「コシャマイン記」 鶴田知也 1936年上半期 第3回

 第2回芥川賞は受賞作が現れなかった。二・二六事件のさなか、多くの選考委員が選考会に出席できず、出席しても候補作を読めていない者もいた。当初は後日受賞者を決定するつもりだったが、話が流れてしまいとうとう受賞作を出すことはなかった。

 尤も、初期の芥川賞選考(そして直木賞選考)は同人的な集会であって、選評を読む限り、選考会もグダグダだったようだ。現在、マスメディアが大々的に報じる格式ある賞では決してないのだ。


 第3回はこのこともあって、2人も受賞者を出している。うちひとつは、アイヌ族の青年の一生を描いた悲劇である。題名にもあるコシャマインは室町中期、日本人に蜂起した実在の人物と同名だが、物語は史実とやや異なる。シャクシャインやオニヒシなどといった江戸初期のアイヌ人も登場することから別人とも考えられる。

 幼い頃、日本人にセタナ部落を襲われたコシャマインが、血統を死守するため、母シラリカとともにユーラップ部落に逃れた。

 当時、アイヌ人は日本人と取引を行っていたが、その内容はアイヌ人にとって不利なものだった。その不公平な取引に反抗して、蜂起を起こした部落も数多く、しかしその多くは日本人によって悉く鎮圧された。一方、コシャマインが身を置いたユーラップはそのことを憂慮して、抵抗もしなかった。幼い頃のこともあり、コシャマインはそれに不満を抱いていた。

 取引のため、部落の近くに日本人が住まうことになった。とある夜、銃声が轟いた。それが日本人が住まう場所から聞こえてきた。翌日の早朝も同様に銃声が鳴り響き、それを確認しにコシャマインは外へ出た。外には瀕死の男が倒れていた。その男は日本人だったが、どうやら同じ日本人の雇い主に撃たれたようだった。男は間もなく死に、コシャマインはその男を埋葬し、墓標も立てた。そのことをきっかけに、予期せぬ悲劇がコシャマインに降りかかるのであった。

 第1回の受賞作に続き、この作品もまた純文学らしからぬものである。どちらかといえば史劇に近いのだが、この当時、芥川賞と直木賞の分類は非常に曖昧なものとなっていた。今もなお「純文学」と「大衆文学」の境目がはっきりしていないのだが、芥川賞候補に挙がるものと、直木賞候補に挙がるものの凡その区別がなされている。

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