第171話 仮面の男

~ 王都の闇 ~


 復興景気に沸くカザン王国の首都アズマークでは、深夜であっても明かりが消えることはありません。


 魔鉱石の一大産地である王国では、街角に魔鉱灯が一定間隔で設置されているため、ランタンを持たなくても歩くことができるほどでした。


 それでも通りからすべての暗闇が失われるわけではありません。むしろ、魔鉱灯がうっすらと照らしている範囲の外は、闇がより深くなっているのでした。


 そして、その闇に潜んで悪辣な行為を行うものたちも、少なくありません。


「ひぃぃ! まってくれ! 金ならある! 後生だ! 命だけは取らないでくれ!」


 暗闇の中から、中年の男が魔鉱灯の灯りの下へ這い出てきました。


 そのでっぷりとしたお腹からは大量の血が流れ、地面を濡らしています。


 男を追うように騎士服姿の男が、灯りの下へと進み出てきます。


「キシャシャシャ! 駄目だね! お前たちは下層民のくせに、高貴なる俺様にぶつかって服に泥をつけやがった。それはつまり死罪に値するんだよ」


 騎士服を着た男は、長剣の腹の部分を肩に乗せてトントンと叩きます。その剣先は真っ赤な血で濡れていました。


 地面に這いつくばっている男は、誰かに助けを求めようと周囲を見回しますが、深夜の裏通りには人影はありませんでした。


 もし誰かいたとしても、長剣を持った男を相手にしてまで、彼を助けようとする者である確率は少ないでしょう。


 この騎士服を着た男は、新しく手に入れた剣の切れ味を試したいがために、辻斬りをしており、闇に潜んで犠牲者が通るのを待っていたのでした。


 そして、たまたま飲み終わって家路に向っていた夫婦を見つけて、この凶行に及んだのです。


 騎士服の男の背後には、地面に這いつくばる男の妻が、斬り殺されて横たわっているのでした。


「さぁ、立て! 立って逃げるのであれば、見逃してやるかもしれん!」


 騎士服の男は、這いつくばる男をそう言って煽りますが、もちろん逃がすつもりなどありません。ただこのまま犠牲者に失血で死なせるより、立ったところを袈裟斬りにするつもりだったのです。


「はぁ……はぁ……」


 地面に倒れた男は、なんとか逃げようとするものの、立ち上がることができず、ただ後ろに這いずっていくばかりでした。


「!?」

 

 一向に立ち上がる様子を見せない男に、騎士服の男は諦めを付けて刺し殺そうとしたとき、地面の男が目を見開いて、その動きを止めました。


 驚愕の表情を浮かべる男の顔を見て、騎士服の男がいぶかしく思った瞬間。


 グシャッ!


 背後で奇妙な音が聞こえたのでした。


 まるで馬車が大きなイボガエルを惹きつぶしたときのような音。


 グシャッ! グシャッ! グシャッ! グシャッ!


 危険を察知した騎士服の男は、倒れている男を飛び越え、音の出元から距離をとったうえで振り返りました。 


 するとそこには、黒い人影が立っていたのです。

 

「なんだ貴様は!」


 騎士服の男は長剣を黒い人影に向けて、怒鳴り声を上げて誰何しました。 


 声に反応したのか黒い影は、騎士服の男に向って一歩進み寄ります。


「なっ!?」


 魔鉱灯の下に出て来た黒い影。


 その異様な姿に騎士服の男は、思わず剣を取り落としそうになるのを堪え、じりじりと後ずさりしながら、黒い影の様子を確認するのでした。


 全身が黒づくめの服を着ているように見えますが、よくよく観察すると皮膚そのもののようにも見えました。


 細い身体には明らかに不釣り合いなその大きな頭には、邪神の儀式で使われる魔神の仮面が付けられています。


 それもよくよく観察すると、身体の一部のように見えました。


 騎士服の男が何より不気味に感じたのは、仮面の男の動き。明らかに人間のそれではありませんでした。


 仮面の男は呼吸をしていなかったのです。


 それは、まがりなりにも剣を学んきた男だからこそ、真っ先に感じた異常でした。


「魔物か……」


 騎士服の男が戦いに備えて、長剣を構え直したその瞬間――


 ガバッ!


 仮面の男の頭が二つに割れたかと思うと、ぐにゅ~と奇妙な音を立てて伸びはじめ、そのまま目の前に倒れていた男の頭部を包み込みました。


「!?」


 次の瞬間には、仮面の男の頭部は元の形に戻っていました。


 そして地面に倒れていた男の首は、跡形もなくなっていたのでした。


 プシューッ!


 吹き出る血を見て狂乱に陥った騎士服の男は、長剣を放り出し、仮面の男から背を向けて一目散に逃げだします。


 仮面の男は顔を少し傾けて、何やら思案をしているような振る舞いを見せた後、


 残りの食事に取り掛かったのでした。


 そして翌日。


 通りに残った人体の破片と広がる血痕によって、大きな騒ぎとなりました。


 人々は巷で噂になっている「仮面の悪魔」の仕業だと考えました。


 その後、現場に残されていた長剣から、騎士服の男の身元が割れました。


 ルートリア連邦騎士爵アイザック=フォンベルト。


 カザン王国の警備団が、彼の背後にあるルートリア連邦に気を使いつつ、事情をお伺いした結果、


「魔物に襲われていた夫婦を助けんがため、単身、魔物に立ち向かいしも、魑魅魍魎の力が増す深夜のことにて、奮闘虚しくも名誉ある撤退を選択せざる得なかったルートリア連邦のフォンベルト騎士爵は、魔物についてご自身が経験された叡智を伝えてくださったのだ!」

 

 と褒めたたえられ、連邦と王国から報酬を得ることとなったのでした。


 さらには、「仮面の悪魔」捜索のために集められた、兵士30名の指揮官に任命されたアイザック=フォンベルト。


 暗闇の中で幾人もの民を切った長剣を高く掲げて、多くの兵士を伴ないながら、首都の大通りを練り歩くのでした。 


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