第3話 幸せは長続きしなかった

 イカは買い物かごを持って市場を歩いている。さっき姉エルフに「お買い物、行ってきてちょうだい」と言われたからだ。買い物リストには「ぬか味噌」と書いてある。何だ、また味噌がないのか。呆れるイカであった。


 本当にこの市場には何でもあるな。イカは興味をそそられて色々と見て回ることにした。魔法使いの看板が見えたので店に入る。いくつもの杖やほうきが並んでいる。奥にはわら人形。イカが手を伸ばすと、店番をしていた若い赤髪の女の子が止めた。


「ちょっとお客さん……困ります。これ実は人を呪うアイテムでして、特別な許可がないとお渡しできないんです」

「そ、そうですか」


 イカは目を伏せてぺこぺこした。店のショーケースには指輪が並んでいる。どれもいい値段がする。イカは煌びやかな指輪を見ながら、自分の腕にどれだけ指輪をつけられるか想像した。いくらでも身に着けられると知ったイカは代金の勘定をする。とてもではないが、イカがどれだけ働いたとしても代金を払える気がしない。


 まるで、リレックスじゃないか……。イカがそう思ったかどうかは定かではない。


 イカは店を出た。続いて入ったのは武器屋である。イカより背の高い斧や剣、レイピア、天井まで届くほどの槍が並んでいる。一通り見て歩いたが、イカの腕力ではとても持てそうにない。イカはがっかりして店を後にした。イカは自分にできる攻撃が大量墨吐きであることを知っている。だから、圧力で飛ばせるような武器ってないんだなぁと思った。奥から武器屋の筋肉質な男が出てきた。


「筋力は全てを解決する!」


 男は何やらよく分からない理屈で武器を薦めてくる。

 壺を買わせるよりしつこいじゃないか。イカがそう思ったかはどうかは定かではない。


 店の店員のしつこさから逃れるようにしてイカは街道に出た。裏道の隘路あいろに入り込む。にゅるっと通り抜けると、迷宮のような道だ。向こうは行き止まりになっていた。イカは手前にあるこじんまりとした店に入る。洋風の看板が掛かっており、薬屋らしいことは分かった。


 店に入ると、壁一面が引き出しになっており、梯子が立てかけてある。店の人々が慌ただしく、引き出しから薬草や生薬しょうやくを取り出している。イカは一人の背の低い薬剤師を見ていた。どうして気になったのか、彼は一生懸命に店を走り回っている。人のよさそうな短い眉毛が可愛らしい。イカの視線に彼は気がついた。


「どうかされました?」

「いや、いいんです。お疲れ様です」


 イカは姉エルフの顔を思い出す。彼女は毎日疲れているだろうな。


「あの、疲れに効く商品ってありますか」

「これですかね」


 彼は棚にあった大きな瓶を寄越よこした。養マ酒と書いてある。


「これが?」

「ええ、身体を温めて、気が満ちるようになります。おすすめですよぅ……」


 彼はえへへと微笑んだ。

 イカの財布の紐は緩んだ。1500Mマギ。1リットルでなかなかの値段である。イカは少しだけ胸が暖かくなった。帰り道で薬瓶をぎりぎりで通したイカは意気揚々と市場へと戻る。


 雲が動いていく。


 発酵食品の店に辿り着くころには、日が傾き始めていた。買い物かごには養マ酒と味噌。これで間違いない。店を出て、大通りを歩く。すがすがしい風が吹き抜けていく。異世界ライフも絶好調。最高の気分なのかもしれない。


 帰れば姉エルフが美味しいご飯を用意してくれて、嫉妬する弟エルフの顔にえながら、順風満帆じゅんぷうまんぱんの日々を生きていく。イカは心なしか嬉しかったのだ。



 ――――ああ、こんなに満ち足りた日々。



 村へと帰ってきた。地平線は紫色と紅のグラデーションに染まっていた。いつも声を掛けてくれるエルフの年寄りや、夕ご飯へ向かうエルフの子どもたちの和やかな声がしない。鳥も鳴いていない。こんなに沈黙が村を覆っているのは初めて。イカは辺りを見渡した。

