第149話 ソフィアたん……ハァハァ

 少女の名前はソフィア。


 北西区の東橋通りにある家で、普通の女の子として元気に育っていました。家は貧しいながらも両親と二人の兄に愛され、ソフィアは幸せでした。


「父さん! 花屋のリンデルさんが、また手伝いに来て欲しいって! 行ってもいい?」


「別に構わないが、ソフィアは花屋さんになるつもりなのかい?」


「うん! リンデルさんがね。私が手伝ってるときは、いつもより沢山お花が売れるって言ってたよ。私、花屋さんに向いてるのかも!」


 器量がよく明るいソフィアは、近所でも評判の可愛い少女で、誰からも好かれていたのでした。


「ソフィア! 俺たちと一緒にあそぼーぜ!」

「何よ! 今日は私たちと遊ぶんだから! ねっ! ソフィア!」


「今日はリンデルさんのところでお花のお手伝いがあるの! ごめんね!」


「そうなの? 俺も花好きだし、母ちゃんに一本買ってくかなー」

「私たちは川で鈴音草を集めて、リンデルさんとこに持っていこうかな。綺麗な花がついてると買ってくれるんだよね。後で持ってくいね、ソフィア」


「うん! ありがとー!」


 近隣に住む年の近い子どもたちは、現在でも愛らしく、近い未来に美少女となり、将来は美女になることが間違いない、ソフィアの心を射止めようと頑張っていました。


 それを阻止しようとする兄弟との争いが絶えませんでしたが、ソフィアの一喝で、誰もが大人しくなり、最後に握手を交わして終わる。そんな穏やか日々が続いていました。


 両親も兄弟も、いつかソフィアのハートを掴んでしまう者が現れるのだろうなと切なく思いつつも、それでもソフィアの幸せを願っていたのでした。


 カザン王国の首都においては、どこにでもある、貧しいながらも、優しさと愛に溢れた家庭でした。


 セイジュー神聖帝国軍が来るまでは。


 妖異や魔族兵たちが街角に溢れかえり、北西区が炎に包まれると、


 父は、息子たちに妻とソフィアのことを託して、北西区守備隊に身を投じました。


 そして西街道で行われた大激戦……実際には妖異による大虐殺によって、父親はその命を落としました。


 妖異と魔族兵はあっと言う間に北西区を蹂躙し、その一部は首都中央区へと侵入をはじめました。


 後世の人々は、北西区の人々が首都防衛の要となって戦ったことを称えることになるのですが、実際にはただただ悲惨な殺戮が繰り広げられていたというのが真相だったのでした。

 

 もしこのとき、セイジュー皇帝が崩御したという報せが届いていなければ、首都は完全に焼け落ちていたことでしょう。


 天から降り注いだ神の矢によって、セイジュウ皇帝と側近たちがことごとく死亡したことを知った魔族兵は、まるで引き波のような速さでカザン王国から去っていきました。


 そしてこのとき、


 ソフィアの目の前に残されていたのは、母親と二人の兄の遺体だけでした。


 家の外に出たソフィアは、失ったものが家族だけではないことを知りました。


 幼かった彼女が知っていた全ての世界が燃え尽きていたのです。


 そして行く当てもなくさまよう少女を拾ったのが、


 この焼け野原にビジネスチャンスを見据えた紅蝶会のスカウトマン人さらいだったのです。


 家族を失った苦しみを受け切れないままに、幼いソフィアは人間の醜悪さをその身で受け止めることになるのでした。


 最初に、ソフィアのなかで思い出が死に、子どもの当たり前の夢が死に、思考が死に、そして最後に希望が死にました。


 男に乱暴にされても痛みを感じなくなり、殴られても心が痛まなくなり、銅貨を得ることだけがソフィアの全てになりました。


 そして、ある日のこと


「ねぇ……お兄さん……わたしを買ってください……」


 いつものように南橋の河沿いを行く男に声をかけていたソフィア。


 大抵の男は、まとわりつくソフィアを乱暴に振り払うか、逆に醜悪な欲望を隠そうともせずベタベタと彼女の身体を触って来るかのいずれかでした。


 ただその日に声をかけた男は、そのいずれでもありませんでした。


 オークのようにも見えるその男は、ソフィアの手を大きな手で優しく包み込みました。いつもとは違うその手の感触に、ソフィアの心の片隅の片隅で何か温かいものが動きかけました。


「わかったでござる。お主を買うにはいくらいるでござるか?」  


 その男も結局は、自分の身体を買おうとしているのだと知って、ソフィアの暖かい何かはすぐに消えてしまいました。


「銅貨5枚でいいよ……」


 身体も心も人形のように、ただ「そこにあるだけ」のいつもの状態に戻ったソフィアは、自動人形のように声を返します。


 できれば乱暴にされるのは嫌だな。


 殴られるの嫌だな。

 

 顔はまだ腫れてるから、そこだけは触らないで欲しいな。


 銅貨がもらえたら、早く戻って眠りたいな。


 そんなことを考えているうちに、ソフィアの手に銅貨ではなく銀貨が5枚も握らされていました。


「お兄さん、こんなにはいらないよ」


「よく聞くでござるよ……」


 その後の記憶は、ソフィアにはほとんど残っていませんでした。


 隠していた銀貨が見つかり、引き摺り回され、殴られ、


 殴られ、殴られ、冷たい水を浴びせられ、冷たいなかで働かされ、


 見知らぬ男に殴られ、殴られ、殴られ、


 何も考えることができなかったからです。


「死にたい……」


 ただそのことしか考えられませんでした。


「死にたい……痛い……苦しい……」


 ただ何かに言われるまま動き、ただ何かにされるままになりながら、ひたすらソフィアは苦痛の終わりを望み続けました。


「死にたい……お母さんに会いたい、お父さんに会いたい……お兄ちゃんたちに会いたい……」


 ドシンッ!


 と身体に強い衝撃を受けたソフィアは、混乱から徐々に回復するなかで、自分を見下ろしている男に気がつきました。


 怒りの表情で自分を見つめているその男に、不思議とソフィアは恐怖を感じることはありませんでした。


 ソフィアはその男の瞳に宿るものを見たからです。自分の心がまるでそこに映っているかのような深い悲しみがそこにありました。

 

「あの……ときの……お……兄さん……」


 そして、ソフィアはキモヲタに身請けされ、少女にとっては地獄でしかない過酷な環境から離れることができたのでした。


――――――

―――

~ 宿(キモヲタの部屋)~


「ぐぉおおおおおお! このような幼い身でそんな辛い目にソフィアたんんんん! ソフィアたん……ハァハァ……」


 ソフィアから一通りの事情を聴いたキモヲタは、途中から号泣を抑えきれなくなり、泣きすぎて過呼吸まで発してしまいました。


「ちょっとキモヲタ! 落ち着いて! 息が上がり過ぎてなんだか怪しい人になってるから……でもソフィアがそんな目にあってたなんて……わあぁあああああん! ソフィアぁぁああああ!」


 キーラも途中から嗚咽を抑えきれず、キモヲタと二人で肩を寄せ合って号泣二重奏を繰り広げるのでした。

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