駐在員と市街戦  (中篇)

   第六章


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 マニラ湾沿いを走るロハス大通りに面したホテル「ホリデイ・イン」の前で長井を降ろした後、真壁はケソン市の支店へ向かった。まだ午前六時前ではあったが、南国の夜明けは早く、周囲はすっかり明るくなっている。ベンディア通りを利用してマカティ地区を抜け、エドサ大通りへ出た。まだ早朝の道路はすいており、しばらく藤原がいないので車を運転する真壁の気分は上々である。

 事務所へ入って支店長室を覗くと、机の上に新聞の入った茶色い封筒が置かれていた。日本の「海外新聞普及社」から、前日の夕刊とその日の朝刊がひとまとめになって、半日遅れで夕方に届けられるものだ。フィリピンでは「OCS」という会社が配達をしている。封が開いていないのは、昨夕、藤沢と真壁が新聞が届く前に事務所を出たからで、当面の最後の晩であるため、飲みながら仕事の引継ぎをしたのだった。

 封を開き、昨日の朝刊を読み始めると、三面の見出しに真壁の目は釘付けになった。「フィリピン円借款の疑惑」という大見出しに、「参議院で野党の矢田議員が追及」という小見出しがある。

 内容は、円借款の受注をめぐってマルコス大統領へ日本の商社が賄賂を払っており、借款を見合わせるべきではないかという発言だった。関係する商社も挙げられており、「御三家」の名前が紙面に載っている。

 日本の国会で円借の問題が取り上げられたとなると、今後の展開がどうなるのか不安はつのるが、商社名のほかは内容に具体性がなく、野党議員の発言でもある。唐突に「漁港プロジェクト」が中止になるとは思えなかった。

 それにしても、この時期、なぜ矢田議員が円借の問題を取り上げたのか疑問が湧く。不正の追及と言ってしまえばそれまでだが、政治家のもっともらしい発言には必ず裏がある。それは、与党であろうが野党であろうが同じことであり、情報の出所はどこなのか、背後で動いているのは誰なのかと真壁は考えざるを得ない。

 野党がマニラに情報源をもっているはずがないとなれば、「御三家」の独壇場を崩そうとしている商社が怪しいのではないか。「漁港」を狙っている「ホンエイ商事」が念頭に浮かんだ。

 午前七時過ぎ、支店長室の電話が鳴った。この時間に電話が鳴ることなどはないので、日本の本社からだと推測がつく。

「一体どうなってるんだ」

 案の定、電話は栗山部長からであった。東京は午前八時だ。本社の出勤時間は九時なので、部長は一時間も早く出社していることになる。ただならぬ気配が伝わってきた。

「こちらは大騒ぎだ。昨日は新聞記者に踏み込まれて、対応に難渋したよ。藤原君が出張する日なので、あえて連絡はしなかったが、我々にとっては死活の問題だ。ローカルがリークしていることも考えられる。最近、藤原君が忙しかったので、隙を狙われたのではないのか」

 いつになく疲れた部長の声が聞こえた。ローカルとは現地従業員のことである。

「カゲヤマ」のことは言えなかった。彼が関係しているかどうかは推測の段階であり、勘の鋭い部長は、なぜ「カゲヤマ」を知っているのかと真壁を問い質すに違いない。長井と取引したことがばれたら大問題になる。

 部長の方針が決まっていないせいか、現地従業員に注意しろという以外、具体的な指示のないまま電話は切れた。

 午前九時になって、また電話がかかってきた。今度は日本大使館からである。

 電話は西園寺と名乗る人物からで、「内々の話があるので、大使館ではなく外で会いたい」と言う。国会で取り上げられた円借の件だと察しがつき、真壁は応じることにした。支店長不在ということで逃げる手もあるのだが、それでは代理の役目が果たせない。



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 支店長を見送ったその日の夜八時、真壁はマビニのナイト・クラブ「バレンシア」にいた。薄暗い店内のテーブルで待つ真壁に向かって、二人の日本人が近づいて来る。現地のバロン・タガログを着た長身の中年男と七十歳前後の老人であった。

「お待たせした」

 気の弱そうな中年男を先に座らせ、だみ声ながらも威勢の良い声を出したのは老人だった。

「一等書記官の西園寺と申します」

 いかにも外交官試験をパスした、秀才らしい細面の人物が言った。名刺を出さないのは、あえて外で会いたいと言ったことが関係しているのだろう。

「わざわざお越しいただいたのは、しばらく『東比』さんには円借の入札参加を遠慮していただきたいのです」

 自己紹介が終わると、早速、西園寺が用件を切り出した。

「参加するなと言われても、私の一存では決められません。本社に伝えますので、今夜は話を聞くだけにさせてください」

 真壁はきっぱりと言った。

「おとなしく言うことを聞けよ。大使館の一等書記官が仰ることは、日本政府の命令と同じなんだぞ」

 西園寺の横に座った老人が、威圧的な大声で口をはさんだ。

「失礼ですが、どちら様ですか」

 老人へ向かって、真壁は穏やかに尋ねた。初対面の相手に向かっての命令口調は真壁の理解を超えるが、年配者には敬意を持たねばならない。

 素性を訊く真壁の態度に腹を立てたのか、老人が目をむいて口を開こうとした時、

「女ノ子ヲ指名シテクダサイ。オネガイシマス」

 店のフロアー・マネージャーが、テーブルの横にやって来て手を合わせた。まだ三十歳くらいのフィリピン女性である。

「なんだお前は。日本人の邪魔をするな。あっちへ行け」

 侮蔑的な視線を向け、老人が怒鳴った。マニラのレストランやホテルで、日本人がフィリピン人を怒鳴っている場面は珍しくないが、それでもこの老人の剣幕は度を超している。あまりの大声に驚いたのか、フロアーマネージャーは走り去っていった。

「彼女は自分の仕事をしているだけではありませんか。ここはナイト・クラブなんですよ」

 余りの横柄さに我慢がならず、真壁は老人をたしなめた。

「生意気なことを言うな。俺がフィリピン人に何を言おうが、お前の知ったことか」

 老人が反論してきたところで、一度、場を離れた女が戻ってきた。目が吊り上がっている。自分の国ならいざ知らず、他人の国へ来て横柄な口をきく日本人に、我慢が出来ないのであろう。

「私ノ叔父サンガ外デ待ッテル。警官ダカラネ。アンタタチ無事ニ帰レナイヨ」

 脅し文句とともに、女が拳銃の引き金を引く仕草を見せた。

「物騒なことを言わないでくれよ。ちょっと込み入った話をしているんだ。あとできっちり謝るから、君の叔父さんには帰ってもらえないか」

 彼女の顔を見ながら、やんわりと真壁は頼んだ。単なる脅しとは思うものの、クラブの女が言うことだからと甘く考えていると大変なことになる。日本とは国民性も社会事情も違うのだ。

「ホステスの分際で、生意気なことを言うな」

 口から唾を飛ばして老人が立ち上がり、女の顔を睨みつけた。

「ユー、シャラップ (あんた、黙りなさい)」

 女は一歩も引かず、逆に老人を一喝すると、剣幕に押された老人は自分の席に座り込んだ。

「これで私は失礼します。どうぞお二人で話は続けてください」

 事態に驚いたのか、そそくさと大使館員は席を外して店から出て行った。このまま老人と一緒にいて、巻き添えを食ったのではたまらないというのだろう。



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 席は真壁と老人の二人だけになった。大使館員の言葉尻から、誰が今回の会合を仕組んだのかが見えてくる。

「どうもいかんな。気勢がそがれちまった。今回は顔見世だけにして、そろそろお開きにするか」

 大使館員がいなくなったせいか、女の脅しに怯えているのか、意気消沈したように表情を緩めた老人が言った。

「今は外へ出ると危ないかもしれませんよ。もう少し、ここで時間をつぶしたほうが得策だと思いますが」

 ここで老人を帰らせては、不充分な本社報告になってしまう。老人の正体を確かめておく必要があると思い、真壁は老人を引き留めた。

「俺はこういう者だ」

 しばらくの沈黙の後、「失礼ですが」と自分の名刺を真壁が差し出すと、お返しとばかりにテーブルの上に老人が自分の名刺を放り投げた。名刺には、「ホンエイ商事株式会社 マニラ支店特別顧問 影山征四郎」とある。

名刺に印刷された「影山」の文字を見ながら、この人物が元特務機関員の「カゲヤマ」であり、リサを深夜の嵐の中、葬儀場に行かせた奴なのかと、妙な苛立ちを真壁は覚えた。

「漁港」案件に介入している本人が真壁の目の前にいる。しかも、野党の国会議員に円借のネタを提供したのが「ホンエイ」だとすれば、この影山がマニラから糸を引いているのは間違いない。

 真壁は大胆に切り出した。

「失礼ながら、なぜ国会議員に円借の件をリークしたのか、その理由をうかがいたいですね。そもそも『漁港』の案件を御社は手掛けているわけで、円借が騒がれるようになれば、自分の首を絞めることになりませんか」

 真壁の言葉を聞いて、影山が薄笑いを浮かべた。

「国会に不正を告発しただけのことさ。君らのような悪徳商社に、日本国民の税金が利用されているのを、黙って見ているわけにはいかないだろ。この辺で、君たちにはフィリピンから退場してもらわんとな」

 得意げな笑みを浮かべながら、影山が太い指先でテーブルの受け皿からピーナッツをつかみ取り、勢いよく口に放り込んだ。

 影山の言うことは、世間の常識かもしれないと真壁は思う。何しろ「ホンエイ」は一流商社であり、「東比」とは知名度もイメージも大きな差がある。しかし、この程度の言い分で引き下がっていては、商社マンは務まらない。

「我々のことを悪徳商社と仰いますが、『ホンエイ』さんもインドネシアでは色々やっておられましたよね」

 皮肉たっぷりに真壁は反撃した。彼らこそ、インドネシアの戦後賠償に絡んで、スカルノ大統領と密接な関係を保ってきたのだ。女の斡旋から賄賂まで、「東比貿易」も顔負けの商法だったと聞いている。

真壁の言葉に影山は反論せず、白けた雰囲気が漂った。もっともらしいことを真壁に言った手前、言葉に窮したのである。

「これからよろしくと言いたいところだが、その前に訊いておこう。君が戦後の民主主義教育とやらを受けた若者だから確かめておきたいのだが、まさか今の民主主義が、この先、何十年も日本で続くとは思っていないだろうな」

影山が意外なことを言い出した。これまでの厳しい顔が、一転して頑固親父のようになっている。

「日本は神の国だ。アメリカに押し付けられた民主主義などは僅か四十年の歴史だが、我が国、わが民族の歴史は二千六百年以上もあるんだぞ。日本人なら、このことを忘れないことだな」

足元に蚊でもいるのか、ズボンの裾を気にしながら影山が言う。

影山の話に真壁は黙っていた。こんな考えを持った男が今もいるのかと、半ば呆れた表情を隠すのに神経を使うほどだ。

時代錯誤もいい加減にしろと言いたい気持ちを押さえて、真壁はフロアー・マネージャーを呼んだ。彼女はまだ怒りの収まらない様子を見せている。

 少しづつ覚えてきたタガログ語を交えて、真壁は詫びを入れた。きっと埋め合わせはする、今回は許してくれと頼み込むと、彼女は頷いてくれた。

「これで君がどんな男か分かった。今後は容赦しないから、充分に覚悟しておくんだな」

 真壁の態度に腹を立てたのか、お前なんぞを相手にしても仕方がないとばかりに、影山が席を立った。七十歳前後の老人にしては、俊敏な動きである。



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 翌朝早く、真壁は本社へ報告を入れた。大使館員から呼び出しがあり「ホンエイ商事」の特別顧問影山なる人物に会ったこと、「御三家」を円借入札から締め出すために、その影山が野党議員を動かして日本の国会で発言させていたことが報告内容である。

「影山というのは何者だね。『ホンエイ』の支店長は確か坂上という人物で、俺も二年前に会ったことがあるが、影山の名前は知らないなぁ。それに特別顧問というのは初めて聞く肩書きだ」

 すぐに栗山部長が影山という名に食いついてきた。厭な予感がする。

「初対面だったもので、詳しくは分かりません」

「馬鹿野郎。分からないとはなんだ。初対面が言い訳になるか」

 耳許で怒鳴り声が聞こえた。一喝されるのは癪だが、痛いところを突かれているので素直に真壁は納得してしまう。それでも、最近になって真壁が思うのは、少しばかり自分がタフになったことだ。部長の言葉にもやたらに怯えたりはしない。むしろ、自分を奮い立たせ、負けてたまるか、次はもっとしっかりやってやるぞと思ったりもする。


 影山に会ってから一週間近くが経った。真壁には不思議に思うことがある。国会で取り上げられた円借問題は、その後、一度たりとも新聞の記事になっていないのだ。国会はおろか、大騒ぎしていたはずのマスコミも追及していないとなれば、何らかの意図を持ったグループが背後にあるとしか考えようがない。国会の野党議員を動かし、マスコミも交通整理できるほどの力を持った組織が動いていることになる。

藤原支店長がビサヤ地方に出張して以来、公共事業道路省、農業省、国家電力局、地方自治省、国防省、国家犯罪捜査局、フィリピン国立大学、水道局など、「東比」の主要な顧客を藤原に代わって訪問するのに真壁は忙しかった。面談の相手も大臣クラスからエンジニアまでとなると、朝早くから夜遅くまで分刻みの毎日である。

リサが渡米する前にデイトに誘おうと思ってはいるのだが、どうにもならない。時間がないだけではなく、洪水の夜の中途半端な気分が思い起こされ、更に教師時代に別れた沼林景子のトラウマが重なって、どうしても仕事優先になってしまうのだ。



   第七章


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 十月二十七日の日曜日、意外な出来事があった。「洋々」の小川との再会である。

 休日のその日、久しぶりに真壁は映画を観に出かけた。外出ついでに、遅い朝飯を兼ねた昼食をとろうという魂胆もある。

 行く先は宿舎に近いクバオ地区だった。フィリピンの映画料金は安く、日本なら千五百円はするところが、僅か二百円ぐらいである。おまけに字幕がないためか、アメリカ映画は二ヶ月ほど日本より早く封切りになっていた。

 映画館の入り口に着くと、フィリピンの喜劇物とアメリカの裁判物が上映されている。タガログ語が分からないので、真壁はアメリカの映画を選んだ。ところが、観た映画が裁判物だったため、法廷でのやりとりばかりである。アクション・シーンが少ないので、真壁には三分の一も理解できない。英語が公用語のフィリピンなので、周りの観客がどっと笑っても真壁は笑えず、情けなくなったところで観るのを諦めた。

 ささやかな屈辱感を抱えて外へ出ると、激しく雨が降っている。さてどうしたものかと考え、真壁はマニラの下町、チャイナ・タウンへ行くことにした。チャイナ・タウンは強盗やスリが多く、旅行者には勧められないと旅のガイドブックにも書いてあるが、気が弱い割には好奇心が旺盛で、無鉄砲なところが真壁の性格なのだ。

 好奇心だけではなかった。赴任して二ヶ月も経つと、漢字が恋しくなってくる。日本の新聞があるものの、なぜか物足りない。街の景色の中で漢字に囲まれてみたいと、無意識のうちに思っていたのであろう。

 クバオからチャイナタウンへ向かうため、遠回りではあるがタフト通りへ出ることにした。日曜日でも、ケソン市から下町への道路は混んでいると推測したからだ。

 エドサ大通りからパサイ市へ出る。生ゴミが散乱する道を通過している時だった。四つん這いになった乞食がずぶ濡れになり、通行人に手を差し出している。よく見ると、物乞いをしている男には手首どころか足首もなく、腕や足の先が丸い肉の塊になっていた。

(こんな辛い思いをしてまで、よく頑張って生きているなぁ)

 日本では見たことのない光景に心を揺さぶられた真壁は車を止め、ポケットにあった小銭すべてを握りしめて車から降りた。頭上に降り注ぐ大粒の雨も、感動のあまり気にならない。

「ハポン(日本人)か」

 真壁が男の前に屈み込み、道の上に置かれた缶に握っていたコイン全てを入れると、雨雫をしたたらせた顔を上に向けて男が言葉を発した。真壁が頷いてみせると顔をほころばせ、「ちょうど日本人の友人が来ているんだ。あんたも来ないか」と言う。初対面の人物について行くことなどフィリピンではあり得ないことだが、恐れより興味の勝った真壁は誘いを受けた。

「俺の名前はティムだ」

 車の後部座席に乗り込んだ男が名乗った。真壁も自己紹介をする。

 男に言われるまま、タフト通りの薬局前にある駐車スペースに車を置き、真壁は男の後に従った。場所はタフト通りにエドサ大通りが突き当たった地点である。

 タフト通りから古めかしい商店に挟まれた路地に入り、軒先が重なる薄暗い細道を男は這っていった。道はぬかるんでおり、バナナやマンゴの皮、ビニール袋などが散乱している。下水施設がないために、洗濯水や糞尿、料理に使う椰子油などの混ざった悪臭が立ちこめていた。

 マニラ市内の各所にある、ここもまたスラムの一つなのだ。スラムに住む人たちのことを、マニラ市民は「スクウォッター(不法定住者)」と呼んでいるが、まさにここは番地も住民登録もない無法地帯なのである。



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 五分ほど進むと視界が開け、所々に草の生えた空き地に出た。お祭りでもあるのか、何人もの人が集まっており、大はしゃぎする子供の声も聞こえる。

