2. オウム真理教


 そもそも、事件を引き起こしたオウム真理教とは、いったいどんな組織なのだろうか。 事件が起きるまでの経緯と共に、少し掘り下げてみよう。


 オウム真理教は1987年7月に設立された、新興宗教団体である。

 もともとは「オウム神仙の会」というヨガ教室の集まりであり、そこにチベット密教や大乗仏教を混ぜ込んで、独自の教義を展開した。

 教祖は、松本智津夫まつもとちづおこと麻原彰晃 あさはらしょうこう

 彼は自らを「ヒマラヤでの修行で最終解脱を果たした人物」であると吹き、自分のもとで修業すれば、超能力を身につけられると説いた。

 ヨガブームに加え、バブル経済と崩壊後の閉そく感、世紀末思想など、当時の世相も加わり、若者を中心の多くの信者を獲得。 その勢いを急速に伸ばしていく。


 当初はヨガを学び楽しむ、単なるサークルのひとつであったが、宗教団体になると、常軌を逸した行動をとり始める。

 麻原が核戦争による人類最終戦争ハルマゲドンを予言し、オウムによる人類救済を説き始めたのだ。

 信者に集団生活を強要し、修行と称した過激な行いによって肉体的にも精神的にも追いつめ、正常な思考を奪い支配していった。

 更に、入信した信者に寄進を要求したり、教祖の髪の毛や血、風呂の残り湯を高額販売して資金を稼いだり、日本にオウムを広めるためとして各地に支部を建設するなど、その行動は段々とエスカレート。


 またこの頃から、信者が親兄弟と一方的に関係を絶ち、全財産を教団に寄進する事例が相次いだことで、オウムは信者解放を要求する親族や、彼らから相談を受けていた坂本堤弁護士が組織した「オウム真理教被害者の会」、支部周辺の住民たちと激しい対立をしていくこととなる。


 しかし、そんなことはお構いなしと、麻原はさらなる暴走を開始していく。

 1990年2月、政界進出の野望を打ち立てた彼は、政党を立ち上げ、第39回衆議院議員選挙に立候補した。

 結果は惨敗。

 これを国家権力の陰謀であると考えた麻原は、武力攻撃による政権奪取、つまりクーデターを企てるようになる。

 自分たちの思想を広め、人類を救済するためには「ポア(殺人)」しかない、と……。


 オウム真理教は以後、山梨県の上九一色かみくいっしき村 (現 富士吉田市)にある教団本部で、VXガスや炭そ菌などの化学兵器を独自に製造。

 更に、殺傷能力の高い銃火器や軍用ヘリなども調達し、武装化を推し進める。

 幸か不幸か、オウムは信者から巻き上げた潤沢な資金があった上に、教団幹部には難関大学で物理学を学んでいたり、弁護士資格や医師免許を持っていた、いわゆるインテリが集まっていたのだ。


 1993年11月、教団はサリンの生成に成功。 1994年2月までに約30㎏を生成すると、同年6月27日にサリンを長野県松本市の住宅街に散布した。

 当時死者7名、重軽傷者144名。地下鉄サリン事件の約8か月前に起きた惨事だった。

 サリンの効果を試すデモンストレーションと、現在進行形で起きていた土地取得を巡る裁判の延期を兼ねた犯行だったと言われている。

 しかし、この事件は長野県警が、被害者男性を犯人として逮捕したため、教団関係者が逮捕されることはありませんでした。


 国家転覆計画を着々と進めるオウム真理教。

 そこへ、警察の強制捜査が入るという極秘情報がもたらされたのだ。


 きっかけは、1995年2月28日に起こした目黒公証人役場事務長の拉致監禁殺人事件で、教団信者の指紋が検出されたことにあった。

 これ以前にも、教団は数多くの拉致監禁や詐欺事件を起こしており、その上1月には教団施設の土壌からサリンが検出されたとの報道もされていた。

 総合的な観点から警視庁は、日本全国の教団関連施設に一斉捜索に入ることとしたのだ。

 

 この情報を察知した麻原は、家宅捜索を遅らせるために、教団幹部と

共に都心部を攻撃し、警察の強制捜査を妨害することを決意した。

 そう、これこそが地下鉄サリン事件の動機である。

 それを指し示すように、標的にされた3つの地下鉄は、日本の政府中枢が集まる霞が関を通っているのだ。


 1995年3月20日、かくしてオウム真理教は、東京都心の地下鉄にサリンをばらまくという、日本史上最悪のテロ事件を実行に移したのであった。

 選ばれた実行犯5人はそれぞれ地下鉄車両に乗り、サリンの入った袋を傘で突き刺して穴をあけ、すぐさま降車。

 気化したサリンをまき散らしながら、電車は走り続け、多くの乗客は苦しんだのでした。

 

 ところで事件発生直後、実は教団幹部と下級信者の間では、大きな温度差があったと言われている。

 事件後、実行犯らは死者が出たことに狂喜乱舞。 麻原に“攻撃成功”を報告した教団幹部は、彼から徳を積むための瞑想をするよう指示され、和菓子とジュースを受け取ったと言われている。

 ところが末端の信者の受け取り方は違うものだったようだ。

 東京キララ社・三一書房から発売された「オウム真理教大辞典」によると、教団本部デザイン部では事件当日、出家信者が街で配られた号外を手に「ついにやられたよ!」と言ったそうだ。


 「やられた」とは、教祖が警察を攻撃したという意味ではない。

 敵対勢力によって、自分たちが貶められた、ということだ。


 当時のオウム真理教では、出家信者たちに秘密結社や国家による陰謀を繰り返し説いており、地下鉄サリン事件は、自分たちではなく、そういう結社による凶行だと本気で信じていたようだ。

 カルトの恐ろしさ、と片づけてしまえば、それまでだろうが……。


 さて、こんなことをしてオウムが、麻原が、このまま何事もなく、などとなるはずもない。

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