第22話 アキハバラで休暇。

 もう仮想現実慣れした体には仮想現実なるオールドスタイルは似合わない。ポリゴンの雲や四角い人々、簡略化されたビルの並び、すべて20世紀を基調とした街並みだ。佐伯ははっきりと言わなかったが、今は何世紀なんだろう。もうこれだけのスペックのコンピューターならば23世紀かもしれない。ハドリアヌスはふと、腕時計でいまの時代はいつなのかを確認する。


 昭和4万年だ。


 メイドカフェに入る。座って待っているとメイドさんがやってくる。クルクルと縦ロールの輝く髪をなびかせている。オムライスとチェキを注文する。オムライスがしばらくして運ばれてくると「萌え萌えキュン」と言われて、硬直してしまった。緊張か、いや場慣れしていないからだろう。ケチャップがハート型を描き、そこに「イカ」と描かれてしまった。このアートを崩さずにチキンライスを口に頬張る。美味い。これぞ昭和の味。って知らんが。美味い、美味い、あっという間にぺろりと平らげてしまう。ケチャップの甘味が利いていた。素晴らしかった。そうして縦ロールのメイドさんが近くにやってきてチェキを撮った。ところが真っ黒な印画紙が出てきて閉口した。これで四千円近く取られた。つらい。時計の謎を考えてみる。


 昭和という時代がまずわからない。昭和っていつよ。そこで腕時計をタッチする。どうやら、昭和のまえは大正で10年くらいしかなかったらしい。昭和がどうして4万年という長き時代になってしまったのかはわからない。わかっているのはこの仮想世界アキハバラの、このポリゴンの街並みが4万年もそのままであったという事実だけだ。そうだ、さっきチェキを撮ったメイドさんも4万歳の超高齢アバターということになる。おばあちゃんを通り越して化石なのでは……。化石アバターといっしょに20世紀というプレイをただ楽しんだハドリアヌスは昭和4万年のあいだで起こったことを簡単に振り返るために電気街へと向かった。電気街にはおそらくデータがあるはずだ。電気街三番街のゲートを開くと、メイドさん達がカラシニコフを持ってゾンビと銃撃戦をしている。ゾンビたちは差分が三枚しかないほどの低画質だった。だから、簡単にやられる。メイドさんの圧勝である。


 その間を縫って歩き、エレベーターに乗る。エレベーターは秒速5キロメートルで電気街上空の軌道エレベーターに接続して、ぐんぐんと上がっていく、地表の景色はあっという間に消えて、曙の光が眩しく目に入る。軌道エレベーター最上階のスカイラウンジには、古びたUFOキャッチャーにひっかかった昭和電機ぼうやが寂しく笑っていた。


 スカイラウンジから見下ろす、仮想世界アキハバラという街並みは、増殖するセルオートマトンのかたちをしている。自己相似形を成すアキハバラの街並みが眼下に無数の絨毯の柄となっていた。どこまで行ってもその景色はモザイク状のゲームを繰り広げていて、領土を奪ったり、奪われたりしている。


「もうこうして4万年の月日が流れました」


 と場内アナウンスが響き渡る。彼は続ける。


「私たち、アキハバラ勢力はAとBという異なる二大勢力に分かれてかれこれ十年という短い戦争ゲームを始めました。Aが戦略を練り、Bが攻略する。たったそれだけの小さな戦争でした。しかし、十年で終わらなかった。それが一年を経過して、さらに一年、一年と無限にも近い営みを続けました。私たちはゲームを止めなかった。ゲームエンジンは私たちに無限の戦場を与えました。セルオートマトン時空、デジタルデータ宇宙と呼ばれるひとつの自己増殖銀河。私たちは戦場のなかを泳ぐ免疫細胞とそれに抗う細菌だったのです」


 ハドリアヌスは遠く、地平線の果てに光る輝線を眼に映した。輝線は線を空中に描いたかと思うと、消えた。そこからまた別の輝線が反対方向から現れた。


「デジタルデータ宇宙特有の戦闘です。デジタルデータ宇宙では空間は離散値をとりますからね。ああしてワープ航法を使った空中戦が起こるのですよ」

「あれ、戦闘になっているの?」

「ええ、ワープは過去方向右斜め上を狙っているA戦闘機と未来方向逆捻り後退するB戦闘機の一騎打ちが奥のほうの空で行われていますよ」

「そうなのか、思ってるのとだいぶ違ったな……アキハバラは戦闘してるらしいが、俺が見てたところはだいぶ平和だったぞ」

「クールジャパン戦略で2万年保存領域は戦闘がないんですよ」

「クールジャパン?」

「ええ、日本銀河帝国が昭和2万年に、他の銀河列強諸国に対抗するために作った商工領域です。なにせ、銀河には金がないとどうにもならない。兵器さえ買うためには資金がいります。日本銀河帝国は三越駅前で、宇宙人達にたくさんの買い物をしてもらうために、クールジャパン戦略を立てました」