 人だかりのしている一角を見ると、そこにはエプロンをして大きな鍋をかき混ぜている小川の姿があった。スコールと言うべき南国特有の豪雨は既に上がっていたが、まだ雨雫のしたたる、花模様の大きなビーチ・パラソルの下で、炊き出しの真っ最中のようだ。

「小川さんですか」

 思わず真壁が声をかけると、かき混ぜていたアルミ製のしゃもじを高々と振り回し、小川が「ようっ」と応えた。突然、ライバル商社の駐在員に声をかけられ、かなり驚いた様子である。

「先日はろくな挨拶もせず、申し訳ありません」

 真壁は頭を下げ、真っ先に詫びを入れた。

「気にするなよ。あの時は随分と思い詰めた顔をしていたけど、今は大丈夫かい」

 兄貴分のような小川の言葉に、すっかり真壁は打ち解けた気分になった。

「あの時は入札スペックの問題で本社からどやしつけられ、パニック状態だったんです」

 真壁は弁明を試みた。申し訳ないの言葉だけでは済まない気分なのである。

「いいから、いいから。俺も説明不足だったからな」

 ちょっと待ってくれと言って、小川は鍋の世話を住民に任せ、真壁と同じベンチに座りこんでくる。

「小川さんがボランティア活動をしているとは、これっぽっちも知りませんでした」

 褒め称えるつもりで真壁が言うと、

「ボランティアではないよ。日本人として、当然の償いをしているだけさ」

 真壁には意味の分からない返事が戻ってきた。「償い」などと、顔に似合わず宗教的なことを言うものだと真壁は首をひねる。

「それはどういうことですか」

 小川はキリスト教の信者だったのかと内心思いながら訊き返すと、

「詳しい話は後でするよ」と言って、紙の皿に乗せ運ばれてきた野菜スープを真壁に差し出した。

 酢が強烈にきいたスープをすすりながら周囲を見渡すと、六十過ぎの老人が数人見かけられる。それぞれ耳たぶがなかったり、片足がなかったり、眼球がえぐられたかのように凹んでいる盲目の人もいた。

 再び、小川と真壁は話し始めた。足下のベンチには、ティムが背をもたらせて二人の日本人の話を聞いている。

「ここにいるのは、どんな人たちなのですか」

 真壁は訊ねた。よく見ると、老人たちの傷は事故で生じたものとは思えず、人為的と言おうか、何か異常性を感じさせるもので、真壁は不審に思っている。



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「君は『ガナップ』を知っているかね」

 小川が神妙な顔を真壁に見せた。

「私は中学で社会科の教師でしたから、太平洋戦争中、日本軍に協力したフィリピン人の政治組織だというぐらいは……」

 おぼろげな知識のため、自信なさげに真壁が返事をすると、

「そのガナップの生き残りと家族だよ」

 汗だらけの顔と首筋をタオルで拭いながら、小川が答えた。

「俺が『償い』と言った意味を君に分かってもらえるかな。戦争中、『コラボレーター(協力者)』と言われた彼らは、日本軍の敗北とともに市民から壮絶なリンチに遭ったんだ。金槌で足腰の関節を砕かれたり、ナイフで耳をそぎ落とされたり、眼を潰されたりしたわけさ。ここにいるティムは斧で両手足首を切断されたそうだ。日本人への憎しみが、彼らに向けられたわけだな」

 怒りと悲しみの混ざった眼差しを、足下にいるティムに小川が向けた。

「しかし、何でまた小川さんが、その償いをする気になったのですか」

「戦後四十年経っても貧しさと迫害から抜け出せない、このガナップたちの有様を知ったからだろうな。米軍に協力したゲリラは、今もアメリカ政府から恩給をもらっているが、親日だった彼らに日本政府の補償はなく、フィリピン政府も動かない。フィリピン国民を裏切った彼らには、当然の報いというわけなんだな。そこで俺が立ち上がったと言えば聞こえは良いが、本当に慈善とかなんとかではなく、見るに見かねてやっているだけなんだよ」

 自分のしていることが当たり前のように表情を崩さず、小川が真壁の顔を見た。

「炊き出しは毎週やっているのですか」

 小川の思いに共鳴し、出来ることなら自分も協力したい思いに真壁は駆られている。

「俺も仕事があるから毎週というわけにはいかないが、日本人としてのせめてもの罪滅ぼしだからな、最低でも月に一、二度はやることにしているよ」

「小川さんはキリスト教か何かを信仰しているのですか」

「いやいや、俺はそんなまともな人間ではないよ。ただ俺は日本人の悪く思われるのが、我慢できないのさ」

 思想信条といった堅苦しいものではないのだと、真壁の疑問を打ち消すように小川が手首を横に振った。



          4


 小川との雑談がしばらく続いた。

「俺は右翼的な人間だから、連合軍による極東裁判に対する日本人の無関心さには我慢がならんのさ。例えば、アメリカのドキュメント番組で知ったんだが、ガダルカナルでは日本人捕虜を米兵が射殺していたそうだ。鬱憤晴らしで夜な夜な殺していたと元米兵がインタビューで語っているのを観て、悔しくてならなかった。ガダルカナルで死んだ捕虜の記録が残っているはずだし、何よりも殺し回った本人が語っているんだから、我々は調査を依頼できる筈なのに、日本人は抗議も何もしない。アメリカの捕虜取り扱いが紳士的だったと思っている日本人が多いようだが、ちゃんちゃらおかしい話だよ。

 敗戦国の犯した罪は罪として認め、謝罪すべきはすべきだろうが、勝った国にも誤りはある。広島や長崎市民の頭上に原子爆弾を落とすなどとは、人道に劣る行為だ。同じ日本人として、その辺を曖昧にしていては、いつまでたっても日本人は馬鹿にされ続けると俺は思うんだな。

 しかし、東京裁判の理不尽さを訴えるためには、あの戦争の責任を明らかにして、日本人自身の手で本当の戦犯を裁かなければ、世界が、とりわけ被害に遭ったアジアの人々は納得してくれないだろう。自らの手で裁いてこそ、本当に謝ったと認められるんだからね。

 ほかにも、フィリピンに対しては、『バターン死の行進』や『マニラ市街戦』を初めとして、日本政府はいっさいの謝罪をしていない。大使レベルでの談話はあるが、何か釈然としない。フィリピン人と深く付き合うと、どこか屈折したものを感じるのは、そのためさ。全て賠償で済んでいるというのなら、それはゲスな成金思想だよ。情けないにもほどがある。

 よく日本人は言うじゃないか、戦争は恐ろしい、繰り返してはいけないと。しかし、人間は怠惰なものだ。世代が変われば、戦争の恐ろしさも忘れてしまう。そのうち、『日本人は素晴らしい』から始まり、やがて『神の国、神の子』だとなり、過去の行為も正当化し始めるのが落ちだと俺は思う」

 小川の主張には筋が通っており、真壁にも理解できた。歴史に対する認識が、真壁自身も含めて日本人には希薄であるように思える。

 戦犯を追及できなかった理由については、学生時代の講義で学んでいた。

 終戦直後、天皇陛下がかつての部下を我が手によって追及するのは忍びないと近臣に語ったこと、時の近衛文麿首相が「一億総懺悔」と吹聴していたため、軍人も国民も、とにかくみんなが悪いのだと国民自らが共犯者意識を持ってしまったことである。

 日本人の罪意識が薄かったことにも原因があった。当時の国民はよく理解できなかったというが、八月十五日の玉音放送の中で、あの戦争は運が悪かったから負けたと言っているのだから、悪いことをしたのではない、謝罪も何もする必要はないと思ってしまう。

 その後の朝鮮戦争が戦犯を許すとどめを刺した。共産主義を恐れるアメリカが日本の再軍備を促し、戦犯である元軍人や政治家を利用したからである。いわゆる、公職追放の解除だ。

 もっとも、ナチズムに熱狂したドイツ人の謝罪と同じように、日本人も謝罪しろというのには無理がある。なにしろ、劣等民族絶滅を図ったナチズムは、六百万のユダヤ人、三百万人のロシア兵捕虜、そしてソ連市民二千万人以上を銃殺もしくは毒ガスで殺したのだ。

 劣勢を挽回しドイツ領に進出したソ連兵が、ベルリンでは十万、その他の地域では百万のドイツ女性を強姦したというのは凄まじい話だが、それはロシア人の憎しみがいかに大きかったかの証拠であろう。いずれにせよ、選挙を通してナチズムに熱狂したドイツ国民と同じレベルで日本も裁かれるべきと言うのは、真壁には合点がいかない。

「私も戦争責任の追及については同意見ですが、では誰が本当の戦犯とお考えですか」

 かつて考えたことのある疑問を、真壁は小川に向かって問いかけた。

「それは恐らくこういうことだろう。当時の軍部は、下剋上の状態だった。中佐クラスの軍人が、上の連中を支配していたのさ。バターンでは大本営の権威を振りかざして捕虜を殺せと言い回ったり、シンガポールでは司令官の少将に軍刀を突きつけて華僑の粛清を迫った大本営部員がいたじゃないか。神風特攻隊にしても、中西中将が腹を切ったが、発案は航空参謀だったらしい。八月十四日のポツダム宣言受諾に際しても、近衛連隊や厚木基地の中佐クラスがクーデターを企てたしな」

 小川が持論を披露した。

「だがなぁ、もはや戦後四十年、時既に遅しだ。国外に対してはあれほど多くの悪行、国内に対しては三百十万人の犠牲を出しておきながら、戦中は無論、戦後も責任を追及されなかった中佐クラスの彼らは、国会議員になり、厚生省の役人になり、自衛隊の幹部になった。米ソの冷戦、朝鮮戦争といった時の流れもあるのだろうが、何の言い訳にもならんよ。日本人はそれでいいとしても、被害を受けたアジアの人たちには通用しない。口先の謝罪よりも、戦犯を裁くという形で反省を示さねばならなかったと俺は思うんだがね」

 小川の口ぶりは、投げやりになっていた。

「それにしても、小川さんの炊き出しは見上げたもんです」

 スラムに入り込み、貧しい人々と接している小川の姿が、真壁には眩しかった。自分はといえば、侵略だなんのと教師時代は生徒に教えていながら、今は何事もなかったかのように商社の仕事に振り回されている。かつての自分と今の自分がどう繋がっているのかと、疑問に思うことも度々だった。

「そう持ち上げられると困るが、君もしばらくマニラで駐在員をしていれば、考えさせられることが山ほど出てくるよ。なんといっても、まだ戦後四十年だし、日本を離れていると見えてくるものが色々あるからな」

 意味深い小川の言葉だった。フィリピンでは戦争の傷跡がまだ残っている。赴任して僅か二ヶ月に過ぎないものの、現地の人との何気ない戦中の話や街中に散在する慰霊碑などを目撃すると、重い気分に落ち込むことがある。戦争の傷跡に日本人の姿を見てしまうのだ。



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「ボス、例の反対運動はどうなっているんだね」

 ティムが顔を上げ、小川に向かって問いかけた。

「正直なところ、うまくいっていないよ。パサイ市の市長にも会ったけど、国が決めたことなのでどうにもならないという返事だった」

 小川の言葉に、ティムが顔をしかめた。何を話しているのかと真壁が小川に尋ねると、エドサ大通りと海岸沿いのロハス大通りをつなぐ計画があり、このスラムも立ち退きを迫られていると言う。

「スラムの取り壊しと言えば、住民は散々な目に遭っていますよね」

 最近のニュースでは、あちこちのスラムで放火騒ぎが起きているらしい。立ち退きを強行する政府の仕業だと噂されていた。

「君の言うとおり、スラムの住民はいろんな嫌がらせにあっているが、流血騒ぎだけは避けねばならない。これ以上住民が困らないように、代替地を俺は探しているんだが、なにしろ元ガナップがいるとなれば、そう簡単に居住を許してくれる場所がない。金さえあれば何とかなるんだろうが、頭が痛いよ」

 炊き出しだけでなく、住居の世話もするのかと、ますます小川に真壁は感心する。元ガナップの家族は百五十人以上になり、地方へ出ることも考えていると小川は言った。

「確かに、個人で面倒を見るのは大変でしょう。代替地を取得するためには、どれくらいの費用がかかるんですか」

「ざっと見積もって五百万円くらいさ。貨幣価値の違うこの国だからこんなものだが、日本なら五千万円くらいの感覚だな。

 それだけではないんだ。地方へ出るとなれば、生活費をどこでどう稼ぐかも考えねばならない。一度、カビテ工業団地の日本企業に相談してみようとも思うんだが、まぁ無理だろうな。今の日本人に元ガナップ党員の窮状を訴えても、ビジネスとは関係ないの一声で片付けられそうだ」

 端から諦めているのか、表情を曇らせることもなく、あっさりと小川が言った。

炊き出しの後片付けが終わると、マカティ地区にある小川の自宅に招待された。記者の長井が来るので、一緒にどうかと言う。長井の職業柄、しかも狭いマニラの日本人社会なので二人が知り合いであっても驚くほどのことではないが、それでもわざわざ自宅にやってくるとなれば、ただの知り合いとは思えない。

「長井さんとは親しい間柄なんですか」

 軽く訊ねた後、真壁は長井と自分との出会いを説明した。国内空港で長井と初めて会ってからまだ十日も経っていないが、マニラ市街戦の話を聞いて真壁は長井に親近感を覚えており、近々会いたいと思っていたところだと伝える。

「俺とは三週間前に知り合った。うちの事務所へ突然やってきて、大統領への賄賂の話を聞きたいと言うんだ。勿論、俺は警戒して何も話さなかったんだが、ひょんなことから太平洋戦争の話になって、俺が山下将軍の死刑について疑問を言うと彼も興味を持ってくれたのさ。彼もマニラの市街戦で親父さんが戦死したと言うから、今日は色々と話がしたいんだろう」

 出会いは自分の時と同じように、大統領の賄賂の話だったのかと思いながら、真壁は小川に笑って見せた。小川も真壁と同じ「御三家」の社員であり、他人には言えない後ろめたさがある。同じ穴の狢、共犯者の誼ともいえる、いわば歪んだ笑いだった。



          6


 小川は「ベル・エア」にあるマンションに住んでいた。単身赴任のせいか、商社駐在員の住まいとしては質素な住居である。

応接間に通されると、お手伝いさんの休日なのか、小川自らがコーヒーを出してくれた。フィリピンのご多分に漏れず、インスタントの「ネスカフェ」である。

ソファーに座ると、小川が口を開いた。

「話の続きになるけど、君は中学の教師をやっていたそうだね。教師に戻るつもりはないのかい」

 炊き出しの合間に雑談したことを思い出したのか、唐突に小川が言い出した。

「もう一度教師になろうとは、全く思っていません。温室ではない世界でどれだけやれるのか、私は自分を試してみたいのです。うるさい父兄の相手をするのは、もうこりごりなんですよ」

 うんざりした表情を小川に見せながら、少し格好をつけて真壁は言った。教師時代の話は、あまりしたくない。強面の男を前にして逃げ出した過去が、まだ執拗に心に染みついているのだ。

「教師ではないが、実は俺も公務員だったんだ。人間関係が面倒で辞めたんだが、いざ商社へ転職してみると、役所以上に厄介な人ばかりだってことに気付かされたけどな」

 笑顔を見せて言う小川の言葉に、真壁は頷いて見せた。元公務員、駐在員などの共通点、何よりその人柄と炊き出しの一件から、小川との距離がぐっと縮まっていく。

「そうなんですか。それで、面倒な人間関係というのは……」

 小川の個人的な話は強い興味を呼び起こした。酒、女、ゴルフばかりの駐在員を周りに見ていた真壁にとって、小川は別格な印象をもたらしている。

「俺が市役所を辞めたのは、市民税の滞納で相談に来た男とのトラブルだった。長年の大口滞納者だったこともあり、差し押さえのことを口に出した途端、相手が怒り出したんだが、どんな線からか市長に訴えたんだ。すると、市長が俺の上司に圧力をかけ、上司は俺の対応のまずさを指摘し始めた。その剣幕に俺も腹を立て、『ノイローゼになるほど収納をせき立てたのはあんたじゃないか』と言い返してしまった。その後は所属部署をいくつも変えられ、どこへ行っても厄介者扱いされたところで、俺は辞めたのさ。今にして思えば、上司の自己保身に巻き込まれたぐらいで辞めることはなかったのかと反省もするが、役所の中でその上司を見かけるたびに震えが走るようになったんだ。俺は気が小さいからな」

 ここまで打ち明けられると、真壁も自分の過去を正直に話さない訳にはいかなかった。

「私の場合も情けない辞め方でした。私が偏向教育をしていると言い出す人物が現れ、辞めるまで学校に押しかけると脅されたり、おまけに教頭に叱責されると、何一つ反論も出来ずに逃げ出したんです」

 自分への腹立ちを込めて、恋の痛手のことまで真壁は打ち明けた。女将に話したときとは違い、洗いざらいを話したい気分になっている。炊き出しに共鳴したからということもあるが、なんと言っても小川が自らの過去を打ち明けてくれたのが嬉しかったのだ。転職経験を持った男同士の親近感もあるのだろう。

「なるほどな。君が教師を辞めたのは、山岸なる男の恫喝に怯えて職場にいられなくなったというわけか。反論できなかったのも、君のトラウマになっているんだろうな。

 しかし、そんなに自分を卑下するなよ。自分を非難する奴が突然現れたら、狼狽えるのは当たり前のことだし、ましてや反論しようと頭の中で考えていることを、瞬時に相手に伝えろと言っても限度がある。相手に分かるように言い換えるのは時間がかかるんだ。場所も相手も構わず言いたい放題を言える雑な人間なら良いが、君はそんなタイプじゃない」

