駐在員と市街戦

南風はこぶ

駐在員と市街戦  (前篇)

    プロローグ

          1

 騒がしい足音が職員室の入り口で聞こえた。千葉県の中学教師である真壁進次郎が机に向かい、作成を終えた通信簿を見直していた放課後のことである。夏休みが数日後に迫っていた。

「貴様が社会科の教師か」

 唐突に男の声がした。椅子をずらし、何事かと真壁が振り向くと、三人の男が立っている。

「失礼ですが、どちら様ですか」

 不意の出来事に狼狽えながら、真壁は立ち上がった。見当はついている。昨日、授業中に大声で私語を始めた生徒の父親であろう。生徒の名前は山本といった。声を荒げたわけではなく、穏やかに注意をしただけなので問題になるとは思わなかったが、思い当たる節はそれしかない。

「何だと、この野郎。貴様の態度は何だ。ちゃんと立ち上がって、すいませんでしたと謝れないのか」

 父親らしい男が怒鳴り始めた。自分の子供のこととなると血相を変える親はいるものだが、それにしたところで異常な剣幕である。形相も凄まじい。

「落ち着いて下さい」

 真壁は背筋を伸ばし、目の前に並んだ三人の男達を眺めた。

「なぜ大勢の前で叱ったんだ。息子は傷ついたんだぞ。謝れよ」

 立ち上がったばかりの真壁の鼻先に、興奮した父親の怒声と唾が飛んでくる。

「何を息子さんが訴えたのかは分かりませんが、他の生徒の迷惑にもなることでしたから、教師としての責任上、注意をさせてもらいました。感情的に叱ったりはしておりません」

 やはり昨日の一件かと思いながら、やんわりと真壁は釈明した。

「言い訳するな。もう勉強はしたくないと息子が言っているんだ。おまけに、お前を刺し殺すとも言ってるぞ。息子の将来を台無しにしやがって」

 父親の興奮は収まらない。

「お前は生徒が可愛くないのか。そんなことで、よく教師が務まるもんだな。お前には教師の資格なんかないんだよ」

 父親の息づかいが、一層激しくなった。怒りが最高頂に達したようである。

「だったら、私はどうしたら良かったのですか。私語を見逃したままでは、授業は続けられませんよ」

 父親の一方的な言い分に、真壁は問い返した。父親は返事に窮している。真壁の反撃が意外だったのだ。

「いてまうぞ、われ。おのれは教育基本法に触れてんねんぞ。そのくらい分らんのか、どあほ」

 父親の不利を悟ったのか、ふいに隣にいた男が口を挟んできた。聞き慣れない関西弁を耳にしたせいか、思わず緊張が走る。

 真壁は恐怖を感じた。柄物の半袖シャツを着た、いかにもその筋風の男である。父親とどんな関係にあるのか疑問が湧くが、推測も出来ない。

「たかが教師やないか。世の中の事なんぞ、われはなんも知らんやろ。青二才のくせしおって、偉そうな口きくんやないで。今に痛い目に遭うからな、覚悟しとけや」

憎々しげに唇をねじ曲げ、いかにも脅すように真壁の耳許で男が大声を出した。高飛車な男の言い草に苛立ちながらも、これくらいの言葉でへこむわけにはいかない。

「確かに半人前、青二才かもしれませんが、私は教師です。教師としての責任を放棄するわけにはいきません」

「ええか、新幹線でわざわざわしは大阪から来たんや。ここにおる兄弟の電話を今朝もろうてな。ええかげんなことぬかしとると、明日から街宣車で乗りつけるで。それでもええのか」

 平静を装いながら真壁が無視していると、根負けした関西弁の男は助けを呼ぶように隣の男に顔を向けた。



          2

 

 五十歳前後と思われる三人目の男が、関西弁の男を片腕で制して前へ出てきた。紺色の背広の下には、白いワイシャツが見える。ノーネクタイであった。

「お前は偏向教育をしているそうじゃないか。父兄の噂になってるぞ」

 叱ったことを咎める父親とは全く脈絡のない内容を言いながら、男は肩を怒らせて真壁の目の前に立っている。痩せぎすな体型が、神経質そうな性格をにじませていた。

「本で読んだうわっ面の知識で、日本がアジアを侵略しただの、虐殺しただの、いい加減なことを教えているんだってな。これっぽっちの戦争経験もないくせに、どうしてお前なんぞにあの戦争のことを教える資格があるんだ」

 男の喉仏が上下し、腹から絞り出すように低い声を出した。ドスの利いた声、しかも命令口調である。男の目は少しも動かず、真壁を睨みつけていた。眼光の鋭さは並外れており、場慣れしている男だと真壁は感じる。

「学んできたことを、私は生徒に教えているだけです。失礼ですが、貴方のお名前を教えてもらえますか」

 怯みながらも、真壁は言葉を返した。相手の名前を真壁が訊いたのは、咄嗟の判断である。そうでもしなければ、言いたいことは山ほどあるのに、口から言葉が出てこないのだ。

「俺は山岸という者だ。文句があるなら、この場で言ってみろ」

 男は怒鳴り声を出しながら真壁との距離を縮め、執拗に真壁の目を覗き込んでくる。

 強面の男を真壁は苦手であった。喧嘩をふっかけられたも同然だが、如何せん喧嘩の経験はほとんどない。真壁は耐えられず、思わず目をそらした。しかし、山岸は依然として真壁を睨み続けている。

 どう対応したら良いのか、これ以上為す術を真壁は知らなかった。あるとすれば感情にまかせて相手に殴りかかるだけだが、人前で殴り合いをするほど理性は失っていないつもりである。

 いつの間にか、周囲には十人ほどの職員が集まっており、真壁の目に入っていた。しかし、気が動転しているのか、一人一人の顔を見ている余裕はない。

 一分、二分と静寂が場を支配した。誰も助け船は出してくれない。こんなにも自分は人望のない男だったのかと、我が身が恨めしくなってくる。

 そのうち、一人の声が聞こえた。

「偏向教育はいかん。山岸さんの言うとおりだ。謝りなさい」

 声の主は教頭であった。

「教師は中立でなければいけないはずだろ。それなのに君は何を教えていたんだ。君には教師の資格がないよ」

 間髪を入れずに教頭は言葉を続けた。山岸なる男にへつらうような言い方である。

「ほらっ、今の声が聞こえたか。お前が偏向教育をしていることを、みんな怒っているじゃないか。謝れよ。きちんと床に頭と手のひらをつけて、『申し訳ありません』と謝るんだ」

 教頭の叱りつける言葉に立ち往生していた真壁に向かって、山岸が勝ち誇った笑みを浮かべた。おどおどした真壁の様子を見て、楽しんでいるようにも見える。

「もたもたするな。土下座して謝れと俺は言っているんだぞ」

 一瞬にして薄笑いの表情を消し、眉間に皺を寄せ大声を出す山岸のこめかみには、血管が浮き出ている。真壁の膝頭は震えだしそうになっていた。

 催眠術にかかったように、真壁進次郎の思考は完全に停止している。

「今すぐにでもこいつを辞めさせろ。さもないと、この学校へ毎日押しかけるからな」

 真壁に向けていた姿勢を反転させ、威嚇するかのように背後の教職員をゆっくりと山岸が見回して怒鳴りつけた。誰一人、反論する者は現れない。

 再び山岸が真壁に向かって振り返ると、頭の中が真っ白になった真壁の目の前に、山岸の人差し指が突きつけられた。



    第一章


          1


 1985(昭和60)年九月六日、金曜日の昼、「東比貿易」マニラ支店の電話が鳴った。東京に本社を構える「東比貿易」は社員四十名余りの小さな会社とはいえ、国際入札の専門商社である。フィリピン共和国の首都マニラには、二人の日本人駐在員がいた。

 フィリピンの商売は激烈かつ特殊である。例えば、ほんの十数年前まで、水道メーターやバルブといった製品は日本勢が納めていたが、今は価格競争に負けてインドや中国に取られてしまっている。もはや素材に近い製品に、日本の商社が入り込む余地はなかった。

 一方、建設機械や車両などは日本勢の独壇場である。しかし、数少ない大手のメーカーは、大手の商社が商権を握っていた。どの国でも、小さな商社は見向きもされないのである。ところが、フィリピンには戦後賠償からの流れがあり、そこに「東比」など特殊な商社の暗躍する余地が残されていた。

 昼飯時のため、電話の鳴る事務所に現地社員の姿は一人として見られない。閑散とした事務所の大部屋で、クリーム色をしたシーメンス社製の受話器を取ったのは、赴任して五日目の新米駐在員、真壁進次郎である。三十歳を目前にして中学教師を辞め、「東比」へ入社してから五年余りの月日が過ぎていた。

 真壁が受話器に耳を当てると、ピッピッと電波音のような雑音が入り、国際電話だと直ぐに分かる。はたして東京の本社からであった。緊張のあまり、一瞬、真壁の首すじがひきつる。

「藤原君はどこにいる」

 電話の声の持ち主は栗山部長だった。かなり怒っている様子が感じられ、真壁の心臓は凍りつきそうになる。栗山部長はワンマンそのものの人物で、年齢は五十を超えていた。真壁が本社にいた五年間は毎時間のように怒鳴り散らされ、部長の声は恐怖の的になっている。

「先ほどお出かけになりましたが、行先は分かりません」

 椅子を蹴って立ち上がり、真壁はまっすぐに背筋を伸ばした。

「馬鹿野郎。支店長がどこへ出かけるかくらい、なんで訊いておかないんだ。お前は商社員失格だぞ」

 電話口から大きな怒鳴り声が響いてくる。

 小さな商社に余剰人員を抱えている余裕はない。一を聞いて十を知ること、何でもこなすこと、そつなく気配りのできることが、当たり前のこととして全社員に要求されている。上司は無論のこと、隣の同僚が何をしているかも分からないのでは、商社マン失格というのが「東比」の社風なのであった。

「申し訳ありません。今後は気をつけます」

 流れ出る額の汗を手で拭いながら詫びを入れ、真壁は部長の次の言葉を待った。エアコンの音が耳に響き、胸の動悸が激しくなってくる。

「仕組まれているぞ。どうするんだ」

 不機嫌そうな大声が続け様に聞こえてくる。仕組まれているとは何のことか、支店長の行先から話が変わり胸をなで下ろしたものの、何を部長が言っているのか見当がつかない。

 それでも瞬時に頭を巡らせていると、日本の円借款による「漁港近代化プロジェクト」の案件が閃いた。

「冷凍施設のスペックが、アンモニア冷凍法になっているんだよ。メーカーは三社しかないぞ。みんな押さえられている。どうするつもりなんだ」

 真壁を追い詰めるように、栗山部長が更に語気を荒げた。

「確かに私が担当になりましたが、支店長から入札スペックの入手を言いつけられたのは、ほんの四日前なんですが」

 藤原支店長の指示通りに動いているだけで、自分の責任ではないと真壁が言い訳しようとすると、

「何が四日前だ。君がそっちへ行ったのは一週間も前のことだろ。もたもたしていると、日本へ呼び戻すからな。とにかく、今日中に今後の対応を報告しろ」

 部長の電話が切れた。「日本へ呼び戻す」とは、解雇のことである。使い物にならなければ首にするというのは、何事につけても余裕のない、小さな商社ならではの厳しさであった。



          2


「東比」の主な取引先であるフィリピン政府の買い付けは、入札の形態を取っていた。主な資金源は、アジア開発銀行、世界復興銀行、円借款、無償供与などである。

 入札というのは、価格の最も低い会社が優位となる。それゆえ、価格的に競争力のあるメーカーとタイアップするのが、受注への近道であった。しかし、一番札であっても、それは優先的に交渉権が与えられたというだけで、契約が決まったわけではない。

 価格で負けても契約を取るためには、スペックの作成段階から客先に介入するのが、その第一歩であった。いち早く買い付け情報を入手し、特殊なスペックを持つメーカーを押さえるのである。「特殊」というのは、日本で三社しか製造していないとか、機械が縦型とか横型とか、とにかく他社が排除しやすいスペックということになる。

 このような特殊スペックを客先に採用させておけば、三番札、四番札、時には七番札、八番札であっても、スペックを口実に入札審査にいちゃもんをつけられる。値段が高いのはスペックの違いがあるからであり、スペックに合っていない応札社は全て失格にすべきと工作できるわけだ。

 勿論、内部の入札審査に介入するのであるから、普段からの客先との密接な関係が必要となる。入札情報の先取りから契約を結ぶまでの裏仕事が、「東比」駐在員の腕の見せどころなのであった。

「まいったなぁ」

 思わず真壁の口から声が出た。「漁港近代化」の案件は、真壁が本社にいた二年前から情報があり、同僚の赤城が担当していたものだ。その間にスペックが仕組まれていたのだから、悪いのは日本にいる赤城の対応が弱かったのか、マニラ支店がきっちり動いていなかったのか、いずれかになる。

 今回の「漁港」案件のように、コンサルタントが日本企業であることもあり、参加社の限られている円借款入札では様々な仕掛けが可能なはずだった。赤城の上司で東京にいる栗山部長こそ的確な指示も与えず何をしていたのかと、真壁は疑問に思う。マニラ支店の対応もおかしいが、本社の対応もおかしいのだ。

(俺が赴任したのは、九月一日の日曜日だぜ。一週間前どころか、ほんの五日前だ。なぜ俺が怒られるのか、さっぱり分からん。俺じゃなく、支店長に文句を言えば良いのになぁ)

 心の内で真壁は毒づいた。漁港プロジェクトの担当を藤原支店長から命じられたのは、マニラ支店に初出勤した九月二日で、公示前に入手した入札書類を本社へ送ったのは二日前の九月四日である。真壁の初仕事であり、うまくやったと真壁は思っていた。

 公表されていない入札書類を手に入れるのは、いくら規律の緩いフィリピンの役所といえども容易ではない。酒を飲ませさえすれば、金さえ握らせれば簡単だろう、と思うのは大きな間違いである。人間というのはそんなに甘くない。プライドがあるのはフィリピン人も同じであり、嫌われたら口もきいてもらえず、信用できないと思われたら金の話も出来ないのだ。

 運良く今回はプロジェクト事務所のエンジニアに近づき、初日から食事に誘い出すことが出来た。初対面で嫌われてしまえば、スペックどころか今後の情報すら取れなくなる。細心の注意を払い、相手との距離を縮めた成果であった。

 俗に仲良くなると言うが、文化も言葉も違う人間同士であり、初対面から友人になどなれるわけがない。自分が相手の利益になると思わせるのは当然だが、それ以上に大事なのは人間的に信用がおけると感じてもらうことだと真壁は思っている。スペックを入手したのは、一緒に食事をした翌日の夜のことだった。

 真壁は気が気ではない。部長は今日中に報告しろと言う。すぐにでも漁港プロジェクトのオフィスへ出かけたかったが、赴任早々の真壁は、支店長の許可なく動くことが禁じられている。栗山部長からの電話内容を報告しようと支店長に連絡を取りたくても方法はなく、「漁港」事務所の閉まる時間を気にしながら、真壁は支店長の帰りを待つことにした。

「東比」生え抜きの社員である藤原支店長は、今年四十五歳になる。ゴルフ焼けした黒い顔と、バロン・タガログといわれる白い現地服が似合う人物であった。

 午後四時頃になって、ようやく藤原が戻ってきた。真壁は足早に支店長室へ出向き、部長の電話内容を報告した。

「漁港プロジェクトは、お前が本社にいた頃からの案件だろう。なぜ具体的な指示をマニラへよこさなかったんだ。しかも、アンモニア冷凍法のメーカーが三社しかないなんて、俺の知ったことか。とにかく今はお前が担当者だ。他の商社に出し抜かれて、『どうしましょうか』なんて、俺に泣き言を言うな。自分の頭で考えろ。いつまでお前は先生のつもりでいるんだ」

 自分の責任を感じている様子は全くなく、平然とした顔で藤原は真壁を見つめ返している。

(いくら本社にいたといっても、俺は担当じゃなかったんだぜ。それなのに責任を俺になすりつけるとは、どういうことだ。俺が『漁港』担当になったのは、ほんの四日前じゃないか。あんたのフォローが悪いからライバル商社に出し抜かれたんだろうに。おまけに俺のことを「先生」などと茶化しやがって)

 真壁は怒りを耐えていた。藤原が真壁のことを「先生」と言ったのは真壁の前職が中学校の教師だったからだが、勿論、尊敬しているからではなく、世間知らず、ビジネスには向いていないと馬鹿にしているのである。



          3


「急いでいるので運転手を借ります。それから、漁港事務所のエンジニアを接待しますので、夜は遅くなります」

 大至急であり、自分の頭で考えろと言われたことで、躊躇いながらも真壁は思い通りの要求を藤原にぶつけた。

 真壁が躊躇ったのは、支店に一人しかいない運転手を借りてしまえば、二人が会社の宿舎で同居していることから、社に二台ある残りの一台の車を藤原自らが運転して帰宅せねばならないからである。しかも、早く現地の免許に書き換えろと今朝もせかされていたのに、忙しさにかまけて陸運局へ行っていないからだった。事故を起こした場合のトラブルを恐れ、大手商社では日本人社員が運転するのを禁止しているのだが、現地社員に知られたくない裏の仕事が多い「東比」では逆なのである。

 藤原が頷くのを確認して、真壁は「漁港近代化」の事務所へ向かった。

(何が「先生」だ。俺をからかいやがって。部長にしても、二言目には呼び戻すだなんのと脅しやがって。辞めさせたいのなら、こんな会社はいつだった辞めてやる。しかし、五年も俺は辛抱してきたんだ。今更、首になってたまるか。俺だってやる時はやるんだ。なんとしても一人前の商社マンになって、いつか見返してやるぞ)

 藤原の皮肉な言い草や部長の脅し文句を思い出しながら、真壁は自らに活を入れた。自分がただの元教師、ただの中途入社社員でないことを、部長や藤原に見せつけてやらねばならない。

 役所は車で十分ほどの、「東比貿易」の支店と同じケソン大通りにあった。

 やるべきことは分かっている。出入りしている商社を洗い出し、どの商社が仕組んでいるのか、入札スペック変更の可能性があるのかを調べて本社へ報告することだ。具体的な対応は、その後にすれば良い。

 訪問相手はエンジニアのホセ・パブロだった。ホセは公示前のスペックを入手した人物で、食事に誘ったその夜、「俺の愛人だ」という女を連れてきた。お互いを知る前に自分の弱みを見せているのに等しい。無防備な奴だと思いながら、真壁はビールを飲んでいたものだ。

 役所の入り口にいる警備員に五十ペソ(五百円相当)を渡し、目の前の机に置かれた出入記録簿をじっくりと真壁は見せてもらった。市販されている縦長のノートが記録簿で、ボールペンで線引きされた欄に入退室の時間、会社名、氏名が記入されている。

 三十分前に、「洋々通商」の小川という人物が訪れていた。退出時間が書かれていないので、まだ役所の中にいることになる。「洋々通商」は、「比立産商」、「東比貿易」とともに円借款の入札に参加する常連の商社で、これらの三社は業界では「御三家」と呼ばれていた。徳川の御三家をもじった、マルコス大統領の御三家というわけである。

 建物の中へ入ると、退社時間を間近にした役所の薄暗い廊下は、行き交う人で混み合っていた。出入りの業者もいるのだろうが、この国では公務員の雇用が失業対策にもなっている。縁故採用も大っぴらで、課長や部長に昇進すると自分の親類縁者を雇い入れるため、どこの役所も職員が多いのだ。

 「よおっ、『東比』さん」

 白いバロン・タガログを着た男が、すれ違いざまに右手を上げて声をかけてきた。出入記録簿にあった「小川」だと、すぐに見当がつく。真壁より四、五歳年上のようだ。まだ一度も会っていないのに真壁が「東比」の社員だと知っているのは、さすがに情報を売り物にしている商社マンである。

