第7話 バイトで汗を流そう

 ゆるやかにうねる林の道をほろ馬車で上っていく。やがて開けた場所に出る。日の光で明るい。眼下には街が小さく見えた。東にはドゥドゥゲラの塔がそびえ立つ。60層の高さを持つ塔はこの世界の象徴シンボルだ。馬の鼻息が止むまで待っていると後続の幌馬車がつぎつぎとやってきた。


 BLTは腰に手を当てて準備運動をしている。イカはその様子を見ながらも、軟体動物には、体の節ってあったかな? と思っている。


 荷台が空の幌馬車の奥から、やけに図体の大きい男がのっそりと出てきた。


 引っ越しのくれないのイカたちの班長のたけさんである。角刈りに刈り上げた髪型がいかにも男らしい。首に巻いたタオルが妙に白かった。3人は赤色のユニフォームを着ていて、ほかの班の者たちも合わさると燃え盛る炎のようであった。

 目の前には3階建ての豪邸があった。

 イカたちはインターフォンを鳴らすと、たけさんが前に出て、家主に挨拶をした。


「今日はよろしくお願いします。班長のたけといいます」

「はい、お待ちしておりましたわ」


 声の主は歌い出しそうな綺麗な高い声をしていた。


 さっそく、豪邸のなかへと入る。壁や床に養生ようじょうをする。家具などを引きって傷をつけてはならない。イカは触腕で器用に養生をする。BLTは壁をよじ登り、作業をした。


 別の班の者たちも忙しく作業を始める。

 家具の移動が始まった。ソファを二人がかりで運び出す。大胆に、階段では慎重に、リズムを意識しながらやる。続々と部屋から物がけていく。部屋ががらんどうになるとイカは出窓から外を見た。


 カーテンを外された出窓から、赤いユニフォームの男たちが働いているのが見える。幌馬車に家具や箱を移していく。馬が首を振っている。退屈そうな小さなブロックを持った少年が見えた。この家の当主の息子だろう。


 日の光が、窓から差し込む。壁際に置いてある花瓶に光が反射する。タイムラプスのように世界が早回しされていくようだ。目を閉じることはできないが、盲目になったように世界が独自のスピードで動いていく。粘菌ねんきんが範囲を広げていく速度で、男たちは作業をしている。


 引っ越しの紅のチーム・スキル「赤備えの軍隊あり」だ。きびきびとした動きで、つぎつぎと仕事を片付けていく。


 たけさんが汗をタオルで拭った。水筒の水をごくごくと飲み干す様は豪快で気持ちがいい。切り株にイカは座り込むと、すこしばかりお尻がひんやりした。木陰で少し休むとたけさんがビーフジャーキーをひとつくれた。

 塩辛いジャーキーの味が口いっぱいに広がる。すると元気が湧いてくる。やるか、やらないか。やるなら、今でしょ。


 イカたちがすべての荷物を荷台に載せると、たけさんが幌馬車をぎょした。林の道で心地良い風を受けながら彼らは進んだ。隣に通り過ぎていく風景もすべて夢のように消えていく。前だけを見続ける。


 1キロメートルほど進んだところで、黒い大きな影が幌馬車の前を通り過ぎた。


「たけさん、今の何?」


 BLTが叫ぶ。


「わからん……モンスターか?」


 突然、馬が大きな鳴き声を上げた。大きな音と衝撃がした。2人と1匹は青ざめた。目の前に岩のような巨体が現れたからだ。遠くから、モンスターの唸り声が聞こえてくる。


「何だ、何だ、何だ?」とBLTが辺りを警戒する。鋭い視線で周りを見る。大きな足音が近づいてくる。それも一つではない。複数の足音だ。林の奥から、走ってくる。


 何が――?