 小川の発言に、真壁の心が開かれていく。同じ苦悩ではないが、職を変えるほどの問題を小川も抱え悩んできたのだ。



          7


「反論が出来ない、反論しにくい理由はほかにもある。日本文化のせいさ。フィリピンに来て気がついただろうが、彼らはちょっとしたことでも言い訳をする。しかしあれは言い訳ではなく、相手に対して何らかの説明をしなければ、失礼だと思っているんだ。ところが日本では、『すいません』と謝ることが大事で、少しでも釈明をすれば『言い訳するな』と叱られる。つまり、素直じゃないと思われる。だから反論するのを躊躇うようになるんじゃないかな」

 この先、どんな方向に進むのか、小川の話に真壁は耳を傾けた。

「日本の社会では、『良い子』であることが大事だ。自己犠牲、譲り合い、謙虚、思いやり、気配り、もううんざりするほどそんな美徳を教えられてきた。つまり、少年時代には親の言うことに大人しく従い、社会に出れば口答えしないよう教育されているわけさ。

 そのせいか、君も俺も、どこか素直すぎるところがある。しかし、素直であることが美徳でもなんでもないことに、もう君は気がついているはずだ。商社マンとして素直というのは、半人前の証拠でしかない。どんな人間かも分からないのに、相手の言うことをまともに受け止める馬鹿はいないだろ。ましてや商売がらみともなれば、海千山千ばかりだから、情報一つにしても必ず裏を取らねばならないのは君もご存知の通りだ」

 小川の言うことは理解できた。商社の世界では、どんなに無礼な奴でも近づかねば仕事にならない。そこで、あの手この手で付き合いを深くして相手の懐に飛び込むと、今度は裏が見えてくる。すると、相手の正体が分かり、素直であることの愚かさも分かってくるのだ。

「素直な人間というのは、人前で良い格好をしようと思っているんじゃないのかな。つまり、日本の社会通念上、素直でないことに罪悪感を覚えるから、格好悪いと思ってしまう。しかしそれは、他人の目を意識しているわけで、いつも自分の考えを二の次にして責任を回避していることになる。そういう人間は苦境に陥ると他人の助けを当然のように期待するんだが、もしかすると、強面の男に詰め寄られたとき、君も同僚の応援がなかったことに失望していたのではないのか」

 小川の指摘は図星であった。五年前の職員室で、確かに自分は誰かが助け船を出してくれるのを待っていて、孤立無援だという思いが逃げ出す口実になったような気がする。

「おまけに、日本人には恥の意識がある。何が恥で何が恥でないかは、時代によって変わるもので、例えば、武士は二君にまみえずなんてのは江戸時代の朱子学から来ていて、戦国時代には主君を替えるのが当たり前のことだった。それほど恥などというのは曖昧なものなのだが、まだ我々は江戸時代の文化を引きずっている。武士は食わねど高楊枝、男は黙ってなんとやらと、人前で発言することすら恥ずかしさを覚えてしまうのだから、時として俺は日本人であることが恨めしくなるよ」

 小川の言うとおりである。真壁は頷いて見せた。

「アメリカにはディベートの授業があるそうだ。これは相手を言い負かすのが目的ではなく、オーディエンス、つまり討論を聴いている人を説得するための訓練らしい。

 ディベートのことを知ったとき、俺は衝撃を受けたね。口答えなどせず、素直であることが人間には必要で、そうあってこそ社会的評価を得られると思っていたのに、そんなことより、相手の言うことを分析し、第三者を納得させる表現力の方が大事だという教育を彼らは受けているんだ。しかも人前で発言するというのは、恥ずかしさを克服する訓練にもなっている。

 ところが、俺たちは全くディベートの訓練を受けていない。だから、話し相手が日本人ともなると、疑問を呈したり説明したりすれば、『言い訳している』と決めつけられ、決めつけられると大人しく引き下がってしまう。これでは、いつまで経っても素直でいる、つまり大人しくしているしかないわけだ。ここを乗り越えねば、どうあがいても沈黙し続けるしかなくなってしまうよ」

「そう言われても私は日本人なので、なかなかこれまでの意識は変えられませんよ」

 半ば同意しつつも、もどかしい思いを抱えて真壁は言った。素直であれ、恥を知れ、口答えするなと言われ続けてきた自分は確かにいる。しかし、本当の問題は、そこにあるとは思えない。 小川の話を聞いて、ようやく分かってきた。問題は自分が臆病だからだ。そうであれば、小川の話は、臆病心を克服する問題とは別次元である。山岸のような強面の人物を再び目の前にしたら、今の自分はかつてと同じように逃げ出すだろう。

「甘えていてはいかんよ。教師を辞めたときのトラウマがあるようだが、一生、反論が出来ない人間になり続けても君は良いのか。嘆いている暇があったら、もっと自分を訓練するべきだよ。今が君にとっての正念場なんじゃないのか」

 叱責にも似た小川のセリフは、真壁の心に訴えてくる。しかし、訓練しろと言われても、臆病な自分はどうしようもないと思う。いくらディベートの練習をしたところで、この問題を解決できるかは大いに疑問だった。



          8


 小川の部屋に入ってからすぐに個人的な話が続いたところで、二人は息を継いだ。おかわりのコーヒーをいれながら、妻帯者で二人の子供がいること、埼玉在住、年齢は三十八歳、まさに団塊の世代だと小川が言う。

 部屋のソファーに座り、雑談はしばらく続いた。小川は小説好きらしく、太平洋戦争中、軍の宣撫班としてフィリピンにいた尾崎士郎、大岡昇平、今日出海、火野葦平や、バターンの戦闘に砲兵として参加した野間宏、ルソン島南部で従軍していた石坂洋次郎らの話を楽しそうに話した。特に尾崎士郞については、小説「人生劇場・壮年篇」に「青成瓢吉」がフィリピンに登場し、哲学者三木清の話も書かれているらしい。フィリピンに従軍したアメリカの小説家にノーマン・メイラーがいるというのも、真壁には初耳だった。

「ところで、『漁港』の話だが、まだ追いかけているのなら悪いことは言わん、早めに手を引いた方がいい。というのは、実は、あのアンモニア冷凍法のスペックは、二年前に俺が仕込んだものなんだ。ところが、半年前にメーカーが『ホンエイ』に寝返ってしまった。信じられない話だったよ。君と会ったあの時は、漁港プロジェクトの部長へ相談しに行っていたんだ」

 小説家から話を変えた小川が、悔しそうな表情を浮かべた。スペックをメーカーのものにする仕掛けまでやらせておきながら、その商社を裏切ることなどあるのだろうか。

「あり得ない話ですね。この業界の仁義を無視してまで商社を乗り換えるなんてのは、異例中の異例ですよ。もしそんなメーカーだったら商社の信頼を失い、今後の商談が来なくなるでしょう。それとも、日本経済が発展して景気が良くなり、我々『御三家』のようにスキャンダラスな商社とは、そろそろ縁を切っておきたいということなんでしょうか。マルコス政権も、そろそろ二十年近くになりますからね」

 慰めの言葉にもならないと知りながら、意外な話には驚きを通り越して、同じ商社マンとしての義憤に真壁は駆り立てられた。

「老婆心ながら君に忠告しておくよ。実は、当社でも『ホンエイ』に報復することを考えていたのさ。もし入札に参加してきたら、PQ(ピーキュー=プレクオリフィケーション=事前資格審査)で奴らを失格させてやろうとね。しかし、余りにも危険だということで、取りやめになった」

 真壁の言葉が聞こえなかったかのように、深刻な顔を見せて小川が話を続けた。PQに合格することは、円借款の入札に参加するための条件になっている。

 余りにも危険だとはどういうことかと真壁は考えた。日本大使館を巻き込んで、円借入札から降りるように話を持ちかけてきた影山の顔が脳裏に浮かぶ。

「今回の異常な展開を怪しんだうちの本社からの情報によると、日本は今、政治家や学者を初めとして、宗教団体、暴力団まがいの組織までが、十年後の大結集を目指して動いているそうだ。十年後と言えば戦後五十年、太平洋戦争が終わってから半世紀になるわけだが、そんな十年後を見据えて動いているグループの中に影山の名前があるという本社の話だった」

 小川が真剣な顔を真壁に向けた。

「日本にはそんな政治的な動きがあるんですか。業界の慣例を無視してまで、小川さんが仕組んだ『漁港』案件を横取りするぐらいなら、よほど大きな勢力が動いているのは間違いありませんね。小川さんが『手を引け』というのも、今の話を聞いて分かるような気がします。

 というのは、先日、日本の国会で野党議員が『円借』疑惑の質問をしたことはご存知と思いますが、それ以降は何の動きもありません。野党もマスコミも、何らかの政治的な力で都合の良いように動かされているとしか思えませんね。そこまで出来るのであれば、彼らがメーカーを脅すなんてのは朝飯前でしょう」

 真壁の発言に小川が頷く。

「それにしても、そこまでしてフィリピンに乗り込んできたとなると、影山は何を狙っているんでしょうか」

 真壁は疑問を蒸し返した。

「残念ながら、それが分からないんだ。普通に考えれば、二年前にアキノ元上院議員が暗殺され、その後は軒並み入札が延期されているから、百億円の予算が付いた『漁港』は、大手商社といえども喉から手が出るほど欲しいのだろう。

 しかし、どう転んだところで、自分が作り上げた案件を俺は諦めたくない。そこで、何とか出来ないものかと『ホンエイ』の現地社員に裏で接触して調べたんだが、『漁港』のプロジェクトは『ホンエイ』のマニラ支店でさえも極秘扱いで、影山が机を置いている部屋には、ローカルスタッフはおろか日本人の支店長も近寄れないらしい」

 小川の言葉に、真壁は違和感を覚えた。それはリサのことである。暴風雨の夜、葬儀屋でリサと遭ったとき、彼女は影山の命令で駆けつけたと言っていた。となれば、彼女は影山の直属の部下ということになるが、彼女が普通のローカル社員なら、深夜の葬儀屋訪問を命令されるわけがない。

 疑問が湧いてきた。リサと最初に出会ったのは灌漑局の入札である。しかし、「ホンエイ商事」はどの品目にも応札していなかった。

 どれもこれもおかしな話だ。小川の情報が間違っているのか、それともリサは真壁に近づくために嘘をついているのだろうか。だとすれば、それは何のためなのか。

「小川さんの仰ることは分かりますが、とにかく、うちの部長から厳命されているんで、そう簡単に『漁港』からは引き下がれないんですよ」

 弁明するかのように、自分の置かれている状況を真壁は説明する。

 その時、玄関で気の抜けた火災報知器のような音がした。訪問客を知らせるベルである。長井が到着したようだ。



          9


「ご無沙汰しています。忙しくて連絡も出来ませんでした」

 長井が入ってくるや、何度か頭を下げて真壁は詫びを入れた。

「いやいや、こちらこそ先日はありがとう」

 真壁の作った市街戦の時系列表を、挟んでいた手帳から取り出すと、うやうやしく長井が差し出し、藪から棒に話し始めた。

「先日もらった君の資料、ほらっ、マニラ市街戦の時系列だ。これを見ると、元上官と俺の親父が脱出したのは、岩淵少将から組織的脱出中止を告げられた直後、つまり二月十八日深夜から翌朝にかけてのことだと分かる。絶望的になった兵がバラバラになって逃げ出し始め、元上官も俺の親父と一緒に脱出したものの、途中ではぐれてしまったというのは、まさにこの時だろう。もっとも、潜水艦乗りだった俺の親父が、なぜ市街戦に参加していたのかは今以て謎なんだが……」

 父親の最後を追いかけてきた長井であれば、真壁の年表がなくても、かなりの勉強をしてきた彼には父親の脱出した日は分かっていたはずだ。にもかかわらず嬉しそうな様子が見えるのは、マニラ市街戦に興味を持つ仲間がいることへの親近感なのだろう。

 時系列表を眺めながら岩淵少将のことに三人の話が及ぶと、真壁は落ち込んだ気分になった。「マニラ海軍陸戦隊」司令官宛てに次々と送られてくる海軍上層部からの電報による圧力、それに応えようとしてしまう人間の弱さ。どれもこれも『東比』社内の自分の姿を彷彿とさせるのだ。

「どうしたんだい。憂鬱そうな顔をしているじゃないか」

 小川との話を引きずっている真壁の様子に気がついたのか、長井が声をかけた。

「彼はトラウマを抱えているんですよ」

 すかさず小川が反応し、今しがた話したばかりの、真壁が教師を辞めた五年前の顛末を細かく説明した。

「トラウマにも種類があるが、五年前からとなると深刻だな。下手をすると、一生引きずることになるかもしれんぞ」

 考え込むような表情を長井が見せる。

「実は、俺にも似たようなトラウマ体験があるんだ。何とか俺は抜け出せたが、その前に何が君のトラウマになっているのか明確にしておこうじゃないか」

 長井が真壁の顔を見据えた。

「相手の男に怯えてしまい反論できなかったこと、自分の知識が役に立たなかったこと、教師としての自信を失ったこと……といったことですかね」

「随分と思い当たる節があるんだな。しかし、本当にそういうことなのかい。まだ曖昧にしか捉えていないように思えるんだが」

 長井から問い直されて、真壁は言葉を返せなかった。この場に及んでも、まだ己の臆病さを認められないのだ。



          10


 一分、二分と時間が過ぎていく。長井に見つめられているのを感じる。

「俺の経験を話そう。まだ記者として駆け出しの頃、その筋の事務所に連れ込まれたことがあるんだ。俺の書いた記事にいちゃもんを付けてきたんだが、その時は本当に殺されると思ったよ。運が良かったのは、奴らが事務所に二人しかいなかったことで、俺は隙を見て逃げ出したんだ。しかし、その後、どうなったと思う。逃げる道すがら、俺は強い後悔に捕らわれた。こんな弱虫では仕事を続けられない、ジャーナリズムから足を洗うべきではないかと悩み始めたのさ。なぜそこまで悩まねばならないのか、立ち止まって俺は考えた。結論は簡単だ。逃げ出したからだよ」

 確信に満ちた長井の口調であった。

 真壁は胸騒ぎを感じる。「逃げ出した」という言葉だ。

「しかし、逃げるなと言う方が無理な話ではないのですか。実際、恐怖心に捕らわれて長井さんも逃げ出したんでしょ」

 言葉性急に真壁は異を挟んだ。長井の経験談であるのに、まるで自分がけなされているように感じたせいである。長井の恐怖に比べたら、職員室で山岸に詰め寄られた恐怖など取るに足らない。それなのに自分は逃げ出したとなると、臆病にもほどがある。痛いところを突かれた、全人格を否定されたようように思えた。

「君の気持ちは分かる。でもなぁ、逃げたからこそ恥ずかしさや屈辱感が生まれ、引きずることになるんだよ。泣いたって良い、言い争いに負けても殴られても良いと覚悟を決め、俺の場合、直ぐに奴らの事務所に引き返した。それから彼らの話に真摯に耳を傾け、俺は自分の意見を主張し続けた。するとどうなったと思う。根負けしたのか、俺の図々しさに呆れたのか、『もう帰れ』と言われたよ。まぁ、運が良かっただけなのかもしれんがね」

「しかし、仮に恐怖心に打ち勝ってその場に留まったとしても、私はどうすれば良かったんですか」

 長井の体験が自分の切実な問題と重なり、なおも真壁は語気荒く食い下がった。恐怖心に打ち勝つことなど簡単にできるものではない。長井の言葉は机上の空論のように思える。

「おいおい、今言ったのは、あくまでも俺の体験から得た考えだ。君を責めているわけではないし、俺と同じように考えろと強要するつもりもないよ」

 興奮気味な真壁に驚いたのか、軽く釈明してから長井は話を続けた。

「逃げ出さずにどうするか、君の疑問は当然だ。しかし、他に考えようがあったんじゃないのか。周囲に何人も人がいたんだろ。立派な証人じゃないか。もし暴力の恐怖心に捕らわれ逃げ出したというのなら、殴られたらこっちのもんだと考えてもよかったんだよ。なぜなら相手を暴行罪で訴えれば裁判に勝てるし、土下座しろというのなら、それは強要罪になるし、もっと罪の重い侮辱罪で訴えることも出来る。

 もし暴力に怯えたのではないとすると、逃げたのは他人の目の前で言い争いに負ける恥ずかしさからではなかったのかね。もしそうなら、逃げ出す前に君は考えるべきだった。言い争いに負けることと逃げ出すことと、どちらが恥ずかしいのかとね。

 そもそも、言い争いには勝つも負けるもないんだ。言い争いと言っても、相手の主張を君は聞き、君は自分の主張をするだけのことと考えられないかね。その場合、相手の威圧的な態度にいたずらに怯むのではなく、誠心誠意、相手の主張を聞き、君は正々堂々と自分の主張をするんだ。その結果、仮に君の主張が相手や周囲に理解されなくても、人間が分かり合えることなどないことはみんな知っている。だから、内心は負けたと思っても君は恥じる必要などないんだ。むしろ君が堂々としていれば、そんな態度に周囲は感心してくれるよ」

 長井の言葉には、真壁への思いやりが感じられた。

 五年前の出来事をあらためて思い浮かべ、長井の考えをかみしめるようにしていると、自分の勉強不足を真壁は感じる。法知識のなさ、人間への狭い見方が確かに自分にはあった。