 一軒の家の前で立ち尽くす。エルフの屈強な男が血を流して死んでいる。本当に死体だ。初めてみた。はらわたが傷口から飛び出ている。深い傷である。何をされればこんなになるのか? イカの心は穏やかではない。イカは村中を彷徨さまよった。


 エルフのむくろ、骸、骸。


 はえがとまっている。羽音だけが聞こえている。イカは絶句した。イカの胸中は穏やかではない。姉エルフは、弟エルフはどうなった? きっとまだ弟エルフは学校に違いない。イカは自身の考えが止められない。

 悪い方へ、悪い方へ、思考は落ちていく。

 家の前に着いた。扉が開け放たれていた。部屋のなかは荒らされていて、イカは現実を直視できない。衣類が散らかり、テーブルがひっくり返され、窓が割れていた。元には戻らない幸福な風景。部屋の奥で虫の息になっている弟エルフを見つけた。うずくまって苦しそうだ。なんとか気道きどうを確保し、楽にしてやる。

 弟エルフの意識が戻った。


「お……おまえか……」

「大丈夫だ、ほら、薬草を持ってる。すぐ手当てするから……」

「俺は少し休めば平気だ。お姉ちゃんが、ぐっ……ごほっ、ごほっ」

「姉エルフが、何だ?」

「連れていかれた。あいつらは、村はずれの洞窟を根城にしてる盗賊だ」


 弟エルフは咳き込む。血が混じっている。肋骨をやられているらしい。


「盗賊に連れていかれたんだな? 分かった」

 

 イカは持っていた養マ酒をぐいっと飲み干した。身体に気が満ちる。買い物かごから味噌の箱が落ちた。


「弟エルフ、待っていろ。姉エルフは助ける。ぜったいだ」

「おい……これはぬか味噌じゃない……ただの味噌だ……」


 弟エルフは意識を失った。

 


 イカが洞窟の前に立つと、日が暮れていた。松明たいまつが赤々と燃えている。ここが盗賊の根城だ。守りを固めている男が小便でいなくなった隙を狙い、なかへ飛び込む。


 ゴブリンとヒトの混血児であるヒュブリーダ。彼が立ち上がると、周りにいた盗賊が続々と頭を下げた。盗賊、善良な市民同盟。名前にふさわしくない悪名高い盗賊団である。襲った村を焼き払い、男、年寄り、子どもは皆殺しにして、娘たちはさらってからおかし、殺して、捨てる。悪逆非道あくぎゃくひどう鬼畜きちく、残酷、無慈悲な殺戮さつりく集団である。


 イカが洞窟を進んだ先で見つけたのは犯され、布切れのようにボロボロになった姉エルフであった。

 イカの目から涙があふれた。


「おい……姉エルフ。しっかりしろ」


 あの美しい翡翠ひすいの眼は、今は悲しみを伴ったうつろの色だった。


「い……い……イカちゃん……あのね、私……」

「もう喋るな。体にさわるぞ」

「さいごだから……これで……お願い。いま幸せになれるように、名前で呼んで。ね……?」

「教えてくれ……君は?」

「……シビュラ」


 イカは呟いた。「シビュラ」と。シビュラの目から涙が一筋流れ、彼女は短い生涯を終えた。イカは泣き叫んだ。洞窟の向こうで人の動きを感じる。



 ――――殺す、殺す、ころす。



 イカの額の紋様が光を放った。イカの目は狂ったように力を帯びる。ほんとうにどうなってもいい。力が欲しい。好きな人を守れる力が欲しかったのに――。

 岩壁が崩れる音がした。

 様子が変わったことに気がついた善良な市民同盟は、慌てふためく。洞窟の向こうから巨大な触腕しょくわんが伸びて、盗賊団の男たちをぎ倒した。凄まじい咆哮が付近に響いた。

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