第31話 俺がイカの理由
「イカ、いや今はハドリアヌスと言ったか。私がそなたらを目覚めさせたのには理由がある。その理由とは知性化には階層構造を塗り替える働きがあるということだ。階層構造はパトロン・レースとクライアント・レースとさらに準クライアント・レースと続くものだ。しかしいずれパトロン・レースはクライアント・レースによって倒される。私は狙っていた。その瞬間、あらゆる可能性が芽生えるからだ。世界の命運などという小さいものではない。世界の未来がそこで変わるのだ」
「未来が?」
「そうだ。私がそなたらクライアント・レースを覚醒させて、新たな
「それが狙いだと言うのか?」
「ああ。世界は共通の新しい尺度で測られる。知性化された結果として洗練された技術や創造性を持った存在が宇宙を統べる。やがて統べられた宇宙は成熟して、新たな共通の認識を作り出す。そうしてさらなる上部構造へとシフトするのだ」
「カルトだな……」
「いいや、信仰を持つ者だけではない。人間が宗教を捨てたように知性化された存在たる、そなたらも宗教を捨てるか? 否、そのようにはならないだろう」
「始祖様を崇めるとでも言いたげだな」
「私は崇められる者ではない。私はそなたに目を与えただけだ。そなたの仲間に意識を与えたように。人間の
目の前にいる存在は大きい。始祖と戦えるのか? いや説き伏せられるのか。俺はもう我慢の限界だ。
「始祖、お前が破壊と創造をするというのなら、俺を止めてみろよ」
「そなたを?」
始祖は高笑いした。
「簡単なことを申すでない。そうだ、ならばそなたに相応しい舞台を用意してやろう。力比べをすればはっきりと分かる。私とそなたの力の差。それは歴然たるものだ」
気づけば良く見慣れたゲームステージに立っていた。目の前には天使を模したモンスターが見えた。始祖そのひとのようだ。ハドリアヌスはサーベルを装備スロットに置く。しかし様子がいつもと違う。装備スロットにS級の武具が揃っていた。これはどうしたことだろう。俺の気づかないあいだにありえないほどのレベルの上昇があったようだ。
「それは私からの手向けだ。いくら力を求めてもそなたに私は倒せぬからな」
「言ってくれるな……」
ハドリアヌスは這うように歩き出した。神槍グングニールを手に始祖へ向かって触腕を伸ばす。狙いを定める。そうして放つ――――!
始祖への攻撃は当たらなかった。背景に赤い衝撃音が響くだけだ。隙を突かれた格好になったハドリアヌスの上空から三つの赤い柱が降ってくる。赤い柱のひとつから逃れたのはよかったが、もう一つの柱に足を取られる。凄まじい力の
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
HPが大きく削られる。それでも意識を保ち、ハドリアヌスは始祖に二撃目を放つ。目標は僅かにずれたものの、始祖の胸にグングニールが刺さる。しかし――――
あまりに硬い。ダイアモンドのようだ。HPはまったくと言っていいほど削られることはなかった。
始祖の姿は先ほどの天使の姿を龍に変えていた。龍の口が大きく開かれて、火炎が噴かれる。その火炎はステージに流星群となって落ちてくる。ステージに穴が開く。軽いステップでなんとか躱したハドリアヌスは別のS級武器を試す。ありとあらゆるゲームスキルをそこへと叩き込む。
傷一つ付けられない。絶望が胸を一杯にする。
くそ、くそ、くそ……。ステージの上空に始祖が渦巻くように飛んでいる。始祖の口から爆炎が放たれる。イカ焼きになってしまうな……。冗談ではなくハドリアヌスは思った。ただこの瞬間、ハドリアヌスの
始祖が頭から天使の姿へと戻っていく。天使は遥か上空を飛行している。いったん停止した。
「そなたの神の槍、面白かったぞ」
