「あさくさの子供」 長谷健 1939年上半期 第9回

 候補作から選評まで、芥川賞と直木賞の情報を網羅したサイトに、「芥川賞のすべて」「直木賞のすべて」というものがある。そこでは候補作含めた作品の長さも記されているのだが、「あさくさの子供」は原稿用紙135枚の短編とあった。私は、第1回から第125回までの作品は文藝春秋が刊行した芥川賞全集で読んでいるのだが、全集を開いた際、私は騙された気分でいた。

 「あさくさの子供」は「星子の章」「桂太の章」「律子と欽弥の章」の3章からなる長編小説である。その分量は尾崎一雄の短編集『暢気眼鏡』の全作品の累計枚数すら凌駕する。ただ、各章はそれぞれ1編の短編としても読むことができ、連作短編小説とも言えよう。長編の一部のようだという選考委員の久米正雄の発言から、選考ではそのうちの1編のみが対象になった可能性があり、小島政二郎の選評を読んでいる限り、第1章の「星子の章」と考えられる。

 どの章も5部に分けられていた。以下のことも共通する。第1部はこの長編で一貫して視点として登場するあさくさの小学校の教師をしている江礼の手記……その一となっている。手記とあるが、どちらかといえば江礼が語り部となっている典型的な一人称の小説の体裁をとっている。第2部は一転して客観的な「神の視点」による三人称の小説の体裁をとっている。第3部では再び江礼の手記、第4部は「神の視点」、最終第5部ではまた江礼の手記、というように、物語の視点が交互に入れ替えられている。

 それぞれの章では、題となっている子供にスポットライトを当てて展開される。ガキ大将の男の子、伍平とつるむ素行のよろしくない少女の星子。病弱な上に生活が経済的に困窮しているため、弁当を持ってくることの出来ない少年の桂太。これまで子供だったはずが、少しずつ惹かれ合うようになっていく幼馴染の律子と欽弥。そんな彼らに翻弄され、いち教師として悩む江礼。

 こうした「学園モノ」「教師モノ」は今でも定番ではあるが、「あさくさの子供」を今ではまた異なった観点から楽しむことができる。学校側が日の丸弁当を勧めようとする場面や「子供と兵隊」などといった士気を高めようとする教材の活用、さらに登場人物による軍国主義的な発言の描写の数々。これらは戦争が教育の現場で影を落としていることを喚起させる。当時からしてみれば、一種の日常ではあったかもしれないが、今や戦争下の子供たちの様子を捉えるひとつの手掛かりともなり得ている。

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