 イカは上を見た。空にはおびただしい数の鳥たちが飛んでいく。ギャアギャアと不気味な声を上げている。

 たけさんは前に転がる岩をまじまじと見た。


 ――トロルだ。


 目の前に倒れているのは紛れもなくトロルだった。怪物の群れが道を横切っていたのだ。なんてタイミングが悪い。つぎつぎと足音が近づく。


 大きなトロルがのっそりと目の前に現れる。焦点の合わない目。それはクジラのまなこを想起させた。畏怖いふされ、信仰の対象にすらなりそうな怪物だ。岩肌のようなごつごつした体の表面をじっくりと観察してしまう。


 幌馬車と衝突したトロルに構わず、トロルの群れがつぎつぎと道を横切っていく。壮観そうかんな光景だった。


 たけさんは冷や汗をかいていた。BLTがたけさんを見て、


「早く、このトロルをどうにかしないと!」

「どうにかって……どうするんだ?」


 たけさんは狼狽うろたえた。BLTもイカも何をどうすればいいのかわからないでいる。

 馬車からイカが降りようとする。トロルの様子を見ようとしたら、たけさんが言った。


「ま、待って……! これは事故じゃない、事故じゃないんだ。自然災害だよ、こんなもの。無視して行こう、な?」


「え?」


 BLTが反論する。


「いくらなんでもその理屈はおかしいですって。せめてトロルがどうなっているか確認するだけでもいいでしょう」


 イカとBLTは馬車から降りた。たけさんは思い直して、フォンで社長に連絡した。

 倒れたトロルの意識はあるようだった。目をぱちぱちとさせている。体には傷らしい傷もない。衝撃で倒れ込んだだけのようだ。脚も見てみる。だいじょうぶ。動けそうだ。

 馬車に戻ると、たけさんと社長が電話で言い合っている。


「ですから、事故ったんです。だから少し遅れますってば」

「それは事故じゃない。いいから時間内に届けろ、トロルをいたくらいで顧客こきゃくを待たせるんじゃねえぞ」

「できませんよ、相手は生き物ですよ」

「いいか、たけ。お前だっていつだって替えがきくんだからな。さっさとしてこい」


 電話は切れた。たけさんは肩をすくめた。


「やっぱ社長、人間じゃなかったわ」


 たけさんの態度を見たBLTとイカはほっとした。たけさんは血の通っただったからだ。トロルの様子をみることにした。彼が立ち上がれるようになるまで、辛抱強く待った。擦り傷には薬を塗ってやった。


 トロルがゆっくりと立ち上がる。そして林の奥へと消えていった。

 日が落ちそうなところで引っ越しの紅の幌馬車が目的地に到着した。目の前にも広い豪邸があった。事情を説明する。


「ほんとうに遅れて申し訳ありません!」

「いや、いいんですよ、息子が待っていますので」


 穏やかそうな老紳士だ。顔のしわが和やかな雰囲気をかもし出している。


「これから作業を進めるので、1時間ほどお待ちください」


 作業が終わると夜のとばりがおりていた。幌馬車で本社に戻る。本当の修羅場しゅらばはこれからだ。社長室に行くと、社長がカッと目を開いて待っていた。


「たけ、てめぇ。俺の言うこと無視しやがったな?」

「はい」


 たけさんは冷静に受け答えした。怖いくらいだ。


「お前、減給だ! 減給!」

「そうですか……」


 たけさんは剣を抜いた。社長は目を丸くした。怯えているように見えた。がくがくしながら言った。


「何だァ、それは?」

「俺は、あんたみたいな人間にはならねぇ! 俺は人間でいたいからな。この仕事だって辞めてやるさ」


 イカは心の中で拍手していた。


「トロル1匹でキャリアを台無しにするのか? 笑えるな……」


 たけさんは社長を睨んだ。ブンとくうを剣で切った。風が社長の髪を撫でた。社長はひやりと汗をかいた。腰が抜けているのだとイカは思ったのだ。

 社長室の妙に軽い扉を開ける。更衣室で赤いユニフォームを丁寧に畳むと、鏡の前の男たちは美しく見えた。

 外に出ると、たけさんは街路に座り込んだ。見るからに元気がない。落ち込んでいる。


「これからフリーターだわ、まじでどうするかな……」

「たけさん、格好良かった。見直しました!」


 BLTがたけさんを褒めた。たけさんと別れると彼の後姿には哀愁あいしゅうが漂っていた。

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