 「余計なお世話かもしれんが、この案件は注意しろよ」

 ビジネスマンらしい愛想笑いを浮かべて、小川が言った。

「それは脅しですか」

 皮肉っぽく、半ば冗談めかして初対面の相手に真壁は言葉を返した。

「脅しではないが、ちょっと厄介なことになるかもしれんと言いたいのさ」

 さらに何か言いたげな様子を見せて、小川が真壁を見つめた。

「恐縮ながら、厄介なことというのは何ですか」

 真壁は小川を睨む素振りを見せながら、次の言葉を待った。

「とんでもない裏切りがあったのさ」

 そう言うと小川は話を止め、我に返ったように表情を引き締め、それから再び口を開いた。

「申し訳ない。今日は急いでいるんで、話はここまでだ。どこかでまた会うだろうから、その時にでもゆっくり話そうや」

 小川が背を向けて役所から出て行った。ライバル会社の真壁に、少し喋りすぎたと反省したのであろうか。

 厄介なこととは何か、裏切りとは何か、もう少し小川の話を引っ張り出せなかったかと反省するものの、うかうかしていると役所が閉まってしまう。真壁は事務所へと急いだ。



          4


「マビニへ行く用事があるので送ってくれよ」

 真壁の顔を見るや否や、グッドタイミングとばかりにホセが目を輝かせた。今日もまた愛人と落ち合うつもりなのか、上機嫌である。

 マビニへ向かう道路は渋滞していた。時間を持て余しているのか、これからのデイトでよほど気分が良いのか、助手席に座った真壁の後部座席でホセは饒舌気味である。

 ホセは得意げに色々と語った。時には誘導尋問を交えて一つ一つ聞き出した話を、真壁は頭の中で整理する。


 1.プロジェクト事務所を二年前から頻繁に訪れているのは「洋々通商」であること

 2.アンモニア冷凍法を採用したのは値段が安いからだが、ガス漏れなどの安全面で問題があること

 3.プロジェクトのサイトは四か所予定されているが、すべて土木工事が必要であり、物価が高騰して四か所のサイトに冷凍施設を作るには政府の資金が不足していること

 4.したがって機材だけは円借で賄っても、インストレーション (据え付け) の費用がなければどうにもならないこと

 5.予算が足りないとなれば、円借をキャンセルするか、借款条件を変更してサイトを縮小するかのどちらかになるが、政府間で合意した内容を変更するのは難しいこと

 6.仮にサイトの縮小を日本側が承知しても、建設を期待していた地元の猛反発が起こり、この国の国会議員を巻き込んでの大騒ぎになり、下手をすれば死人も出ることが予想されることから、どのサイトを縮小するかは簡単に決められないこと

 7.そんな事情から、入札は予定より遅れること


 話を聞きながら真壁は考えていた。

 出入りしている商社が一社となれば、この案件は「洋々通商」が仕組んだと断定できる。なぜなら、入札規則により参加できるメーカーは一品目一社に限られているが、「洋々通商」はダミーの商社を立てて他のメーカーを間接的に押さえれば良い。ダミーの商社は「洋々」からスペックをもらってメーカーを押さえ、裏で談合の口銭を稼ぐのである。

 現状では「東比」の出る幕はない。しかし、入札が大幅に遅れるとなれば、何とか談合を壊すことも考えられる。最良の方法はスペックの変更だが、円借の入札には日本のコンサルタントが入っており、そのコンサルタントと「洋々」が裏でつるんでいればまず不可能である。

「ひとつ思い出したぜ。三ヶ月前から、『ホンエイ商事』の『カゲヤマ』という日本人が頻繁に顔を見せているよ」

 マニラ市内の交通渋滞を抜けてようやくマビニへ着いた時、捨て台詞のように言ってホセが車を降りた。「ロビンソン・ショッピングセンター」の入り口前である。

 帰宅者を鈴なりに乗せたジープニー(乗り合いバス)が、一方通行のマビニ通りを埋め尽くしているのを眺めながら、真壁は更に考えていた。

 いきなり日本の大手商社「ホンエイ」の名前が出てきたものの、三ヶ月前からの出入りとなれば、あまりに遅すぎる。やはり、「漁港近代化」は「洋々」が仕組んだ案件なのだろう。

 しかし、いったんはそう考えたものの、「漁港近代化」の役所で会った小川の言葉が気にかかる。「厄介なことになるかもしれない」、「とんでもない裏切り」とはどういう意味なのだろう。

 円借の入札に大手商社が参加してくるのは稀であるが、二年前にアキノ元上院議員が暗殺されてからフィリピン経済は停滞し、軒並み政府入札が延期されている。ビジネスチャンスが少なくなっている今、「漁港」のように百億円の予算が付いた大型案件となれば、大手商社が指をくわえて見ている道理はない。

 もし大手商社の「ホンエイ」が乗り込んでくれば、円借款の元締めである「海外経済協力基金」や日本大使館を巻き込んでの大乱戦になる可能性がある。「洋々」が仕掛けた案件なのは間違いないとしても、小川の漏らした言葉が頭から離れない。部長へどう報告するか、真壁は頭を悩ませた。



          5


 ホセと別れると緊張感が崩れ、接待の必要もなくなったことで急に真壁は空腹を覚えた。既に夜の七時を回っている。

 近くに日本料理屋があるのを思い出し、真壁は向かった。そこは昨晩も藤原に連れられて食事をした店で、四十五歳前後の日本女性が経営している。味が良いから来ていると藤原は言っているが、女将のさっぱりとした気性に加え、ほんのりと漂う色っぽさも魅力だった。

 運転手に二十ペソ(邦貨にして二百円相当)の食事代を渡し、暖簾をくぐって真壁が「鳥羽屋」に入ると、煮物と焼き魚の混ざった日本の匂いが鼻に染み込んでくる。店内は右側に四つのテーブル、左側に五人ほどが座れるカウンターと厨房があるのだが、観光客のグループで賑わっていた昨晩と違い、その夜は三人の客がテーブルにいるだけだった。

「今夜は一人なの」

 真壁の顔を覚えていたらしく、ジーンズにエプロン姿でテーブルの客に配膳をしていた女将が振り向いた。豊かな腰の線が、真壁にはやけに艶めかしく見える。夜になってもマニラの夜は蒸し暑く、まだ三十度の気温を上回っており、ハンカチで汗をぬぐいながら「はい」と返事をして、真壁は頷いて見せた。

「うるさい人が一緒でなくて良かったわね。ゆっくりしてらっしゃい」

 藤原のいた昨日は、よほどしょぼくれた顔をしていたらしい。そんな有様を女将が覚えているのかと思うと、恥ずかしさのあまり、真壁は逃げ出したくなる。

 カウンターの椅子に座ると、安ど感に似た溜息が漏れた。それなりの情報がつかめたという達成感と、もうじき一日の疲れから解放される喜びである。

「何を召し上がる」

 いつの間にかカウンターの向こうに回った女将が、真壁の前に顔を突き出した。

「ビールを頂きたいところですが、まだ仕事が残っているので、食べるだけにしておきます」

 女将の差し出したコップの水で喉を潤してから、真壁はおでんを注文した。これから支店へ戻って報告書を書くとなれば、アルコールを飲むわけにはいかない。部長とのやりとりは、電話であろうが書面であろうが、喧嘩と同じなのだ。酔った頭で、真剣勝負など出来るはずがない。

 おでんが出てくるのを待つ間、どのように報告書を書くべきか真壁は考えた。先ほど仕入れた情報をそのまま伝えたのでは、何を言い出されるか分からない。かといって自分の推測を入れたのでは、「君の推測など要らん」と叱られるだろう。

「昨日は随分とお小言を頂戴していたわね。たまには言い返してやらなくっちゃだめよ。あんなに偉そうなことを言ってたけど、藤原さんだって陰では何をしているか分かったもんじゃないんだから。赴任したばかりの今は大変でしょうけど、何ヶ月かすれば慣れるから安心しなさい」

 ざっくばらんに話しかけてくる女将に、真壁は軽く頭を下げた。

 マニラに赴任して以来、日本とは全く違う仕事や日常生活に戸惑うばかりで、精神的にまいっている。しかも、毎日のように繰り返される藤原の説教が、ボクシングのボデー・ブローのように効いていた。試合開始早々なのに、もうノック・ダウン寸前である。そんな真壁の心理状態が顔に出ているのに違いない。女将の言葉に、つい涙腺が緩みそうになった。

 どうして自分は仕事ができないのか、自虐の念が頭を駆け巡る。もっと英語を勉強しろ、情報量が少ない、仕事の効率が悪いと藤原から叱られていたのは、昨日の晩、まさにこの店でのことだった。

 真壁にも言い分はある。客先訪問前に約束を取ろうとしても、回線や受話器が不足しているのか電話が通じない、交通渋滞がひどい、約束の時間が守られないといった具合なのだ。

 次第に鬱々としてくる気分を抱えて、結露に濡れたコップを真壁は握りしめた。

「まさか日本へ帰りたいなんて思っていないでしょうね」

 おでんの盛られた皿をカウンターに差し出しながら、真壁をたしなめるような口調で女将が言った。

「大変だと思うのは今のうちだけよ。マニラで働いている駐在員の人はね、任期が切れる頃になると、帰りたくない、帰りたくないって、みーんなこぼすんだから」

 疲れ切った様子の真壁を励ますように、女将が微笑んだ。

 そんなものかと思いながらも、女将の言ったことには半信半疑である。温度も湿度も異常に高く、治安も悪く、道路や電力事情も悪い。おまけに、雨が降れば街中は洪水になる。そのうえ、言葉が不自由となれば、この先、何年住んでいようと、帰国したくないと自分が言い出すことなどあるのだろうか。

「個人的なことを訊いてもいいかしら」

 割り箸を握っておでんに手をつけようとした真壁に、女将が神妙な顔をして話しかけてきた。



          6


「真壁さんは、学校の先生をしていたんですってね。どうして辞めちゃったの。学校の先生といえば、安定した職業なのに」

 思いがけないことを訊かれて、真壁は戸惑った。藤原から聞いたのであろうが、素直に答える気にはなれなかった。教師を辞めた時の屈辱感が、今もって消えていないのである。

「六年間、千葉県の中学で社会科の教師をしていたんですが……」

 優しく接してくれる女将の質問を無視できず、真壁は話し始めた。

「授業中に騒いでいた生徒を、その場で叱ってしまったんです。翌日の放課後、叱った生徒の親が職員室に乗り込んできましてね、大事な倅を人前で叱るとは何事だ、息子は傷ついたんだぞ、謝れと、ものすごい剣幕だったんですよ」

 真壁の説明に、女将がかみついた。

「それはおかしいんじゃないの。だって、授業中に生徒が騒いでいたんでしょ。他の生徒のことがあるんだから、静かにするように叱るのは教師の責任だと思うけど」

 女将が口を尖らせ、不満そうな顔を見せた。

「今は時代が違うんですよ。景気が良いですからマイホームが当たり前になり、子供には自分の部屋があって、親が干渉出来ない時代になっているんです。自分勝手な子供が増えるのは、当然の理なんでしょう。

 まぁ、この程度の文句は覚悟していたんですが、他にも父兄らしい男が一緒にいて、色々と説教されました。たかが教師のくせに一人前の口をきくな、お前なんぞは世の中がどんなものだか知らないだろ、世間知らずの青二才とは、お前のような奴を言うんだなんてね」

「でも、そんなことを言われただけで教職を諦めるのは、ちょっと無責任じゃない」

 納得しないのか、女将が眉をひそめる。真壁は話を継ぎ足した。

「世間知らずという言葉に、私は反応してしまったんです。学校という温室を卒業し、学校という温室で生きている教師は、世の中の厳しさ、つまり社会を知らないことに引け目を感じているものなんですよ。特に私は社会科の教師でしたからね、そんな思いが人一倍強かったんだと思います」

「それにしても、辞めることはなかったんじゃないのかなぁ」

 カウンターの向こうで女将が料理の手を止め、非難するような眼差しを真壁に向けた。

「おっしゃる通りかもしれません。世の中の厳しさを知らずに温室で生きている事に対する、私のコンプレックスが強すぎたのでしょう」

 真壁は顔をしかめて見せた。真壁の呼吸が次第に乱れてくる。

 真壁の言葉が聞こえなかったように、女将は無反応であった。とってつけたような真壁の説明に、真壁の苦衷を察したのだろうか。



          7


真壁は嘘をついていた。正確に言えば、嘘をつかざるを得なかった。社会を知らない劣等感から解放されたくて辞めたというのは、あまりに見え透いており、綺麗事なのは真壁にも分かっている。

 なぜ辞めたのかと己に正直に問えば、あまりにも恥ずかしく惨めな気分になった。そのために、辞めた本当の理由を真正面から考えるのは苦痛であり、この五年間を自分を欺しながら生きてきたといっても良い。

 核心には触れていないと自覚しつつも、辞める決意をさせたと思しき理由は三つあった。

 ひとつ目は、辞めなければ毎日押しかけるという言葉である。校門の前に街宣車が乗り付け、大型のスピーカーから大音響でがなり立てる日が続きでもしたら、学校や生徒に迷惑がかかると思ったのだ。

 二つ目は、偏向教育をしていると詰め寄ってきた背広姿の男に、怯んでしまったことである。あの時、かろうじて膝が崩れ落ちるのを我慢していたが、教頭の叱責する言葉が聞こえると、集まっていた職員の前でふいに涙を流したことを思い出す。

 三つ目は、なぜ誰も助け船を出してくれないのか、俺は独り相撲をしているのかといった孤独感に襲われたからである。

 思い起こせば、涙ばかりではない。山岸と名乗る男から指を突きつけられると、走って職員室から逃げ出してしまったのだ。

(どうして逃げ出すような、恥ずかしい真似をしてしまったのだろう)

 商社に勤め始めてからも、折りにつけ同じ問いを真壁は胸の内で繰り返していた。頭の中に蘇るのは、偏向教育をしていると自分を責めた山岸の顔と凄みのある声である。

 欠勤する真壁を心配して先輩教師の多田が電話をくれたのに意地を通し、数日の欠勤後、辞職を止める校長の言葉にも耳を傾けず、強引に真壁は退職届を出した。夏休みになる学期末まで日が間近であったこともあるが、突然に辞めるというのは無責任な行為であったと今は深く反省している。

 教師を辞めた経緯を女将に話している時から、沼林景子の記憶が蘇っていた。同じ時期に連続して起きた出来事だからではない。教師を辞めた真壁を、精神的などん底に突き落とした女なのである。

 沼林景子は四歳年下で、当時、交際していた恋人であった。父親は県の高校教師をしていたと記憶している。真壁と景子は同じ中学の教員で、彼女は英語を教えており、いずれ結婚しようと約束していた仲だった。ところが、騒動の数日後、真壁が彼女へ電話をして退職したことを伝えると、「好きな人ができた」と言われ、そのまま別れてしまったのである。

 真壁は景子を追いかけなかった。未練たらたらでありながらも、自分が職員室から逃げ出したことを彼女は知っているはずで、そんな後ろめたさからくる恥ずかしさの余り声がかけられなかったのである。しかも、無職となり収入のなくなった自分の立場を考えると、幸せな家庭を夢見る彼女に翻意を促す勇気が出なかったのだ。

 それでも別れた直後、二度ほど景子の自宅に電話をかけた。いずれも母親が電話を取り、「貴方とは話したくないと娘が言ってます。もう電話をかけてこないで下さい」と言われたものだ。

 沼林恵子との別れは精神的に大きなダメージとなり、一ヶ月ほど食事が喉を通らなかった。何もかもが億劫になり、生きる気力が薄れた真壁は体も精神も衰弱していく。

 千葉のアパートで布団にくるまり、このまま死んでしまおうかと考え始めた頃、突然として怒りが湧いてきた。偏向教育だの毎日押しかけるだのと真壁を脅した山岸や関西弁の男、へつらうように言葉を発した教頭の声が腹立たしく蘇り、真壁の心に火が点いたのだ。生きる本能とでも言うのだろうか、どん詰まりになると人間は力が出てくるのかもしれない。

(こんなことで死んでたまるか。俺は強くなってやる。世知辛い世の中に出て、山岸や教頭、それに沼林恵子を見返してやるんだ)

 真壁は奮起し、怒りが冷めやらぬうちに職探しの行動に出た。幸いにも日本経済が右肩上がりに成長しており、求人難の時代である。早速、購読している新聞の求人欄を見ると、「商社員募集。海外駐在希望者歓迎。年齢三十迄」とあった。恋愛に懲りた真壁は迷わず応募し、今に至っている。



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「あなたも、いろいろ苦労したみたいね」

 真壁がおでんの皿から顔を上げると、しんみりとした眼差しで、女将が真壁を見つめていた。思いやるような目つきである。

 入社早々は、随分と恥をかいた。「東比」は入札専門商社ではあるが、社長の顔が利く大手商社から仕事をもらうことがある。主として右から左へ輸出するだけなので、貿易実務の訓練と称して新入社員が担当させられていた。

 初めて真壁が任せられたのは、シンガポール向けの工作機械である。先輩社員の指導に従って、「オーシャンフレイト(海上運賃)」や「エックスゴーダウン (倉庫渡し)」の見積もりを出すように言われても算出方法が分からず、更には「エル・シー (L/C=銀行信用状)」だの「エフ・オー・ビー (FOB=本船渡し)」だのといった貿易用語を言われてもちんぷんかんぷんで、「なんだ、そんなことも知らないのか」と何度も馬鹿にされ、罵倒されたことを思い出す。

 貿易知識の不足だけではない。教師上がりの真壁は英文タイプが打てず、新人社員の仕事であるテレックス送信用の鑽孔テープを作るのにも手間取った。最終電車で帰宅するのは当たり前で、時には終電に間に合わず、空きっ腹を抱えて冬の寒い朝を社内で迎えたこともある。

 しかし、どんなに辛くても眠くても、毎朝、一時間早く出社し、貿易用語を学習したり英文タイプの練習に打ち込んでいるときだけが、心安まる時間だった。一、二ヶ月前の惨めな思いを忘れていられるからである。

 五年の本社勤務を経て、恋の痛手は薄れていった。他にも自分が変わったと思うことがある。それは他人に対する甘えの克服であった。毎日、毎時間のように部長に怒鳴られ、同僚社員に分からないことを訊けば馬鹿にされ、罵倒されていると、他人は当てにならない、他人に甘えることなど愚の骨頂だと、身を以て学んだのだ。

 おでんを口に運びながら、真壁は考えていた。

(俺が教師を辞めて商社に入ったのは、社会を知るためなどではなく、もっと強くなるためだったはずだ。それなのに、今以て栗山部長、藤原支店長の前では何も言えない自分がいる。何も変わっていないではないか)

 自分の心の問題に正面から向き合おうと思うのだが、どうしたら良いのか分からない。その夜もまた、真壁は心許ない思いを抱えていた。

「あなたは私の弟に似ているわ。痩せていて、肩幅が広いところなんか、そっくりよ」

 次々に大根、竹輪とほおばりながら空きっ腹を満たしていると、女将が真顔になって言った。

「本当ですか。実は私には姉がいて、女将さんにそっくりなんです。七歳年上で、瑠璃子というんですが、美人でね」

 真壁には姉がいた。面倒見の良い姉だったせいか、子供の頃から母親よりも親しみを感じている。

「嬉しいことを言ってくれるじゃないの」

 女将が笑い顔を見せた。

 

 

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 翌朝の土曜日九時、宿舎から藤原とともに支店へ出社した真壁に、事務所へ導入したばかりのファックスで昨晩遅く送った報告書に対して、栗山部長から電話があった。マニラとの時差が一時間あるので、東京は午前十時である。

「君の報告書を読んだがね、こんなものでメーカーを説得しろと俺に言うのか。馬鹿にするのも、いい加減にしろ。仮に談合だとしても、『あなたは騙されているんです。こちらへ鞍替えしませんか』といったところで、そんな話に誰が耳を傾けるというんだ。

 それに、大手の『ホンエイ』が出入りしているとなれば、どんな動きをしているのか、もう少しまともな報告書を送ってこい。俺たちは勝負に勝たねばならんのだぞ。情報というのは、勝つためのものなんだよ。勝つためには先を読まねばならんのだ。現状を分析するだけだったら、そんなのは評論家の仕事だぞ。駐在員の仕事とは言えないんだからな」

 矢継ぎ早に言いたいことだけを言うと、話にならんとばかりに部長が電話を切った。

<漁港の件 昨晩、プロジェクト事務所のホセ・パブロに面談。彼によると、プロジェクト部長のところへ出入りしている商社は、「洋々通商」と「ホンエイ商事」の二社のみで、「洋々」は二年前から、「ホンエイ」は三ヶ月前から頻繁に訪れているとのこと。アンモニア冷凍のスペックを採用したのは価格の安さからであるが、政府の予算不足からジョブサイトの縮小を検討しているため、入札は予定より遅れるらしい>

