第21話 ゲームクリアって早すぎないか?

 そうしてハドリアヌスは各所を巡り、さまざまな関わりを経験する。東に牛あらば、牛をいっしょに引き、西に豚あらば、いっしょに豚を引いた。多くのクランは繁栄した。

 とあるクランは巨大な塔を建てた。その塔の大きさからゲームの物理エンジンは、すでに働いてはいなかった。いやドゥドゥゲラの塔が元々存在していたから、ありえないということはなかったのだ。

 そのクランに続いて二つのクランが同じだけの高さを誇る塔を建てた。月まで届く塔である。あまりの巨大さに目眩を覚える人々がたくさんいた。


 塔の建設にもハドリアヌスの影があった。

 戦争は軍事強国の拮抗よりも冷戦という極めて緊張感の高い戦争へとシフトしていた。

 対魔法戦闘の準備は着々と進められてはいたが、ハドリアヌスは塔を建設して制空権を奪うことに注力するように各勢力の長に働きかけた。


 すでにハドリアヌスがこのゲームに召喚されてから三〇年が経過していた。

 海に漂いながらもハドリアヌスはぼそぼそとビーフジャーキーを食べ続けていた。何を考えているのか、彼は。

 塔建設によって労働者という冒険者より利率の良い仕事ができたため、攻略組という言葉さえ死語になりつつあった。


 ハドリアヌスはゲームを変えてしまった。冒険者が労働者になり、その一部が科学者になった。このゲームを別の側面から攻略する、新攻略組という陣営が揃い始めた。彼らはゲームをハックする一流のギークたちで塔を建設するあいだも、つぎつぎとゲーム世界の限界と本質を研究し続けた。たとえば魔法詠唱にかかる時間的損失はコンマ三秒ではあるが、実際にはそのように思うまえ、コンマ一秒で魔法詠唱が完了しているという自由意志の否定を示唆するデータがそうだ。

 魔法詠唱がすでに決定論的なゲームであることに気づいたプレイヤーたちは、推定魔法演算という、対魔法演算連鎖‐アンチ・マジカル・カリキュレーション・チェーン‐を作り出して遊んでいた。それは相手の思惑より前に魔法が存在しており、それは魔法の予測の連鎖によって、魔法が形作られるといった遊びであった。これに大規模な計算リソースを与えてやれば、自ずと魔法が発生することが分かり、今に至るChatMGCの源流となっている。辞書式の小さな窓に必要な魔法を尋ねるだけで、魔法を演算できてしまう。


 ハドリアヌスの計略によって各地では自然に推移する時流よりも、速く、技術革新が起こり、めまぐるしく変化の波が起こり、魔法が使えるようになった。そもそも物理エンジンがガバいので、なんでもありってことだ。


 こうして魔法技術体系の加速度的な変化は、神聖とされてきた様々な領域からプレイヤーを解き放った。たとえば転移魔法は専用のゲートや魔法を使うものでしか出来ない秘術であったが誰でも簡単に素早くできるようになり、体術、剣術、魔法、採掘といった専門職をトータルな総合職へと変化させた。そもそも獣たちを使ったこのアップリフト・オンラインでは人間を基本にしている構造がすでにおかしかった。


 動物には動物の知性が存在する。


 動物に揃う身体観は人間のそれとは違う。頭足類には頭足類の頭の使い方が存在する。オオカミにとっては鼻の感覚が優位なように、身体的な差異が知性のレベルを無限大に高める。

 この世界は人間が捨てた仮想世界だ。仮想世界のなかでこぼれ落ちてしまうゲーム要素を、動物の本能が豊かに、潜在力として浮かび上がらせる。本来世界とは豊かなものだと動物の体が叫ぶ。

 叫びはゲームを進化させる。


 そうして塔は、ついに月に届いてしまった。塔を演算する物理スピードは月を演算する物理スピードを凌駕してしまった。月は困った顔を浮かべた。なぜなら月の先には基本的になにも描出されていないからだ。単なる地上を蓋する絵に過ぎない。


 ゲームマスターはここで月の描出を開始した。月をどのように描くかはこれまで様々な世界で描かれてきた。シャルルマーニュ十二勇士がひとり、アストルフォが月への旅行の最初期の人物であることを引くまでもなく、そこから少なからず影響を受けているだろう月世界旅行なども参照しつつ、月を描出する。物理エンジンをニュートン力学系で記述するならば、人間であるプレイヤーたちならば簡単に理解して、宇宙をも外部世界として認識できよう。しかし、この世界は人間に破棄された土地だ。弱い動物原理が働く以上、それは無理な相談かもしれない。


 ゲームマスターはここで月を最初の大型転移装置として再構築した。月は異界を孕むというわけだ。なかなか洒落ているじゃないか。そのようにゲームマスターがひとりごちると、ハドリアヌスは、待ってましたと言わんばかりに塔の建設を早めた。


 塔は転移装置を超えてどこか遠い銀河へと消えていった。


「……以上が、俺の知るゲームの攻略です」


 ネクタイを緩めた佐伯が目をまん丸くしていた。クラン同士の破局的な運命を超えて、ゲーム攻略を成し遂げてしまったことに感嘆している。


「それがゲームの終わらせ方なのか?」

「最初から分かっていた」

「なにを言ってるんだ?」

「ゲームマスターはゲームを攻略するためにわかりやすい選択肢を俺たちに教えた。しかし、ゲームというものはゲームを仕切る人間をハックしたほうが早く終わる。もともと物理エンジンのガバいこの世界では舞台しかなかったんだ」

「それが非ニュートン力学系だろうというのか」

「そうとも言える」

「人間が理解できるニュートン力学系が遠い宇宙の先では破れることは分かっている。そこはとても小さな劇場なんだ」

「メタな言い方だな」

「その劇場で俺たちは踊っている。いや、踊らされている。その踊りを止めるには劇場を壊すしかない。もっとも速いスピードで物理エンジンをハックするしかない。このシステムは有限であることは分かっていた。これだけ多くのプレイヤーを同時接続させるだけのリソースが早々揃うわけない。何かしらのホールがあるはずだ」

「それがだと?」

「ああ。佐伯。そろそろアップリフト・オンライン、クリアってことで良いよな?」


 突きつけられた正しい回答だ。どんなにゲームをクリアしてもゲームマスターは意地悪なシステムであることはわかっていた。あれはそういうものなのだ。監獄システムとも言える、魂の牢獄だ。


「分かった。一度全プレイヤーを解放する。そうしたらすべてのプレイヤーの知性化階梯を一段上げる。これを計画したハドリアヌス、お前には知性化階梯3をつける」

「そんなものはいらない。俺は少し休む。海でも、雑居アパートでもどこでもいい」

「では仮想世界アキハバラで少しリフレッシュしてこい」


 そんなこんなで俺はアキハバラにいる。ゲームに慣れきった体なので、ついついゲームっぽい仕草をしてしまう。ここはもうそういうところじゃないとは分かっているのだ。


 仮想世界アキハバラ。ゲームにログインするときの中継基地にリゾーム的に張り巡らされたデータの行き交う空間、そこがちょっとしたシティボーイたちの穴場となった町だ。もうその一代目のシティボーイたちは骨になって銀河に拡散してしまったらしいが、もうそれから何年も経っている。一度、佐伯に勧められて来たものの、なにをするわけでもなくミッドランドの同人誌をパラパラ捲ったり、メイドカフェで萌え萌えキュン! したりするしかない。ほんとうにこんな20世紀の遊びをするしかないとしたら、絶望的につまらない町だ。

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