「普賢」 石川淳 1936年下半期 第4回

 日本文学史をある程度知っている人間ならば、石川淳という名前は聞いたり見たりしたことがあるだろう。彼は屡々太宰治、坂口安吾、織田作之助とともに無頼派に分類されることが多いが、作風(そして生きた年数)が明らかに違う。

 太宰治に代表される無頼派は、特に戦後に於いて、世間に蔓延っていた「モラル」を暴き、独自のモラルを形成することで反抗した。一方で、石川淳の諸作にも、批判的な精神は健在ではあるが、ある種のウィットを含ませながら、一度読めば見紛うことのないほど鮮烈な「饒舌体」によって独自の文学世界を切り拓いている。


 石川淳の「普賢」のこれでもかというくらいに言葉を詰め込んだ文体は、情景の掴みどころを曖昧化し、読者に不親切である。私は「普賢」の他に「マルスの歌」や「焼跡のイエス」などの短編も読んだが、なかなか難解な文体であった。しかし、「普賢」はそれらを遥かに凌ぐほど解読困難な筆致となっている。なかには100以上の文字を羅列してようやくひとつの句点が付くくらいくどい文もあった。また、ただでさえ文章の意味を掴むことさえ難しいのだが、展開も複雑に組まれているため、一読しただけでは何も見えてこないというのも、この中編を理解しようとするひとつ大きな関門となっている。まことに恥ずかしながら、2度読んだ私も未だこの小説の大枠を掴めていない。

 あらすじは以下の通り。文章だけで生きていこうと決意した「わたし」はクリスティヌ・ド・ピザンという女流詩人の伝記を書くため、彼女にゆかりのあるジャンヌ・ダルクの伝記を書く必要があった。そこへ、クセの強い登場人物が次々と「わたし」の前に現れる。そして、彼らは次々と生活面で崩壊していき、それを見た「わたし」は普賢行を懇願する。

 これまであっさりした文体で、明確な起承転結のある小説の受賞が続いていたが、今の芥川賞のイメージに似付かわしい観念的な小説が受賞するのは、これが初である。

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