 自分が送った報告内容を、頭の中で真壁は反芻した。反省点がいくつもある。真壁の送った報告には、商社マンとしての基本、つまり三つの「裏」のうち二つが欠けているのだ。三つの裏とは、「情報の裏を取る」、「事情の裏を知る」、「動きを知られぬように裏で動く」といったことだが、情報の裏を取るには、信頼の置ける、複数の情報源が要求されるのに、真壁はホセとしか接触しておらず、しかもプロジェクトの裏事情にも触れていないとなれば、報告の信憑性も要点も抜けていることになる。

 部長の指摘はもっともなのだ。駐在員たるもの、本社が動ける情報を送らねばならない。藤原から「先生」と茶化された屈辱の記憶が蘇る。

 現地社員が出払った支店の机に向かい、どうしたら良いものかと真壁は腕組みをし、大きく溜息をついた。はたして、「洋々」が頭になって談合を仕掛けており、その談合に「ホンエイ」が加わっているのか、それとも「ホンエイ」が単独で動いているのか、単独で動いているとすれば、どんな作戦を取ろうとしているのか、どんな情報を仕入れれば、商社を「東比」に鞍替えするようメーカーを説得できるのか、考えれば考えるほど頭が混乱してくる。



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 入札は遅れるとホセは言っていたが、いつ公示になるか油断はできない。早いうちに本社がメーカーを説得できるだけの情報を集めなければ、駐在員として失格の烙印を押されてしまう。

 本社にいた頃は担当しておらず、赴任して一週間も経っていないのに責任を問われる。こんな理不尽な会社なら、いっそのこと首を承知で駐在員など辞めてしまおうかとも思うが、そんな時、頭を掠めるのは五年前の屈辱であった。逃げ出すハメに自分を追い込んだ山岸、自分を見捨てた沼林景子への意地である。部長や支店長だけでなく、一人前の商社マンになって彼ら全員を見返してやらずにはおかないと決意しているのだ。

 大きな疑問があった。どうして百戦錬磨の藤原支店長が、「漁港」案件に手をこまねいていたのだろうか。二年前にアキノ元上院議員がマニラ空港で暗殺され、次々と円借案件が凍結されている中、「東比」にとって格好のターゲットだったはずである。日本からの充分な指示がなく、動きようがなかったとも考えられるが、それにしたところで、ライバル会社やプロジェクト・オフィスの動きをフォローすることくらいは出来たはずなのだ。

 自分が受けた部長の電話内容を報告することを口実に、藤原の動きが鈍かった理由を明らかにしようと真壁は支店長室を訪れた。

「お願いしたいことがあります」

 部長からの電話内容を報告した後、藤原の机の前で、直立不動の姿勢のまま真壁は話を始めた。

「例の『漁港』の件ですが、私の着任前にどんな事情があったのか教えて頂けませんか」

 やんわりと真壁が言うと、藤原が怒ったように目をむいた。

「なんだ、お前は俺がさぼっていたとでも言いたいのか」

 その通りと内心は思いながらも、そういう訳ではないと真壁が弁明すると、

「理由は簡単だ。俺は六十の案件を抱えて、人手が足りなかったんだよ。そこへようやくお前が来て、担当になった。ただそれだけの話だ」

 口早に返事をすると、目の前に立っている真壁を無視するかのように、藤原は手元のファックスを読み始めた。仕事の邪魔をするな、もう部屋から出て行けというのであろう。

 真壁は疑問を感じていた。入札は仕込みが大事である。事情はどうであれ、何も手をつけずにいた理由にはならないはずだ。少なくとも、プロジェクト・オフィスで考えている冷凍機のスペックぐらいは、一年前に入手していなければならないと真壁は思う。

 別な疑問も生じていた。百億円の予算が付いた大型案件を見送るのであれば、とっくのとうに藤原の説明は部長の承諾を得ているはずである。にもかかわらず、何も知らないかのように、なぜ部長は真壁を追い立てているのだろうか。

「おいっ」

 仕方なく支店長室を出ようとした真壁の背中に声がかかった。

「お前は上司の言葉を信用しないのか。もっと素直になれ。子供じみた反発などするな」

 真壁を諫めるような言葉を藤原が放った。説明に納得していない真壁の表情を、藤原は見逃さなかったのだろう。

 丁重に頭を下げ支店長室を後にして大部屋の自分の席に戻っても、藤原の非や疑問を口に出せなかった自分に腹が立った。上司にモノを言えない、勇気のない自分がつくづく恨めしくなる。

(やはり自分が教師を辞めたのは、そして逃げ出したのは、山岸の凄みに怯えた己の臆病さのせいではないだろうか。こんなことでは、一人前の商社マンになるどころか、男としても不甲斐ない)

 机の上に転がっているボーペンを拾い上げ、力いっぱい真壁は握りしめた。



   第二章


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 九月半ばの「東比」事務所で、今か今かと真壁進次郎は現地従業員のマイクが出社してくるのを待っていた。その日は、アジア開発銀行を資金とした入札が灌漑局であるのだが、十時の開札にもかかわらず、九時三十分になっても出勤して来ないのだ。

 いくら時間にルーズなフィリピンとはいえ、入札ともなれば時刻通りに会場は閉鎖される。灌漑局までは車で二十分かかるのに、時間は三十分の猶予しかない。もし入札に遅れて参加できなかったとなれば、大恥どころか、得意先のメーカーを失うのは目に見えている。真壁も責任を問われ、首になってもおかしくない事態なのだ。

「マイクから電話があったわ。奥さんが病気なので休むそうよ」

 支店長室で電話を受けた秘書のテシーが、大部屋にいる真壁のところへやって来て言った。

「そんな馬鹿な。俺がマイクと話すよ」

 支店長室に向かおうとする真壁を、テシーが止めた。もう電話は、切れていると言う。

「何をぐずぐずしているんだ」

 状況を察した藤原が支店長室から飛び出てきた。もたついているわけにはいかず、昨晩遅くまでかけてマイクとともに準備した入札書類をカバンに入れ、大慌てで真壁は事務所を飛び出そうとした。

 支店には二台の車がある。翻訳証明をつけた日本の運転免許証を陸運局へ提出し、現地の運転免許を三日前に真壁は手にしているのだが、一刻の時間も無駄にはできない。灌漑局の駐車場で手間取ることを考え、運転手を使いたいと真壁は藤原に頼んだ。「甘えるな。お前が蒔いた種だろ」

 けんもほろろな藤沢の言葉が返ってきた。こんな時にそれはないだろと言いたかったが、藤原の勢いに押されて真壁は諦めざるを得ない。仕方なく、会社の車は使わずに真壁はタクシーを利用することにした。

 失業者の多いマニラではタクシーが簡単に捕まる。タクシー会社から日払いで車を借り、運転手をしている者が多いのだ。そんな中にはぼったくりや客を襲って強盗を働く運転手もおり、市民からは警戒の目で見られている。

 支店前のケソン大通りに出ると、マニラ市内へ向かう反対車線はさほどの混雑ではないのに、灌漑局への方向は交通渋滞である。パトカーに先導してもらう話を聞いたこともあるが、こんな時、パトカーが偶然に通りかかるのは小説だけの話であろう。

 予想通り、すぐにタクシーは拾えた。大急ぎの事情を説明すると、運転手はハザードランプを点けた後、分離帯の切れ目から灌漑局とは反対の車線に車を乗り入れた。

 渋滞を避けて、いったんマニラ方向へ進むのだろうと真壁が思っていると、いきなり運転手は灌漑局方向へとハンドルを切った。向かってくる車を唖然とさせながら、分離帯に沿って車はケソン大通りを逆走していく。日本ならできない芸当である。いつ衝突するか、喧嘩沙汰にならないか、午前中とはいえ三十度を軽く超える猛暑の下、エアコンのない車内で真壁は冷や汗を流していた。



          2


 灌漑局の門に着くと、五十ペソもかからない運賃に二百ペソを奮発し、入札書類の入った鞄をひっさげて真壁はタクシーから飛び出した。門を入った灌漑局の玄関には簡易テントがあり、張られた幕の下の机を前にして二人の警備員がいる。時間は二、三分しか残されていなかった。

 本来なら受付の手続きをしなければならないのだが、足を止めて記帳している時間はない。まだ顔見知りと言えるほどの仲ではないので止められると判断した真壁は、百ペソ紙幣二枚を机の上に置いた。

「申し訳ない。入札会場へ急いでいるんだ」と声をかけてから軽く右手を挙げて敬礼し、警備員がにやりと笑うのを確かめて真壁は受付をすり抜けた。

札びらで頬を叩くのは品がない、日本人の恥さらしだと言う人がいる。しかし、失業者が実質四十パーセントを超え、巷には物乞いや売春婦が溢れ、職に就いていたとしても給料は極端に少ない。そんなフィリピンの社会状況で、上品な理屈を振り回しても始まらないことを真壁は学んでいた。空虚な理想論を唱えたり自分の現地手当を遊びに使うより、身の回りにいる彼らに金をばらまいてこそ、僅か一人や二人であっても彼らの生活の足しになると思うのだ。

 マニラへ来て役所回りを始めた頃、真壁は日本の商社で運転手をしている人物と駐車場で立ち話をしたことがあった。彼は元軍人で、「俺たちは歩哨番の時に強盗へ出かけるんだ」と言う。歩哨として記録が残っているのでアリバイが立証でき、強盗へ出かけている間、仲間に歩哨を頼んでおけば絶対に捕まらないというわけである。

「我々が強盗をするのには理由があるんだ。当直時の食費や毛布のクリーニング代、何から何まで差し引かれて、みんな切羽詰まっているんだよ。強盗でもしなければ家族を養えないのさ。誰が好き好んで強盗なんぞするもんか」と、悔しそうな表情を浮かべた彼の姿が、真壁の頭にこびりついていた。

 会場へ滑り込んだのは十時きっかりで、まさに職員が出入り口の扉を閉めようとしていた瞬間である。素早く扉をすり抜け、受付に書類を提出し、真壁は空席を探した。大小様々な入札品目があるため参加社が多く、会場は人いきれに満ちている。冷房などはなく、とにかく蒸し暑い。

 滴り落ちる汗をぬぐいながら空いている席を探していると、黒い上下のスーツを着た、まるで葬式のような身なりの若い女性が、わざわざ立ち上がって真壁に手招きをしていた。Tシャツにジーンズ姿が普通のフィリピンでは珍しい恰好で、おまけに黒いストッキングである。

 渡りに船とばかりに、真壁は近づいていった。何か企みがあるとか、疑う必要はない。フィリピン人には困っている人を助ける民族性がある。「フィリピノ・ホスピタリティ」というやつだ。

 彼女の歳は二十五前後だろうか。鼻は少し丸く、茶色の肌をしているが、可愛い顔をした典型的なフィリピン美人であった。

「本日は参加社が多く、入札品目も多いので、進行は滞りなく進めます。皆さん協力してください」

 灌漑局の役人が、壇上から大声を出して注意を促す。

 席に座った真壁が呼吸を整える暇もなく、入札が始まった。まず「ビッド・ボンド」と呼ばれる入札保証金やメーカー委任状などの書類チェックが行われ、応札会社名と入札品目を告げると、応札金額を役人が早口で読み上げ始める。

「フォルミリオンスィックスハンドレッズフォルティーンサウザンズスリーハンドレッドフィフティオンリー」

 巻き舌のRが特徴的なフィリピン訛りもあってか、数字の並ぶ英語に真壁の頭は混乱した。最初は何とか書きとったものの、立て続けに次の品目に移ると、どうしても一部が聞き取れない。初めに「滞りなく」と職員がわざわざ断ったのは、質問は受け付けないということよりも、早口で読み上げるぞ、聞き逃したからといって進行を止めるなということなのだろう。そもそも、英語が公用語のフィリピンで、数字を聞き取れない参加者など一人もおらず、こんな大勢の前で「モウ一度オ願イシマス」などと手を挙げられる訳がない。

 真壁は焦った。「東比」の担いだメーカーにも、いずれ同業他社から入札結果は伝わり、真壁の報告した数字が間違っていたとなれば大変な問題になる。下手をすれば、会社の信用を損ねたとして首になるかもしれないのだ。



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  一時間半ばかりをかけて入札が終わると、先を争って人の群れが出口へ向かった。少しでも早く入札結果を会社へ戻って報告せねばならないからである。

 まごまごしていたら、会場は自分一人になってしまう。意を決して、真壁は隣のフィリピン美人に話しかけた。

「申し訳ないけど、聞き損ねが随分あるんだ。数字を確かめさせてくれないかな。英語が苦手でね」

 窮地である。恥を承知で真壁は頼み込んだ。彼女のノートを覗くと、活字のように奇麗な数字が並んでいる。

「いいわよ」と、即座に彼女は笑顔を返してくれたが、窮地も恥も忘れ、その笑顔に真壁は見とれてしまった。日本では経験のない香水の香りが、真壁の鼻先に漂ってくる。

 赤字のボールペンで各品目の応札値段を訂正し終えると、お礼に昼飯でもどうかと真壁は誘った。

「急いで帰らないとボスに叱られるのよ。またいつかにしましょう」

 あっさりと彼女から断られてしまった。

 仕方なく、真壁は名刺を渡して自己紹介をした。彼女も名刺をくれたが、見ると「ホンエイ商事 エリザベス・メンドーサ」とある。よりによって、助けてもらった相手が、「漁港」プロジェクトの「ホンエイ」社員とは真壁には驚きだった。これも何かの運命ではあるまいかと、真壁は勝手に解釈する。

 彼女が席を立った。真壁に手を振ってから後姿を見せ、ゆっくりと歩いていく。

 真壁の胸はざわめいていた。スタイル良し、顔良し、笑顔良し、しかも優しい心と、三拍子も四拍子も揃った女性、しかも日本人の真壁に丁寧な応対をしてくれたのである。そんな女性に、まさか今日、こんな入札会場で出会うとは思ってもいなかった。

 女性のことを考えるのは、沼林景子と別れてから、実に五年ぶりである。その間、青年期の終わりとも言える三十代前半を、ただ一人前の商社マンになることだけを目標にして過ごしてきた。自分をこけにした連中を見返してやろうと、いわば復讐心に似た殺伐さを抱えて生活してきたのだ。

 また会えるだろうかと、支店へ戻るタクシーの中で、真壁は密かに期待していた。現地の女と結婚でもしたら当社では冷や飯を食わされるぞと、部長から警告を受けてマニラへ赴任してきたこともあり、多少のためらいはあるのだが、好きな女性が出来たとなれば、そこまで会社にへつらう気持ちはない。

 ひとつ懸念するのは、藤原支店長のことだ。朝から晩までの毎日を一緒に過ごし、休みの日もゴルフにつきあわされている。もし彼女と親密になれば、なんとか言い逃れをして時間を作ることになるとしても、自ずと藤原との関係は疎遠になり、仕事がやりにくくなるだろう。それどころか、フィリピン女性とつきあっていることが知られたら、部長と同じように、ひょっとしたらそれ以上にきつい言葉で、帰国しろとか会社を辞めろとか言われるかもしれない。

(何を先読みしているんだ。まだあの女性とは出会ったばかりで、自分のことなど眼中にないかもしれないのに、自惚れるのもいい加減にしろってんだ)

 己の妄想を胸の内で笑いながら、真壁はタクシーの車窓からケソン市の街並みを眺めていた。滑った転んだはあったものの、何とか入札を無事に終えた安堵感がこみ上げてくる。

 

 

          4

 

 灌漑局の入札から一週間が過ぎ、九月の下旬になった。真壁は公共事業道路省のロドリゲス副大臣室にいる。いつものように宿舎から藤原と一緒に出勤してしばらくすると、どこへ行くのかも伝えられず藤原から同行を求められ、着いた先が副大臣室だったのだ。公共事業道路省の本部はマニラ市内のイントラムロス地区に隣接し、近くにはマニラ港がある。

 ロドリゲス副大臣は、フィリピン側円借款の窓口である調達局の長官を兼任していた。調達局が公共事業道路省の建物内にあり、その長官を副大臣が兼任しているのは、円借款事業が道路工事から始まったためである。

「例の支払いはどうなっているのかね」

 真壁と藤原が向かい合って副大臣の机の前に置かれた椅子に座って待っていると、どこで何をしていたのか大急ぎで部屋の外から現れたロドリゲスが、着席早々に言い出した。

 副大臣の突然の発言に、なぜか藤原が戸惑っている。どうやら、藤原が考えていた面談の目的と、趣旨が反していたようだ。副大臣の発言した「例の支払い」とは何なのか、真壁には見当がつかない。

「おまえは席を外してくれ」

 有無を言わせぬ命令口調で藤原が言った。わざわざ自分を連れてきながら席を外せとは訳が分からないが、拒む権利などありようはずもない。

 真壁は部屋を出て、入り口近くにいる副大臣秘書のところへ行った。秘書の机の向かいには木製のベンチがあり、副大臣との面会を待つ待合室のようになっている。

「かなりおかんむりよ」

 ベンチに座わった真壁と目が合うと、中年の女性秘書が話しかけてきた。

「何か当社と問題でもあるのですか」

 契約上のトラブルでもあるのかと思いながら真壁が訊ねると、

「なぜ副大臣が怒っているのか詳しくは知らないけど、大統領が絡んでいるようね。マラカニアン(大統領府)から呼び出しがあると、最近、驚くほど神経質になっているわ。それだけじゃないの。マラカニアンから戻ってくるたびに、『東比』の愚痴をこぼすのよ」

 声を潜めて秘書がしかめっ面を見せる。

 副大臣の言葉と秘書の話から、真壁は賄賂のことだと思いついた。「例の支払いはどうなっているんだ」と副大臣が言っていたのは、大統領への支払い金額が不足しているとか遅れているとか、恐らくそんなトラブルなのに違いない。藤原が慌てて真壁を外へ出したのは、平社員には聞かれたくない、微妙な話だからであろう。

 なかなか藤原は副大臣室から出てこない。一時間も過ぎた頃、ようやく出てきたと思うと、秘書へ会釈するでもなく、無言のまま藤原は廊下へ出た。慌てて真壁は後を追う。



          5


「爪楊枝を頼んでくれ」

 副大臣室からの帰り道、ロハス大通り沿いにあるフィリピン料理店「ブラケニヤ」で昼食を取り終えると、藤原から真壁は言いつけられた。ロハス大通りはマニラ湾に沿って走っており、「ブラケニア」の前の広大な埋め立て地には、貿易センターの敷地が広がっている。イメルダ大統領夫人の肝いりで作られた「マニラ・フィルムセンター」も近くにあった。数年前、「マニラ国際映画祭」が開かれた会場である。

 食事前から、真壁は気になっていた。透明なガラス窓越しに物乞いの一家が現れ、真壁と真正面から向き合っているのだ。母親は赤ん坊を抱え、破れたシャツを着た父親と三人の子供の顔は垢だらけである。家族全員が口元で手を動かし、しきりに食べ物をくれと訴えていた。

 爪楊枝の英語が思い出せず、ウェイターに向かって真壁は歯をほじくる仕草を見せた。

「恥ずかしい真似をするなよ。お前が爪楊枝の一つも英語で言えないと本社に報告すれば、どんなことになるか分かってるのか。そんな有様だから、中途入社の社員というのは駄目なんだ」

 よほど機嫌が悪いのか、棘のある藤原の言葉だった。

 確かに、日本社会には中途入社に対する偏見がある。「東比」もその例外ではなく、新卒と中途入社の社員には歴然とした差別があった。例えば、新卒社員は入社後三年で海外へ派遣されるのに対して、中途入社組は五年以上かかっている。真壁は六年目で駐在員になれたのだが、十年たっても駐在の声がかからない者もいた。商社マンとしては飼い殺しのようなものだ。

「まぁいいか。勘定を頼んだら、ビールが五本出て来た奴もいたからな」

 真壁に言った言葉を打ち消すかのように、藤原が冗談を言った。勘定を頼む際、受験英語で習った「BILL」を使った社員がかつており、しかも五本の指を広げて手を挙げたので、ビールが五本運ばれてきたという笑い話である。