 長井の言葉に共感しつつも、それでも疑問に思うのは、いざとなったら本当に恐怖心を克服できるのか、自分は主張を貫けるのか、正々堂々と振る舞えるかである。

「私は根っからの臆病者なんですよ。何をどうしたところで臆病心に捕らわれ、負けてしまうんです」

 真壁は投げやりな言葉を長井に返した。「東比」に入社してからも改まらない、部長や支店長への不甲斐ない自分の姿が思い浮かんでいる。

「諦めないで欲しいな。どんな人にも臆病心はある。それでも正々堂々と振る舞う人がいるのは確かなんだ。だったら、そこから学ぶべきじゃないかね。そうすれば、少しは臆病心を克服する材料が見えてくるかもしれないぜ」

 やんわりと長井から説得され、聞き分けのない言葉を発した自分を真壁は後悔する。見放されても当然な状況でありながら、長井の優しい言葉が真壁の琴線に触れた。



     第八章


          1


 十月三十一日の木曜日、本社への業務報告書をまとめて真壁は事務所に残っていた。時刻は午後八時になっており、空腹を感じている。

 誰もいない事務所に電話がかかってきた。こんな時間に誰が、きっと間違い電話だろうと思いながら受話器を取ると、

「カウンセラー(市議会議員)が、すぐ自宅に来てくれと言ってるわ。今夜は事情があって、裏口から入ってね」

 ケソン市議会議員の秘書と名乗る女性からの電話であった。市議会議員とは何者なのか、何の目的で来いというのか、真壁にはさっぱりわからなかったが、重要人物らしいことが感じられる。相手が誰かを問い質していたのでは、支店長代理の資格が疑われると思い、さもすべては承知している風を装い、面談時間と場所だけを確認して電話を切った。

指示に従い車を走らせると、市議会議員の自宅は、樹木の生い茂るフィリピン国立大学の裏手にあった。近くには、小綺麗な「聖イグレシア教会」がある。緑の屋根と白い壁が、場違いな印象を与える建物だ。

市議会議員の家はすぐに見つかった。ケソン市のタンダンソラ通り沿いにある、ひときわ大きな邸宅だったからだ。貧しい国民が大半のこの国で、これだけの私邸を持っているのは、かなりあくどい仕事をしているのだと想像がつく。

通りの反対側でエンジンを止め、車の窓越しに真壁は様子を窺った。表道路に面して、幅が二十メートルもあろうかと思われる鉄製の正面ゲートは閉められている。よほどの厳戒態勢なのか、太い鉄製の鎖が何重にも巻きつけられていた。夜の闇を通して、二階建て豪邸の屋根が見える。

車を降りると、高温多湿の夜気に包まれた。今頃の日本ならば爽やかな夜風に吹かれるところだろうが、乾季といっても雨が降らないだけで、マニラの夜は蒸し暑い。

敷地を取り囲む高い塀をぐるりと回り、秘書に言われたように真壁は裏口を探した。塀の周囲には、葉の生い茂る木々が整然と植えられている。

「ホールドアップ(手を上げろ)」

 突然、暗闇に包まれた木陰から大声が聞こえた瞬間、飛び出してきた数人の男に真壁は取り囲まれた。

「うぐっ」

 痛さのあまり真壁は呻き声を出した。真壁の腹や背骨に、鉄の棒が力任せに突きつけられたのだ。数丁の自動小銃やショットガンが押し当てられているのを、瞬時にして真壁は悟った。いつ発砲されるのか、蒸し暑さが一瞬にして吹き飛び、真壁は小便を漏らしそうになる。

 初めは強盗かと思ったが、男たちは議員の私兵であった。「十二月十一日告示、来年二月七日投票」の案が国会で承認されており、相手陣営がまとまらぬうちに投票へ持ち込んだ方が有利とみれば投票日は早まるかもしれず、実質的な大統領選挙戦は既に始まっていることから、対立する陣営の襲撃に備えているのだ。既に、相手陣営に手榴弾を投げ込んだり、双方の地方幹部を銃撃する事件が起きていた。

 大慌てで真壁が議員から呼ばれた旨を伝えると、一人の兵隊が腰に差していた携帯無線機を通じて確認され、邸宅に入る許しを得た。



          2


 裏木戸から中へ入ると、緑の芝生が広がっている。その中央には白いブランコがあり、背の低い、五十代後半と思われる小太りの老人が、中学生ほどの少年を乗せてブランコを揺すっていた。議員はどこかと真壁が老人に訊ねると、自分が市議会議員のアンドレスだと名乗る。

「まだ『漁港』を追いかけているのか」

 意外な言葉から話が始まった。真壁が頷く。

「藤原に伝えていたはずだぞ。不払いを続けるなら、今後、円借入札から『東比』を外すとな」

 呆れた表情を市議会議員が真壁に向けた。

 そういうことだったのかと、真壁の疑問は氷解した。「漁港」に対する藤原の煮え切らぬ態度は、不払いの問題が深刻であることを隠していたためなのだ。

 怒りがこみ上げてきた。不払いの問題で「東比」が三社から外されるとなれば、「東比」にとっては死活問題であり、当然にも藤原の報告を栗山部長は受けているはずである。にもかかわらず、情報が足りない、帰国させるだなんのと部長が真壁を「漁港」に追い立てていたのは、深刻な問題を真壁に気付かれないようにするためだったのだと思わざるを得ない。

「いつ支払いがあるんだ」

 思案げな真壁の様子に苛立ったのか、ブランコから手を放し、いきなり、市議会議員が大きな声を出した。胡散臭そうな眼付をして真壁を睨んでいる。

 ようやく、老人が何者であるか真壁は理解した。彼が大統領と「御三家」を繋ぐ、円借款のフィクサーなのである。支払いとは、かつて支店長から聞いた大統領への未払い金のことなのだ。胡散臭そうな視線を向けるのは、大統領と「東比」の板挟みになっているからであろう。

「申し訳ありません。大至急、本社へ連絡を取ります。しばらく時間を頂きたいのですが」

 真壁の言える、精いっぱいの答えであった。

「そんな返事は、もう藤原から聞いている。俺は大統領から何度も呼び出され、怒鳴られているんだ。このままでは選挙が終わってしまうぞ。いつ迄ぐすぐずしているんだ。

 いいか、不払いはお前の会社だけだ。しかも、第九次の円借款から支払われていない。四年前からだぞ。船積みはとっくに終わっているはずだ。これ以上、時間の猶予があると思うなよ」

 真壁に指を突きつけて、市議会議員が怒鳴り声を出した。いつから、いくら支払われていないのか具体的な内容を知らない真壁は、済みませんとばかりに黙って頷くだけである。



          3


 怒りを静めることなく、更にフィクサーは声を荒げて話し続けた。

「俺を甘く見ているのではないだろうな。俺の母親は、『ベイビューホテル』で、四十年前に殺されているんだ。まだ三十歳にもなっていない若さなのに、あの市街戦の最中、日本兵に陵辱された挙げ句にな。それだけではない。親父も兄貴も、家族八人が皆、市街戦で日本人に殺されているんだ。

 女房や三人の子供を殺されても、キリノ大統領は日本人死刑囚に恩赦を与えた。だがな、俺も敬虔なクリスチャンだが、お人好しの馬鹿ではない。日本人の百人や千人を殺しても、飽き足りないんだ。

 いいか、よく聞け。四日間の猶予をやる。来週の月曜日に、具体的な支払い日と金額を俺に連絡しろ。もし回答がなければ、俺は自分の責任を果たさなければならん。日本人への個人的な恨みと共にな。これでやっと、正々堂々と母親に代わって日本人への復讐が出来るってもんだ」

 フィクサーを裏稼業とする人物だけあって、憎々しげに喚くその顔と声には凄味があった。薄暗い庭で、庭園灯に照らされた市議会議員の顔が黒光りしている。

(奴は本当に俺を殺すつもりだ。しかし、とんだとばっちりじゃないか。何で俺が市街戦の罪を背負わねばならんのだ)

 真壁は心底から恐怖を覚えた。この市議会議員もマニラ市街戦の被害者なのだ。今日のマニラに住む人々は大半が古くからの住民であり、行き交うフィリピン人のほとんどが市街戦の被害者であり、胸の内では日本人への憎しみを潜めているのを自分が気がつかなかったとは、迂闊としか言いようがない。

(それにしても、このフィクサーの脅しは、山岸の脅しとは大違いだ)

 長井から言われたことを、場違いにも真壁は思い出していた。今更ではあるものの、山岸の脅しなどは児戯に等しいものだったと実感せざるを得ない。

「俺が何を言っているか、分からないとは言わせないぞ。俺は大統領から裏の仕事を任されている男だ。かなり手荒な真似もしなければならん。いいか、もう一度言う。遅くとも月曜日には回答しろ。さもないと、この街のどこかで、お前の死体が転がることになる。これが『東比』への最後通告だ」

 真壁の怯えを見透かすように、市議会議員が言葉を継いだ。

 実質的な選挙戦は、既に終盤を迎えている。インフレになると噂されるほどの金を、今回の大統領選挙にマルコスはばらまいているらしい。そんな状況でのフィクサーともなれば、集金人としてマルコス大統領の信頼に応えねばならず、しかも個人的な恨み、母親の敵討ちである真壁は日本人だ。なりふり構わぬ行動に出るのは間違いない。

 クリークと呼ばれる市内のドブ川の底やロハス通り沿いのマニラ湾岸で、野次馬に紛れてこれまで何度か真壁は死体を目撃している。後ろ腕を縛られ、青黒く膨れ上がった上半身裸の死体は忘れられるものではない。真壁の体に悪寒が走った。



          4


 足早にフィクサーの邸宅を退散してから、真壁は支店に戻って至急のテレックスを本社に入れた。テレックスを利用したのは、導入して間のないファックスには確実に相手へ届く実感がなく、間違った宛先に機密事項を送信してしまう恐れがあったからだ。

 テレックスを出し終えた直後、事態を報告するために真壁は藤原に電話をかけた。今夜は、ネグロス島の州都バコロド市の「シュガーケイン・ホテル」に宿泊予定となっている。時間は午前零時近くになっていた。

「こんなに夜遅く、何の用だ」

 一分近くも呼び出し音を鳴らして、ようやく藤原が電話に出てきた。不機嫌な声が聞こえる。 真壁が市議会議員の話を伝えると、

「こっちは大変なんだよ。明日は朝早くからフェリーでパナイ島に渡り、州知事と会うんだ。市議会議員から呼び出されたことを本社に報告したのなら、それで全てじゃないか。俺に何をしろって言うんだ」

 けんもほろろな藤原の言い草である。我関せずといった藤原の態度に、真壁は腹が立った。

「未払いの問題を、なぜ引き継いでくれなかったんですか。第九次の円借から支払われていない、四年前からだと、市議会議員は本気で怒っているんですよ」

 真壁は食い下がった。いつもであれば藤原の威勢に押されて黙り込んでしまうところだが、今夜ばかりは真壁にも躊躇はない。脅された興奮が体に残っており、怒りが収まらないのだ。

「未払いの問題があることは、ロドリゲス副大臣に会った後、『ブラケニア』で話しただろ。引き継いでいないなどと、でたらめを言うな。いいか、お前が今は『東比貿易』マニラ支店の代表なんだ。マニラにいるお前が問題を解決する立場にいるんだよ。責任を転嫁するな」

 突然、電話が切れた。癇癪を起こした藤原が、受話器を叩きつけたようである。

 藤原の取り乱し様は滑稽であった。いつもの居丈高な態度がどこへ行ったのかと思うと、真壁には不思議と笑いがこみ上げてくる。

(支店長は逃げている。後ろめたさが隠しきれず、電話を切ったのだ。厄介な問題を俺が報告したので、ついつい苛ついたのに違いない)

 藤原の慌てた態度が、何度も真壁の胸に蘇った。

 今は真壁が支店の代表だと言う藤原の言葉が、心に引っかかる。大統領への未払いは、会社にとって深刻な問題だ。しかし、いくら支店長代理とはいえ、新米駐在員が扱えるものでないことは、誰にでも分かる道理ではないだろうか。

 文句の一つも言いたくなる。それは藤原が部下の身を案じないことだ。色々と口うるさい藤原だが、これほどの苦境にある真壁に、労いや励ましの言葉が言えないものだろうか。

 藤原を国内空港へ送った時の光景が蘇った。いつもとは違う、不自然に優しい言葉が耳に残っている。あの時、藤原は真壁の命が危ないことを、確信していたのではなかろうか。大統領選挙を間近に控えた大統領が、本気になって支払いの催促に乗り出すことは明らかだったのだ。

 もしかすると、栗山部長と藤原支店長は、共謀して真壁をマニラへ残すように仕向けているのではなかろうか。しかし、裏付けとなる証拠はない。どこかモヤモヤしたものが、真壁の胸に残り続けた。空きっ腹がじわじわとこみ上げてくる。

 翌日の十一月一日金曜日、本社の始業時間を見計らって、朝八時に国際電話を入れた。真壁の送ったテレックスを読んだかどうか、栗山部長へ確認するためである。しかし、返ってきたのは、「社長と相談する」という素っ気ない言葉だけだった。



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 フィクサーに呼び出された三日後の十一月三日、日曜日の昼前だった。宿舎の居間にある電話が鳴り響いている。夜はエアコンを使わない真壁は、睡眠不足と汗だらけの首筋を疎ましく思いながらベッドから飛び起きた。

 既に太陽は空高く上がっているが、休日ということでぐっすり寝込んでいたため、真壁の頭は朦朧としている。

「大変な事件が起きたぞ。『キドニー・センター』の、バッカイ医師が惨殺されたんだ」

 長井からの電話だった。何のことやら、自分とどんな関係があってわざわざ電話をよこしたのか、真壁には見当がつかない。

「バッカイ医師とは何者ですか」

 寝ぼけ眼のまま真壁は質問した。

「バッカイはマルコスの主治医の一人だ。愛称は『マイク』、名前はポテンシアノ・バッカイ、英語読みではバッケイとでも発音するんだろうが、彼の惨殺死体が車の中で見つかったんだよ。殺されたのは二日前の早朝で、モンテンルパの自宅から連れ去られていたそうだ。家族の話によれば、犯人は五人組で、どうやら軍人らしいのさ。

 大統領の主治医であることを承知で犯人が殺害したとなれば、問題になるのはその動機だが、どうやらバッカイ医師は、アメリカの情報機関にマルコスの病状を漏らしていたらしい。マルコスの取り巻きにとっては一大事だ。なにしろ、大統領の余命が知られたら、選挙を前にして国民の支持を失い、アメリカもマルコスを見捨てるだろうからな。それだからこそ、これ以上、他の医師が余計なことを喋らないよう牽制するために、数十箇所をナイフで切り刻んで殺すという残酷な殺し方をしたんだろう」

 長井が早口でまくし立てた。

「それでわざわざ電話を頂いたのは、私と何か関係があるのでしょうか」

 眠気が去らずもう一眠りしたかった真壁は、しびれを切らして問いかけた。

「大ありだよ。君の会社は大統領に未払いの問題があるそうじゃないか。次は君がやられるかもしれんぞ」

 ようやく長井の電話をしてきた理由が分かった。真壁の身が危ないことを知らせる電話だったのだ。

「未払いの問題は、どこからの情報ですか」

 意外な話の展開に真壁は驚いた。まさに部外者とも言える長井に、「東比」の極秘事項が漏れているのだ。

「それは言えない、情報源の秘匿はジャーナリストの義務だ、と言いたいところだが、特別に教えておくよ。例の影山からだ。とにかく、くれぐれも用心してくれ」

 長井の話が終わったところで、忠告への礼を言って真壁は電話を切った。

 真壁は動揺している。確かに、医師惨殺事件どころではない。自分の身に危機が刻々と迫っているのを感じる。やられるときには、あっという間に拳銃や自動小銃で撃たれて死ぬのだとばかり思っていたが、何十億円もの金が絡んだ大統領の怒りとなれば、「東比」本社への見せしめとして、また大統領への忠誠の証として、どれほど残虐な指示を市議会議員が私兵を使って企んでいるのか、想像するのも恐ろしかった。

 それにしても、なぜ影山は未払いのことを知っているのか気にかかる。社員の自分ですら、最近になって知ったことなのだ。恐らく同業他社からなのであろうが、それにしても気になるところであった。

 事態は急を告げている。すっかり眠気の覚めた真壁は、気を落ち着かせて何をなすべきか考え始めた。妙なもので、まず考えたのは、自分の命よりも本社への報告である。駐在員としての義務を考えてしまうのだ。

 医師の口封じをするということは、想像以上に大統領の腎臓が悪いことを証明したようなものである。二十年続いたマルコス政権の終焉が確実に近づいている証拠だ。これまで大統領の腎臓病は世間の噂程度のことであったが、主治医殺害の真相が報道されたら、国民は一気にマルコスを見放すだろう。

 マルコス体制が崩壊寸前だと真壁が思うのは、他にも根拠があった。一週間前に、国軍参謀本部の大佐や将校十数名がアメリカへ亡命したと、ベール参謀総長派の将校が真壁に漏らしていたからである。「国家に忠誠を誓う軍人が、亡命するとはけしからん」とその将校は怒っていたが、医師殺害事件より前に、既にマルコス体制は内部から崩壊しつつあるのだ。