「いや、その理屈はわかるけれど、ここにはその……宇宙人のパトロン・レースが来るってことなの?」

「その場合もありますね、なにせ仮想世界は階層構造。どの階層にどんな宇宙船を着けても問題はありません」

「アップリフト・オンラインはそんなことなかったけどな……」

「いいえ、どの階層でもあらゆるパトロン・レースとクライアント・レースがアクセス可能です」


 思い出してみる。そうだ、あのシビュラは明らかに知性を持った何者か、だ。人間でもない。宇宙人でもない。そもそもデータですらない。ゲームシステムの用意したまやかしですらなかった。


「シビュライネーション。起動」


 ハドリアヌスは、知性を持ったイカは、その言葉をつぶやいていた――――


 

 気づけば、懐かしい匂いがした。あのエルフの家の台所で俺は鍋を火にかけている。

 シビュラが起きてくる時間だろう。もう温めは終わった。風が、太陽の匂いを連れてくる。太陽はきっとこんな匂いはしないけれど、洗剤の匂いなんだろうな。


 もう、かれこれ4万年の長きに亘って楽園は姿を変えていた。アップリフト・オンラインの空には非常事態を告げる赤いオーロラが彼方に見えて、すでに私たちの牧歌的な時代の終わりを告げていた。

 イカは理解し始めていた。この幸せの時間が長くは続かないことを知っていた。どんなに繰り返しただろう。シビュラの死、仲間との別れ、ゲームクリア、デジタルデータ宇宙の終わりなき地平を。ひとつの知性化階梯を上るたびに、またこうして彼の心はこのエルフの家に舞い戻ってくる。


 夢を見る。これはきっと醒めない夢だ。終わりたくないそんな夢をずっと見ている。どうしたって帰らない過去を見ている。イカにはただその景色は脳シナプスの瞬きにしかすぎない。脳シナプスが接続されるたびに、悟りのような時間が生まれる。時間とは永久に流れるものではなく、その場の命の劇場で生成されるものだ。命が無くなれば、時間は消える。

 イカは考えている。

 ハドリアヌスの泳ぎは実は、ひとつの式が解けるアナログコンピューターだった。シビュライネーション方程式と呼ばれるその式はゲームクリアを短時間で発見できる十分に複雑な式だった。


 ふとイカは赤いオーロラの下を歩く自分の姿を、空から見たかのような視点で眺めている。このゲームが、アップリフト・オンラインが、クリアされたのはもうかれこれずっと前のことだ。だから何度も出発する自分の姿をイカは眺めていることになる。そうしてイカは泳ぐ自分を、解く。自分を解くことによって、ゲームをクリアする。


 七〇〇〇回目のアップリフト・オンラインクリアの画面を見て、仮想世界アキハバラのシビュライネーション方程式を解くことに挑戦する。仮想世界アキハバラで何が必要なのかをじっとゲームを泳ぎながら考える。イカの泳ぎは軌道エレベーター最上階のスカイラウンジを飛び出して自己増殖銀河のうえを泳いでいる。流れに身を任せる。この銀河はどこへ行こうとしているのか。

 勢力AとBは無限に戦い続けるのか? そう思ったとき、ゲームに明確なゴールがあるとするならば、それは何だという天啓が下りてきた。


 シビュライネーション、完了だ。


 ハドリアヌスは勢力AとBが戦略立案と攻略に分かれていることに着目した。戦略は配置することだ。


「オーバー、戦略部は何を考えている?」

「分かりません、兵站部門にゼロを配置するとはどのような意味なのでしょう。オーバー」

「このゼロ戦略命令書とはいったい何を意味するのだ? オーバー」

「分かりません、とりあえず物資ゼロを配置しましょう。オーバー」


 兵站には次々とゼロ物資が配給された。ゼロ物資の戦場で勢力Aはゼロ・ガンを撃ち、勢力Bではゼロ・死傷者が出た。そうしてゼロ戦線がつぎつぎと生まれた。ゼロ戦争は実質的に終了した。


 軌道エレベーターから降りて、すっかり冷たくなったゲームの盤上からハドリアヌスは抜け出した。メイドの微笑みも同人誌のべた塗りも、何も覚えていない。リフレッシュできたって佐伯に言ってやるしかない。頭はシャキっとしたし、次こそはほんとうの現実に向かいたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る