「ところで、これは僭越な質問ですが……」

 恐る恐るではあるが、意を決して真壁は切り出した。

「副大臣が『例の支払い』と言うのを私は聞きましたが、それは大統領への政治献金のことですよね。それが遅れているというのは、我々駐在員の命に関わる問題だと思いますが、もしそうだとすれば、私にも知っておく必要があるのではないでしょうか」

 賄賂を政治献金と言い換え、微妙な話ゆえに控えめを心がけながらも、真壁は力を込めて藤原に頼み込んだ。本社にいれば、社員同士でもはばかられる話の内容である。

 しばらく迷っているようであったが、やがて声を潜めて藤原が顔を真壁に近づけた。

「来月中に俺は出張する。その間、お前が支店長代理になることを副大臣にお披露目しようと今日は出かけたんだが、当てが外れてしまった」

 ウェイターの持ってきた爪楊枝を口にくわえ、どこへ出張するのか説明もせずに藤原は話し始めた。



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「大統領への支払いが遅れているのは、お前の想像通りだ。本来はフィクサーを通して催促があるはずなんだが、今回はマルコス腹心の部下であるロドリゲスを通してきたわけだ。大統領選挙が近いので、かなり急いでいるんだろうな」

 やはり賄賂の話だったのかと思いながらも、その支払いが遅れているとは驚きである。いずれ厄介なことにならねばならねば良いがと、不安が真壁の胸を掠める。

「東比貿易」がダーティーな商社であることは、入社して早々に気がついていた。新入社員の夜の仕事はテレックスの送信であったが、マニラ支店宛に部長の書いた原稿には、暗号めいた名前や金額らしい数字があったからである。更には、入札書類の作成を任せられた頃になると、円借案件の入札価格は、アジア開発銀行や世界復興銀行を資金とした入札に比べると、十五パーセント以上高くなっていた。

 めったに裏の話を教えてくれない藤原だったが、微妙な問題のせいか、しばらく円借款の話が続いた。入社した頃から真壁の気がついていた事柄と総合すると、次のようになる。

「東比貿易」がマニラに連絡事務所を開設したのは、太平洋戦争による「日比賠償」が締結される一年前の一九五五年で、日本人と見れば石をぶつけられる時代だった。「バターン死の行進」、「マニラ市街戦」、バタンガス地方など各地の虐殺事件により、百十万人以上のフィリピン国民を犠牲にし、大量の軍票と物資の収奪により経済を破壊しつくした日本人は、フィリピン人の激しい怒りをかっていたのである。

 そのような状況下で、日本の大手商社はフィリピン進出を躊躇っていた。マルコス大統領の行政指導により、三井、三菱、住友、丸紅、ニチメンなどの商社がマニラ支店を開設したのは、一九六七年三月になってのことで、「東比」より十二年も遅れたことになる。

「日比賠償」が「円借款」に切り替わった一九七十年頃、「賠償」を手掛けてきた「東比貿易」や「洋々通商」などの三社に対し、マルコス大統領から「政治献金」の依頼があった。その見返りとして、円借款の入札には「賠償」実績のある三社しか事前資格審査を通らない仕組みが出来上がり、受注した商社は契約金額の十五パーセントを大統領へ支払うことになったのである。

「御三家」の役割はそれだけではない。万が一にも「御三家」を押しのけて大手商社が「円借」に参加する場合には、大統領への支払いを「御三家」が保証する仕組みになっていた。裏であれ表であれ保証が必要なのは大手商社にとっては屈辱もので、その分、「御三家」は恨まれることになる。

「支払いが滞っているとなると、物騒な問題が起こりそうですね」

 眉をひそめて真壁は胸中を吐露した。大統領との金銭トラブルとなれば、ただでは済むまい。なにしろ、ここはフィリピンである。アキノ元上院議員が、白昼の空港で一九八三年に射殺された例を持ち出すまでもなく、暴漢や強盗を装って殺されるのが落ちであろう。

「そりゃあ危ないさ。駐在員の俺たちが標的になるだろうなぁ」

 落ち着き払った口ぶりで藤原が答えた。

「あまり心配するな。今度の大統領選挙も、いざとなれば戒厳令を布告して延期も出来るし、そもそもマルコスが勝つと社長は考えている。この国で商売を続ける限り、いずれ払ってくれるさ」

 余裕たっぷりな表情を浮かべて藤原は席を立ち、店の出口に向かって歩き始めた。

「チェック(お勘定)」と叫んで真壁は手を挙げ、やって来たウェイターに残り物を包んでもらった。外にいる物乞いの家族に渡すつもりである。

 

 

          7

 

「漁港」案件に、思わぬ展開があった。つい先日、真壁がプロジェクト事務所を訪れると、予算不足からサイトを四か所から二か所に縮小することが決まったこと、円借款の一部を現地コストに振り替えるために日本側と交渉を始めたこと、したがって入札は大幅に延期になったこと、九月半ばにマニラ北部のナボタス漁港で事故が起こり、三人の作業員がガス漏れで死亡したことからスペックの見直しが検討されていることなどをホセが教えてくれた。マニラ北部にあるナボタス漁港で使われているのが、アンモニア冷凍法による製氷施設なのである。

 冷媒としてフロンを使うメーカーのスペックを本社から取り寄せ、真壁はプロジェクト部長に接待攻勢をかけた。真壁の動きに本社がゴーサインを出したのは、商談をかき回せると判断したからであろう。勝ち目はなくとも厄介者として立ち回り、案件から引き下がる口銭を稼ごうというのである。


 九月が終わりになる頃、三日間にわたりマニラは大雨に見舞われていた。南国と言えばスコールということで、ザッと降ってサッと上がるイメージだが、台風シーズンになると、北上するエネルギーを蓄えるかのように、ルソン島周辺には強風と豪雨の日々が何日も続くのである。

 マニラ市内はひどい交通渋滞であった。豪雨のために押し流された大量のゴミが排水口を塞いでしまうのか、あちこちの地域が洪水に見舞われているのだ。

 夜の闇の中、ずぶ濡れになって役所回りから支店へ戻るやいなや、真壁は支店長室に呼ばれた。びしょ濡れなのは、役所から役所へと車から降りるたびに傘を使うのだが、横殴りの豪雨のため傘が役に立たなかったからである。

 午後八時を回っていた。事務所には藤原と真壁の二人しか残っていない。

「灌漑局には行ってきたのか」

 本社からのファックスに目を通したまま藤原が言った。灌漑局は建設機械や車両の買い付けが多くあるので、毎日のように真壁は顔を出している。その日も、午後になってから企画部を始めとした局内のプロジェクト事務所数カ所を訪れたことを報告すると、

「何も変わったことはなかったのか」

 低い声で、藤原が念を押すように質問してきた。赴任して一か月近くにもなると、藤原の口ぶりから何かあったなと想像がつく。首筋から滴り落ちる雨と汗をハンカチで拭いながら、真壁は心の準備をした。

「エンリケス部長の親父さんが、今朝、死んだそうだ。昼過ぎにローカル(現地スタッフ)から報告があったぞ」

 藤原が真壁を睨みつけた。

 五十がらみのおばさん秘書の顔が思い浮かぶ。真壁は舌打ちしそうになった。エンリケスは企画部の部長で、四時間ほど前にオフィスを訪れたばかりである。部長は休みよと秘書が言うので、何の疑いもなく引き上げてきたのだった。

「一体お前は、どんな客先回りをしているんだ。冠婚葬祭は重要な案件だぞ。そんな情報すらお前は取れないのか。だったら、今すぐ、お前は日本へ帰れ」

 藤原が椅子から立ち上がり、真壁に向かって大声を出した。

 冠婚葬祭については、一刻も早く駆けつけることが相手に敬意を払うことになり、親密度を増すことになるのは真壁にも分かっている。商社の駐在員にとっては、ライバル会社との差をつける絶好の機会なのだ。

 職務を果たせなかったことが悔やまれた。完全に自分の落ち度である。

(語学力の問題だけではなく、俺には人間的な魅力が欠けているのかもしれない。秘書が声をかけてくれなかったのは、そのためなのだろう。俺は駐在員として失格だ)

 心の内で真壁は思った。不甲斐なさがこみ上げ、つくづく自分が厭になる。

「いったい何をぼんやりしているんだ。大手の商社と同じことをしていたら、俺たちはこの国で商売なんかできないんだぞ」

 真壁は頭を下げ、「申し訳ありません」と藤原に謝った。

「分かったのなら、さっさと部長のところへ行って来い。それから、二度とこんな不始末をしでかすな。じっくり反省しろ」

 怒りが収まったのか、藤原が静かに言った。しかし、部長の自宅がどこか分からない。藤原に尋ねようと思うが萎縮してしまい、真壁は立ちすくんでしまった。

「馬鹿野郎。何をもたもたしているんだ。早く行けよ。行くんだよ」

 犬を追い立てるように手首を振り、藤原が再び口調を荒立てた。今にも殴りかからんばかりの勢いである。



          8


 藤原の剣幕に怯え、真壁は支店長室から飛び出した。

「ちくしょう、やっぱり俺は何も言えなかった。こんなに夜遅く、いきなり部長の家に行けと言われても、知らないものはどうしようもない。一体どうしたらいいんだ」

 地下の駐車場に行き、運転席に座った真壁は泣き声混じりの声を出した。

 暗闇の中でしばらくじっとしていたが、やがて行先は灌漑局しかないことに気が付き、トランスミッションをニュートラルにして、エンジンのスイッチを入れた。エアコンをつけると、湿気を含んだ温風が吹き出てくる。雨と汗で濡れた下着がべったりと背中にへばりつく。

 豪雨の下、ワイパーをフル回転させて夜道を走った。暴風雨ともなると、さすがにケソン大通りも車が少ない。

 ふいに真壁は強い空腹を覚えた。今朝から真壁は国防省、農業省、電化局、灌漑局などを回り、支店には戻らずに昼食も外で取っている。「トロトロ」と呼ばれている、路上の屋台での食事であった。値段はわずか百円ほどだが、バサバサの外米に野菜入りのスープをかけただけの、口がひん曲がってしまうほどの酸っぱい代物で、これを手づかみで食べたのである

(今頃、日本は秋だよなぁ。サンマの季節だ。飯がうまいだろうなぁ)

 焼き魚の好きな真壁の脳裏に、脂ののったサンマや大根おろし、温かいご飯が思い浮かぶ。本社近くの定食屋が懐かしく思い出され、サンマの焼ける匂いすら漂ってくるようだ。

(死んだ親父も、こんな心細い思いをしていたのかなぁ)

 滝のように降り注ぐ豪雨をフロントガラス越しに眺めながら、真壁は父親を思い出していた。三年前に死んだ父親は元国鉄の職員で、変電所に勤めていた。雷の激しい夜は、雨の降りしきる中、深夜でも出かけていた姿が浮かんでくる。幼い頃、父親好きの真壁は、「もう行っちゃうの」と駄々をこねて困らせたものだ。

 人影の全くない灌漑局の通用門に着くと、薄暗い裸電球の下に、三人の警備員が見えた。土砂降りの雨の中、車を降りて近づき、「夜分申し訳ない」と詫びを入れながら真壁が話しかけると、一人の警備員は応対の様子を見せたが、あとの二人はショットガンを握りなおし、引き金に指をかけている。

 エンリケス企画部長の自宅を知りたいと事情を説明していると、「先日のハポン(日本人)か」と、ショットガンを脇に置いて一人の警備員が握手を求めてきた。

「助かったよ。あの日、勤務を終えて家に帰ると息子が熱を出していたんだ。おかげで薬を買ってやることが出来た。ありがとう」

 興奮気味に言う中年警備員の顔が、裸電球の黄色い光を反射して輝いている。

「こちらこそ。あの時は、私も助かりました。何しろ、入札会場のドアが半分閉まりかけていたんですからね」

 実を言えば、あの時の警備員の顔はよく覚えていなかったのだが、真壁も大袈裟に握手を求めて礼を言った。

 中年警備員は入退記録のノートから白紙一枚を破り取ると、丁寧に地図を書いてくれた。フィリピン人のウタンナローブ(恩返し)というやつである。「これで夜食でも食べて下さい」と、固辞する三人に真壁は百ペソずつを握らせた。百ペソはフィリピンの最高額紙幣で、円に単純換算すれば千円ほどだが、貨幣価値からすれば、日本人が一万円をもらった感覚であろう。

 地図を頼りに役所から三十分ほどの距離にある部長の自宅を探し当てると、応対に出てきた家族から、部長はロドリゲス通り沿いにある総合病院近くの葬儀屋にいると教えられた。「エンバーミング」だと言う。正式な葬儀の日まで、遺体に防腐剤を注入してもらうのである。

 急いで真壁はロドリゲス通りの葬儀屋へ向かった。時刻は十時を過ぎている。部長の自宅からロドリゲス通りまでは通常なら四十分程の距離なのだが、街灯の少ない沿道は想像以上に暗く、しかも激しい雨がフロント・ガラスの視界を遮り、冠水した路上で行ったり来たりを繰り返して、目的の葬儀屋を探し当てた頃は午前零時になっていた。



          9


 人影のない建物に入り、いくつかの部屋を覗くと部長の姿が見える。顔の部分がガラス張りになった黒い棺の横で、気が抜けたようにエンリケス部長が天井を仰いで腰かけていた。部長は五十代半ばで、定年を間近に控えている。白髪頭に黒縁のメガネが似合っていた。

 遅れたことを詫び、型通りのお悔やみの挨拶を真壁が伝えると、

「親父は腎臓病だった。重体に陥いり、友人を頼って『キドニー(腎臓)・センター』に入院させたんだが、やはりだめだったよ」

 真壁の顔を見つめながら、部長は大きく溜息をついた。「キドニー・センター」はケソン市にある国立の医療機関で、噂ではマルコス大統領も何度か入院したと聞く。この国の医療費は高く、部長といえども役人の給料では大変な出費だったであろう。

 家族のつながりが強いフィリピン人である。部長の落胆ぶりがどれほどのものか、親の死んだ悲しみを知っている真壁には、返す言葉が出てこない。

 弔問客が多かったのか、棺の周囲が泥だらけになっているのが気になり、真壁は部屋の片隅に立てかけてあったモップを使って掃除をはじめた。「もう誰も来ないからそのままでいいぞ」と部長は言ったが、真壁は続けた。他社よりも遅れて来たことが気にかかっており、少しでも申し訳なさを部長に伝えたい一心である。

 ひと通り床を奇麗にし、汗をぬぐったところで、なぜ秘書が今回の件を教えてくれなかったのか部長に訊ねた。真壁の胸の内で、秘書に対するわだかまりが消えないのである。

「十歳の時、マニラの市街戦で彼女は家族全員を失ったんだ。親類に引き取られたものの、みな貧しいものだからたらい回しにされて、叔母さんの家ではメイド同然に朝から晩まで働かされていたらしい。ベッドもなく、床の上で寝ていたと聞いているよ。そんな時は、死ぬまで日本人を恨んでやると思いながら耐えていたそうだ」

 部長の言葉を聞いて、真壁は理解した。自分も日本人である。憎まれていることに気が付かなかったのは、本当に迂闊だった。

「君はあの戦争のことを、フィリピン人と話したことがあるかね」

 エンリケス部長が神妙な声で言った。

「ありません。戦争の話をすれば過去をほじくり返すことになり、喧嘩になりかねませんから」

 戦争であれ何であれ、得意先の客と喧嘩をするのは、商人として失格だと真壁は思っている。

「それは違うぞ。戦争の被害者である我々は、過去のことを忘れることは出来ないんだ。だからといって、謝って欲しいのでないことは分かって欲しい。ところで、君はキリノ大統領のことを知っているか」

 部長の質問に、しばし真壁は記憶をたどった。マニラでは通りの名前にもなっているので、フィリピンの大統領だとは分かる。元社会科の教師としては恥ずかしいと思いつつ、商社マンよろしく、知っているふりを決め込んで真壁は頷いた。

「戦後まもなく、彼はマニラ裁判の日本人死刑囚百名余りに恩赦、特赦を次々と与え、ラジオ演説をしたのだ。日本人を許そう、恨み続けるのは愚かなことだと。当然ながら、当時の状況では国民は無論、政界や財界、マスコミから袋だたきにあい、大統領の再選を果たせずに亡くなったのさ」

 部長の言葉を、真壁は神妙に聞いていた。少しずつ、学生時代に教えられたことが蘇ってくる。

 日比谷公園にある、キリノ氏の顕彰碑の話を思い出した。多かれ少なかれ、フィリピンでは家族の誰かが日本人に殺されており、キリノ大統領も奥さんや子供三人を日本兵に殺され、彼自身も憲兵隊の拷問を受けている。それでも、大統領として日本人を許す決断をしたのは、恨みを残さず、隣人同士は助け合うべきだという、キリスト教徒としての信念だったのだろう。

「今となっては、賢明な判断だったと多くの人は思っているが、まだ心の中では割り切れなさが残っている。それはそうだろ。かつてフィリピンはアジアで一番豊かな国だったのに、日本の侵略のせいで生活はメチャクチャにされ、百十万人も殺されたんだ。マニラでは市街戦により、当時七十万市民のうち十万人が死んでいるんだよ。

 にもかかわらず、我々が戦争で受けた被害も、マニラ市街戦やキリノ大統領のことも、加害者である君たち日本人が知らぬ存ぜぬの態度では、こちらも不安や不信を覚えても仕方ないだろう。恨みはない、しかし心の傷は察してもらいたい、ただそれだけなんだ」

 キリノ大統領のことを真壁が知らないと判断したのか、部長が丁寧に話をしてくれた。

 真壁は恥ずかしかった。己の不勉強を恥じるとともに、日本人としても詫びたい気持ちになってくる。自分が歴史を教えていたとは、我ながら思えない。

 部長の言葉には思い当たる節があった。何人もの役人の顔が思い浮かぶ。妙によそよそしい人、口をきいてくれない人、日本の商社の者だと話した途端に「帰れ」と怒り出した人もいた。自分の英語が貧弱なせいだと思っていたが、どうやら自分の態度にも問題があったようだ。仕事をすることに精いっぱいで、どんな目で自分が見られているか、彼らの思いに気付いていなかったのである。

 何を自分は学び教えてきたのか、被害に遭った人のことなど少しも理解していなかったではないか。苦痛にも似た後悔の念がこみ上げてきた。

 なぜアジアの人々の心情や視点を抜きに太平洋戦争を語っていたのかと考えると、その原因は、あの戦争を「民主主義とファシズムの戦い」とくくりあげた、欧米諸国による歴史観に日本人全体が洗脳されているとしか真壁には思えない。

 戦勝国である民主主義国家の裏の顔は、過酷な植民地支配を行っていた国である。それゆえ、あの戦争は、民族独立に立ち上がり、日本とでも手を組み悲願を果たそうとした植民地国の歴史でもあるのだ。

 思い浮かぶ名前がある。それは学生時代に知った、インド独立軍を率いたチャンドラ・ボースと孫文の大アジア主義を信奉した汪兆銘だ。チャンドラ・ボースはガンジーの非暴力主義に反対した人物、汪兆銘は蒋介石が孫文の遺志に反して英米と組んだことに反対し、日本を頼った裏切り者として中国では取り扱われている。その結果、日本でも否定的な人物として取り扱われているのは、戦勝国による都合の良い戦争観に我々が洗脳されている証拠ではないのか。



          10


  三十分ほどを葬儀場で過ごし、挨拶の遅れたことを再度詫びてから部長と別れた。

 葬儀場の玄関を出ようとした時、道路の反対側にジープニー(乗り合いバス)の止まるのが目に入った。暗闇の下で車を降り、豪雨の中、こちらへ向かって傘もささずに走ってくる人影が見える。Tシャツにジーンズ姿、ずぶ濡れのようだ。やがて、その人物が玄関に着いた時、ようやく人影は「ホンエイ商事」のエリザベスだと分かった。