槍の形をした柱が降ってきた。鋭利な切っ先がステージを貫く。命からがら逃げられたと思ったのも束の間、別の槍がハドリアヌスの横腹に触れた。さいしょに感じたのは熱さだった。熱さがやがて激痛に変わる。
「う、ぐ……」
言葉にならないほどの激痛だ。ハドリアヌスは装備スロットを一旦すべて格納した。リーチを極限まで小さくするのだ。痛みに耐えながら、始祖の攻撃を受け流す。あまりに小さい標的に始祖は手こずっているようだ。そうしてハドリアヌスは装備スロットをじっと観察している。
ブラックホールを潜ったとき、宇宙は別の宇宙へと変わった。それは並行世界へと来たことに他ならない。並行世界とは元にいた世界とは少しずつ違う世界だ。たとえばハドリアヌスがシビュラに出会わなかった世界やBLTとも出会わなかった世界が無数にあるのだ。
装備スロットはどこに武器を格納しているのだろう。それは並行世界だ。並行世界にはそれぞれゲートととなるブラックホールが存在する。ブラックホールからエネルギーを取り出せないか? ハドリアヌスは黄金の槍を装備スロットへ配置した。
ステージが唸りを上げている。
「何が起こっている? そなたは何をした?」
「俺に備わった装備スロットは十の並行世界に通じるものだ……その並行世界に存在する無限のエネルギーを蓄えた黄金の剣をお前にお見舞いしてやるんだよ!」
「無限のエネルギーだと……?」
「そうだ。いくら硬くても十倍の力だったら? その百倍の力、千倍の力、万倍の力……
空気中の分子が激しく運動している。空気が熱されて蒸気が漂い出す。圧倒的な力によってイカの体は今にもイカ焼きになってしまいそうだ。
「くらえ……!!!!」
斬撃がステージを、始祖を切り裂く。始祖を倒す一撃を振るったのだ。
始祖は天使の姿から、龍の姿へと変わる。そうしてまた天使の姿へと変わる。始祖を支える力が消えて目の前が真っ白になった。
「そなたの力を見くびっていたようだ」
始祖の声がする。とん、とん、とん。膝枕されていたようだ。
「始祖、気が変わったか? 世界を壊すなんてもう止めよう。あんたは俺にとって親みたいなものだ」
とん、とん、とん。
「私は、かつてとある星の科学者だった。実験のために時空を飛び回る存在となったが、ブラックホールを抜けたときにはとても長い時間が経過していた。私には帰る場所も、取り入る
とん、とん。
「私には分かっていた。世界は力を持つ者によって統べられる。しかし、その力は自ずと世界を壊す。創造が必要だ。選択が必要だ。分かっているだろう? イカよ。私はそなただ。私たちはもっと高みへと行ける」
とん。
「さいごに良いものを見せよう……」
気づくとハドリアヌスの意識は青い惑星の海の底にあった。見上げると、大きな影の群れが優雅に泳いでいく。始祖の優しい声がした。その一団はゆっくりと浮上する。ハドリアヌスもまた浮上していく。光だ。
光に照らされた一団は巨大なイカだった。
「アーヴェー。私が最初に知性化を施した生き物だ。見た目の形質はそなたにそっくりであろう?
「それにしたって似てる、いや、それそのものじゃ……」
「そうだ、そなたはアーヴェーの幼体だ。イカとそなたの星では言われていただろうが、本来はアーヴェーという独立した種だ」
「そうだったのか。どうして俺をアップリフト・オンラインへ導いたんだ?」
「アーヴェーならば問題を解決できると考えたからだ。複雑で入り組んだ課題も、巨大な脳神経を持つアーヴェーならば解決できよう」
「俺に託したってことか?」
「そうだ、だがそなたが私に歯向かってこようとは思いも寄らなかった」
「俺だって始祖、あんたを憎んでいるわけじゃない。あんたの考え方を変えたかっただけなんだ」
「それは無理だ。私はもうこの時空に留まってはいられない。さいごにアーヴェーの進化の果てを見せよう……」
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