page.1 『お隣と氷姫』

学園生活が始まって三度目の休日。

高校に上がると同時に学校に近いマンションへと引っ越した俺は、今日も今日とて家でゴロゴロしている。


ただ、今日はなんとなく外に出たくなってちょっとした散歩に出かけている。今の時期はまだ暖かさと肌寒さが残っていて、長袖にしようか半袖にしようか迷うラインだ。


とはいえ俺は暑がりなため、この時期になれば既に半袖である。


「今日の昼どうしようか……」


散歩から帰って来てマンションのエレベーターで自宅のある階層まで上がりながら、今日の昼食を考えていると、自宅のある階まで到着してしまう。


エレベーターのドアが開き、前を見ると俺の自宅の横の家で何やら青色の服を着た人が大きな物を運び込んでいるのが見えた。

あの服は――引っ越し屋さんか。

それともう一人、あれは――もしかして?


「あの、もしかして神崎さん?」


「え?」


眼鏡をしているため、人違いならまずいのだが、この整った容姿は見間違えるはずもなく。間違いなく神崎さんである。


「あなたは……白雲くん?」


「あ、名前覚えていてくれたんですね」


「それは、もちろん。同じクラスの人ですし」


「なるほど」


まさか名前を憶えていてくれていたとは、なんてことは思うのは失礼かもしれないけど、あの神崎さんが男子の名前をちゃんと把握しているとは思えないのが現実である。


そんなことより、ここは俺の家の隣、そして今運送業者の人が荷物を運び込んでいて、現在進行形で神崎さんがその光景を見ていると――あれ、これ俺のお隣さん神崎さんの家になるのでは。


俺がここに入居する前は俺のここの部屋は空き部屋だった。つまり人は住んでいなかったことになる。となると神崎さんが引っ越してきてもおかしくないと、一応念のため確認しておこう。


「あの、神崎さんってここに住むの?」


「何その質問? 現に私がここにいて、引っ越し屋さんに家具を運び込んでもらっているのだから当然でしょ?」


「ですよね~……」


間違いじゃなかった。


俺の家の隣に引っ越してきた人は神崎さんで間違いない。


(ちょっと待て、これいろいろとまずいんじゃないのか?)


考えられるまずい事態は3つ。


一、学園の生徒にバレる

二、真に知られる

三、下手すれば神崎さんに怒られる


一つ目は無難で非常にまずい事態だ。

神崎さんの学園内での人気度は言わずもがな、誰しもが神崎さんとお近づきになりたいと思っている。そんな中で隣に住んでいますなんて知られれば、俺は学園の中で袋の叩きにされて立場が失われるだろう。


二つ目は真に知られた時だ。

まだ神崎さんのことは何も知らないが、真には神崎さんのことは興味ないと宣言しているため、万が一真に知られれば当然いじられるだろう。とはいえ、学園で袋叩きに合うよりはまし――なのかもしれない。


三つ目は神崎さんになんと思われるかによる。

神崎さんは大の男嫌い、現に引っ越し屋さんの3人とも女性だ。女性3人であれだけの大きさの家具を持ち運びできることに驚きだが、そんなことは置いて置いて。そんな神崎さんが隣人に男子、しかも同級生が暮らしているとなれば間違いなく何か言われるに違いない。


『もし私に話しかけたら許さないから』なんてこと言われそうで今から寿命が縮まりそうだ。


(さて、どうしたものか……)


「ねえ」


「あ、はい」


「……あなたの家、私の家の隣?」


「はい……」


「そう……」


(え、なに、「そう……」って、どう意味???)


なんだかはぐらかされたような気分になりながらも俺は自分の家に入った。


             ★

その夜、俺はベランダで夜景を堪能していた。柵に体を預けて外の空気を吸っていると、たまたまお隣さんからベランダの窓を開ける音がした。それから数秒後に神崎さんが顔をベランダの柵から顔を出した。


「綺麗……」


わずかに白い溜息をついて同じく外の夜景を見る。


「星空でも見ているの?」


「それもあるけど、一番はここから見る街の様子かな……」


「街の様子……」


時刻は夜の8時、この時間帯は道路の街灯や、家の明かり、車のランプで街中は彩られている。

入居したての頃に見つけたこの景色は俺が唯一、一日の疲れを浄化してくれる一番落ち着く時間を作り出してくれる。


「家の明かりを見ると思う、人が住んでいる証、人が幸せに暮らしてる証が光となって知らせてくれているんだなって。俺はそれを上から眺めるのが好きなんだ」


「確かに、鮮やかに照らされているのを見るのは気分がいいわね」


誰もが幸せとは限らない。だからこそ、家からこぼれ出る明かりは人が幸せに暮らしている証になる。家族で過ごす明かり、恋人と過ごす明かり、いろんな明かりが人の幸せを光として伝えてくれる。