「エリザベスじゃないか。どうしたんだい、こんな真夜中に」

 真壁は声をかけた。

「決まってるでしょ。貴方と同じよ」

 顔を覚えていなかったのか初めは怪訝そうな顔をしていたが、真壁と気が付くとすぐにエリザベスが笑顔を浮かべた。

「まだ部長は中にいるよ。それから君が良ければ、用事が終わったら送っていくけど」

 真壁が言うと彼女は嬉しそうに頷き、建物の中へ消えていった。

 車を葬儀場の玄関前に停めて待っていると、十分ほどしてエリザベスは現れた。

「駆けつけるのがえらく遅かったじゃないか。もっとも、君のことを言える身分じゃないけどな」

 助手席に座ったエリザベスにタオルを渡しながら、真壁は照れ笑いを浮かべた。

「つい一時間前に寝ようとしたら、カゲヤマから電話があって命令されたのよ。挨拶してこいって。こんな雨の中、しかも突然に。ひどい話でしょ」

 濡れた髪を拭きながら、不満そうにエリザベスが可愛い唇を尖らせた。

 真壁は心から同情した。エリザベスの言う「カゲヤマ」とは、「漁港プロジェクト」のホセが言っていた人物のことであろう。

 治安の悪いマニラの夜は、男でも外出を避けるのが普通である。にもかかわらず真夜中に、しかも台風の最中に女一人を使いに出すとは、「カゲヤマ」の人間性を疑わざるを得ない。一体、カゲヤマとはいかなる日本人なのか、真壁は疑問に思った。

 「どこの会社も、人使いの荒さは似たり寄ったりだな。まぁ、今夜は君に会えて、僕はラッキーだけど」

  マニラ方向へ車を発進させながら真壁は言った。

 「ラッキーだなんて、本当かしら。厄介な女に出くわしたと思っているんでしょ」

 「そんなことはないよ。君こそ、今夜この場で僕と鉢合わせしたことを、どう思ってるんだ。運命の出会いというやつかもしれないぜ」

 我ながらきざなセリフを吐いたものだと思い、真壁は顔を赤らめた。

「どうかしら。日本の男には気をつけないとね」

 エリザベスは、真壁の言葉を全く気にしていない様子である。すました顔の横顔も可愛いなと真壁が思った瞬間、

「どうして真壁さんはこんなに遅くまで葬儀屋にいたの」

 エリザベスが真壁に向き直って言い出した。

「話すのも恥ずかしいんだけど」と前置きして、秘書から何も教えてもらえず、支店長に怒鳴られた挙げ句、ようやく葬儀屋にたどり着いた経緯を真壁は説明した。

「そうだったの。そんなことがあったのなら、貴方は部長の秘書を恨んでいるんでしょうね」

 興味深げな顔をしてエリザベスが訊ねてくる。

「正直なところ初めは腹を立てたけど、今は何もない。それより、エンリケス部長の話を聞いて考えさせられたよ。戦争のこと、フィリピン人の対日感情のこと、自分に思いやりが足りないこと、人間として未熟なこと、そのほか色々とね。これから勉強し直そうと思っているんだ」

 しんみりとした口調で真壁は答えたが、エリザベスの反応はない。本当に反省しているのかどうか疑っているのだろう。

 ロドリゲス通りからケソン大通りに合流し、「ウェルカム・ゲート」を潜った。ここから先がマニラ市のサンパロック地区になり、通りの名前も「エスパニア通り」に変わる。

 いつデイトの申し込みを切り出そうかと迷っているうちに、鉄道の踏切に行き着いた。レールの錆具合からして、廃線のようである。

「この辺で降りるわ。これから会社へ行って、カゲヤマに報告しなければいけないの」

 反対車線からタクシーが来るのを見ると、エリザベスが言った。まだ暴風雨は続いており、「ホンエイ商事」のあるマカティ地区には程遠い。

 エリザベスの話は、信じられなかった。本当にマカティへ行くのなら、もっと早く言うはずである。しかも深夜の一時だ。いくらカゲヤマがひどい奴だといっても、こんなに夜遅く会社へ呼びつけたりするのだろうか。エリザベスの自宅がこの辺にあり、その場所を知られたくないために嘘を言っているのだろうと真壁は思った。

「風邪をひかないように」

 車から降りようとドアに手をかけたエリザベスに、真壁は声をかけた。遠慮せずにこのまま乗って行けよと引き留めても良いのだろうが、あえて嘘を言っているのであれば、彼女を困らせることになる。

「サンキュー、テイクケア(気を付けてね)。次に会うときは私を『リサ』と呼んでね」

 明るい返事ととともに、エリザベスが真壁の頬に軽く口づけた。「リサ」と呼んでくれと言うのは、「ELIZABETH」の中の字「LIZA」を取った愛称である。英語読みなら「リズ」となるのだろうが、フィリピンではスペイン語読みをするので、ZはSの発音になるのだ。

 車の外は横殴りの雨が降り続いている。深夜の暗闇の中、冠水した道路を走っていくエリザベスの後姿を、真壁は心配しながら見送った。

 一人になった車内で、エリザベスのキスの感触を真壁は思い出す。「リサと呼んで」という彼女の言葉も、真壁の心を浮つかせた。二人の距離感がぐっと縮まったように感じるのだ。

 今度はいつ会えるだろうかと考えていると、ハンドルを握る真壁の頭に疑問が浮かんだ。エリザベスはカゲヤマの命令で葬儀場へ来たと言っていたが、そのカゲヤマは、いつ部長の情報を掴んだのだろう。自分と同じようなタイミングでエリザベスを送り込むとはおかしな話だ。まるで、真壁の動きを追っていたようではないか。

(そういえば……)

 真壁の頭に別の疑問がよぎった。

 二週間ほど前、なぜ灌漑局の入札にエリザベスは会場にいたのだろうか。あの時、エリザベスの美しさに舞い上がってしまい訊きそびれてしまったのだが、「ホンエイ」は入札に参加していなかった。めぼしい入札案件の減った現状から、大手商社も今後に備えて情報を収集していてもおかしくはない。しかし、それは勝手な思い込みで、果たして事実はどうなのだろうか。

 いくつもの深い水たまりを突っ切り、激しく車の腹にあたる水しぶきの音を聞きながら、暗闇のエスパニア通りからケソン市の宿舎へ向かって真壁は引き返した。



    第三章


          1


「元気がないわね、憂鬱そうな顔をして」

 鳥羽屋の女将が、真壁を心配そうに見つめている。マニラ市内の公共事業道路省で用事を済ませた帰り、マビニの鳥羽屋で真壁は昼食を取っていた。

「そうなんですよ。役所の職員から嫌われてしまって」

 カウンターに座った真壁が、二日前の秘書の一件を説明した。

「それなら、マニラの市街戦のことを勉強しなくちゃね。社会科の先生をしていたのなら、それなりのことは知っているでしょうけど」

「いやぁ、恥ずかしながら、ほとんど知識がないんです。どうやって勉強しようか、困っているんですよ」

「それなら私が持っている本を貸してあげるから、明日にでも店にいらっしゃい。私がいなくても、分かるようにしておくから」

 ざっくばらんに女将が申し出てくれた。恐縮しながら真壁は礼を言う。

「ところで、女将さんはマニラ市街戦の経験者ですか」

 年齢を知ることになり躊躇っていたが、思い切って真壁は訊ねた。

「五歳の時だったけど、ちょっとした理由で私は地方にいたので、市街戦の経験はないの。マニラに残っていたら、とっくに死んでるわよ」

 思いがけない女将の話だった。女将は当時からの在留邦人だったのである。

「市街戦の話だけど、あまり深く関わらないほうが良いわよ。勉強するのは良いけど、厭な経験をするかもしれないから」

 女将が言いよどんでいる。厭な経験とは何なのか、真壁は次の言葉を待った。

「いろいろな日本人がいてね、ひと言でも市街戦の話をしようものなら、血相を変えるお客さんが何人もいたわ。皆さん何も知らないので、突然の話に気分を害するのよね。まぁ、マニラへは女遊びに来て、浮かれ気分でいるんだから無理もないけど。

 でもね、市街戦が終わった直後、市内を視察したマッカーサーが余りの悲惨さに激怒して、徹底的な調査を命じたおかげで、その記録が大量に残っているのよ。だから、世界的に見れば、誰もが知っていることなんだけどね。

 まぁ、色々考えずに、とにかく勉強してみなさい。その結果、何も分からないかもしれないし、分かっても他人に喋らなければ良いわけだし」

 どことなく歯切れの悪い女将の言葉が返ってきた。

「他人に喋らなければ良い」とは、どういうことなのかと疑問に思いながらも、まだ何も勉強していないうちに訊くのも野暮だと真壁は思った。真壁は踏み込みが弱い男なのである。



          2


 二日後の日曜日、体の具合が悪いと藤原に嘘をついてゴルフの誘いを断り、予め「鳥羽屋」に寄って女将から借りてきた数冊の本を真壁は熱心に読み始めた。中には英語で書かれた本もあったが、歴史の本を読むのは久しぶりであり、脳が生き返ったような気になる。教師を辞めてからの五年間、貿易関係を除いては全くと言って良いほど本を読まなかったせいであろう。

 商社に入って以来、本を読まなかった理由は、忙しいからではなかった。知識は無駄だと思っていたのだ。なまじ知識があると、いっぱしの気分になる。それが教師時代の自分だった。しかし、どんなに沢山の知識を持っていても、いざとなって主張も出来ず、怯えて逃げ出すのでは、知識など糞の役にも立たない。それが、教師を辞めた時の教訓の一つなのである。

 ところが、また知識を増やすはめになった。今度こそ無駄な知識にはするまいと、慎重にならざるを得ない。本を読みながら、丹念に真壁はノートを取った。仕事が忙しく疲れており、読むだけでは記憶に残らない。頭に残らなければ時間と労力の無駄になる。

 夕方になると、読んだことを整理するために年表を作り始めた。まずは市街戦が始まる前の状況である。


  ー1941年ー

12月8日 ルソン島リンガエンに日本軍上陸


  ー1942年ー

1月2日 日本軍マニラ入城、軍政部設置

4月 バターン死の行進(死者数は収容所

含め3万人)

5月2日 最高裁判所長官ホセ・アバド・サントスを処刑 

7月 「軍政部」を「比島軍政監部」へ改称

再編

12月 フィリピンの全政党に対して解散命令


 ー1943年ー

11月 大東亜会議(於東京/国会議事堂)


 ―1944年―

9月

 21日 米軍によるマニラ初空襲

10月

  6日 満州より山下奉文大将マニラ着任

 12日から十六日にかけて 台湾沖航空戦

 19日 大本営海軍部発表

<台湾沖航空戦の戦果>撃沈=空母十一隻、

戦艦二隻/撃破=空母八隻、戦艦二隻

 20日

 イ)一億憤激米英撃攘国民大会(於

日比谷公会堂)

ロ)米軍、レイテ本島に上陸(世界最悪の

戦場)

 ハ)台湾沖航空戦の「大戦果」を受け、

大本営はルソン島決戦をレイテ島決戦に方針

変更

 21日

 「大戦果」に対し天皇より海軍へ嘉賞の言葉

22日

「大戦果」の発表を受け、陸軍南方軍寺内元帥

がレイテ島決戦に変更を命令 山下大将は反対

 24日~25日 レイテ沖海戦(連合艦隊壊滅)

 25日 関大尉以下五機の敷島隊は、五度目の

出撃で突入

 27日 大本営海軍部発表

<レイテ沖海戦の戦果>撃沈=空母八隻、

巡洋艦三隻、駆逐艦二隻/撃破=空母七隻、

戦艦一隻、巡洋艦二隻/撃墜=五百機以上

11月

 17日 岩淵少将「三十一特別根拠地隊」

司令官に着任

 18日 南方軍司令官寺内元帥がマニラから

サイゴンへ移る

12月

 17日 マニラより陸軍は撤退作業開始

 18日 南方軍派遣の飯村中将との会議。

(南方軍は、レイテ決戦を主張。山下将軍と

対立)

 19日

イ) 山下大将の実質的レイテ作戦中止命令

ロ) 第十四方面軍を「尚武」(ルソン島北方

山岳地帯)、「建武」(ルソン島中部)、「振武」

(マニラ東方山地)の三集団に分ける

 22日 南西艦隊司令長官大河内中将「マニラ

海軍防衛部隊」の編成を下命し、「三十一特別

根拠地隊」司令官の岩淵少将を指揮官に任命

*「マ海防」兵士数二万三千六百六十四名

 24日 大本営海軍部派遣の宮崎第一部長との

会議にて、方面軍の意見が通る(レイテ決戦

中止)

 26日

イ) レイテ決戦中止を大本営同意

ロ) 山下大将が、マニラ近郊東北部イポへ

移動

 27日 大本営より「レイテ決戦を全比島決戦

へ拡大」と発表


 ―1945年―

1月

  5日 南西艦隊司令部はバギオ、振武/司

令部はマニラ東方モンタルバンへ移る

  6日

イ)午前零時より、マニラ方面海軍部隊は陸軍

振武集団の指揮下に入るよう大河内より岩淵に

命令

ロ)米軍艦隊、ルソン島中部リンガエン湾に

出現

  7日 第四航空軍富永中将、マニラから北部

山岳地へ移る

  9日 午前七時二〇分 米軍リンガエン上陸

開始

 14日 モンタルバンの振武集団司令官横山

中将を岩淵が訪問

 15日~26日 マニラ湾封鎖作業

 16日 富永中将、エチアゲから台湾へ逃亡

 20日 振武集団/横山中将 海軍司令部を

マニラ郊外マッキンレーの「桜兵営」に移す

 25日 藤重兵団長(振武集団)によるルソン

島南部バタンガス、ラグナ住民徹底粛正命令

 31日未明 ルソン島南部バタンガス州ナス

グブ沖に米艦隊出現


 女将から借りた本によると、市街戦の始まる直前の状況は、このようなものである。気になるのは、「台湾沖航空戦」、「レイテ海戦」に対する大本営海軍部の発表だった。とりわけ、台湾沖航空戦の「大戦果」は天皇陛下に上奏され、国民を提灯行列に繰り出させる熱狂ぶりである。

 しかし、「大戦果」にもかかわらず、戦局が悪化しているのは隠しようがない。このままでは海軍の威信が失われる。どうしたらデタラメ発表であったことを誤魔化せるか、大本営海軍部は頭を悩ませたに違いない。

 考えられるのはただ一つ、国民の関心をそらすことだ。それには、こんなに海軍は懸命にやっていると思わせ、悲壮感を漂わせれば良い。その悲壮感を漂わせる最たるものが神風特攻隊であり、その犠牲的精神に国民は感動したであろう。

 しかし、真壁は疑問に思う。初の特攻隊である敷島隊を指揮した関大尉は、女将の本によれば、アメリカの機動部隊を求めて五度も出撃したのである。これで最後と思いながら空母を見つけられず帰還し出撃を繰り返したというのは、どれほどの苦悩であったろうか。



          3


 真壁の年表作りは、いよいよ市街戦突入部分になった。時間は午前零時近くになり、明日の仕事を気にしながらのまとめ作業である。

 

2月

 3日

a. 午後七時 ケソン市サント・トマス大学に

米軍突入(市街戦開始)

b. 午後十一時 「振武」/横山の命令により

陸軍野口部隊が岩淵指揮下に入る

 4日 バタンガス州ナスグブに上陸した米軍

が北上し、マニラ南部郊外に迫る

 5日 豊田連合艦隊司令長官より激励電

 「『マニラ』決戦ヲ目睫ノ間ニ控エ善戦敢闘

以テ我ガ海軍ノ伝統ヲ遺憾ナク発センコトヲ

切望ス」

 7日

a. マッカーサーがマラカニアン宮殿に入る

b. 米軍、マニラ市内中央パシグ川を超える

7日から8日にかけて 市内フィリピン人処刑

命令

  *バタンガス/ラグナ州各地で数万人の

住民虐殺事件

9日 タナワン地区で最初の討伐=虐殺

10日 サント・トーマス地区、カラワン地区

13日 カランバ市、リパ市

24日 サン・パブロ市

28日 バウアン

 

 8日頃

a. サンホアン地区の海軍西山大隊敗走

b. 海軍第一大隊はパコ駅周辺で激戦

 9日

a. 米軍パコ駅占領

b. 岩淵少将が市内農商務省ビルからマニラ

郊外マッキンレーへ脱出

 10日から21日にかけて ドイツ人クラブ、

ベイビューホテル、スペイン人クラブ、

イントラムロスなど、市内各地で虐殺事件発生

 11日 

a. 午前十一時四十五分、岩淵が農商務省

ビルに戻る

b. 午後二時十五分、岩淵が陣地死守命令

を出す

c. 夜、岩淵の命令により、第一陣親日

ガナップ部隊約80名、第二陣兵20名/

ガナップ60名がマニラ脱出

(最後の組織的脱出)

d. 連合艦隊司令長官より電報

「今後益々靱強果敢ナル反撃ヲ強行シ皇軍ノ

真髄ヲ弥ガ上ニモ発揮センコトヲ望ム」

 12日

a. グリスウォルド少将、総攻撃開始を命令

b. マッキンレーとマニラ市内の連絡がほぼ

遮断される

 14日 山下大将が振武/横山中将に海軍

部隊の撤退を命令

 15日 横山が岩淵にマッキンレーへの撤退

を命令

 17日

a. 横山が全マニラ部隊の撤収を命じる

b. マッキンレー守備隊撤収(マニラ完全

包囲される)

c. 総合病院制圧、七千人市民を米軍が救出

 18日

a. 横山の脱出命令を受け、「今夜十一時を

期して陸海軍全員最後の切り込みを決行す」と

岩淵は命じたが、砲撃凄まじく、夜十時、組織

的脱出計画に中止命令

b. 絶望した兵が個別に脱出を始める

c. 連合艦隊司令長官より電報

「愈々士気ヲ振作シ不退転ノ意気ヲ以テ

長期持久飽クマデ任務達成ニ邁進セン

コトヲ望ム」

 20日

a. 新警察署ビル陥落

b. 午後六時三十五分 「海軍全般」宛、

岩淵は別れの打電

 21日から22日にかけて 米軍「マニラ

ホテル」占領

 22日 イントラムロス攻撃開始

 24日 午後三時五十五分 岩淵は司令部の

通信機破壊を命令

 26日

a. 午前四時少し前、財務省ビルから脱出を

試みた野口大佐がルネタ公園で死亡

b. 午前九時より午後二時半まで、岩淵の籠

もる農商務省ビルにて激戦

c. 夜九時過ぎ 岩淵少将自決

 27日 午後六時 国会議事堂陥落

 28日 午前十時半 マラカニアン宮殿で

オスメニア大統領就任式

3月

 1日 行政府ビル、農商務省ビル破壊

 1日から2日にかけて 日本兵22名投降

 2日 財務省ビル破壊 ベイトラー少将が

岩淵の死体を確認(岩淵50歳の誕生日)

 3日 午前十時四十五分、グリスウォルド

少将が正式に市街戦終了宣言


 マニラ市街戦の時系列をまとめているうちに、包囲され追い詰められた日本兵のことが頭に浮かび、真壁は胸が痛くなった。近代的な武器で迫り来る米軍に対して、日露戦争時の歩兵銃でビルに立て籠もり抵抗する兵隊たち、とりわけ、新兵の訓練は受けたものの戦闘経験のない在留邦人たちの恐怖、意味のない死を迎える憤怒と絶望感は、どれほどのものだっただろうか。



          4


 岩淵司令官のことも考えた。市内での戦闘が始まって間もない二月八日、マニラ北東に配備された西山海軍大隊が早々と敗走したことで、偵察に出た海軍士官が陸軍から「海軍はもう負けたか」と嘲られ、その報告を岩淵少将は受けていたと言われている。当時、陸軍と海軍の関係は最悪で、海軍の軍人であった岩淵は歯ぎしりする思いであったろう。

 一方、豊田連合艦隊司令長官からは、マニラ死守を強要する激励電報がしつこく送られてくる。陸軍から馬鹿にされ、海軍上層部からは圧力をかけられ、岩淵少将は簡単に撤退するわけにはいかなかったはずだ。二万の兵を犬死にさせることにどれほど苦しんだか、心中察するに気の毒すぎる。とんだ激励もあったものだと思う。しかも、威勢の良い言葉で部下に死を強要しておきながら、豊田司令長官は戦後も生き延びているのだから、真壁には怒りすらこみ上げてくる。