 顔を洗い終えると、真壁は知り合いの改革派将校に電話を入れた。長井の話の裏を取るためである。

「『マイク』の話は聞いているよ。警察発表では強盗に襲われたそうだが、全くの嘘っぱちさ。貴重品が車に残されていたり、百カ所以上も刺されていたり、その上、ご丁寧にも眼球をえぐり出されていたというのだから、物盗りではあり得ない。拷問を受けて殺されたのさ。どこまで『マイク』がCIA(アメリカ中央情報局)に大統領の病状を話したのか、白状させたかったのだろう。

 滑稽なのは、モンテンルパ地区の警察署長が、でたらめな発表を堂々としていることさ。署長はベール将軍子飼いの准将だから、自分たちがやりましたと白状しているようなもんだよ」

 改革派将校の話を聞いているうちに、真壁は気分が悪くなった。百カ所以上を刺され、目玉をえぐり取られる自分の姿を想像すると、吐き気すらしてくる。戦前の日本で起きた二・二六事件の惨殺の話は長井から聞いていたものの、それだけではなく、フィリピンで殺されるというのは、拷問されるというのは、こういうことなのかと実感したのだ。



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 フィクサーから回答を要求されている十一月四日、月曜日の朝が来た。

 寝つかれずにいつもより早く真壁が出勤すると、事務所の入り口に段ボール箱が置かれていた。蓋は封をされておらず、送り主の心当たりもない。心なしか異様な匂いが、空中に漂っている。

 爆弾かもしれず、恐る恐る蓋を開くと鶏の死骸があった。一瞬にして生臭さが鼻をつく。鶏の首はなく、箱の中は血まみれだ。

(厭味な奴だ。こんな脅しで支払いの催促を、ダメ押しするつもりなのか)

 血みどろになって横たわる鶏の死骸を見た瞬間、市議会議員の顔が浮かんだ。四日前の夜、真壁に凄んで見せた顔である。バッカイ医師惨殺の一件も脳裏に蘇った。

 そのまま入り口に置いておくわけにはいかず、段ボール箱を支店長室に持ち込んだ後、従業員が出社してくるまでの間、真壁は考えていた。

 思い起こすことがある。ちょうど一週間前、一通の封筒が届き、中にバタフライナイフが入っていた。バタフライナイフはバリソンとも呼ばれ、タガログ語で蝶の意味を持つ。折りたたみ式になっており、よく土産物屋でお目にかかる代物だった。華奢な作りのため、殺傷能力は感じられない。その時は何の心配もなく、ただのいたずらだと思っていたが、今から思えば市議会議員の脅しであり、きちんと本社へ報告していれば、その分だけ早く本社の対応を促せたかもしれない。

 報告しなかったのは、「ナイフが送られてきたぐらいで、何を怖がっているんだ」と怒鳴られるのが厭だったからだが、これだけ怯える事態になるのだったら、格好などつけずに報告しておけば良かったと、つくづく自分の判断の甘さを思い知らされる。

 九時の出勤時間になり、秘書のテシーが顔を出した。詳しい事情は話さず、ただのいたずらだと説明して鶏の死骸の処分を頼んだ。秘書はまだ二十五歳だが、顔色ひとつ変えずに真壁の指示に従ってくれた。この程度のことなら、中近東へ出稼ぎに出ている恋人を辛抱強く待つ彼女には、朝飯前の仕事なのであろうか。



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 十時頃、「漁港」建設予定地のひとつであるスアル漁港の代表と名乗る三人の男が、「東比」の支店に現れた。三人とも小太りの中年男で、Tシャツにジーンズといった軽装である。

「入札の妨害をしているそうだな」

 真壁が応接室のソファーにつくと、ふんぞり返っていた一人が体を起こし、ジーンズの後ろポケットに手を突っ込んだ。何をするのかと真壁が思っていると、重そうな鉄の塊の音を響かせて、テーブルの上に拳銃を置いた。

 おかしなもので、つい先日、市議会議員の邸宅裏で自動小銃やショットガンを突きつけられていたためか、拳銃への真壁の反応は弱かった。怯えはするものの、もう小便を漏らしそうになるほどの恐怖はない。

 フィリピンでは、拳銃が普及している。秘書のテシーですら、護身用の小型拳銃を持っていた。 あるとき、拳銃を持っている理由を訊いたことがある。秘書が言うには、かつてマカティで強盗に襲われたが、近くにいた警官は見て見ぬふりをしていたそうだ。警官と強盗がつるんでいたに違いなく、自分の身は自分で守らなければと考えるようになったそうである。

 そんな社会状況から銃砲店は市内各所にあり、拳銃は合法的に売られている。商売で現金を持ち運ぶからといった程度の理由をつけて警察へ申請すれば、簡単に所持許可も取れるらしい。許可が下りないのは外国人だけで、不法所持は重罪だった。大使館から特別な申請があれば、外国人でも所持は可能なのだが、商社の人間に大使館がお墨付きをくれるはずはない。

 目の前に置かれた拳銃を前に怯えているわけにはいかず、さてどう応対するかと真壁が思案していると、秘書が応接室へ入ってきた。

「事務所の入り口に、見張りが一人立っているわ」

 秘書が真壁の耳許で囁く。

 わざわざ秘書が入ってきたのは、非常事態を知らせるためだと真壁は判断した。出入り口に見張りが立つのは、普通なら周囲の目、通報を警戒するためだろうが、人気のない事務所の外であれば、そんな必要はない。獲物を逃さないためなのだ。彼らが本気だと言うことになる。

 真壁の目の前には、テーブルを挟んで三人の男がいた。一人がテーブルを乗り越え、羽交い締めにでもされれば、後は銃弾を頭に撃ち込まれるだけだろう。この場は、何としてでも切り抜けねばならない。

「先日、マルコス大統領に会いましたよ」

 真壁は大ボラを吹いた。口から出任せとは、このことである。こうなれば、相手を脅すしかない。

「握手をしながら、『漁港』のことも頼んでおきました。サイトが四カ所から二カ所に縮小される案があるので、スアルを残すように私が頼むと、大統領は確約してくれて、おまけに困ったことがあったらいつでも来いと言ってくれましたよ」

 我ながら嘘臭さ丸出しの話であるが、これぐらいのことを言わなければ脅しにはならない。案の定、男達は目を丸くして顔を見合わせている。真壁は漁港の妨害をしていない、それどころか、妙な真似をすれば、大統領の怒りをかうと伝わっているようであった。

「ところで、ミスター・カゲヤマを知っていますか。最近、会っていないので、近いうちに食事でもしましょうと伝えて下さい」

 真壁の頭には、影山の影がちらついている。「東比」が入札の妨害をしているという情報など、入札延期の実情を知るプロジェクト事務所から出るはずはなく、誰かが吹き込んでいるとしか考えられないからだ。

「カゲヤマというのは知らないな。まあ、今日はあんたに頼みにきただけだ。ところで、言いにくいんだが、帰りのガソリン代がなくなっちまって、少し助けてもらえないか」

 親分格の男が真壁の目を覗き込んだ。とぼけている様子が見え見えだが、影山の存在を打ち消すかのように、自分の小遣いの話に話題を変えた。フィリピンのガソリンは日本の三分の一の値段だが、他の物価が十分の一ほどからすると高いと言える。金をせびる口実としては、ガソリン代は効果的なのだ。

 結局、一人頭千ペソを渡すと、入って来たときの張り詰めた雰囲気とはうって変わり、嬉しそうな表情を浮かべて三人は事務所から出て行った。



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 その日の午後三時、真壁は本社へ電話を入れた。回答の約束は今日中であり、時間が迫っている。なんとしてでも、支払日と金額の確約を部長からもらわねばならない。

 マッカイ医師惨殺の件も報告したが、栗山部長の返事は納得できないものだった。惨殺事件は関係ない、支払いは準備しているので待たせておけと言うのだ。

「僅かな金額でも良いのです。いつ、いくら払うのか教えて下さい。市議会議員は焦っているんですよ」

 何の進展もない部長の言葉に苛つきながら、真壁は頼み込んだ。選挙の日程が決まったことは、米ABC放送局とのインタビューで、大統領自身が語るのをニュースで聞いたばかりである。

「そんなことで、一人前の商売人と言えるか。フィクサーだろうが何だろうが、一年や二年待たせるくらいの交渉をしてみろ。駐在員の仕事を何だと思っているんだ」

 部長の罵声が聞こえた。こちらは切羽詰まっているというのに、真壁の恐怖心は全く通じていない。

 返す言葉が出てこなかった。もどかしくてならない。部長への怒りは最高潮なのに、逆に自分の不甲斐なさを思い知らされてしまう。

(やはり俺は臆病者だ。部長に何も言えない。情けないにもほどがある。俺のような平社員が、大統領のフィクサーを説得することなど出来るわけがないだろ)

 真壁は無気力状態に陥った。茫然自失とはこのことである。

 返事がないのを真壁が納得したと判断したのか、部長の電話が切れた。 

 電話機を前に一時間余りも机に座り、己の弱さを嘆いているうちに、このままではどうにもならないことに気がつき、やはり自分がいけなかったのかと、いつもの臆病な自分に立ち戻る。

(確かに、部長の言うことにも一理はある。不払いの具体的な話を知らなかったので、フィクサーとは交渉と言えるほどの仕事をしていない。怒り出したフィクサーを前に、交渉するよりも恐怖心が先に立ってしまったのは事実なのだ。やはり、俺は腰抜けなのか)

 真壁は大きな溜息をついた。



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 為す術もなく二日間を過ごし、十一月六日、水曜日の朝早く真壁は出勤した。

「大変よ。こっちへ来て」

 真壁より早く出勤していた秘書が真壁の腕を引っ張り、支店長室へ導いた。部屋の中には、黒塗りの棺桶が置かれている。どうしたのかと訊くと、今朝、秘書が出勤すると支店の入り口に置かれていたので、従業員の目に触れる前に支店長室に運び入れたと言う。

いよいよ来たなと真壁は覚悟した。フィクサーと約束した日の夜遅く、市議会議員へ電話をかけ、本社から連絡がない旨を伝えると、いきなり電話を切られた。いつ何が起きても不思議ではない雰囲気に真壁は包まれている。

目の前の黒い棺桶を見つめていると、本社の対応に強い不信が湧き上がった。

不信は疑惑を呼ぶ。

こんな大変な時期に、なぜ本社は藤原支店長をマニラへ戻らせないのだろうか。

中途入社組の自分は、能力を認められたから駐在員に抜擢されたのではなく、支払いが強く要求される、この危険な大統領選挙の時期に合わせて送られてきたのではないのか。つまるところ、自分はスケープゴート(生け贄)にさせられているだけではないのか。

思えば、大統領の腹心と言われるロドリゲス副大臣との面談に連れて行かれたのも、真壁が「東比」の駐在員であり、もしもの時には真壁を狙うように示唆するためだったのではないだろうか。

 日本へ逃げ帰ることが頭を掠める。しかし、この期に及び帰国を求めれば、任務放棄と見なされて解雇されるだろう。己の弱さを克服しようと努力してきた五年間が、一瞬にして無に帰することになる。おいそれと逃げ出すことは出来なかった。

 どうしたら良いのか。「東比」本社への不信をそのままに、真壁は自衛策を考えた。まず通勤の道筋を変えることだ。次に従業員を帯同することもやめようと思った。襲撃された際の巻き添えにしたくないからである。

 ケソン市の釜飯屋で昼飯を食べ終えると、不安のためにいても立ってもいられず、秘書に教えてもらったエドサ大通りの銃砲店を訪ねた。

 ショーケースには様々な拳銃が陳列されている。イギリスのスパイ映画に出てくる三十八口径のワルサーPPK、しかも新品の拳銃が一万ペソ(邦貨にして十万円ほど)で売られていた。

「アメリカでは千ドルで売られているから、ここで一万ペソは安すぎるくらいだ」と店主はしきりに購入を勧める。本当に千ドルで売られているのか信用できず、しかもドルとペソの換算が即座に計算できず、真壁は購入を迷った。沢山の拳銃を目の前にして、かなり頭が混乱しているらしい。

 外国人の拳銃所持は法的に禁止されている。しかし、万事金次第のお国柄であり、店主と交渉すれば外国人と明かしても購入できるのは間違いない。とにもかくにも事態は深刻であり、正当防衛が主張できる場面での拳銃使用なら、不法所持であっても罪には問われないはずだ。

 ショーケースから持ち出したワルサー拳銃を、店主が真壁に握らせた。生まれて初めて手にする拳銃はずしりと重く、なぜか異様な興奮に襲われる。

 購入するか迷っていると、拳銃を使う自分の姿が頭に浮かんできた。飛び道具の生死は、どちらが先に撃つかで決まる。相手が撃つのを確かめてから撃つなどはあり得ない。

 迷えば迷うほど、じわじわと生理的な拒否反応が出てくる。いつまで経っても、拳銃への嫌悪感は拭えず、結局、拳銃を入手せずに真壁は銃砲店を後にした。




   第九章


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 棺桶が送られてきたことは既に本社へ報告しているものの、相変わらず支払いへの返事はない。催促したいのはやまやまだが、真壁を責める部長の言い草は分かりきっている。

 十一月八日、部長から電話がかかってきた。この間、不払いでの真壁の催促が疎ましいのか、向こうから電話がかかってくるのは珍しい。

 やっと支払いの返事が来た、これで殺されずに済むと、部長の声を耳にして真壁は嬉しくなる。ところが、部長の話は意外なものだった。マルコス後の商権を確保しろと言うのだ。

 不払い問題をそのままに、今更何を言い出すのかと真壁は不満だったが、命令となれば仕方がない。

 部長の説明は次のようなものだった。話の根拠は、全て真壁が以前に報告したものである。

 1.大統領選挙の日程は、来年二月五日選挙運動最終日、七日投票に変更されているが、既に十月二十二日、百万人の支持を条件に、故アキノ氏未亡人は立候補表明をしている。

2.野党の大統領候補は分裂しており、「ラバン(国民の力)」がアキノ氏を、「UNIDO(民主野党連合)」がラウレル氏を擁立し互いに譲らないため、漁夫の利を得たマルコス大統領の当選は確実と思われる。おまけに、中央選挙委員会のメンバーは既にマルコス支持者に入れ替えられており、僅差にすらならないであろう。

 3.相手の準備が調わぬうちに先制攻撃を仕掛けるのが勝負の常道である。市内のブラックマーケットで百ペソ紙幣が不足しているのは、大統領陣営が地域組織の長に賄賂をばらまき始めた証拠で、マルコスの勝利は九分通り確実である。

 4.しかし、マニラ事務所が大統領側近や親族から得た情報では、人工透析を受けるほどの腎臓病により、次の任期中に大統領職の遂行が果たせなくなる可能性がある。

 5.したがって、かなり病状が深刻であるとすれば、「東比」としては、マルコス後の商権をかけた準備工作が緊急に必要となってくる。

 6.マルコスの後継者は、イメルダ夫人かエンリレ国防相と思われるが、人選はマニラ事務所に一任する。

 以上が部長の説明内容であった。

大統領の腎臓病については、ベール国軍参謀総長派の軍人からも具体的な話を聞かされていた。二年前の八月に起きたアキノ元上院議員の暗殺について雑談していた時である。「マルコスは無実だ」とその軍人は言う。彼はマルコスの熱狂的な支持者であったが、真壁が同意しかねる表情を見せると、「ここだけの話だぞ」と、声を潜めて言い始めた。

「アキノが空港で殺された日、アメリカの『ジョージタウン大学』から医者を呼び寄せ、マルコス大統領は『キドニー・センター』で腎臓移植の手術を受けていたんだ。三週間も入院していたんだぞ。暗殺の指示など出せるわけがないだろ。マニラ空港で下手な芝居をやらせたのは、マルコスの取り巻き、それもよほど頭の悪い連中に決まっているよ」

 暗にベール将軍が介在していることを匂わせながら、腎臓の治療どころか、移植手術を受けていたと言うのである。しかも、一回目の手術は上手くいかず、医者を変えて翌年も手術を受けたと言う。



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 大統領が任期中に職務遂行不能となった場合、当面は副大統領が代行するわけだが、果たして二人の人物がどう動くのか真壁は注目していた。一人目は、現在の政権内部で大統領に次ぐ実質的な権力者であり、環境省大臣とメトロ・マニラ知事を兼任するイメルダ大統領夫人、もう一人は、エンリレ国防大臣である。

イメルダ夫人の人気のなさは、フランス革命を真壁に連想させていた。彼女の贅沢ぶりは有名で、海外で購入した私物を運ぶため、二機の政府チャーター機を使ったりもしている。ところが、公私混同、職権乱用、依怙贔屓、そして贅沢の限りを尽くしている夫人自身は、国民の心を逆なでするように、「私はフィリピン国民に夢を与えているのよ」と語っていた。「パンがないならお菓子を」と言った、マリー・アントワネットに似ていると真壁が思う所以である。その末路は、断頭台での処刑であろうか。

 国軍が分裂していることに真壁は注意を払っていた。清廉潔白で筋金入りの軍人であるラモス中将を飛び越え、大統領の運転手から国軍参謀総長へと出世し、自分の取り巻きを昇進させているベール陸軍大将に対して、軍の改革派である若手将校たちは不満を持っている。

 軍内部に対立があることは、大統領自身が公にしていた。マルコスがいなくなれば、改革派がベール将軍により粛清されるのは時間の問題である。全国十二の軍管区司令官には全てベール将軍派が任命されており、一気に大統領府を武力制圧するクーデター以外に、改革派が生き残る道はないだろうと真壁は考えていた。となれば、大統領死去となった場合、若手将校の率いる改革派は、エンリレ国防大臣やラモス副参謀長を担ぎ上げて行動を起こすと考えられる。

