきっておるし、

 見える足や腕、髪の毛も同じくらい土や油にくすんでおる。


(汚れに混じって……痣や傷も多い)


 その痛々しい幾つもの傷痕は大小様々、古いものから新しいものまで。

 痩せ細った身体に刻まれたそれらに、余は少し眉をひそめてしまう。

 そして首を傍らに立つスラルに向けて、小声で尋ねた。


「……なんか、えらくボロボロじゃの……すっごいガリガリじゃし。

 本当にこやつがかの勇者なのかの? ほんとに?」


「はい、それは間違いございません。魔王様、彼女の瞳をご覧ください」


「瞳とな……どれ」


 余は目の前でうなだれるように俯く娘に命じる。


「貴様。おもてを上げてその顔を見せよ」


 娘は一瞬ビクっと身を震わせてから、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、余のことを見上げる。


 ……


 ……すると、


「――ッ……!!?」


 どくん。


 余の心臓が、ひとつ大きく打った。


 なんじゃ……?


 見つめ合う形になった余は、娘の瞳から目が離せなくなった。

 心臓が妙な鼓動を打ち始める。


 確かに間違いなく、そこにはあった。

 今は微かな、けれど確かな“種子”の存在が。

 その瞳の奥で萌芽の時を待つ、勇者の力をくるんだ種が――。


 しかし、は……?


「…………」


「御覧の通りです魔王様。彼女は間違いなく、勇者……正しくは

 です。

 未覚醒であったのは僥倖でした。でなければこのように

 捕らえ連れ出す事は叶わなかったでしょう」


 スラルは少女を睨んだまま断定する。

 しかしその横で余は、いまだに娘から目が離せないでおった。


「魔王様、大丈夫ですか……?」


 スラルの呼び掛けが耳に遠い。

 娘が内包する桁外れの力、その先触れに言葉が出ない……のではない。


 それも、確かにあった。確かにその種は、伝承に伝え聞く通りの、

 自分を殺し得るに値する巨大な力の示唆を孕んでおった。


 けれど……それだけでは、ない。

 余は、ごくり、と喉を鳴らした。


(な……なんじゃこの、妙な胸の高鳴りは……?)


 やべぇ、と余は思った。

 何がやばいのか、自分でも理由が分からぬが……。


 余は自分の胸に手をあて、ぎゅぅ……と拳を握りこむ。

 その奥にあるのは強いて言えば切ないような、それでいて甘美なような……

 今まで感じた事のない、未知の感覚……


「魔王さま、シカトなさらないで下さいませ」


 余の眼前で手をひらひらと振り、スラルがもう一度声を掛けてくる。


「はっ、 あ、だ大丈夫じゃ大丈夫……」


 放心気味であった、いかんいかん……余は慌てて居住まいを整える。

 しかし相変わらず、視線だけは娘の目に釘付けのままじゃ。


「幸い、まだ彼女が持つ種子は発芽を迎える前です。

 ですので今は危険はありませんが……いつ萌芽を迎えるか分かりません」


 スラルのその言葉は、徐々に冷たく平坦になっていった。

 余は執事の顔を見る。そこから滲み出る殺気も。


「ですので、今すぐ処断されるべきかと。魔王の力に反応し、無理くりに

 発芽する可能性もございますので、処分は私が場を移して行いましょう」


 迅速に、と呟きながら白手袋を引き、一歩進み出るスラル。

 あっ、いかん殺る気まんまんじゃ。


「ま、まま待ってスラル!! 殺す? 殺すのか?!」


「……? もちろん、左様でございます」


「あのそれ、ちょっと待ってもらってもいいかの」


「……? と言われますと?」


「いや……まぁなんじゃ……何も命まで取らんでもとか思ったりの?」


 スラルが、思い切り怪訝そうな顔を浮かべよる。


「は? 何を述べてらっしゃるのです魔王様?」


「いやいやそんな顔しないで……ではない、するなスラルよ。

 先ほど貴様も申したであろう、無理くり発芽するやも知れぬと。

 それは正しくその通り、この者の持つ種は、何をどう以ても必ず

 萌芽を迎える。手を掛ける者や振るわれる力の差異に依らず、の」


 これは真実であった。

 どうあっても、それこそ例え

 その種は芽吹き、勇者は勇者として再び立ち上がる。

 歴代の魔王の間にのみ伝わる史伝が語る、恐るべき勇者の所以じゃ。


「……では、いかがなさるのです?」


 スラルが当然の問いを口にする。

 余は少し考えたをしてから、命じた。


「とりあえず、賓客の間に連れてゆくぞ」


「は、牢獄ではなく……?」


「いいから、言う通りにするのじゃ!!」


 眉をひそめる執事の顔にひとさし指を立てて、ぴしゃりと余は言い放つ。


 そうしている間も、まだ余の心臓は不思議な鼓動を打ち続けておった。


 ……どきどき、と。




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