 それにしても、と真壁は考える。なぜ市街戦が決行されたのかだ。岩淵少々の立場になって真壁は考えてみた。いくつもの疑問が浮かんでくる。

 1.市街戦と言えば、ワルシャワやレニングラードの攻防戦を思い出すが、コンクリートや石造りの建物はマニラには少なく、大半は木造である。火事が起これば多くの市民が犠牲になるのは誰にも分かる道理だ。

 2.マニラ湾に面した海抜ゼロメートルのマニラでは、海水が湧き出るため短期間での地下陣地構築は不可能である。

 3.武器、弾薬、兵員などの戦力が少なく、百万の市民に対して治安を守る兵力も足りない。

 4.二万の兵を養う食料がない。

 5.となれば、市外で防戦することを考えるべきだが、これも兵力が足りず不可能である。

 6.市街戦を行い、市民を巻き込むのは国際法上の問題がある。

 7.米軍の戦力は巨大であり、市街戦になれば味方の犠牲者が多く出るどころか、海を背にしたマニラでは包囲され全滅する。

 これだけの理由があれば、素人が考えても、マニラを無防備都市と宣言し、早々に撤退するのが常識ある方法だったと言うべきだろう。

 いったい誰の責任なのかと真壁は考える。マニラで市街戦をする軍事的必要性など全くなく、山下将軍は早くからマニラ撤退を進言していた。となれば、山下将軍をしのぐ立場の人物が誰かということになる。山下将軍の進言を却下できる人物だ。彼こそが何らかの理由で、あえて市街戦を命じたとしか考えられない。

 その答えに繋がるのは、誰が、どんな恩恵を受けたかだと真壁は推測する。推理小説によくあるように、ある事件が起こると、その恩恵を受けた人物が犯人と考える方法だ。事実を整理しながら、真壁は考え続けた。



   第四章


          1


十月に入り、「東比貿易」マニラ支店長の藤原は忙しそうだった。「国家電力局」のフィリピン中部ビサヤ地方海底電線入札が、来年に迫っていたからである。入札を専門とする「東比」駐在員の仕事は入札関係者への根回しであり、まずは入札の最終承認機関となる電力局理事会のメンバーと顔見知りになっていなければならない。

「国家電力局」理事会の議長は「フィリピン国立銀行」の総裁であった。メーカーのデモ・テープを見せることから工作が始まっており、マニラ市内のエスコルタ通りに面した銀行本社の総裁室に、真壁も大型画面のテレビやビデオ装置を運び込む手伝いをしている。

 今回の藤原の出張も表向きはメーカーによる現地調査の付き添いであるが、実際はフィリピン中部ビサヤ地方各地の州知事を訪問し、顔を覚えてもらうことにあった。入札の審査が始まれば、ビサヤ諸島を繋いだケーブルの通過する地元の発言権は強く、そこに登場してくるのがサマール、レイテ、セブ、ネグロス、パナイなどの州知事なのだ。

 いくらホスピタリティ旺盛なフィリピン人とはいえ、初対面の相手を信用するほどお人好しではない。そのため、出張のひと月ほど前から、藤原は頻繁に支店の出入りを繰り返していた。ビサヤ地方選出の国会議員を訪問したり、各州知事の友人を探し回って紹介状をもらっていたのである。

 早く藤原が出張してくれないかと、真壁は一日千秋の思いでいた。お小言ばかりの毎日、そのうえ会社の宿舎で一緒に住んでいるため、平日であろうが休日であろうが、朝も晩も藤原の顔を拝んでいなくてはならない。特に日曜日などは、休日であるにもかかわらず、好きでもないゴルフに付き合わされる。気心の知れた友人ならば良いが、口うるさく嫌みな上司との共同生活ともなると、ノイローゼになりそうなのだ。

 藤原の出張を待ち望みながらも、真壁には気になることがある。リサとのデイトだ。

 藤原がいる時は、藤原の目を考え、電話一つかけるのも躊躇していた。しかし、藤原が出張したところで、果たして思いを遂げられるのか自信がない。ライバル会社ということもあるのだが、それにしたところで自分の弱さを痛感せざるを得ない。

 要するに、好きになった女性にすら、告白どころか電話一つかけられないのが自分なのだ。臆病にもほどがあると、つくづく自分が厭になってくる。



          2


 十月半ばに入りかけたその日も、朝から激しい雨が降り続いていた。またしても、台風が発生しているのだ。

 午後六時過ぎ、役所回りをして真壁が支店に戻ると、秘書のテシーが一人残っていた。現地社員は他に誰もおらず、藤原は役人を接待するため外出しており、支店には戻らないはずである。

「あちこち洪水になっているよ。凄い交通渋滞だ」

 全身ずぶ濡れ、汗まみれになった顔と首筋をタオルで拭いながら、支店へ戻る途中の街の様子を思い浮かべて真壁はテシーに言った。大雨が降ると耐えがたいのは、傘を持っていても車の乗り降りの際に雨が大量に降りかかり、降り立った地面も冠水のため靴下までずぶ濡れになることである。何カ所もの役所を回るとなれば、同じことが何度も繰り返され、雨の中を靴なしで歩ってきたようになるのだ。

 テシーの顔を見た途端、何か言いたそうなことに気がついた。数日前、やはり同じような豪雨の時、テシーも含めた現地社員を送って帰宅したことがある。彼らはジープニーで通勤しているため、雨の日に家まで送ってやると喜ぶのだが、その時、テシーの家の付近は洪水になっていた。間違いなく、今夜も洪水になっているのだろう。

「大変だろうから、送っていくよ」

 察し良く、真壁はテシーに申し出た。目を丸くしてテシーが嬉しそうに微笑む。

 テシーはスペイン系のメスティーサ(混血女性)だった。フィリピン男が憧れる美人である。鼻筋が通り、白人の血が流れているのがひとめで分かる。スタイルも良い。真壁にとって残念なのは、既に婚約者がいることだった。クリスマスには、出稼ぎ先の中近東からマニラへ帰って来ると聞いている。

 テシーを後部座席に乗せ出発した。洪水と渋滞を避け、一時間ほどをかけてエドサ大通りからマカティ地区を右手に南方高速道路へ入る。更に二十分ほどマニラ市に向かって車を走らせ、右折してフィリピン国有鉄道の踏切を渡ると、テシーの住むサン・アンドレス地区であった。

 テシーの家に近づくと、予想通り、辺り一面に水が出ており、深さは三十センチほどになっている。エンストを案じながらしばらく進むと、水かさが増し、車がノッキングし始めた。マフラーから水が入り込んでいるのだ。こんな時、真壁の車はマニュアル車なので、エンジンがストップしてもセカンドギアに入れたまま車を押してもらい、クラッチを繋げば動かせるのだが、住宅地のせいもあり、車を押してくれるような人影は全く見られない。

 ゆっくり車を進めているうちにも、どんどん水かさが増してくる。この地点は低地になっているのだ。このままではエンジンに水が入ってオーバーホールしなければならなくなり、支店長に怒鳴り飛ばされる。やむを得ず路肩に車を寄せ、エンジンのスイッチを切った。

「悪いけど、これ以上は無理だ。ここで降りてくれないか。家まで俺も一緒に行くよ」

 後部座席に向かって真壁は声をかけた。車のヘッドライトを消すと、外は真っ暗闇である。付近一帯が停電になっているようだった。

 秘書の家まで僅か百メートルほどだったが、ここは物騒な国である。ここまで送ってテシーの身に何かあれば、自分が悔やむだけなら良いが、婚約者や家族に、一生、恨まれることになるだろう。下手をすれば殺されかねない。車から降り、膝上までの水に浸かって真壁も歩いた。

 マンゴーの皮やビニール袋と思われるゴミが、太ももに絡みついては流れていく。穴の開いた道路に落ちないよう注意しているため、足下の見えない闇の中では、何が流れているのかまで神経が回らない。洪水と言えば聞こえは良いが、実際は糞尿の混ざった汚水の中を歩いているのだろうと真壁は思った。



          3


 テシーの家に着き、家族に挨拶をすると、しばらく休んでいけと言う。真壁は甘えることにした。車に戻っても水が引くまで動かすことは出来ず、車内にいれば強盗に襲われることもあるからだ。

 停電のため蝋燭のともされた薄暗い家の中に入ると、居間らしい一階をぬけて真壁は二階に通された。

 二階にはソファーがあり、その上に既にタオルが敷いてある。洪水が日課のようになっているのか、手回し良く家族が準備していたようだ。

 真壁をソファーに座らせると、すぐにテシーは階下に行き、水の入ったバケツとタオルそれに石鹸を持ってきて、「よく洗いなさい」と言う。洪水の中を歩いた場合、浸かった足が痒くなるので、石鹸で洗わねばならないのだ。

 バケツの中で洗った足をタオルで拭き、びしょ濡れになった靴下を絞りながら、置き去りにした車がどうなっているのか、今夜は無事に帰れるのかと真壁が考えていると、階下から人の声が聞こえてきた。テシーを訪ねて客が来たようである。

 しばらく階下で雑談していたかと思うと、二階へ上がってくる気配がした。時刻は八時を過ぎている。こんなに夜遅く、しかも洪水になっている所へ、誰がやってきたのかと真壁は関心を持った。

 真壁が階段の方向へ目を向けていると、テシーを先頭にやってきたのはリサだった。「あれっ」と思わず真壁が声を出すと、リサも意外だったのか、恥ずかしそうな笑顔を見せる。

 頭から雨が滴るリサを思ってか、紹介もせずに急ぎ足でテシーは階段を下りていった。洪水用のワンセットを取りに行ったのだ。

 隣り合わせにリサがソファーに座ると、二人がどんな関係なのか真壁はリサに訊ねた。

「コーリー(故アキノ上院議員夫人の愛称)を支持する集会で知り合ったの。二ヶ月前かしら。お互い日本企業に勤めていることが分かって、意気投合したのよ」

「ということは、ひと月前に君と僕が初めて出会った時、もう君たちは知り合いだったのか」

「そういうことね」

 意味ありげに彼女が口元を崩した。恐らく、二人の間では自分のことも話題になっているはずだ。自分のことをテシーから聞いていると思うと、真壁は何やら気恥ずかしくなってくる。

 やがて、テシーがバケツやタオルを持ってくると、リサは頭をすっぽりとタオルで包み込み、それからジーンズの足元をまくり上げて足を洗い始めた。

 洪水に見舞われ、ずぶ濡れになった被害者同士という気持ちがあるのか、急に二人の距離が近くなったように真壁は感じる。

「ところで話しておきたいことがあるの」

 足をタオルで拭き終えたリサが、真壁を見つめて言った。

「アメリカへ行くことにしたの。だから貴方と会えなくなるわね。アイ・ミス・ユー(I miss you)」

 リサの表情と「I miss you」という言葉に、真壁の心臓は止まりそうになった。これは「恋しい」という意味なのだろうか。それとも、元々、英語に「恋しい」などという意味はなく、単に「寂しい」というだけなのだろうか。英語力の乏しいことが、これほどもどかしいと思ったことはない。

 真壁はリサを見つめ返した。まずは、アメリカへ行くというのが、冗談か本気なのかを確かめねばならない。本当だとすれば、それこそ真壁にとっては一大事である。

「本当にアメリカへ行くの」

 真壁が確かめると、彼女は静かに頷いた。



          4


 気落ちのあまり、どう反応したら良いのか真壁には分からない。冗談を返して平静を装うべきか、それとも自分の恋心を打ち明け、アメリカへは行かないでくれと必死に頼むべきか、真壁は迷い続けた。テーブルに置かれた蝋燭の炎が、頼りなくゆらゆらと動いている。

 その場を和ます冗談も言えず、考え直すよう頼み込むこともできず、「恋しい」のか「寂しい」のかも訊けず、ただ沈黙の時間が過ぎていく。何を躊躇っているのか、何か言えと真壁は己をせき立てた。

 深い仲でもないのに、胸に穴があいたような、真壁は不思議な気持ちになっている。沼林景子の時のように、怒りに満ちた気分で別れる方が、よほど楽だと思えた。

「ところで、英語が弱いので教えて欲しいんだけど、君の言った『I miss you』とは、どういう意味なの」

 勇気をふりしぼって、ようやく真壁は口を開いた。

「だって、アメリカへ行ったら好きな人と会えなくなるんですもの、寂しいに決まってるでしょ」

 不意にリサが真壁の頬にキスをし、すぐに離れた。リサを慕う真壁の気持ちが通じたのか、それとも真壁に感謝する、礼儀のような挨拶なのかは分からない。それでも、真壁は宙に浮くような気分だった。

「なぜアメリカへ行くの。アメリカへ行ってどうするつもりなんだい」

 気持ちが軽くなり、真壁は話し続けた。

「あなたもアメリカへ行かない。仕事なら心配しなくても大丈夫よ。政府関係のあてならあるわ」

 真壁の質問には答えず、一緒に行こうとリサが誘いかけてきた。アメリカで暮らすことなど考えたこともない真壁には、返事のしようがない。仕事があるならアメリカ生活も満更ではない気がするものの、それにしても、政府関係の仕事ならあるとよくも簡単に言うものである。

「それで、いつ出発するの」

「まだ決めていないわ。仕事に区切りをつけてからかな」

 具体的な日取りが決まっていないことをリサから聞いて、真壁は安心した。しかし、アメリカへ行く日取りも問題だが、なぜ行くのかが気になる。多くのフィリピン人のようにグリーンカード(市民権)を持つ親戚がいるのだろうが、母国を捨てがたい日本人との感覚の違いを思い知らされ、急にリサが別世界の人間のように思えてきた。

「なぜそんなに、私がアメリカへ行くのが気になるの。もしかすると、私に惚れているのかな」

 リサが大胆な言葉を返してきた。

「いや、違う、違うんだ。だってそうだろ、友人がいなくなるのは寂しいじゃないか」

 言ってしまってから、真壁は後悔した。なぜ素直に自分の気持ちをぶつけられないのか、ほとほと自分が情けなくなる。リサは、「そうでしょうね」とでも言うように頷いた。

 真壁の内心は揺れている。一緒にアメリカへ行かないかと誘うからには、彼女にもそれなりの思いがあるはずだ。ただの友人に言えるセリフではない。おまけに頬へのキスである。思い出せば、頬のキスされた部分がひくひくと痙攣してきそうであった。



          5


「ところで、知りたいことがあるの。貴方は教師をしていたと聞いているけど、なぜ『東比』に就職したの」

 申し訳なさそうな口ぶりではあるが、厳しい表情を浮かべてリサが真壁を見つめ返した。

 思いがけない質問である。真壁には彼女の意図が分からない。教師をしていたことは秘書のテシーに話したことがあるので、テシーから聞いたのは間違いないとしても、なぜ自分が転職した理由を知りたいのだろうか。

 瞬時に真壁は推測した。リサは男としての真壁に興味があるのだろう。欧米流の考えであれば、転職には二通りの評価があるという。一つはスキルアップ、もう一つは節操のなさである。前者は向上心の表れであるから評価されるが、後者はジョブホッパーと言われ、軽蔑の対象となる。

 リサが真壁のことをもっと深く知りたがっているとなれば、それは恋人にしても良いものかどうか迷っているからに違いないと、都合良く真壁は考えた。満更ではないものの、自分の転職はジョブホッパーに該当する。迂闊な返事をすれば、評価が下がるどころか見捨てられてしまう。

「ある人に頼まれたのさ」

 ヘッドハンティングがあったかのように、いかにも能力ある男のような回答をした。山岸に迫られて逃げ出したとか、沼林恵子との失恋が原因だとは、リサを前にして口が裂けても言えるものではない。

「ふうん、そうなの」

 いかにも怪訝そうな顔を見せ、リサが微笑した。真壁は気が気ではない。彼女の微笑は、納得したからなのか、それとも見え見えの嘘を見抜いているからなのか。

「七年余り教師をやっていたけど、『東比』の社長から頼まれると断り切れなくてね。ちょうど三十歳になる頃だったこともあったし……」

 真壁は嘘の上塗りをした。頼まれたとはよく言ったものだ。実際は新聞の求人欄を見て応募しただけなのだから、思わず顔が赤くなってくる。

「教職を辞めても良いほどの仕事が『東比』にあったのかしら。なにしろ、社長から頼まれたんですものね」

 真壁の嘘を信じているかのように、頼もしげな眼差しをリサが見せた。

「それで、どんな仕事を任されたの」

「『東比』は入札専門商社だけど、入社した頃は、民間の機械輸出を担当していたよ」

 並の社員とは違うことを示すために、またもや真壁は嘘の上塗りをした。

「へえっ、特別扱いされていたんだ。それで、どんな機械を輸出していたの」

 意外なほどリサが興味を示してきた。

「工作機械の輸出とか、ほかにも色々あったなぁ」

 自分を大きく見せようと、少しばかり誇らしげに真壁は答えた。実際は先輩社員から怒鳴られ、右往左往して涙ながらに仕事を覚えようと必死になっていたのだが、最初に担当した仕事らしい仕事と言えば、シンガポール向けの工作機械であったのは事実である。

 嘘を重ねた自責の念から、目のやり場に困った真壁が宙を睨み口をつぐむと、しばらくの間、ひんやりとした空気が漂った。



          6


 やがて、渡米する具体的な日時も理由も分からぬまま三十分ほどが過ぎると、屋根に叩きつける雨の音が消えていた。豪雨は峠を越したようである。

「送っていくよ」

 まだ濡れている靴下を履くと、ソファーから立ち上がって真壁は申し出た。

「今夜はここに泊まることになってるの。ありがとう。気をつけて帰ってね」

 リサが素っ気なく言う。いかにもドライな感じがした。彼女についた嘘が見破られたのかと、少しでも早く逃げ出したい気分になってくる。

 それでも、立ち去る瞬間、真壁は躊躇した。リサの姿を見るのは、これが最後になるかもしれない。本当にこのまま立ち去って良いのか、まだ引き返すことは出来るのではないか、真壁は後ろ髪を引かれる気分になっていた。しかも、転職理由の嘘をついた自分が恥ずかしく、なんとか失点を取り返したい気分にもなっている。

 その時、真壁が思い出したのは、無断外泊をすると藤原支店長がうるさいことだった。治安の悪いフィリピンであり、部下に何かあれば責任を問われるので、厳しく怒るのも仕方ないことなのだが、かつて従業員を送っていった時、真壁は十時間も車に閉じ込められたことがある。南方高速道路での出来事で、道の途中が洪水のため交通止めになっていたのだ。高速道路の周囲は延々とフェンスで囲まれており、引き返すことは勿論、横道に出ることも出来ないのである。

 へとへとになって朝六時頃に宿舎へ戻ると、藤原からぼろくそに怒られた。送っていったことに対してではなく、帰りが遅くなるくらいなら送るなと言うのだ。

 遅くなるかどうか分かっているなら苦労はしない、それで文句を言うのなら、初めから送るなと言えば良いのにと、心の内で真壁は反発したものである。

 今すぐ宿舎に戻れば、藤原に怒鳴られずにすむ。リサのアメリカ行きに気落ちしてしまい、怒鳴られようが殴られようが構わない気分なのだが、立ち去る理由を探す真壁には、藤原への臆病風は救いになっていた。

 秘書の家族に車を表通りまで押してもらい、何とかエンジンをかけての帰りの道すがらになっても、リサのことが脳裏から離れない。しかし、それは思慕の念ではなく疑問であった。

 洪水に見舞われている秘書の家へ、なぜリサは訪ねて来たのだろうか。友人のよしみで秘書のテシーに会いたかったのなら日を延ばせば良いことで、わざわざ洪水の夜に来ることはあるまい。

 いつぞやの葬儀屋で再会したのも、こんな暴風雨の夜だったことを思い出す。灌漑局の入札で初めて出会ったことも含め、本当に全てが偶然なのだろうか。

 転職の理由を訊かれたことも、一時は自分に気があるのだと考えたが、いつまでも自惚れてばかりはいられない。もし真壁の期待するような意味ではないとしたら、どんな意図がリサにあるのだろうか。

 思い出すのは、葬儀場で再会した夜、リサは影山の指示でやってきたと言っていたことだ。となれば、リサは影山の手先であり、この夜も影山に命令されていたと考えられる。

 いくら考えても答えは出てこない。出てこないというより、出したくなかった。そのうち、「もしかしたら」と、またしても淡い期待が再燃してくる。悪い癖だと、心の内で真壁は苦笑した。



