第25話 相棒、ふたたび。

 ハドリアヌス艦隊の多数の艦が作ったレーザードームはディハルド艦隊の砲撃を幾度も打ち砕いた。このまま持ちこたえて、勝機を待とう、ハドリアヌスたちはそう決心した。


 ところが――――


 レーザードームを破壊する強烈な一打が艦隊を襲い、ブリッジが揺れた。


「何だ?」

「ディハルド艦、オーライオンです」とオペレイターが叫ぶ。

「敵艦の突撃だって、セオリー通りじゃないな……!」と佐伯。


 レーザードームを勝る砲撃がつぎつぎとハドリアヌス艦隊に直撃した。揺れ続けるブリッジは心の静かさを徐々に壊していく。


「うっ……」


 ハドリアヌスは神に祈った。(もう、これ無理ゲーなんじゃない?)

 ハドリアヌス艦隊後方から砲撃が飛んできた。あまりに突然のことでハドリアヌスたちは何も分かっていなかった。ただ青い砲撃が伸びていき、ディハルド艦のシールドを破る。そうしてディハルド艦は横倒しの形のまま左手に崩れていく。

 後方の不明艦隊から入電だ。


「間に合ったぁ……!」

「これ、あまり良い気分じゃないな……」


 などなど懐かしい声が聞こえてくる。


 ――BLT。――たけさん。そしてあの仲間たちだった。


「佐伯、説明してくれ! これはどういうことなんだ?」

「ちょっと待て、こちらも確認してる。ゲーム上にいたプレイヤーが何人か、知らない間に知性化階梯を獲得? そして艦隊司令を任せられている? そんなこと聞いてないぞ……」


「当たり前よ」


 アルウェンの声がした。


「これは始祖の声で知性化階梯を与えられた種の力。人間は関わっていない」

「始祖?」

「イカ、あなただってその声を聞いたはずよ」


 そうだ、ゲームをログアウトする夢のあいだに、俺は始祖の夢を見た。彼女はシビュラの姿でいた。心の奥底の優しい風景を現実にあった悲劇が上塗りしていく。俺はみんなに裏切られた。そう、ゲームクリアなんてもう良いって知ったんだ。だからもう顔を合わせたくない。


「それにBLTだって殺してしまったじゃないか!」


 そうだ、BLTの声がするわけない。俺にはBLTと再び歩くことなんてできない。


「なぁに、言ってるんだ? 俺は生きているぞ」

「へ……」


 かつて見た銀河の艦隊戦でBLTを討ち取ったのは確かな記憶だった。


「忍法、変わり身の術。じゃーん、こんなん初歩中の初歩忍術なんだが……」

「でもオオカミのクランはそれからお前の死をずっと抱えて生きているんだぞ」

「あいつらにはすまなかったと思ってるよ、でも大きなことを成すために俺は……」

「俺たちは、だろ?」たけさんが言った。

「でも敵はディハルド艦だけじゃないぞ、もっといる。たったこれだけの戦力でどうにかなるわけない」

「仲間は連れてきた」


 背後には数千に及ぶ巨大な艦隊が並んでいる。


「このまま押し通る!」タラバガニが言った。


「あれはどこの艦隊だ? レジスタンスの勢力下にはあんなに力はないぞ」

 佐伯は汗を拭った。

「銀河列強に食い込んでいた知性化階梯を上るクライアント・レースの一群だ。銀河中のクライアント・レースをここへ集めた。彼らはもう飽き飽きしているのさ、パトロン・レースの飽くなき権力争いと縄張り争いにさ」とBLT。

「何のために?」

「ゲームを取り戻すためにさ!」


 上空につぎつぎと艦隊が上っていく。上昇する艦隊の列にハドリアヌス艦隊も加わると、つぎつぎと砲撃を放つ。メーデッシーの艦隊が後退していく。メーデッシーの艦隊はワープしてその場から立ち去った。