 ベール参謀総長をバックにするイメルダか、ラモス副参謀総長を盟友にするエンリレかと考えて、真壁は躊躇しなかった。改革派の将校は多くがミンダナオ島の前線に送り込まれているのに対して、付き合いのあるベール派の将校は都会生活でたるんでいる。いざ決戦となれば、普段から銃を撃っている改革派に怯えてしまい、逃げ出すのは間違いないであろう。真壁はエンリレ国防相をターゲットに選んだ。

 フィクサーの脅しに怯えながらも、忙しくしていれば恐怖心も忘れられる。双方の動きを探って、ベール参謀総長派の将校や改革派の将校と会った。

 時間がいくらあっても足りない。内容が微妙な話だけに、役所回りの片手間に勤務中の彼らを訪問しても本音は聞き出せず、自宅やナイト・クラブでの接待が必要だった。

 どうしても国防大臣に接触しなければならない。マルコス後の本命は、なんと言ってもエンリレ氏なのである。新聞記事を読んで報告するだけで良いはずはなく、なんとか大臣と直接に接触し、腹蔵ない関係を築かねばならない。

 これまで国防省と「東比」の関係はカストロ次官止まりだった。エンリレ国防大臣との面会をセットアップしてもらうだけなら、次官に頼んでも可能である。しかし、次官は大統領と緊密な関係にあり、エンリレ大臣から警戒されるのは目に見えていた。

 飛び込みで面談を取り付けるのは不可能である。いくら日本の商社とは言え、「東比」はちっぽけな会社で、下手な小説なら面談くらいは簡単にできるのだろうが、現実には然るべき人物を通さなければ、実のある面談は不可能だった。



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 エンリレ国防相に接近するルートを探して、大臣の出身地国会議員や取りまき連中に真壁は接触を試みた。そんな中、軍の改革派将校から待望の連絡を受け取った。エンリレ国防大臣の弟を紹介するというのである。

 約束をセットアップしてもらい、マニラ湾のヨットハーバーに近い海軍本部のレストランで面談が出来た。エンリレ氏の弟は海軍大尉である。いつ会っても酒に酔っている人物で、とてもではないが頼りになるとは思えない。

 ところが、家族ということで海軍大尉と一緒にマカティの「ウルダネタ・ビレッジ」にある大臣の自宅を二、三度訪問しているうちに、クリスティナ夫人にも取り入って、少しずつ大臣と親密になっていった。夫人は背筋のまっすぐ伸びたメスティーサ(混血女性)で、若い真壁が戸惑うほどの金髪美人である。

「ペニンシュラ・ホテル」に近い「アトリアム」の喫茶店で毎朝早く行われている「365日クラブ」に顔を出したり、マカティのスポーツクラブ近くにある弁護士事務所にも立ち寄ることが可能になったのは、酔っ払いの海軍大尉のおかげなのだった。

「365日クラブ」とは、エンリレ国防大臣の仲良しグループが、一年間毎日集まるのでその名をつけたと言われる。弁護士事務所に真壁が顔を出すのは、エンリレ国防大臣が弁護士としての個人事務所を、「アトリアム」と同じマカティ地区の「サルセド・ビレッジ」に構えていたからだ。

エンリレ国防大臣は一見すると強面だが話してみると冗談を連発し、打ち解けやすい人物で

あった。フィリピンの常識通り、弁護士はおしゃべり好きなのである。ココナッツ産業の利権を巡って、とかく黒い噂のある人間ではあるが、初対面のエンリレ氏には何かをじっと待っている雰囲気があり、いざとなれば立ち上がる人物だと真壁には思えた。

案の定と言おうか、突然、本社から進行状況を報告せよと指示がきた。してやったりと真壁が即答したのは言うまでもない。

国防大臣との関係を築いたことは、本社での真壁の評価を上げた。マルコス後の布石を打ったことになるからだ。相変わらず本社はマルコスの当選を確実視しているが、政治の一寸先は闇であり、万が一のリスクを取り除いたと評価されたのであろう。

 評価はそれだけではなかった。最も評価されたのは、「365日クラブ」に参加していたフィリピン人作家から得た情報であった。彼の話では、クラブに参加している大臣クラスの護衛を交代させたいとベール派が打診していると言う。エンリレ派の大臣たちは既に改革派の兵を護衛につけているので、その打診が意味することは明白であった。受ければ味方、断れば敵の色分けといった段階ではなく、大統領選挙の前後に、いよいよベール参謀総長が政敵を粛正に乗り出す兆候と考えられる。となれば、改革派が先手を打って行動を起こすのは間違いなかった。

 この情報が褒められたのは、部長の口からだった。社長が喜んでいたと言う。というのは、大手商社も参加した社長達の集まりで、フィリピンに政変が起きることを具体的に話せたというのだ。会合には新聞記者もおり、社長が語る情報を真剣に聞いていたそうである。

 そんなことかと思ったが、それでも真壁には大きな自信となった。ひと月近くかかってしまったが、他の商社に先駆けて、今後の政局を左右する人物に渡りをつけただけではなく、今後の政局を暗示する情報を得たのは、駐在員として大いに誇れることなのだ。

「東比」に入社して初めて褒められたことは、山岸との一件を思い出させた。国防大臣とすら話の出来る自分が、なぜ職員室から逃げ出すほど山岸には臆病風を吹かせてしまったのだろう。山岸などは何者かも分からない、ただの強面の男に過ぎないではないか。

 確かに自分は臆病である。男らしくないかもしれない。しかし、いつまでも情けない男のままではいられない。そろそろ脱皮すべき頃合いかなと真壁は思った。



          4


 十二月九日、その日は月曜日で、市議会議員の脅しを受けてから、もう一ヶ月以上も過ぎている。このひと月間、国防大臣とのコネ作りに時間を費やしながらも、用心に用心を重ね、周囲の動きに怯え、今日も無事だったと胸をなで下ろしながら毎日を過ごしていた。

 なぜ何も起こらないのか。考えられるのは、一週間前の十二月二日、公務員特別裁判所が、ベール参謀総長以下二十六名に無罪判決を出して結審したことである。二年前、アキノ元上院議員がマニラ空港で射殺されて以来、フィリピン国民がこぞって関心を持っていた事件に幕が下ろされたのだ。

 ところが、大半とも言える国民は、裁判を信じていなかった。アメリカの国防省が提出した書類を裁判所が受理しなかったため、怒ったアメリカが内容を公表したからである。その書類には、フィリピン国軍の将校がアメリカ軍のレーダー室に入り込み、アキノ氏の乗った中華航空機を誘導しようとする自軍戦闘機の動きを追跡していたと書かれていたのだが、勿論、そんな指示を出せるのはベール将軍しかおらず、二十六名全員が暗殺事件に全く関与していないなどという判決を、国民が受けいれるはずはない。

 そんなことから、アキノ夫人への同情が一気に高まり、全土で騒然とした空気が生まれていた。選挙を中止するか、戒厳令を敷くか、マルコスは苦慮しているに違いないと真壁は推測する。しかも一国の大統領である。小さな商社の駐在員、しかも外国人となれば、そう簡単に手を下す命令は出せないであろう。

 恐怖から逃れようと、都合の良い理屈を導き出そうとしていることは、うすうす自分でも分かっている。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは、このことだ。

 フィクサーの脅しの言葉に翻弄され、本社の対応に腹を立てていた自分が臆病者のように思え、部長の言うように、もう少しきちんとしたネゴが出来たのではないかと反省する時もあった。

 残念に思うのは、一度もリサに連絡を取らなかったことである。万が一にでもデイトすることになった場合、彼女を巻き添えにする恐れがあったからだが、それにしたところで、十月初めの洪水の夜に秘書の家で会ってから二ヶ月が過ぎており、胸の内は悶々としていた。

 夜十一時頃、マビニの女将の店で遅い晩飯を終え、ケソン市の宿舎へ戻る途中であった。わざわざ食事のためにマビニまで出かけていたのは、事務所のあるケソン市の釜飯屋が休みで、他にめぼしい日本料理屋がないからである。

 マカティ地区のベンディア通りを抜けエドサ大通りに入ると、道路は空いていた。昼間の交通量とはうって変わり、夜のエドサ大通りは高速道路のように快適ではあるものの、電力事情の悪いせいか外灯の数が少なく、道筋が一面薄暗い。

 鼻歌まじりに車を運転し、マカティ地区のグアダルペを通り過ぎてパシグ川にかかる橋を渡った時だった。現地では「パヘロ」と呼ばれている三菱パジェロが真壁の車を追い抜き、真壁の車線に入り込んだ。

「わざわざ俺の車線に入ることはないだろ」

 独り言を呟き真壁が不審に思っていると、突然、パジェロが急ブレーキをかけた。

「危ねぇな、馬鹿野郎」

 とっさに大声を出し、真壁も急ブレーキをかけて車を止めた。まさに衝突寸前である。車の運転となると人格が変わると言うが、真壁も例外ではない。



          5


 一瞬の静寂の後、別の車が真壁の車に横付けになった。ツートンカラーの三菱ジェミニである。ジェミニは燃費の安いディーゼル・エンジン仕様のため、マニラではタクシーに多く使われている車だ。

 車の左側にある運転席のドアが開き、薄暗い外灯の下、ゆっくりと一人の男が出てきた。黒い毛糸の目出し帽をかぶり、腕には散弾銃を抱えている。強盗事件が多く、いつ何時、何が起こるか分からないと日頃から注意している真壁は、急ブレーキをかけてもトランスミッションはニュートラルに入れ、エンジンは止めていない。

 初めは強盗かと思ったが、瞬時に、そんな甘い状況ではないことに頭が切り替わった。終にフィクサーが、襲撃の私兵を差し向けてきたのだ。

(このくそ暑い国で、よくも目出し帽で、すっぽりと顔を隠していられるもんだ)

 生きるか死ぬかの局面であるにもかかわらず、間の抜けた考えが真壁の頭をかすめる。

(こんな所で死んでたまるか)

 胸の内で叫び、素早く左足でクラッチを踏みギアを切り替えると、真壁はアクセルを踏み込んだ。ちらりと男の姿を見ると、銃を構え、引き金を引こうとしている。

 二台の車の間をすり抜けた。発砲音は聞こえない。しかし、ルームミラーを見ると、早くも二台の車が追走してくる。三速、四速と次々にギアを切り替え、真壁は最大限にアクセルを踏み続けた。

(殺されそうになった訳でもないのに、臆病な俺は教師を辞めた。それなのに、物騒なフィリピンでフィクサーに脅されても、今度は辞めなかった。本当に俺は馬鹿だ。なぜ辞めなかったんだ。こうなることは、分かっていたじゃないか)

 五年前のトラウマと共に、後悔ともつかぬ念が真壁の胸に浮かぶ。いっそのこと、「私は会社を辞めました、もう『東比』とは関係ないので殺さないでください」と、車を降りて土下座してしまおうかとも思う。勿論、そんな言い訳をする状況ではなく、捕まった瞬間に撃ち殺されるだろう。こんな時に、馬鹿なことを考えるものだと真壁は自嘲する。

 なんとか宿舎に逃げ込まねばならない。宿舎はケソン市の「ホワイト・プレーン」にあり、国防省の裏手に近かった。首都圏を南北に二分するパシグ川を既に越えてはいるものの、まだかなりの距離がある。

 三流商社勤めであることが幸いした。大手商社のマニラ支店では、日本人が運転することは禁じられている。フィリピン人相手に人身事故を起こした場合、永遠につきまとわれるからだが、現地社員に知られたくない裏仕事の多い「東比」の場合は、駐在員自らが運転しなければ仕事にならない。夜討ち朝駆けで役人の自宅を訪ねたり、約束した賄賂を手渡すこともある。そのおかげで、真壁はメトロ・マニラ全域の通りに詳しかった。

 頭に浮かぶのは、この先にあるオルテガス・アベニューとの交差点だ。通り過ぎたばかりのシャウ・ブルバードとエドサ大通りとは立体交差路だったが、オルテガス通りは立体交差ではない。赤信号になっていれば、事故を覚悟でこのままのフルスピードで突っ込むことになる。

「なんてこった、こんな状況に俺を追い込みやがって、何が一年や二年待たせるぐらいの交渉をしてみろだ」

 部長の言葉が蘇り、フロントガラスにかかるほどの唾を飛ばして、真壁は怒り声を出した。

 依然として宿舎への道のりは遠く、マンダルヨン、サン・ホアン両地区近辺を通り過ぎなければケソン市に辿り着けない。ハンドルを握る手のひらは汗で滑り、背中には滝のように汗が流れていた。



          6


 悪い予感は当たるものである。心配していたとおり、オルテガス通りとの交差点は赤信号だった。しかし、悠長に信号待ちをしている場合ではない。出会い頭の衝突を覚悟して、一か八かだと交差点に突っ込んだ。

 幸いにも深夜のため車が少なく、無事に渡り切った。ほっとして額の汗を拭いルームミラーを見ると、いつからか追ってくるのはパジェロだけになっている。もう一台は先回りしているのかと、またしても悪い予感が頭を掠めた。

 ケソン市に入り、もう一息で宿舎のあるビレッジへ逃げ込める距離になっていた。

 エドサ大通りから右折して裏道に入り、ビレッジまで二百メートルほどに近づく。しかし、案じていたとおり、ビレッジの入り口近くには、真壁を襲った三菱ジェミニが停まっていた。

 大きく舌打ちをして、真壁は「糞野郎」と叫んだ。宿舎を目の前にしていながら迂回するしかない。とっさに、手前のボニセラノ通りを左にハンドルを切り、国防省のあるアギナルド基地方向へ向かった。

 国防省へ逃げ込もうかと瞬間的に思ったが、真壁を追ってくるのがフィクサーの私兵だとすれば、彼らが軍人ということも考えられる。となれば、基地へ入っても彼らは追い駆けてくるはずだ。袋のネズミ、飛んで火に入る夏の虫とは、俺のことかと真壁は思う。

(それにしても不思議だ。五年前、山岸に脅され逃げ出した俺が、今は自嘲出来るほどになっている。落ち着いているとまでは言えないものの、パニックにはなっていない。こんな俺でも、少しは度胸が据わってきたのだろうか)

 余計なことを考えながら、さぁ、どうする、どこへ逃げるかと真壁は迷った。ホテルへ逃げ込むのはまずい。すべての宿泊者は、陸軍の情報関係当局に把握されていると聞く。宿舎へ戻るわけにはいかず、ホテルにも泊まれない。さてどうするか。後続する車をルームミラーで確認しながら車を疾走させ、真壁は考え続けた。

 小川と長井の顔が浮かぶ。しかし、小川に頼るわけにはいかない。気心は分かっているとは言え、ライバル会社の社員である。不払いといった不名誉な「東比」のトラブルに巻き込むのは躊躇われた。長井は在宅しているかどうか分からない。職業柄、昼夜を問わず取材に出ている可能性があった。

 閃いたのは、三十分前までいた「鳥羽屋」の女将である。零時に閉まったとしてもまだ女将は店に残っているに違いない。ここは彼女に事情を話して助けを求め、二、三日の間、匿ってもらおうと真壁は考えた。

 マビニへ着き「鳥羽屋」の前に車を止めると、暖簾は片付けられているが店の中には明かりが点いている。

 鍵がかかっていたため、真壁は扉を叩いた。しかし、一分、二分と待っても扉は開かない。強盗と思われ、警戒されているのだ。店の中では、隠し持った拳銃の安全装置を外して、誰かが待ち構えているのかもしれなかった

「真壁です。こんなに遅く申し訳ありません」

 大声を出して真壁は店内に呼びかけた。深夜とはいえ、繁華街のこの辺りではジープニーなどの車が、何台も真壁の背後を通り過ぎる。ここまで逃げのびながら撃たれるのか、これも運命かと、真壁は気が気ではない。

 ようやく入り口が開かれると、血相を変えて飛び込んできた真壁の顔を見て事情を察したのか、後片付けを従業員に任せるので、これから自宅へいらっしゃいと女将が言う。

 女将の自宅は、マカティ地区の「サンロレンソ・ビレッジ」にあった。近くには、「マニラ・ガーデン・ホテル」がある。ビレッジに着くと入り口には警備員がおり、遮断棒が下りていた。午前一時前の深夜ではあるが、女将の車にはビレッジ発行のステッカーが貼ってあり、すんなりと遮断棒が上がる。真壁の車が後に続く。



          7


 女将の自宅に通されてソファーで一息つきながら、大統領への不払いのため襲撃されたことを真壁が伝えると、女将が言い出した。

「もし犯人が軍に関係していたら、ここは危ないわ。ほらっ、入り口にガードマンがいたでしょ。警備会社のほとんどは軍関係者の経営だから、ここにあなたの車が入ったことは、すぐに通報されるはずよ。早く出ましょう」

 そう言い終えると、ソファーから立ち上がり、女将は足早に表へ出た。大慌てで真壁も後を追う。

 年式は古いがトヨタのランドクルーザーが庭に駐めてあり、後部座席には荷物が積んであった。プラスチック製の透明なコンテナから見えたのは、即席ラーメンや漬物などの日本食である。コンテナの大きさはミカン箱ほどで、かなり重たそうだ。店で使うのか家庭で使うのかは分からないが、一時的に車の中で保管しているのであろうか。