    第五章


          1


 真壁が赴任してからひと月半が過ぎた十月十八日、金曜日の午前三時頃、周囲はまだ暗闇である。

「見送りはここまでで良いぞ。あとを頼む。気をつけてな」

 ゆっくりと振り返りながら、支店長の藤原が真壁進次郎に声をかけ、マニラ国内空港の入り口に消えていく。東京から出張してきた二人の電線メーカー社員を連れ、藤原支店長がセブに向かうのは、百二十億円を超える予算のついた海底ケーブル入札が、来年半ばに予定されているからだった。

 国内空港は国際空港と隣り合わせになっているが、二年ほど前に完成した国際空港に比べると、やけに小便臭く感じられる。かつては国際空港としても使われ、到着した乗客はタラップで飛行機を降り、滑走路の上を入国管理局まで歩いていたらしい。「滑走路に沿って椰子の木が点々と続いて、その黒いシルエットが俺の旅情を掻き立てたものだ」と、今しがた車の中で藤原から聞かされたばかりだ。数年前まで、成田からの到着便は夜だったのである。

(「気をつけてな」とは、よく言うよなぁ)

 意外なほど優しかった藤原の言葉を思い出しながら、真壁進次郎は心の中で呟いた。普段の藤原の言動からして、「俺がいないからといって、調子に乗るんじゃないぞ」くらいは言われると覚悟していたのである。

 午前三時四十分発のセブ行きPR-861便に搭乗させるために、時間的余裕を持たせて支店長たちを乗せて車を運転してきたのだが、まだ夜明けには時間がある。

(これからどうしようか。出勤するには早すぎるし、宿舎へ戻ってひと寝入りするには遅すぎるし……)

 車に向かって歩きながら、真壁は迷った。

「お見送りですか」

 ふいに真壁の背後で男の声が聞こえた。振り向くと、深緑色のパパラッチを着た、見覚えのない日本人が立っている。年齢は五十前後、身長は180センチを超えていた。胸のポケットには数本のボールペン、肩にはカメラをぶら下げている。いかにもジャーナリストといった恰好だが、ジャーナリストだとすれば、近々予定されている大統領選挙の取材であろう。

「あんたは『東比貿易』の駐在員だろ。ちょっと教えてくれないか。円借款に絡むマルコス大統領への賄賂なんだが、誰に、どうやって送金しているんだ」

 突拍子のない質問に真壁は狼狽えた。こんな場所で、こんな時間に、社内ですら極秘事項の話を持ち出すとは、人を驚かすのもいい加減にしろと言いたい気分である。そもそも、なぜ真壁が「東比貿易」の社員と知っているのか疑問が湧く。



          2


「突然に失礼した。俺はフリーの記者で、こういう者だ」

 訝しげな表情を見せた真壁に男が名刺を差し出した。名刺には「長井満春」とある。

「確かに私は『東比』の者ですが、ただの平社員、それも赴任して二ヶ月にもならない新米駐在員ですよ。難しいことは一切、知りません」

 記者から質問されるのは初めての経験である。やたらなことを喋ると、あることないことが書かれるに違いなく、その場を取り繕って真壁は立ち去ろうとした。

「平社員でも、何か知っているだろ。例えば、あんたの会社の社長が、民自党の誰それと懇意にしているとか」

答えるのがお前の義務だとでもいうように真壁の進路を塞ぎ、男は平然として真壁の顔を凝視している。

「何も知りませんね」

取り付く島を与えまいと、ぶっきらぼうに真壁は返事をした。

長井の質問主旨は分かる。多額かつ使途不明の海外送金は隠し資産と見なされ、膨大な税金を納めねばならない。しかも、その追徴金を前提に賄賂を上乗せすれば契約金額が跳ね上がり、円借款の日本側窓口である「海外経済協力基金」の疑いを招く。

にもかかわらず、国税当局からの追徴もなしに多額の海外送金ができ、すんなりと契約が承認されるのは、何らかの政治的お目こぼしがあるからだ。税務署や「海外経済協力基金」に顔の利く政治家が絡んでいると疑われても、当然なのである。

質問の意図は分かるが、「東比貿易」の社員として、社内の極秘事項を軽々しく真壁がしゃべるわけにはいかない。

「借款はフィリピン国民の財産だぜ。それが大統領の私腹を肥やすために使われているとなれば、あんたは大泥棒の片棒を担いでいることになるんだぞ」

 長井が体を真壁に寄せ、圧力をかけてくる。僅か一言でも、何かを言わせたいのだ。

「大泥棒の仲間のように私のことを言いますが、それなら戦前のマスコミは何だったんですか。軍部の片棒を担いだのはマスコミでしょう。国民を煽り、戦争に駆り立てたんだ。それでも平気な顔をして、商業主義丸出しで今も新聞や雑誌を出しているのは、どういう了見なんですか。売り上げ第一のあなた方が、正義面する資格などないと思いますがね」

 ちょうど良い機会だとばかりに、皮肉たっぷりに真壁は応戦した。今以て記憶に残る、歴史に学んだ学生時代の怒りである。

「あんたも言うじゃないか。しかし、新聞だって商売だ。商業主義のどこが悪いんだね」

 長井が反論してきたが、ひと回りほど年下の真壁を相手にしているせいか、無気になっている様子はない。マスコミ関係でもない素人が、何を偉そうなことを言っているのかと、見くびっている風でもある。

「ジャーナリストのあなたを前にして言うのも恐縮ですが、明治以降、日本が戦争を繰り返してきたのはご存知でしよう。その都度、新聞は国民を正論に導くのではなく、売れる世論に従ってきた、つまり、戦争を煽れば売れることを学び、その結果が太平洋戦争にも繋がったわけです。

 そして今も、商業主義に則って販売競争を繰り広げている。『朝夕』や『立読』などの大新聞は、一千万部を目指して競っているではないですか。今はまだ戦争反対の空気が残っているので進歩的な風を装っている『朝夕』も、風向きが変われば売れる方へとなびくことになりますよね。これは恐ろしいことです。何も歴史から学んでいないのですから」

 マスコミへの疑念を、真壁はまくし立てた。

「あんたの言うことは分かる。それだからこそ、その反省の上で俺はジャーナリズムの道を選んだのだがね」

 真壁の疑問は長井も持っていたらしく、同調するように急に長井は大人しくなった。

「ところで、なぜ私が『東比』の駐在員だと分かったのですか」

 長井が静かになったところで、今度は真壁が質問した。

「偶然だよ。『ホンエイ商事』の坂上支店長とマビニで飲んで、セブへ行く彼に空港までついてきたら、前を歩いているあんたらに坂上支店長が気付き、『東比貿易の社員がいる』と教えてくれたのさ」

 声をかけられた疑問は解けたが、長井の口から「ホンエイ商事」と聞いて、真壁の頭に「漁港」案件の疑問が蘇った。「漁港」案件には真壁の首がかかっている。通常では参加しない円借款の「漁港」案件に、なぜ今回は大手商社の「ホンエイ」が乗り込んできたのか、「東比」本社の栗山部長から背景を調べろと厳命されているのだ。ところが、「ホンエイ」の現地社員にまで接触して情報を得ようとしたのだが、これまで何の成果もない。

 一ヶ月半もの間、部長の指示に応えていないことで、真壁は焦っていた。「ホンエイ」の支店長と飲み友達なら、「漁港」案件について何か分かるかもしれない、ここは思い切って、ギブ・アンド・テイクの取引をしてやろうと真壁は目論んだ。

「その辺で、飲みながら話しましょうか」

 これまでの態度を一転して、人懐こい笑顔を浮かべながら、真壁は長井を誘った。いやしくも商社の駐在員である。相手が記者ということで毛嫌いしても何も始まらない。

 提案に同意した長井を車に乗せ、空港近くの「フィリピナス・ホテル」へ真壁は車を向けた。「フィリピナス・ホテル」は数年前まで五つ星のホテルだったが、カジノが撤退したせいか、四つ星に格下げになっている。



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 ホテルの入り口近くに深夜営業のレストランを見つけ、二人は入った。

「ひとつ取引をしませんか。なぜ『ホンエイ商事』が漁港近代化のプロジェクトに介入しているのか教えて頂ければ、大統領への政治献金についても、それなりの話をしますよ」

席について双方がビールを注文し終えると、道すがら考えていたように真壁は非常手段に出た。とにもかくにも、駄目で元々である。

真壁の出した条件に、笑顔になりながら長井が頷いた。長井にすれば、してやったりの心境なのであろう。

「どこまで役立つか分からないが、俺の知っていることを話してやるよ。『ホンエイ』マニラ支店の特別顧問に『カゲヤマ』という人物がいる。元陸軍の特務機関員だ。『漁港』案件は、その『カゲヤマ』が全てハンドルしている。

 奴の目的は、『漁港』の契約を結んで大統領と直接話をすることらしいが、それが何かは分からない。『ホンエイ』の坂上支店長もこぼしていたが、支店長を差し置いて極秘で動いているというのだから、よほど大事なことだと想像は出来るがね」

 ここまで言って、長井は深呼吸をした。知っているのはこれだけ、今度はお前の話す番だと言いたい様子である。

 確かに新しい情報で貴重ではあったが、「カゲヤマ」が大統領に近づく理由が分からないのでは、情報としては不充分である。真壁が思案げな表情を浮かべていると、

「訊きたいのは、公の入札なのに、なぜ三社しか円借款の入札には参加出来ないのかだ。大統領への賄賂が理由なら、参加したい商社は日本側の『海外経済協力基金』に不正を訴えれば、簡単に解決できる話だと思うんだが」

 おかしな話だとばかりに、長井が首をかしげた。

「わざわざ訴え出ない理由の一つは、一件あたりの契約金額が小さいからでしょう。一億、二億は我々のような零細商社には大きい金額ですが、大手の商社ではクズと呼んでますからね。しかも、トラック、発電機、掘削機、ポンプといった具合に入札品目が多く、メーカーとの対応や委任状のサイン認証などの書類作りが面倒なので、大手商社にとっては魅力がないのだと思いますよ。

 参加しない理由は他にもあります。入札前の資格審査で、落とされる可能性があるからです。具体的には、資格審査の書類の中に政府への納入実績があり、賠償を手掛けてきた三社は難なく選考を通りますが、大手商社は実績不足として落とされる場合もあり得るわけで、そうなればメンツは丸つぶれですからね」

「本当にそれだけが理由なのかね」

 納得できない表情を長井が浮かべる。真壁は説明を継ぎ足した。

「まだあります。日本側メーカーの商習慣は、入札情報が早く来た商社と組むことになっているんです。ここに来て気がつきましたが、我々は入札専門商社なので、役所回りは日課になっています。ところが、大手商社の場合は、日本人駐在員はおろか、現地社員にもあまり役所では出会いません。当然にも大手商社が入札情報を摑んだ頃には、競争力のあるメーカーは既に我々が抑えていることになるわけです。

 日本のメーカーは信義を大事にしますから、円借に限らず、たとえ大手商社から入札の声がかかっても、情報が遅ければ応じません。しかも、これは自慢話になりますが、我々『御三家』は、二番札、三番札は当たり前、時には七番札、八番札をひっくり返した実績もありますから、メーカーとしては頭が上がらないのです。なにしろ、メーカーには生産スケジュールに穴が空くという場合があり、赤字を出しても契約を取らねばならないことがあるんですよ。そんな時に、裏の手を使える我々が役に立つというわけです」

 会社を裏切ることがないように、調べればわかる程度の情報を選んで真壁は答えた。



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 「大手商社は、参加出来ないのではなく、参加したくないという訳か。まぁ、それはそれとして、大統領への賄賂はどれくらいなんだ。かなりの額になるはずだよな。それなのに、なぜ日本の税務署や『海外経済協力基金』は黙認しているのかね」

畳みかけるように、長井が質問を投げかけてくる。

「円借款を通して大統領への政治献金があるのはご想像通りで、本船渡し契約額の十五パーセントです。送金が追徴なしに可能になる日本の事情については、私は知りません。噂話では、大蔵省に強い民自党の派閥に顧問の『先生』がおり、その『先生』の依頼によって民自党の代議士が税務署長に口利きをしているようですね。ご存知のように、税務署は東大出身のエリートが三十代の若さで署長になっていますから、野心家の彼らに将来の希望を約束することで、問題は解決すると聞いています」

 円借款にまつわる賄賂金額については、アジア開発銀行や世界復興銀行の入札結果と比較すれば簡単に分かることである。噂話については、真壁が本社にいた頃、先輩社員たちが話しているのを小耳に挟んだ程度のものであった。

「つまり、日本側は官民一体となって賄賂を払っているという訳か。それで、フィリピン側はどうなっているんだ。まさか大統領の口座に直接送金はしていないだろうから、フィクサーがいるはずだよな。フィリピンの裏世界にいる人物というのは、一体どんな奴なんだ」

 長井の質問が、核心に迫ってきた。目つきが鋭くなっている。

「残念ながら、フィクサーが何者なのか、私ごときの平社員には分かりません」

 実際に真壁は知らなかった。会社の極秘事項なのだ。この質問には、仮に真壁が知っていても白を切るしかなかったであろう。

しばらくの間、真壁の答えに不満そうな表情を浮かべてから、賄賂問題の詮索を諦めたのか長井が話題を変えた。

「ところで、あんたはマニラ市街戦の話を知っているかね」

 真壁進次郎の目を覗き込みながら、テーブルの上のコップをつかみ取ると、長井が喉を鳴らしてビールをひと飲みした。



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「今回、俺は大統領選挙の取材でマニラへ来たんだが、実はもう一つ目的があるんだ。というのは、俺の親父は元海軍で、お袋からはレイテの海戦で死んだと聞かされていたのさ。戦後二年が過ぎた頃、役所から戦死の通知が届いたそうだ。

 ところが、今から三年前、元上官と名乗る人物が、当時、俺の勤めていた新聞社に現れ、親父はマニラの市街戦で死んだと言うのさ。ある記事の中で、俺の父親がレイテ沖海戦で死んだことに触れたのだが、それが署名記事だったため俺の名前が彼の目にとまり、親父の名前が満秋(みつあき)ということから、もしかすると戦友の息子かと思い訪ねて来たそうだ。俺の名前は、満春(みつはる)だからな。

 元上官から親父の本当の死に場所を知らされ、俺は新聞社を辞めた。子供の頃から聞かされていたことを疑いもせず、『私の父はレイテ沖海戦で死んだ』と嘘を書いてしまった、だからジャーナリストとしては失格だ、と思ったから辞めたと言えば聞こえは良いが、そんなものではなかったんだよ。体が崩れ落ちるような衝撃だったんだ。

『マニラ市街戦』のことは知っていたものの詳しいことは知らず、にもかかわらずそこが親父の死んだ場所となれば、とんでもない思い違いをしていたことになる。役所の戦死通知を信じ、長い間疑いもしなかったのだから、親父には申し訳ないことをした、親父に会いたいと、その時、初めて心底から思ったものさ。そんな自分を反省した時、俺は忙しい新聞記者には向いていない、能力がないと気がついたんだ」

 薄暗いレストランの明かりの下で、長井の無精ひげが震えているように見える。

「マニラの市街戦は凄まじいものだったらしいな。八十歳近い元上官が、三十七年前の体験を語りながら、俺の前で涙を流すんだよ。マニラが完全に包囲され、組織的な脱出が不可能になった頃、砲弾や機銃掃射が飛び交う中を元上官は俺の親父と一緒に脱出を試みたそうだ。その時、よほど恐ろしい思いをしたんだろうな」

 元上官の姿を思い出すように、長井が目を瞑った。

「かなりのお歳でしょうから、死ぬ前にかつての部下の最後を伝えたくて元上官は訪ねてきたんですかね」

 長井の話に真壁は興味を持った。灌漑局秘書の件以来、「マニラ市街戦」について真壁は随分と勉強をしている。

「そうかもしれない。しかし、おかしな点があるんだ。せっかく俺を訪ねて来てくれたので近くの居酒屋で一盃やりましょうと誘って飲んだのだが、酔いが回るにつれて妙なことを言い出した。市街戦の話を自分が持ち込んだからといって、余計な詮索はしないでくれと言うのさ。 詮索するなと言われれば興味が湧いてくる。そこで、市街戦の真相を俺が問い質すと、元上官は口をつぐみ、急に帰ると言いだした。慌てて俺が住所と電話番号を訊くと、まるで聞こえなかったかのように立ち去ったんだ。おかしな話だろ」

 長井がまたビールをひと飲みした。



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「なぜ元上官が長井さんを訪ねてきたのか、何か引っかかりますね。市街戦の真相を知ることに、何か不都合なことでもあるのでしょうか」

 真壁は同意して見せた。 

「釈然としないので、三ヶ月後、名前を頼りに住居を探し出し、俺は元上官の家を訪ねた。しかし、一週間前に彼は死んでいた。老衰だそうだ。残念としか言いようがないのだが、その時、家族から聞かされたのは、彼が潜水艦乗りだったこと、しかも、彼は戦犯容疑で戦後起訴されるところだったが、一切を秘密にするという条件でGHQ(連合軍総司令部)から釈放されたそうだ。

 GHQの口止めと言えば細菌兵器を研究していた石井部隊の関係者が有名だが、潜水艦乗りとはどうも結びつかない。それに、何を義理堅くいまだにアメリカとの約束に縛られているのか、家族にも語らなかったそうだ。

 そんなことから、俺の親父はどの潜水艦に乗っていたのか、マニラ市街戦と何か関係がないかと、旧日本海軍の潜水艦について俺は調べ始めた」

 長井の話は真壁の興味をそそった。海軍と言えば連合艦隊、連合艦隊と言えば真珠湾、レイテ沖海戦といった華々しい話しか思い浮かばないが、それだけ潜水艦の活動は秘密のベールに包まれており、裏方の任務を負っていたことになる。

「俺の調べた潜水艦の活躍は、昭和17年頃からだ。前年にヒトラーがレーダー技術の供与を許可し、『伊30号』がドイツに派遣されている。生ゴムや航空母艦の技術を持って行った上に、積んでいた零式小型偵察機もプレゼントしたそうだから、よほど日本はレーダー技術が欲しかったんだろうな。しかし残念と言おうかなんと言おうか、『伊30』はシンガポールまで戻ってきたが、そこで機雷に触れて沈没してしまった。持ち帰ったレーダーを引き上げたが、原形をとどめていなかったそうだ。

 その後、第二次派遣として、タングステンや生ゴム、阿片などを積んで『伊8号』が出発し、ベンツの大型エンジンやレーダーなどをドイツから受け取り、昭和18年末に呉に帰港している。もっとも、昭和18年の12月となると、欧州戦線では三ヶ月前にイタリアが降伏しているし、時既に遅しというところだが、ヒトラーも焦っていたんだろうな」

 潜水艦の極秘行動は想像できるが、具体的な活躍は真壁には初耳だった。

「潜水艦による日本とドイツの軍事協力は、意外に進んでいたんですね。それにしても、阿片まで日本が供与していたのは何故ですか」

「前線の兵士や障害児童を安楽死させるためだったらしい。残酷な話だが」

 顔をしかめながら、テーブルの上のビールに手を伸ばし、長井は話を続けた。

「更に第三次として『伊34号』が派遣されたが、往路のマラッカ海峡で撃沈され、第四次派遣の『伊29号』は、ロケットやジェット戦闘機の設計図を持ち帰ってきたが、昭和19年3月、フィリピンまでは戻ってきたもののバシー海峡で撃沈されている。余談だが、ドイツの潜水艦からインド独立の指導者チャンドラ・ボースを引き取ってシンガポールで降ろしたのは、インド洋で活躍していたこの『伊29』で、ドイツへ派遣される前の話だよ」

「すると、長井さんの親父さんが乗っていたのは、派遣された潜水艦で唯一無事に日本へ戻った『伊8号』ということですか」

「いや、乗員名簿を調べたが、親父も上官の名前もなかった。しかし、一つだけ気になるのは、ドイツから持ち帰った品目の中に、帰路で降ろした荷があったことだ。なんらかの軍事物資であることは間違いないと思うが、どの港で、何を降ろしたかは分からない。もしかすると、寄港はしていなくても、洋上で受け渡しが行われたのかもしれないが」

