第5話 相棒

「1、2、3……」


 ピリピリとした緊張感が辺りを包む。開始の文字を冒険者たちは一斉に確認した。彼らは龍へと勇猛果敢ゆうもうかかんに立ち向かっていく。まず前面に出てきたのは20人の屈強な大柄の男達であった。ゆっくりとした動作で、重い盾を構える。

 龍の注意が彼らに向く。彼らの頭上に注意の字が並ぶ。龍は口から爆炎を吐く。炎が彼らを襲う。盾から幾何学きかがく模様の線が伸び、結界のような印が現れる。炎はそこでき止められる。後ろへ他の冒険者たちが走り込んでくる。魔導士や、槍使いだ。

 龍が炎を吐き終え、次なる炎を吐こうとする一瞬の隙を突いて、魔導士が地面を踏みしめる。槍使いが投擲とうてきの姿勢をとる。弓兵が矢を射る。銃を構えたカウボーイ、重火器を持った軍人。力のみが場を支配する。


「ミストルティンの槍!」


 ――神を殺した槍である。その一撃は龍の腹を引き裂く。龍は呻き声を上げた。


「神獣鏡」


 魔導士がそう言うと、大きな鏡が魔導士の前に現れる。そこから白虎が飛び出し、龍の喉元に喰らいつく。

 さらに様々な光の線が飛び交い、つぎつぎと龍へダメージを与えていく。龍はのたうち回りながらも、目に宿る強い怒りは消えない。龍が一息、炎を吐き出す。白虎が炎に呑まれる。

 魔導士の後ろに控えていた青い鉢巻をした黒髪の女が叫ぶ。

 

「カヤコロノチウ!」


 空を見ろ。空が一層暗くなり、光を帯びた星がいくつも降った。龍の背中に星が当たり、龍の体が地面に落下しそうになる。


 隣にいた陣形からも攻撃が始まる。


雷公鞭らいこうべん


 青いいかづちが鋭利に速度を伴って、龍を攻撃する。龍はあえいだ。


「回転疾風脚!」

「悪はそく斬る!」

「魔眼のにえ

 

 攻撃は続いた。イカはその様をずっと見ていた。



 ――――なんて、自由なんだろうか。イカは感動している。



 龍がだんだんと弱ってくると盾を持った男達が龍へとにじり寄る。炎の勢いも弱くなってきた。彼ら――重戦士たちは背負った剣を抜いた。剣を遠心力に任せて、振る。龍に斬撃がぶつかり合い、凄まじい衝撃波となる。