 女将に言われるまま真壁は後部座席に乗り、荷物の間に身を隠すと頭を伏せた。真壁がビレッジから出たことを、警備員に見られてはまずいからである。

 車が動き出した。

 ビレッジに面するパサイ通りからエドサ大通りに出たところで、女将から顔を上げて良いと言われ、真壁は上半身を起こして後続車の有無を確認した。車がほとんど走っていない時間帯である。襲撃した車が追ってくる気配はない。

 車はエドサ通りを抜け、マガリアネスの立体交差路から南方高速道路へ入った。

「くたびれたでしょ。運転は私に任せて、寝てもいいわよ。ちょっと長旅になるけど我慢してね」

 前方に顔を向け、何事もなかったかのように女将はハンドルを握っている。

 女将の言葉に甘えて、真壁は眠ることにした。これでやっと助かったという気分である。

向かう先はマニラ南部に隣接するラグナ州かバタンガス州か、それとも更に先のルソン島南部なのだろうか、と考えているうちに、真壁は浅い眠りに落ちた。うとうととしながらも、まだ襲撃された興奮が冷めやらないのか、心臓が波打っているのを感じる。

 何時間か眠り込んだところで、真壁は目が覚めた。外はすっかり明るくなっており、車窓から外を見ると、沿道にちらほら民家が見える。

 車内の気温が上がっていた。腕時計を見ると午前十時前である。太陽の位置からすると、やはり車は南へ向かっているようだ。

「もうすぐ着くわ。その前にお願いしておくわね。事態が落ち着いて、真壁さんがマニラへ戻ったら、着いた場所、そこで見たこと、会った人のこと、聞いたこと、とにかくすべてのことを誰にも話さないでほしいの。分かったわね」

 小さな田舎町に入った頃、珍しく厳しい口調で女将が言う。何らかの事情があると察し、後部座席から真壁は了解の旨を伝えた。



     第十章


          1


 街外れの一軒家の前で、女将の車が止まった。女将が玄関先に向かうのを真壁が追いかける。

 入り口の扉を女将がノックすると、白髪頭の老人が出てきた。日本人らしい顔つきで、年齢は七十を超えているようだ。女将の後ろにいる真壁が気になるらしく、警戒心丸出しの視線をちらちらと向けている。

「お客さんを連れてきたわ。しばらくの間、置いて欲しいの」

 そう言いながら、遠慮する様子もなく女将は家の中へ入っていく。

「それで、何日間ぐらいいるのかね」

 部屋の中央にある、白いテーブルクロスのかかった丸テーブルを前にして、老人が真壁の顔を見ながら話しかけてきた。ぶっきらぼうな口調で、いかにも迷惑そうな顔つきである。真壁は返答のしようがなく、女将に助けを求めた。

「今は答えられないわ。この人は大統領の殺し屋に追われているのよ。様子見ということで、しばらく匿ってもらいたいの」

 諭すような口ぶりで女将が老人に言った。

「なんだ、そんなことか。女将の頼みとなれば、俺も断るわけにはいかないな。任せてくれ」

 老人は急に表情を和らげ、真壁に向かって笑顔を見せた。

 この老人が何者なのか、真壁は興味を持たざるを得ない。なにしろ、大統領の殺し屋に追われているという物騒な言葉に、微塵も動じる様子がないのだ。

 立ち話で簡単に事情を説明し終えると、再び女将は外へ出た。「荷物を運び出すので手伝って」と言われ、真壁も老人と共に外へ出る。

 汗だくになりながらも、三人がかりの作業はすぐに終わった。

 荷物の運び出しを確認すると、そのまま女将は車に乗り込みマニラへ戻っていった。

 二人きりになり一息ついたところで、老人と真壁の二人は丸テーブルを囲んで話し始めた。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 まず真壁から口を開いた。

「いいから、いいから。引き受けたからには、安心してくれよ。ただ一つ、気をつけてもらいたいのは、俺のことは口外しないことだ。夜になったら事情は話すが、俺のことが知られると命が狙われるんでな」

 真顔になった老人が、真壁を気遣うように応えた。

「この家の仕掛けを説明しておくよ」

 ついてくるよう老人は真壁を促し、椅子から立ち上がった。

 案内された部屋は、老人の書斎である。入室するとクローゼットに通された。服の掛かったスペースの奥が、黒い布で覆われている。服を端に押しやってから、黒い布を横にスライドさせると、そこに階段が見えた。

「いざというときの逃げ道さ。だけど、こうやって逃げ道を確保しても、奴らが買収した警官を連れてきて逮捕状を見せられたら、大人しくパトカーに乗るしかない。そうなれば、何の意味もないがね」

 淡々とした口ぶりで老人が言った。

 クローゼットの次に見せられたのは、書斎の机だった。引き出しを開けると、拳銃が入っている。三十八口径、弾倉式、六連発の「ワルサー」であると真壁には分かった。真壁は拳銃マニアではないが、つい先日、エドサ大通りの銃砲店で買おうとした拳銃なのである。

「君は使えるか」

 拳銃を指さしながら、老人が真壁の顔をのぞき込む。即座に真壁は首を横に振って否定した。すると、老人は拳銃を取り出し弾倉を外し、そこに弾を込めると再び弾倉に納める。ガシッという音がして、拳銃の取り扱い方を真壁に教え始めた。

「ここに安全装置があるからこう外して、あとは撃つだけだ。三十八口径だから、かなりの反動がある。両手で握り、足を軽く開いて腰を落とせば、なんとかなるだろう」

 身振り手振りを交えて、簡単な講義は終わった。

「腹が空いているだろ。遅くなったが、そろそろ昼飯にするか。日本の食材が届いたばかりだから、ご馳走するよ」

 老人が笑い顔を浮かべる。ご馳走は乾麺から作った塩ラーメンだった。

「俺の名前は原田だ」

 額に汗を浮かべ、ラーメンをすすりながら老人が言った。話し相手に飢えているのか、女将の客人ということで気を遣っているのか、老人は語り続ける。

「まず俺の話から簡単にしておこう。俺は五十年前にマニラへやってきた。終戦の時は、ちょうど三十五歳だった。マニラ市街戦の生き残りだが、詳しい話は一盃やりながら夜にでも話すとして、その前に君の話を聞いておこうか」

 話の矛先を、原田が真壁へ向けた。突然訪れた自分の礼儀であるとも思い、この間の事情を真壁は丁寧に説明する。

「ふーん、大統領と約束した賄賂を払わないとは、君の会社も思い切ったことをするもんだ。駐在員が襲われることくらいは、予測できるのにな。まぁ、所詮、社員は兵隊と同じなんだ。会社への忠誠を要求しておきながら、その見返りが『死ね』というわけさ。理不尽な話だが、昔の軍隊と全く変わっていないということだ。ところで、いつ君はマニラへは戻るつもりなのかね」

 軽い調子で老人が真壁に問いかける。

「どうしたら良いですかね。戻ればまた襲われるのを待つだけだし、戻らなければ解雇されるし、かといって、何もせずにこのままお世話になってもいられないし……」

 真壁の頭に名案は浮かばない。途方に暮れるとはこのことである。

 食事を取り終えると、「これから仕事だ。一緒に来るか」と誘われ、裏庭へ向かう原田老人のあとを真壁は追いかけた。

 裏庭へ出て最初に目につくのは、塀に沿って山積みされている古タイヤと掘っ立て小屋である。原田老人は真壁を振り返ることもなく、サンダル履きのまま小屋へ入っていった。

 真壁が小屋に入ると、ゴムと接着剤の匂いが充満しており、木製の作業台と半分に切ったドラム缶が逆さまに置かれている。壁に沿って古タイヤのゴムの部分だけが立て掛けられていた。

「まあ見てなさい」

 壁から一本の古タイヤを原田老人が手に取ると、ドラム缶の端に沿って包み込むようにかぶせた。それから大きなバタンガス刀を使って、溝の浅くなったタイヤの山を平らに削っていく。

 次に、削り終えたタイヤを作業台にのせ、別の古タイヤと接着して一段落である。後は接着剤が乾くのを待ち、新しく溝を掘れば再生タイヤの完成だ。この再生タイヤが、老人の収入源らしい。 目新しい仕事への興味と恩義を果たす意味もあって、夕食までの五時間余りを黙々と真壁は手伝った。



          2


夜六時になると、酒のつまみらしい料理作りが始まった。イカの生姜焼き、現地魚ラプラプの煮物である。やがてワンカップの日本酒が出され、丸テーブルを囲んで真壁と老人の宴会が始まった。

 真壁の関心事は、老人の素性である。抜け道や拳銃を用意しているのは強盗の多いこの国では驚くほどのことではないが、「俺のことが知られると命が狙われる」と言っていたことが気になって仕方がない。

 興味をかき立てるのは、昼飯のラーメンをすすりながら老人が話していたことだ。確かに、マニラ市街戦の生き残りと言っていた。しかし、辛い体験は簡単に他人に話せるものではない。怒り出されでもしたら、これから先の滞在が気まずくなってしまう

「原田さんは、どうしてマニラへ来るようになったのですか」

 恐る恐る、遠回しに真壁は話を切り出した。

「俺がマニラへやって来たのは昭和十年だ。その頃、日本は不景気で、二・二六事件が起きたのは翌年のことだよ。当時、南方への憧れが若者の夢を誘い、俺は農家の六男坊だったから、国を出るのに迷いはなかったな。二十五歳の時だ」

「仕事は何をしておられたんですか」

「農業さ。勿論、金がないので、日系人の手伝いから始めた。そのうち、日本人の移民者が多いのに目を付け、マニラの北にあるマイカワヤンで土地を借りて日本米を作り始めたんだが、大失敗だった。初めは良かったのだが、二年、三年と過ぎると、どういうわけか現地米と交配してしまうんだな。結局、日本米は諦めてカリフォルニア米に切り替えた。これは評判が良かったが、戦争でおじゃんさ。日本人は国外追放になった。しかし俺は現地女性と正式に結婚していたから、そのつてでなんとか日本へ戻らずに済んだわけさ。ついでに言えば、『鳥羽屋』の女将は俺の娘だ」

 昔話のせいか老人の機嫌は上々で、女将のことまで教えてくれた。

「さきほど、市街戦の生き残りと聞きましたが、どんな経緯だったんですか」

「俺が戦争に巻き込まれたのは、昭和十九年に現地徴集されてからだ。どこの誰から俺の情報があったのかと言えば、陸軍中野学校出身の特務機関員が、戦争前からフィリピンに潜入していたからだ。スパイによって、敵も味方も調べ上げられていたということだな」

 原田の話しぶりは、滑らかだった。七十五という年齢からすれば、もう少し間を置きながらでも良いのだろうが、記憶を絞り出している様子は見られない。戦後四十年、よほどわだかまるものが胸に溜まっていたのだと真壁は感じる。

「召集令状を受け取った在留邦人は、ラグナ湖の向こうにあるタヤバス州に送られ、そこで軍事教練を受けた。その内の四千人ほどが陸軍の野口部隊に配属されたが、市街戦に投入されてほとんどが死んだよ。

 冷たいもんだよなぁ。祖国を離れても日本を守ろうとした在留邦人の悲劇のことなど、今の日本人は誰一人知らないんだから。それどころか、無謀だったマニラ市街戦の責任すら追及されていないんだ。こんな思いやりのない、無責任な国民がいるのかね。

 いくら経済力が世界一、二を争う国になったとはいえ、同胞の死も歴史も顧みない民族が、世界一勤勉で、世界一技術が優れ、世界一優秀だなどと思っているとしたら、お笑いごとだよ。不遜傲慢な戦前の日本人と全く同じじゃないか」

 話が戦争のことになり、今にも怒鳴り出しそうな表情を老人が浮かべた。声も荒くなっている。好調な日本経済を背景に、株や土地を買いまくっている日本人の姿を思い出すと、真壁は恥ずかしくなってくる。



          3


 半ば愚痴のような老人の話は続いた。

「棄民だ非国民だと俺たちを散々馬鹿にしながら、いざとなると、当然のように日本の盾になって死ねというのは、俺には納得がいかなかった。それでも在留邦人は死んでいったのだから悔しいねぇ。

『八紘一宇』という言葉を君は知っているか。この宇宙の頂点に立ち、世界を治めているのは日本の天皇だという思想さ。だから徴集に応じたのは天皇陛下を守るためだった。天皇制の下で国民が奴隷なら、俺たち在留邦人は奴隷以下だったんだよ」

 一度、火の点いた原田老人の怒りは、なかなか収まらないようだった。教師時代に自分が偏向教育をしていると責められたり、「東比」では元教師ということで馬鹿にされたりといった辛さは真壁も経験しているが、原田老人が受けた、棄民だの非国民だのと言われた差別の辛さには、とても及ぶまい。

「戦闘の始まった時、俺はパシグ川の北に配置されていた。食料も武器も弾薬も行き渡らず、竹槍やトラックのリーフスプリングを外して先を尖らせた鉄棒で、自動小銃や火炎放射器に向かって突貫しろと言うのだから、俺は死を覚悟した。脱走しようとしても、特務機関の奴らが見張っている。特務機関が我々を見張っていたのは、野口部隊が在留邦人ばかりだったからで、初めから脱走を疑われていたわけさ。

 ところが、特務機関の連中を差し置いて、部隊長から俺は市内の斥候を命じられた。在留邦人の中でも俺はタガログ語が上手かったし、マニラの様子は隅々まで知っていたからな。しかし、それが厭な思いをすることになった」

 原田老人が息を継いだ。

「忘れられないのは、二月十二日、俺がマビニにいた時のことだ。ドイツ人クラブに行くと、燃えさかる建物の前にバリケードを築き、数台の機関銃が据え付けられている。やがて悲鳴を上げて女達が出てくると、機関銃を撃ち始めた。何事かと兵隊に訊くと、フィリピン人の処刑命令が出ていると言う。強姦されたのか、素っ裸の女が何人もいて、次々に倒れていく。地獄としか言いようのない光景だった」

 声を震わせ、老人は涙を拭った。市街戦の最中に発生した虐殺事件の一つ、ドイツ人クラブ事件を老人は目撃していたのである。惨い光景が真壁にも思い浮かぶ。



          4


 老人にかける言葉が見当たらず、しばらく間を置いて真壁は話題を変えた。

「市街戦が終わる頃、原田さんはどこにいたんですか」

 市街戦の最後の様子を真壁は訊ねた。

「最終的には当時の財務省ビルに立て籠もっていた」

 老人の顔が歪んだ。理不尽さに対する怒り、戦闘の凄まじさが再び蘇ってきたのだろう。

 それにしても、この老人がよく助かったものだと、真壁は市街戦からの脱出経緯を訊ねた。

「二十四日の夕方のことだ。戦車と重機関砲でビルは取り囲まれていた。その時、米軍の呼びかけで、三十分間の投降時間が与えられた。このチャンスを逃せば死を待つばかりだと俺は思ったが、『逃げたら撃つぞ。皇軍の名を辱めるな』と銃を握った特務機関員が背後で怒鳴り、俺たちは逃げようにも逃げられない。

 しかし、午前零時を回った頃、隙を見て俺はビルを抜けだし、崩れた建物のがれきの間に飛び込んだ。恐る恐る顔を上げると、遙か向こうに燃えさかる街の炎が見えた。重砲の響きとともに、何度も何度も地面が盛り上がるのを俺は覚えている。

 銃弾を浴びたが、俺は死体を装って三時間ほど横たわっていた。すると、いつの間にか、あの特務機関員が隣のがれきにいて、『おいっ、水と食料を持ってこい。それに煙草もな』と言うのさ。照明弾が次々に打ち上げられて空中で炸裂し、白い光の縞が飛び交う真っ昼間同然の中、少しでも体を動かせば自動小銃の銃弾を浴びるというのに、平然と命令をする奴の態度が許せなかった。この期に及んでも、奴は在留邦人を棄民と蔑み、日本人としての権威を振りかざしていたんだ。だから俺は言ってやった。『持ってこいとは何ですか。自分で取りに行けば良いでしょ』とね。

 俺は喉が渇いていた。死ぬ前に、綺麗な水を腹一杯飲みたいと思った。それから俺は、生きたい、死んでも良いから生きたいと覚悟を決めて裸になり、特務機関員を尻目に褌を堂々と降り回して米軍に降伏した。

 驚いたのは、戦後、その特務機関員と捕虜収容所で出会ったことさ。下水管に潜り込み、パシグ川から脱出したと得意そうに語っていたが、その時、俺が思ったのは人間の醜さだ。考えてもみろよ、兵隊には死を強要しながら、自分は助かろうと予め計画していたんだ。生きて虜囚の辱めを受けずと口では言いながら、内心は生き延びる手段を、いつも奴は頭の中で考えていたんだ。そうでなければ、パシグ川に出る下水管のあり場所など、偶然に見つけられるわけがないだろ」

 真壁の頭に影山の顔が浮かんだ。長井の言葉を覚えている。フィリピンにいたことを、影山が隠そうとしていたことだ。

「その特務機関員の名は何というのですか」

「畠山と名乗っていたが、本名ではないだろう。なにしろ、特務機関だからな」

「彼の特徴を覚えていませんか。何かあると思うのですが」

 真壁は食い下がる表情を見せた。長井の父親の死とその特務機関員は関係があり、それはあの影山ではないのかという推測である。

「そうだなぁ、中肉中背で、これといった特徴のない男だったが……。そうそう、奴はズボンの裾を気にしていたな。しょっちゅう、つまみ上げたり、ひっくり返して自分の脛を掻いたり、覗き込んだりしていたよ。少年時代、崖から滑り落ちて膝から下の骨をひどく岩に打ちつけたそうだが、事実かどうかは分からない。出血がひどく骨の一部が欠けて、傷は治ったものの痒くてたまらんとも言っていたな」