「名簿に名前がないとなると、親父さんは『伊8号』には乗っていなかったことになりますね。他の潜水艦はどうなのですか」

「市街戦のあった昭和二十年二月頃にフィリピン方面に従事していた潜水艦を調べると、やっとの事で分かったのは、中型の呂号潜水艦が少なくとも六隻いて、ルソン島に残った要人救出をしていたらしい。その要人とは誰なのか、その潜水艦がなぜマニラへ寄り、なぜ元上官と俺の父親が降ろされたのか、如何せん資料が乏しく今も疑問は解決していないが、この六隻の潜水艦の一つに元上官や親父が乗っていたのは間違いないと思う」

 謎だらけの話である。潜水艦の役割上、機密の任務があるのは頷ける話だが、さぞかしもどかしい思いをしていることだろうと真壁は長井の心情を思いやった。



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「それにしても、『マニラ市街戦』には謎が多すぎる。例えば、レイテ海戦で沈没した戦艦『武蔵』の生き残り千二百名が良い例だが、多くの水兵が救助され命拾いをしたというのに、どうして日本へ戻されずに市街戦へ投入されたのか、陸軍は山下将軍の命令で山へ籠ったのに、武器も食料もない中で、しかも戦闘経験のない在留邦人や水兵をかき集めて、何のために大本営はマニラを死守せよと命じたのか、さっぱり分からない。首をかしげるような説明は随分とあるがね。

『マニラ市街戦』と言えば、ほかにも気がかりな点がある。親父とは関係ないと思いたいが、市街戦の最中に発生した、ドイツ人クラブやベイビュー・ホテルなど市内各所でのマニラ市民虐殺事件だ。もしかすると親父もかかわっていたのではないか、そんな疑問がいつも頭の中から離れないでいる。しかし、親父の足取りを探る資料は探し出せず、結局、仕事にかまけて、何も分からないまま俺は今日まできてしまったわけだが……」

 個人的な話しを持ち出したせいなのか、自分の努力不足を恥じているのか、申し訳なさそうに言い終えた長井が真壁から目をそらした。

「私にも疑問があるんですよ。全く初歩的なものですが」

 長井の話に触発され、真壁も話し始めた。

「『マニラ市街戦』は、スターリングラード、ワルシャワ、ベルリンといった人類史上最も有名な市街戦の一つで、百万の市民を巻き込み、しかも首都で一ヶ月も続いたアジア最大の市街戦、更には十万人の市民を犠牲にした悲劇であり、東京を初めとした本土各地への空襲や原爆投下に対しては、アメリカ人の復讐心を燃え立たせた重大事件です。

 にもかかわらず、日本では昭和史の本にすら一行も書かれていないことがあります。まるで誰かが隠蔽しているようにしか思えないのですが、どうしてなんでしょうかね」

長井の答えは期待していなかったが、これまで抱いていた疑問を真壁は披露した。マニラの市街戦については、中国の南京事件などとは違い、惨憺たる被害に激怒したマッカーサーの命令で多くの証言記録や証拠写真が残っており、国際的に知られている歴史的重大事件なのだ。

「独立の見習い期間とはいえ、当時、フィリピンはアメリカの植民地だった。その保護国の首都マニラで行われた市街戦や住民虐殺が、その後の東京大空襲や原爆投下など日本の悲劇を大きくしたのは事実だろうな。報復の論理というやつさ。

 報復と言えば、無差別爆撃で十一万人の市民が殺されたと言われるドレスデン大空襲が、四年以上も前のロンドン大空襲の報復だったことは有名な話だよ。勿論、報復のために無差別爆撃をしたと表だって言ってしまったら、余りに浅ましいと言おうか、作戦そのものの正当性が疑われるから、連合国側は報復を否定しているがね。

 まだ報復の例はある。配色濃厚となったドイツが、ロンドンを狙って撃ち放った『V2ロケット』を君は知っているだろ。宣伝省のゲッペルスが名付けたそうだが、その意味を知って意外に思ったね。『V』は『報復』というドイツ語の頭文字なんだ。『V』の頭文字といえば、てっきり『VICTORY』の意味かと思っていたから、白人の復讐心というのは凄いものさ。

 報復の話ついでに言えば、連合艦隊司令長官の山本五十六が撃墜された事件だ。待ち伏せ攻撃に米軍のつけた名前が、『真珠湾の復讐作戦』というんだから、そのものズバリだよ。

 まだまだ他にもある。レイテ海戦の際、真珠湾攻撃に参加した唯一生き残りの空母『瑞鶴』がエンガノ沖に現れたというので、囮部隊の小沢艦隊にハルゼーの機動部隊がおびき出され、レイテ湾をがら空きにしてしまったのも、異常な復讐心からだ。

 白人の復讐心というのは、日本人の想像が及ばないほど強烈らしい。東京大空襲が行われたのはマニラ市街戦が終わった一週間後だが、一般市民を狙って十万人の死者を出したというのも偶然ではないだろう。

 報復の論理というのは、戦争に飽き飽きしている将兵を鼓舞するためには、自由や民主主義のためといった大義名分より効果があるんだな。マッカーサーがリンガエン湾に上陸し日本兵の死体を見て『死んだ日本人だけが良い日本人だ』と語っているが、それは『日本人は皆殺しにしてやる』と、復讐心を吐露したようなもんだろ。大元帥ともあろう人物が、こんな怒りを平気で口に出すんだから、本当に白人の復讐心というのは凄まじいもんだ。

 そう考えると、なぜ『マニラ市街戦』が日本国民の間で知られていないのか、分かるような気もする。というのは、『マニラ市街戦』の悲惨さを日本人が知れば、東京大空襲や二つの原爆などは、市街戦の復讐として受け入れざるを得なくなるからさ。それは日本人の国民感情に背く、つまりマニラ市街戦が民族として大きな負い目になるからには、知らせたくない、知りたくないといった国民感情があるということだろう。

 国民感情の話は別として、市街戦の知られていない本当の理由は、隠すに値するほど現在に通じる何かがあるんじゃないのかね。誰が何を隠そうとしているのか、今は分からない。しかし、戦後四十年近くにもなって、元上官がわざわざ俺に会いに来たのは、その辺と関係がありそうな気がするんだ」

 なぜ『マニラ市街戦」が日本で無視されているのかという真壁の疑問に対して、長井が持論をまくし立てた。『マニラ市街戦』を知る真壁を前にして、積もり積もった怨念のようなものが噴き出てきたようである。

 ひと息つくと、長井が身を乗り出して真壁の次の言葉を促した。



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「ほかにも私には疑問があります。『マニラ海軍陸戦隊』の岩淵少将は、なぜ市街戦を続行したんでしょうか。戦艦『霧島』の艦長だった岩淵少将は、第三次ソロモン海戦で艦が沈められたにもかかわらず生き残ってしまい、そのために死に場所を求めていたと言われていますが……」

 真壁は長井の意見を求め、長井の表情を注意深く見守った。長井の反応を窺うのは、父親が市街戦で死んだという長井の話が果たして本当なのか、真壁に近づいて目的の情報を探り出そうとする作り話ではないかと、疑いを持っているからである。もし本気で市街戦の真相を勉強したのなら、この程度の考えに同調するはずはない。

「それは全く違うと思う。自分の死に場所といった個人的な理由で、七十万とも百万ともいわれるマニラ市民や、最終的に二万の日本兵を、岩淵少将が巻き込んだとは俺には思えない。少将はそんな小者ではないよ。その証拠に、激戦の最中、岩淵少将は撤退を具申して、マニラ郊外にあるマッキンレーの『桜兵営』へ脱出したんだ。初めから死ぬつもりだったら、撤退の許可など求める訳がないだろ。

 にもかかわらず、岩淵少将が死に場所を求めていたなどという実しやかな噂が流れているのは、市街戦の責任を個人的な問題にすり替え、何らかの目的があって真相を隠そうとしている連中がいるからだと俺は思う」

 市街戦の責任を岩淵司令官の私的な問題にする話を真壁が持ち出したせいか、半ば怒っている口ぶりで長井が答えた。

 長井の返事に真壁はほっとする。確かに長井はマニラ市街戦を本気で勉強していたようだ。長井の父親に関する話は本当なのであろう。

「ところで、マニラ市街戦は昭和二十年のことですが、四十年前の当時、長井さんは何歳だったんですか」

 心の内で長井の意見に同意しながら、まだ目の前の人物を信用しきれない真壁は話題を変えた。

「俺は八歳だった。自慢の親父だったよ。今でこそ軍人なんてのは流行らないが、当時は少年の憧れの的だったからな」

 真壁の質問に触発されて少年時代の自分を思い出しているのか、長井は視線を宙に泳がせた。しばらくの間、沈黙が続く。

「君はなぜ『東比』の社員になったのかね。新米駐在員だと君は言うが、君の年格好からすると中途入社だろう。何か事情がありそうだな」

 口を開いた長井の唐突な質問に、真壁は言葉を詰まらせた。偏向教育を指摘され、何も反論できずに逃げ出したことなど、初対面の相手に言えるはずがない。

「いやいや、語るほどのものはありませんよ。それより、話を元に戻して恐縮ですが、大統領選挙の取材の他に、長井さんにはもう一つマニラでの目的があると伺いましたが、何でしたっけ」

 自分への個人的な質問を終わらせようと、必死に真壁は話を切り替えた。

「市街戦の真相を突き止めることさ。なぜ親父は市街戦で死なねばならなかったのか、何を元上官が言いそびれていたのか、気になって仕方がないんだ。ひょっとすると、潜水艦から親父たちが降ろされた理由と関係がある気もする。ところが、調べようにも、終戦直後、日本側の文書は悉く燃やされていて、核心に触れる資料が日本ではみつからない。そこで、このマニラで何かないものかと、淡い期待を抱いているというわけさ」

 もどかしそうな顔を長井が見せた。確かに、ポツダム宣言受諾が決まった八月十四日から三日三晩をかけて、陸軍省、海軍省、内務省のビルからは書類焼却の煙が濛々と立ち上がっていたといわれ、多くの事実が闇に葬られている。

 もし書類が残っていれば、マニラ市街戦をめぐる山下将軍の無実が証明されるばかりか、シンガポール華僑粛正事件の真相も明らかになっていたはずなのだ。書類の焼却は、本当の戦争犯罪人が戦後も大手を振って活躍するのを許し、今もって多くの謎を残すことになったと真壁は考えている。

「長井さんの気持ちは分かりました。ここに参考にしてもらいたい資料があります。後で、ゆっくり読んで下さい」

 ズボンの後ろポケットに畳んで入れていた書類を広げると、真壁は机の上に置いた。未完成ではあるが、マニラ市街戦の時系列表である。昼食時や役所での待ち時間を利用して勉強するために、いつもコピーを持ち歩いていたのだ。

「親父の一件を知ってから俺も市街戦については随分と勉強したつもりだが、頭を整理するには役立ちそうだ。いったいどうして、こんなものを作ったんだい」

「ちょっとした事情があるんですが、詳しいことはいずれお話ししますよ」

 話を切り上げたくなった真壁が質問をはぐらかすように言ったためか、礼を言いながらざっと目を通すと、あっけなく長井は時系列表をパパラッチ服のポケットにしまい込んだ。



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「ところで、一つだけ君に注意しておきたいことがある」

 大真面目な表情を浮かべ、長井が真壁の目をじっと見つめた。何事かと、真壁も見つめ返す。

「それは『カゲヤマ』なる人物のことだ。実は、今回の取材にあたって、俺は『ホンエイ』の社長に会って協力を頼んだのさ。社長は元大本営の作戦参謀をしていた瀬川虎三だ。有名人だから、君も知っていると思う。初めてのマニラだということで協力を頼むと、渋々、口を開いて了解してくれたが、やんわりと念を押されたよ。マニラ支店は忙しいので、選挙以外の取材協力は出来ないとね」

 長井の顔に緊張感が浮かんだ。息を吸い込むように間をおいて、長井が話を続ける。

「二ヶ月前、俺は『ホンエイ商事』のマニラ支店を訪れた。すると、そこで出会ったのが特別顧問の『カゲヤマ』で、何度か通っているうちに支店長から教えられたのは、彼が元特務機関員ということだった。マニラ市街戦の関係者だと俺は睨んでいる。というのは、それとなく市街戦のことをカゲヤマ本人に訊くと、特務機関員だったことは認めたものの、当時は中国の満州にいてマニラにはいなかったので何も知らないと奴は言うのさ。

 勿論、あからさまな嘘をつくからには、何か隠していると俺は想像している。今後も奴にへばりついて、何を隠しているのか探るつもりだ。勿論、俺の親父のことは話していない。警戒されてしまうからな」

 悪名高い憲兵隊の陰に隠れているが、フィリピンでの特務機関の悪行については、この間の勉強で真壁も知っていた。俗に第五列と言われているスパイ活動である。戦争開始前から在留邦人の間に潜り込み、フィリピンの内情を探っていたのだ。とりわけ、反日的な発言をする有力なフィリピン人は大本営へ報告され、サントス最高裁長官や人気ある政治家が、日本軍の占領早々に処刑された。日本軍政の失敗の始まりである。

「どうして満州にいたという話は疑わしいのですか」

 真壁は口を挟んだ。

「満州の特務機関はアヘンの売買に従事していた。その売り上げは満州国予算の四分の一だったそうだが、その金でタングステンなどの軍用物資を集めて軍に納めていたのさ。ところが、その話をすると、奴には知識が全くなかった。無政府主義者の大杉栄らを殺害した甘粕元大尉に会ったこともなければ、首都新京の上下水道完備や新幹線のモデルとも言われる特急『あじあ号』も知らない。ありえないことだよ」

「なるほど、満州にいたというのは、マニラにいたのを隠すための、真っ赤な嘘ということですね。しかし、注意しろと言われても、私と『カゲヤマ』なる人物の接点はありませんよ」

 心配無用とばかりに、真壁は笑って見せた。

「何を言ってるんだ。『漁港プロジェクト』があるじゃないか。君も動いているんだろ。『ホンエイ』が今回の円借案件に介入してきたのは、今までとは違う何かがあるからだと、さっき言ったじゃないか。奴が日本から送られてきたのは、その何かのためなんだよ。だからこそ、用心しろと言っているんだ」

 真壁の脳天気ぶりに、長井は苛立っているようであった。ジャーナリストの嗅覚は、とうてい真壁の及ばぬものらしい。

「それだけではないぞ。『カゲヤマ』の部下だ。部下といっても『ホンエイ』の社員ではなく、どうやら何らかの組織に属している連中らしい。三ヶ月前にマニラに来て以来、何度か日本料理屋で見かけたんだが、歳恰好は様々で老人もいれば若い奴もいる。いつもひそひそ話をしているので、よほどの隠し事があるんだろう。俺の勘だが、奴らの顔つきからして、かなり物騒なことをやらかす連中だと思う。用心するに越したことはない」

 落ち着きを取り戻した長井が、俺を信じろとばかりに目に力を入れて真壁を見つめた。

「物騒なことというのは何ですか」

 長井の異様な表情に不安を感じ、真壁は眉をひそめた。

「殺しを屁とも思わない連中のやることだよ。二・二六事件を知っているだろうが、あの時に何が起きたか、あんたは具体的に知っているか」

「高橋是清らが暗殺されたのは知っていますが」

「あれは単なる暗殺事件ではなく、惨殺事件だったんだ。高橋是清はめった刺しにされた上、腕を切り取られ、更に胴体を切り刻まれたのさ。それを知った当時の政治家たちは震え上がり、その後、軍部には何も言えなくなったというわけだ。『カゲヤマ』の取りまき連中を見れば分かるが、そんな危険な臭いが奴らにはプンプンするよ」

 惨い話をしたせいか、長井の眉がひくひくと動いている。暗殺といえば撃たれるか刺されるぐらいにしか考えていなかった真壁には、生きたまま体を切断される暗殺もあったと知り、にわかに「カゲヤマ」なる人物の現実感が増してきた。

 葬儀屋の帰りに語っていたエリザベスの話を思い出す。治安の悪いマニラで、午前零時を過ぎて、しかも女一人で、おまけに台風の暴風雨下という、これ以上ない危険な状況を斟酌せず仕事をさせていたことだ。



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 得体の知れぬ不安と苛つきが次第に増してくる。真壁は話題を変えた。

「しかし、お父さんがマニラで死んだとなると、息子さんとしては、どこで、どんな最後を迎えたのか知りたいでしょうね」

 ひと月ほど前、リサと再会した台風の夜、死んだ父親を思い浮かべながら車を運転していた自分のことを真壁は思い出している。

「確かにその通りさ。でも、正直なところ、俺は諦めてるよ。元上官と脱出した親父が、その後どうなったのか、もう四十年も過ぎてしまったんだからな」

「何を言ってるんですか。せっかくマニラにいるんですよ。そんなに簡単に諦めたら、お父さんが可哀想だと思いませんか」

 つい真壁は声を張り上げた。長井を励ましたいと思ったのだ。

「君の言うとおりかもしれん。それならば、もしできればの話だが、マニラ市街戦で生き残った日本兵がまだフィリピンに残留しているはずで、その人たちを君に探してもらいたいな。

 市街戦を経験した残留兵士がいると俺が思うのは、市街戦のために駆り出された陸軍の兵隊は現地徴収の日本人、つまり在留邦人だったからだ。内地から派遣されていた駐在員などは別として、戦前に日本で食えなかった人たちは、戦争に負けたからといって大人しく日本へ帰ったと俺には思えないんだよ。

 勿論、当時のフィリピン政府が日本人を一掃したのは知っている。しかし、あの手この手で帰国しなかった在留邦人もいたはずで、もしその中にマニラ市街戦の生き残りがいたら、市街戦の様子をもっと聞きたいと俺は思っているんだ」

 自分の推測に確認を求めるように、長井が真壁の顔を見た。

「陸軍中野学校を出た小野田少尉の例を除けば、フィリピンに残留兵士がいると聞いたことはありませんが、長井さんの仰る通りかもしれません。当時の在留邦人は覚悟を決めて移住した人ばかりでしょうから、恐らく日本に戻りたくはなかったでしょう。それに棄民だなんのと蔑まされたり、英語が出来るということで軍からスパイ扱いされ処刑された人もいたそうですから、意地でも帰国しなかった人がいたはずですよね」

 鳥羽屋の女将が、任期切れになる多くの駐在員がマニラに残りたがる話をしていたのを思い出しながら、真壁は同意して見せた。景気の良い日本から来た今の駐在員が、底なしに明るいフィリピンの空気から離れたくないのとは違い、そんな一種の浮ついた動機からではなく、食い詰めて移住してきた日本人なら、帰国したところで仕事もなく、家族からも歓迎されないとなれば、そう簡単にフィリピンから離れられなかったことだろう。

「先日、大蔵省を訪ねた時の話だ。廊下の片隅でコピー取りを商売にしている婆さんと出会ったんだが、その婆さんが自分のハズバンドを探して欲しいと言うのさ。訊けば、山本という姓で、福岡出身だと言うんだ。

 初め俺は、彼女が生活苦のために金蔓を求めているのかと思った。しかし、よくよく話を聞けば、終戦直後、ハズバンドが生きているかもしれないと、毎日、捕虜収容所の門の前で立っていたそうだ。同じフィリピン人からは、売国奴として石を投げられもしたが、それでも収容所が閉鎖されるまで立ち続けていたと言うんだな」

 長井が天井を見つめた。マニラ市街戦で死んだ自分の父親を思い浮かべているのだろうか、それとも日本人の夫を探す婆さんの姿を思い出しているのだろうか。

 真壁も思い出していた。ひと月ほど前、現地従業員から新しい日本人が赴任したと聞いたフィリピン男性が「東比」の事務所にやってきて、長野出身の父親を捜してほしいと言う。突然の話に為す術を知らない真壁は丁重に断ったが、がっかりした表情の彼の顔が未だに忘れられない。不親切な応対だったかと、罪悪感のような気持を覚えたものだ。

「そろそろ帰るとするか。『ホリデイ・イン』まで送ってくれや」

長井が席から立ち上がった。ホテル「ホリデイ・イン」はロハス大通り沿いにある。その近くの「レガスピ300」というアパートが、長井の定宿らしい。


        -中篇に続く-


       参考文献  後篇に記載


      (この話はフィクションです)

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