 龍は吹き飛ばされた。

 クエスト達成の文字が出た。冒険者たちは汗を拭う。重戦士たちはかぶとを取った。冒険者たちは心地良い疲労を感じながら、皆が嬉しさで笑っていた。

 いつの間にか消えていたBLTはイカの隣に帰ってきた。


「BLT、戦ってた?」

「た、戦ってたさ……! ちょいと暗殺者アサシンは影が薄いの。仕方ないだろぉ!」


 BLTは鼻の穴を膨らませた。その様がどこか可愛らしい。イカは悲しげな表情をした。BLTはそれを見逃さない。


「どうしたんだ? そんな顔して」

「神が死んでも、シビュラは帰らない」


 それがとても口惜しい。


「シビュラ? ああ、エルフの娘か。NPCノンプレイヤーキャラクターだろう? 心配すんなって」


 BLTの軽い調子にイカは驚きを隠せない。


「だって、シビュラはあんな目にあって……無念だろうに……」


 さらなる言葉が出てこない。悲しい。寂しい。なんでこんなに……。


「随分とNPCに入れ込んでるなぁ。あと半日もすれば元通りになるよ、知っているだろう? リセットがあるから……」


 BLTは手を合わせて言った。


「リセットだって? シビュラは、シビュラはどうなるんだ?」

「生き返るに決まってるじゃん」

「へ?」

「何、そんな深刻な顔しているんだ? NPCだ。心配するなって」


 BLTはあははと笑う。何がどうなってる? リセット? 生き返る? それにNPCって何だ? イカは困惑している。眩暈めまいがしてきた。

 BLTの話では半日すれば村も弟エルフも、シビュラも全て元通りになるらしい。イカは胸の奥に動かしがたい奇妙な感覚を抱いた。それが何なのかは今は分からない。

 冒険者たちが散り散りに解散していく。彼らはどこへ行くのだろう。イカは興味をそそられている。


 イカはBLTと一緒にエルフの村へと戻った。BLTはいい奴だと思った。だからこれからすることもきっと受け入れてくれる――。

 エルフの遺体をすべて土葬した。墓を作り、エルフの村人全員をとむらった。幽霊になんてならないようにした。BLTはNPCはそもそも幽霊になんかならないと言ってくれたけれど、あの優しいエルフたちをこのまま野晒しにしておくことなんて出来なかった。


 弟エルフはたくさん怪我していた。包帯を巻き、傷口を止血し、消毒した。まともに走れるようにはもうならないだろう。でも、そうしてやることが大事だとイカは思った。

 リセットが始まる30分前、イカはシビュラが元に戻ることを考えた。彼女にもう一度だけ会いたかった。そして抱きしめてあげたい。ありがとう、とだけ言いたい。そこまで考えてイカは気がついた。そのシビュラは、と。リセットされたシビュラは間違いなくシビュラに違いない。


 でもイカが会いたいのはのシビュラだった。

 共に同じ寝台で眠った安らかな少女だった。

 あの愛嬌あいきょうたっぷりの笑窪えくぼのある無邪気な少女だった。

 魔法を学ぶ健気な少女だった。

 優しいシビュラに会いたい。

 それだけだった。

 BLTはこうも言った。クエスト「巫女の慟哭、神の怒り」はこれで四度目だと――。

 四度も、四度もだ! この世界は彼女の笑顔を奪ったというのか? イカにはそれが許せなかった。そしてまたこのクエストは繰り返されるという話だ。

 彼女を痛めつけて、殺して、回っていく、動いていく世界だ。なんて残酷なんだ。

 そして、また彼女を失う悲しみを、もう一度背負っていく勇気がイカにはなかった。


 何度だってイカは彼女に恋をする。

 そしてその恋は、さっきのような悪夢で終わる。心なんてなければ良かったのに。イカはNPCという概念を理解し始めていた。心のない世界の操り人形だと気づいたのだ。イカも自分がNPCになれれば良かったと心底思った。それは叶わぬ願いだ。

 イカはひっくり返されたテーブルを直した。血をタオルで丁寧に拭き取る。入念に汚れを落とした。彼女の本を棚に戻した。食糧庫は空っぽだった。盗賊が持って行ったに違いない。イカはぐっとこらえた。

 割れた窓ガラスを拾い、紙にくるむ。衣類は几帳面なほどに綺麗に畳んだ。彼女の服はずたずただった。

 家をすべて片付けて、イカはBLTに告げた。


「俺を広いに連れて行ってくれな?」


 BLTは噴き出した。


「それ駄洒落だじゃれか? ウケるぜ」


 イカは顔を赤らめる。


「こ、これは……どうすることもできないんだよ。で、どうなんだ?」

 

 BLTは親指を立てて言った。


「いいぜ。でも今よりもっと辛い出来事がお前を待ってるかもしれない。それでもいいのか?」


 きっと全てを見てきたBLTはイカを試している。この一言はの言葉だ。


「行こう」


 イカは心を決めた。夕日が村をオレンジに染め上げていく。弟エルフが後ろに立っていた。


「お前……旅立つのか?」

「ああ」


 五秒にも満たない沈黙。弟エルフは名残惜しそうに言った。


「……ってるから――」

「へ?」

「待ってる! 待ってるから――。いつだって帰ってこいよ。お前は俺のなんだから!」


 一生懸命に張り上げた声だ。

 その一言がイカにはたまらなく嬉しかった。――イカは振り返った。


 弟エルフの姿は消えていた。村の住居に明かりが灯り始める。

 世界が回復し、再構成されたのだ。



 ――――リセット。



 そうだと気づいて、イカは前を見た。イカの目の前には差し出されたBLTのてのひらがあった。

 イカはBLTの掌を掴んだ。新しい世界の始まりだ。

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