 老人の記憶する男の姿から影山の特徴を思い浮かべたが、一致するような点は真壁の記憶にはない。あえて言えば、初対面のナイトクラブで、足元の蚊を気にしていたぐらいである。

「そういえば……」

 と言って老人は目をつぶった。



          5


「思い出すのは二月十八日夜のことさ。我々寄せ集め陸軍部隊が籠もった財務省ビルに、血まみれ泥まみれの水兵服を着た二人の海軍兵が現れた。既に海軍の西山大隊は敗走して東方山地へ逃げていたし、他の海軍部隊は全滅したか激戦の真っ最中だったから、なぜ二人が財務省ビル近辺にいたのか、なぜ水兵服なのか疑問だったのだが、ものの一、二分もしないうちに、その海軍の二人は建物から走り出たんだ。特務機関員が部屋にいることに気がついたんだろう。その瞬間、後に従った一人は、特務機関員から背中を撃たれた」

 老人の言葉を聞いて、真壁の記憶が反応した。脱出を試みた水兵は長井の父親と元上官で、背後から撃たれたのは長井の父親だったのではなかろうか。

「その二人の海軍兵の名前を覚えていませんか」

 真壁は訊ねた。

「残念だが、名前は覚えていない。覚えていないというより、彼らは突然現れ、突然出ていったんだ。互いに名乗り合う余裕なんぞはなかったよ」

 改めて長井とその父親のことを詳しく話したが、老人は本当に知らない様子である。

「レイテ海戦で沈没艦から救出された水兵たちは可哀想だったな。せっかく命拾いをしながら、『マニラ海軍陸戦隊』に組み込まれてマニラ市内に配備されたわけさ。

 何しろ例の大本営発表というやつだ。台湾沖に来襲したアメリカ機動部隊に対して、十一隻の航空母艦、二隻の戦艦、三隻の巡洋艦を撃沈、八隻の航空母艦、二隻の戦艦を撃破したと大本営は発表し、天皇陛下にも上奏したのさ。国民大会が開かれ、熱狂した国民は提灯行列まで繰り出したんだ。

 ところが全てはでたらめな発表だから、レイテ海戦で救助された水兵を日本に戻せば、大勝利どころか、連合艦隊の壊滅したことも国民にばれてしまう。そこで、生き残り水兵を抹殺するためにも、大本営はマニラ市街戦の完遂を目論んだのさ」

 マニラ市街戦の真相がどこにあるのか、まだ真壁には判断が出来ない。老人の言うことにも一理はあろう。台湾沖航空戦の戦果に疑問を抱いた情報参謀の報告を握りつぶし、大本営を代表して「大勝利」を天皇へ上奏したのが、当時の作戦参謀であった「ホンエイ」の社長、瀬川虎三だったと書いている本もある。

「それにしても、どういう訳で原田さんが狙われることになったのですか。市街戦で生き残っただけが理由なら、日本国内にも十数名が生存されていますよね。何か他に理由があると思うのですが、心当たりはありませんか」

「俺が思い当たるのは、東南アジア各地からマニラへかき集められた貴金属のことだ。というのは、戦前、驚くほど多くの特務機関員がマニラに潜入していた。それはマニラに出入りしていた俺だから分かることだ。例えば、銀行や工場に赴任してきた人物がいたとする。いつしか、妙な噂があちこちから耳に入る。噂に共通しているのは、どこか普通の社員ではないということ。怪しまれないように訓練されている特務機関員にもかかわらず、それでも妙な噂がそこかしこで立つというのは、かなりの数の特務機関員が潜入していたということさ」

 原田老人が一息つき、真壁の目を見つめた。



          6


 なぜ日本人の目を避け、逃げ道や拳銃を備えて用心しているのか、まだ真壁には分からない。

「当時、ビルマ、シンガポール、ベトナムなどの東南アジア諸国から特務機関によって収奪された貴金属が、マニラには大量に集積されていた。ところが、予想以上に早く、と言うよりも、台湾沖、レイテ沖の『大戦果』に惑わされて油断してしまい、制空権も制海権も米軍に奪われた頃に、この財宝を運び出さねばならなくなった。このことが、マニラ市街戦を引き起こした第二の理由だと俺は推測している。

 陸軍や海軍の特務機関は、戦争物資や貴金属を日本へ運ぶ任務も負っていた。そこで俺が推測するのは、あの海軍の二人が俺たち陸軍の部隊にやってきたのは、たまたま紛れ込んだのではなく、特務機関員から追いかけられていたと思えるんだ。というのは、敗戦を予測した軍部は、戦後支配を行う財源確保のために財宝の隠匿を計画していたから、潜水艦を使ってマニラから運びだそうとしたのは間違いない。特務機関に命じて生き残り水兵の一部を日本への貴金属運び出しに駆り出し、その挙げ句、口封じをしようとしたのではないだろうか。

 それと関連するが、戦後、この隠匿物資がアメリカの追求を逃れたのは、不思議な話だ。何しろ、没収されなかった結果、かつての特務機関員や軍国主義者が民自党設立に資金を与え、テレビ局や新聞社などのマスコミ会社を設立し、今もって日本の政治を裏で支配することになるんだからな。

 マニラ市街戦の話が日本でタブーになっているのは、アヘンの売買で手に入れた上海ルートの物資より、マニラに集積された貴金属のほうが圧倒的に多額で、その辺が関係しているんだと思う。

 もし俺の推測が事実ならば、軍国主義者の亡霊とも言える特務機関員が今も生きている以上、あの二人の海軍を目撃した証人はいつ口封じにあってもおかしくない」

「しかし、マニラに貴金属が集められていたのは、知る人ぞ知る話ですよね」

 老人を傷つけないよう、やんわりと真壁は疑問を呈した。

「今更、口封じなんてと君は思っているのだろうが、一部の日本人は日本が世界一の経済大国になったと言い出している。そんな立派な我が国が、中国や東南アジアから掠め取った財宝により成り上がったと知られるのは、彼らにとってはあまりに屈辱的だ。そこで、マニラ市街戦の事実を知る日本人、とりわけ海外に居住する俺のような証人は抹殺されることになるわけさ。

 ロッキード事件では、何人が自殺したり不審死したか覚えているかい。不思議に思わないのが俺には不思議だよ。賄賂についても、『ロッキード社』から五億円を受け取った元首相ばかりがニュースになったが、今も二十億円以上の賄賂の本体については不明のままになっている。おかしいだろ。恐ろしい闇の世界が、今も動めいているんだよ」

 真壁を諭すように原田老人が言った。

「しかし、考えすぎではありませんか」

 今度はストレートに真壁は疑問を口に出した。自分の部屋に抜け道や拳銃を持つ理由、日本人を避ける理由、それは日本の裏世界を牛耳る者たちから口封じされるのを恐れているからだと原田老人は言いたいのだろうが、隠匿物質を基に民自党やマスコミに右翼の大物が資金を与えたというのは、戦後史の知識がある者なら常識である。マニラに貴金属が集められていた話も、知る人ぞ知る話だ。もはや秘密でも何でもない話を知っている老人を、わざわざ「口封じ」することなどあり得るのだろうか。ましてや今の平和な時代となれば、被害妄想というやつではないのだろうか。

「考えすぎだと君は言うが、実際に俺は襲われているんだ。まだ俺がマイカワヤンに住んでいた一年半前、マッカーサー・ハイウェイを通ってマニラから帰宅しようとしていたとき、二台の車に挟まれて俺は銃撃されたんだよ。外灯も何にもない田舎道の暗がりだったから顔は見えなかったが、車を降りてきた奴は『天誅』と叫んでいた。犯人が日本人なのは間違いない」

 老人の言葉は確信に満ちている。単なる妄想ではないようであった。

 しかし、どうも合点がいかない。市街戦の生き残りが理由なら、襲われるのは原田老人だけではないはずだ。もしそんなことがあれば、日本でも報道されていたはずで、真壁は聞いたことがない。

 一点だけ市街戦の生き残りとして老人が特殊なのは、長井の父親と思われる二人の海軍兵を目撃していたことである。だとすれば、そこに秘密がありそうだが、真壁には推測も出来なかった。 



          7


 夜の零時になったところで、二人だけの宴会は終わった。老人は自室に引き上げ、酔いが回った真壁はそのままソファーへ倒れ込んだ。

 疲れ果てていた。命からがら車を運転させて逃げ場所を探し、汗だくになって鳥羽屋に辿り着いたのは、つい昨日の夜だ。

 微睡みながら、これからどうするか、頭の片隅で真壁は考えていた。

 このままグズグズしていては、職場放棄と見なされ首になる。この町のどこかに電話があるだろうから、明日、探し出して国際電話をするとしても、いつマニラへ戻ったら良いのかは判断が出来ない。やたらに戻れば、今度こそ命を落とすはめになる。

 その一方で、原田老人から聞いた市街戦の様子が思い出され、いつしか真壁は確信するようになっていた。昔の日本軍も今の「東比」も同じなのだ。社員の命、しかも中途入社の社員など、何人犠牲にしようと会社の幹部は平気なのに違いない。

(このまま黙っていられるか。俺のことを先生だなんのと散々こけにしやがって。会社への忠誠心、一人前の商社マンになる夢など糞食らえだ。これから俺は自立した人間になる。必ずこの恨みを晴らしてやる)

 そう思いながらも、自立した人間など簡単になれるものかと心の奥底で自分を疑いながら、真壁は深い眠りに落ちていった。

 いつしか、家の周囲から鶏の鳴き声が聞こえてくる。ソファーの上で、真壁は目を覚ました。まだ外は真っ暗闇である。鶏が鳴くのは、朝を告げるためではなく、空腹を訴えるためのようだ。

 腕時計を見ると、まだ午前三時過ぎだった。疲労困憊の上に酒を飲み、ぐっすり眠り込んだはずなのに、僅か三、四時間で起きてしまったことになる。これもまた、自分の気が小さいせいなのかと真壁は思う。

 横になったまま目を閉じていると、エリザベスの姿が思い浮かぶ。日本にいる母親や姉、友人、それに死んだ父親の顔も次々と浮かんできた。通勤していた駅や、会社近くの立ち食いそば屋の光景すら思い出す。

 年甲斐もなく、泣きたい衝動に駆られた。涙こそ出ないものの、嗚咽しそうである。日本に対する思いなのか、家族や友人への思いなのか、それとも九死に一生を得て生きていることへの思いなのか、真壁にも判然としない。

 エリザベスのことを考えていると、とっくの昔に別れたはずの沼林景子の顔が思い浮かんだ。苦い経験であり、忘れた女のはずなのに、なぜ思い出すのかと真壁は不思議に思った。エリザベスよりも顔をつきあわせていた期間が長いからといった、単純な理由なのだろうか。

 あいかわらず、断続的に鶏が鳴き続けているほかは、周囲は静まりかえっていた。

(小川の炊き出し準備はどうなっているだろう。確か十二月は、十五日の日曜日と二十四日のクリスマスイブにやる予定になっていたはずだ。カソリック教徒の多いフィリピン人は、クリスマスには子供から大人までが何がしかの贈り物を期待している。なんとか二十四日までには戻って、スラムの人たちにお年玉をあげたいものだ)

 お先真っ暗、いつマニラへ戻れるか分からないながらも、炊き出しへの参加を真壁は考え始めた。ティムの姿を思い出す。月に一度か二度の炊き出しでも少しは彼の役に立っているだろうが、将来はどうなるのかと自分の無力さを思い知らされる。小川にしろ自分にしろ、駐在員は任期が切れたら帰国するしかないのだ。

 やがて、長井のことに考えが移った。二人の海軍兵の話は、間違いなく元上官と長井の父親のことであろう。長井の気持ちを考えれば、マニラへ戻ったら真っ先に教えてやりたい。しかし、それを話してしまえば、長井から詮索されるのは間違いなく、語った元日本兵に会わせてくれと頼まれるだろう。ところが、聞いたこと、見たことの一切は、誰にも話さないと女将にも原田老人にも約束している。どうしたものかと、暗闇の中で真壁は考えあぐねた。



          8


 原田老人の仕事を手伝って半日を終え、二日目の夜になった。朝食はお粥、昼食は乾麺の日本そばで、どれも柔らかく、真壁には腹持ちしない料理ばかりである。再生タイヤを作る作業はかなりの重労働なのだが、原田老人は歯が悪く、節約の意味もあるのだろう。

 夕食の茶漬けをかき込んでいると、女将の話になった。

「娘のことなんだが」

 茶漬けを食べ終わり、小粒の梅干しを口に放り込むと、老人が突然に言い出した。

「娘には内緒にして欲しいんだが、俺の命は長くない。心臓がおかしいのさ。この国の暑さにやられたんだろうな。俺の親父は、七十ちょうどで死んでいるから、七十五まで生きた俺は、長生きしたほうだ。

 戦後の四十年間、娘には随分と辛い思いをさせた。母親をマニラの市街戦で失い、学校ではいじめられ、金がないために大学へも行かせてやれなかった。それでも、一人でマニラへ出て、ここまで娘はやってきたんだ。苦労をさせて申し訳ないと、心の中で謝るのが俺の日課だったよ。

 フィリピン人の亭主はいるが、この先、何があるか分からない。俺が死に、もしものことが娘の亭主にあれば、子供のいない娘は、この国で一人ぼっちになってしまう。

 それで、もし何かあったら娘を助けてやって欲しいんだ。君に頼む理由は、君が娘に助けられたからだ。俺が言うのも押しつけがましいが、今回の件で君は恩を忘れない男だと判断したわけさ」

 原田老人が涙声になり頭を下げた。真壁も頭を下げ、顔を上げると互いの目が合った。

 穏やかな表情を老人が浮かべている。これまで老人が抱えていた思いを、全て言い切ったかのようであった。

「ところで、君を人身御供にした会社に、まだ奉仕するつもりでいるのかい」

 真壁個人のことに老人が話を変えた。

「自分としては、気持ちの整理はついているんです。しかし、臆病なんですよ。教師をしていた頃、生徒の父兄が怒鳴り込んで来たのですが、私は何も言えぬまま大人しく辞めてしまいました。今も上司相手だと、何も言えないんです」

 かねてからのトラウマを、真壁は打ち明けた。

「なるほどね。しかし、心の弱さに悩むのは、君だけではないと思うよ」

 そう言うと、老人は旧日本軍の話を始めた。

「例えば、君は軍隊のような上下関係がはっきりした世界なら、上意下達で簡単に命令が実行されていたと思うだろうが、実際はそんなもんではなかったのさ。辻政信のような参謀にかかっては、自分は中佐なのに大佐や少将にも自分の意見を通していた。脅しにかけることで、自分に従わせるのはお手のもんだったんだ。

 例えば、ノモンハン事件前、ソ連が国境付近に精鋭部隊を集結させていると関東軍の会議で報告した土居大佐を、『弱腰なあんたを血気盛んな若手が殺すと言っている』と脅して開戦に持ち込み、負け戦になると、自分の責任を棚に上げて、今度は退却した連隊長数名を自決に追い込んだ。

 シンガポールでは、中国人の粛正を渋っていた司令官の河村少将に、軍刀を抜いて実行を迫ったというんだから、奴はやりたい放題だった。しかも、戦後になって、河村少将は虐殺の罪を問われ死刑になったのに、辻政信は国会議員にまでなったんだから、何をか言わんやだよ。

 終戦の際のクーデター騒ぎもそうだ。阿南陸軍大臣を脅し、一億総特攻、本土決戦を主張してポツダム宣言受諾を阻止しようとした中佐クラスの連中は戦後も生き抜き、厚生省の役人や『電通』のお偉方になっている。つまり、臆病、卑怯と罵られるのを恐れる空気を逆手に取り、日本軍の内部は、威勢の良い下の者が上を左右する、いわば下剋上の状態になっていたわけだ。その結果がご存知のような敗戦さ。そこに、上官たちの苦悩、人間の弱さが見えないかね。みんな臆病だったんだよ」

 生産力の低さが戦争に負けた理由と思っていた真壁にとって、人間の弱さから戦争を見る老人の言葉は意外だった。大局を知らない部下に左右される組織が戦争に勝てるはずはなく、そこに人間の弱さがあったとは考えもつかなかったのだ。

 思い起こすのは、マニラ市街戦の岩淵少将である。全滅の恐れが迫り一度は撤退を具申したものの、大本営や連合艦隊司令長官から勇ましい「激励」の電報を受け、臆病者、卑怯者と言われるのを恐れる弱さが岩淵にあったのではなかろうか。

 そんなことを考えながらも、何か真壁の心に引っかかるものがある。

 長井の父親の死が陸であったことを知らせに来ながら、市街戦の原因追及をなぜ元上官は渋ったのか、長井の父親と上官の勤務が潜水艦であったことをなぜ元上官は長井に教えなかったのか、市街戦の最中、なぜ長井の父親と元上官は特務機関員を見て逃げ出したのか、なぜ大本営は市街戦にこだわったのか、なぜ原田老人の口封じを今以てしなければならないのか、やはり二人の海軍兵を目撃したことと関係があるのではないか。いくつもの疑問が真壁の頭に渦巻いていた。


  ー後篇に続くー


                 参考文献  後篇に記載


          (この作品はフィクションです)

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