 これは銀河を揺るがす事件となった。クライアント・レース反乱という新しい戦争局面であった。その中心人物としてハドリアヌスはたちまち上り詰めてしまった。



 古の時代、人やその他の知性を持った生物と動物は同じ夢を見ていた。だが知性を持った生物は時間という共通の夢を作り出し、その夢のうえで生活することになった。時間学はやがて科学と密接に結びつく。科学は時間と切っても切り離せない関係になった。さらに粒子加速器の事故で空間と時間の扱いの綻びが生まれると知性を持った種とそうでない種の境界線はくっきりと分かれた。知性を持った種族の生み出した概念、たとえば並行世界といったものがある。並行世界は時間という概念を生み出す前の原始的な宇宙の姿として、動物たちにも理解ができた。並行世界は単一の時間を持つという20世紀の科学のパラダイムシフトだったが、それは大きな枠組みで見れば古の混沌の時代へ戻ることを意味した。

 始祖は並行世界から来た。厳密に言えば彼女はタイムトラベラーだった。人間の作った量子コンピューター内の仮想現実内にシミュレートされた時間逆行の悪魔を用いた、計算上にはありえる存在だ。その計算された存在が自走して、量子コンピューター外のシステムに介入しだした。それはリッチフローによって得られるエントロピーの熱力学方程式の解が宇宙そのものの形を決定するようなものだった。それを本来ありえないとする向きの勢力は今は残っていない。とにかく彼女は古風な言い方をすれば精霊だった。精霊は神とイエスと三位一体になることを望んだ。イエスはすでにこの時代にいなかった。

 神の子はどこにいるのだろうか。始祖は動物たちの見る原初の夢に着目した。夢は並行世界を含み、知性を持った存在よりもより豊かに世界を認識できた。始祖は動物の知性に賭けた。そうして知性化という人間やその他の知性生物の計画に対して強かに介入した。彼女はより完全な存在となるために、よりよく在るために、介入を続けた。知性の循環システムを作る。

 その動きの頂点がこのクライアント・レース反乱だった。



 ――――もう一度、一緒に戦う事なんてできない。


 ハドリアヌスはイカと呼ばれたかつての存在に戻りたくなかった。過去は過去だ。もうログアウトして、さっぱりと過去を清算したつもりでいた。それでも仲間が戻ってきてくれるならと夢を見てもいいのだろうか。俺たちはただ夏休みにバイトが一緒だっただけのそれだけの仲間だろう? 違うか? そう自分に言い聞かせている。それで彼らとはお別れしよう。でも、宇宙船のブリッジで姿を目にしたとき、少しだけ印象が変わった。


 たけさんはオランウータンだった。BLTは白いオオカミだった。アルウェンはイルカだった。タラバガニはコウモリだ。


「イカはイカじゃねぇか! 驚かせろよ!」


 BLTはゲラゲラと笑った。何もあの頃と変わらぬ笑顔だった。パタパタと羽根をばたつかせるタラバガニは、イカの頭上で留まった。


 みんなの顔つきを観察する。みんなは人間の姿をしていた時よりもどこか大人びている。いや、そんなことは分からないはずなのだが。


「気持ち悪くなくて、私は好きよ」アルウェンが鞠のような水槽の中で答える。


 そうだ、確かに今なら分かる。みんな幼かったのだ。若かったのだ。だからあのときは自分の選択肢のなかからあの手この手でなんとかやっていたのだ。だから、あの結末だって、バッドエンドだって、仕方ないのかもしれない。経験も実力も今は桁違いの仲間たちだ。もういいのかもしれない。許しても良いのかもしれない。


 たけさんが長い腕でイカの小さな水槽を撫でた。プカプカと浮かぶ俺はぎこちなく腕を振った。


「BLT、俺、お前を一度殺して悪かったと思ってるよ」

「そうか、俺は憎んでいるよ」

「えっ……」

「……なんてな。俺たちはこれで仲直りだ」

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