「糞尿譚」 火野葦平 1937年下半期 第6回
題名だけで判断すると、火野葦平の「糞尿譚」がおそらく最も下品な作品であろう。しかし、その中身は石川達三の「蒼氓」のように、当時の世相を描いた社会的短編である。
没落に瀕していた小森彦太郎は唐人川のドノゴオ・トンカで糞尿汲取事業をしていた。現在、大抵の家庭では下水道が通っているので、こうした業者は殆ど見かけなくなったが、まだ整備されていなかった当時、溜まった排泄物は業者に頼むか自ら処分する他なかった。つまり、彦太郎は煙たがれる仕事を率先して行っているのだが、世間の彼らに対する風当たりは厳しかった。汲み取り方が悪いから汲み取り代を支払わなかったり、屁理屈を言って割引を言いつけられ、そうでないと別の業者にするぞと脅されたり、苦労に絶えなかった。酒好きも相俟って、彦太郎は生活が苦しく、赤瀬春吉という人物から援助も受けていた。
そんなある日、同業者が集まって話し合いをする糞尿汲取人組合の会合で、役所で衛生舎を担当すり阿部という人物が参加した。彦太郎がいつものように愚痴を言っていると、阿部が頼もしい相談相手になると思い、今度は役所に対しても不平不満を訴える。それを聞き入れた阿部は歎願書まで作製し、役所に送ったのだが……
自治体は市民の意見を親身に対応する責任がある。しかし、そこには政治や金などといった事情が絡み合って、ときにはその一声を踏み躙ることだってある。たとい、何らかの形で要望が叶ったとしても、それが完全に納得できる状態であるとは限らない。火野葦平はこうした社会の現状を、糞尿汲取業者という誰しもが距離を置こうとする人々を通じて風刺的に描いたのではないか。
実は、火野葦平は受賞が決まった際、日中戦争従軍のために中国にいた。そのため賞品賞金を渡すに際して、わざわざ中国に使者を送ったのだ。その使者は『様々なる意匠』や『本居宣長』などの著作で有名な日本文学批評の大家、小林秀雄であった。火野葦平は自らの戦争体験を基に『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』からなる「兵隊三部作」を書き、当時のベストセラーともなった。戦後、戦争責任に問われ、公職追放指定を受けたが、解除後も旺盛な執筆活動を続けた。
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