俺はそんな光景を高台から見守るのが至福の時間なのだ。


「ここに来なかったらこんな景色は見れなかったな……」


「まぁ、そうだろうな。都心の中でもここくらいじゃないか? ここまできれいに見れるのは」


「うん。まだ入居したてだけどうまくいきそう」


気に入ってくれたようで何より、という意味も含めて苦笑しておく。


「それにしても、お隣に氷姫が引っ越してくるなんて思わなかった」


「……ねえ、氷姫って呼ぶのやめて」


和やかな空気にブリザードが投下された。

何かしらの地雷を踏んだのだろうか、少し寒かったのが結構寒いに変わってしまった。


ゆっくりと横を見ると、目を細めてこちらを睨みつける神崎さんと目が合った。

どうやら『氷姫』と呼ばれたことがお気に召さなかったらしい。


「だいたい、私は氷姫と呼ばれる筋合いなんてない。そもそも一部の男子が私に下心満載で連絡先を聞いてくるから、私も警戒をしなければいけないくなるわけで、しつこく聞いてこなければ私だって冷めたような視線は送らないわよ」


確かに神崎さんが冷めた視線を送るのは決まってしつこい男子か、一発目で連絡先を交換しようとしてくる男子に限っている。


それ以外の男子には基本普通の目をしていて、たとえしつこくしてこなかったとしてもそれなりの目を向けて断っている。


とすればしつこく連絡先を聞いたりしなければブリザードは起こらないというわけで、根本的な原因は一部の男子にあると言っていいだろう。

神崎さんもそのあたりはわきまえているのか、事務的な用事がある男子生徒には微笑んで対応している。


氷姫と呼んでいるのは一部の一掃された男子だろう。


「私だって普通の女の子よ。ただ、周りの人よりも容姿が整っているのは自覚しているし、それに男子から人気があるのも不満には思わないわ」


「じゃあ、何に不満を?」


「態度よ。これまでに私に話しかけてきた男子はほとんどが私とただ付き合いたいという一時の感情でしかない。才色兼備である私を彼女にして優越感にでも浸りたいのでしょうね」


「まぁ、美人で、勉強できて、運動もできる神崎さんみたいな女の子が彼女なら、男子からすればとてつもないアドバンテージにはなるだろうな」


才色兼備の彼女など日本中どこを探し回ってもめったにいない。

大体どれか一つがかけているか、どれも周りと同じくらいで、神崎さんみたいな完璧超人の人はそういないのは間違いない。


だからこそ男子からすれば神崎さんの彼氏になれば、それは相当なアドバンテージとなる。ただ、それだけの理由だ。


「私は物じゃない。私を自分に自信をつけるためだに付き合いたいと言って来る人なんかを好きなるなんてありえない」


「ま、そうだろうな」


人は物じゃない、当然だ。人を道具のように扱うやつが誰かと付き合うなんて言語道断。そんな奴は一生一人でいればいい。


自分の優越の為だけに神崎さんを自分のものに使用なんて、どこまでも愚かで間抜けな考え方だ。神崎さんは美人なのだから本当に好きな人にその美貌を使ってほしい。


誰かを傷つけて得た名誉なんてものは所詮虚しいもので、それを得て何の意味があるのかと聞かれたときに応えられた人は、おそらく人を傷つけることに何のためらいもないのだろう。自分さえよければそれでいい。


だから人を平気で傷つけるし、相手が傷ついているのを見て見ぬふりをする。


「でも、俺はいいんだ」


「……あなたは、なんというか、他の男子とは違う気がする。まるで私に興味なんてないかのような」


「そりゃあな、神崎さんは手の届かない高嶺の花みたいなもんだし」


高嶺の花にわざわざ手を出すなんて馬鹿なことはしない。

あくまで観賞用として神崎さんのことは見ているし、そう思う事でも神崎さんは綺麗だと思える。


興味ないと真に宣言した建前、神崎さんには一切の興味は示さない。


ただ、これほどの美人と会話することには慣れていないため、きれいすぎて直視できなくなってしまう気がする。だから目線はあくまで外の景色に集中する。


「ま、その点俺は君何かするつもりもないから安心して生活してくれたらいい。もし不満があるならいつでも言ってもらっていいし」


何もするつもりもないのだから金輪際関わる必要もないだろう。

なら無理に警戒されるより安心したまま生活してくれた方が、俺としても過ごしやすいまである。それに、あいにく家が隣なのだから、お互い不満があればいいあえばいいのだから。


「じゃあ、俺はもう入るから。おやすみ」


俺は足早に部屋の中へと入っていった。


――おやすみなさい


こうして俺と氷姫――神崎陽向葵の隣人付き合いが始まる。

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