第148話 キミの名は?

 キモヲタが身請けした少女は、エルミアナによって馬車の荷台に寝かされていました。


 紅蝶会から出て来たキモヲタは、建物周囲にたむろしている男たちに、こっそりと【お尻かゆくな~る】を放ちます。


 これは単なるうっぷん晴らしであり、嫌がらせだったのですが、もうひとつ馬車から注意を逸らすという目的もありました。


「うぉ!? なんだ、ケツが痒い! 痒い! 痒い! 痒い!」

「あへぇええ! 尻がかゆかゆ痒いぃぃ!」

「ふはぁぁああ! お尻スリスリ気持ちひぃぃ!」


 そこら中にお尻を擦り付けている男たちをよそ目に、キモヲタが馬車の荷台に飛び乗りました。


「少女は無事でござるか!?」


「身体じゅうに酷い傷があります。キモヲタ殿、早く治癒を!」


「了解でござる!」

 

 少女はもう抗う気力もないのか、キモヲタが足を掴むままに任せていました。

 

 グリッ! グリッ!


 淡い緑の光が少女の全身を包みます。


「あっはぁあああああぁああん❤ いやぁああん❤」


 グリグリグリッ!


「あばばばばばば! らめらめらめらめぇぇぇ! おかひくなっひゃうぅぅ❤」


 押し寄せる足ツボ押しの痛みと、圧倒的な快感に思わず半身を起こし、アヘ顔ダブルピースになった少女を、エルミアナが後ろからそっと支えていました。


 少女の負傷の深刻さにキーラが慌ててしまい、またキモヲタ自身も急いでいたこともあって、今回は耳栓も目隠しもありませんでした。


 しかし、痛々しい少女の傷を見ていたキモヲタは、すでに治癒賢者モードに入っていました。


 またキモヲタの治療を見慣れているキーラとエルミアナ、そしてエレナにとっては、いつもと変わりない治癒シーンでしかありませんでした。


 つまりキモヲタたちにとっては、どうということのない、いつもの治癒場面でしかなかったのです。


 馬車の外にいる男たちは、そもそもお尻の痒みを解消することに全神経を集中しているため、少女のあられもない声に意識が向けられることはありません。


 いまこの場で、響き渡るエロボイスに顔を真っ赤にしているものは、ただ一人だけでした。

 

 灰色の髪と青い瞳の少女。


 先ほどまでの痛々しい傷が全て消え去り、陶磁のような白い肌と細長い手足を露わにした少女。


 顔を真っ赤に染め上げて、頭から湯気が出ている少女が、キモヲタをキッと睨んでいるのでした。


 少女の負傷は、怪我が多かったとはいえ、致命傷でも欠損再生でもない治癒だったため、キモヲタの【足ツボ治癒】でも意識を失うまでには至りませんでした。


 気を失ってさえいれば、キーラやエルミアナが綺麗な布で身体を拭い、着替えをさせていたことでしょう。


 そして気がついたときには、皆で「何もなかった風」に振る舞うことで、本人にとっては「ただの悪夢だった」ことに済ませることもできたでしょう。


 しかしそうではない場合、キモヲタの治癒の代償は本人自身で受け入れるしかありません。


 カアアァアアアアアアッ!


 少女の顔は蒸気でも吹き出さんばかりの勢いで、赤く染まっていきました。


 そこまできてようやく少女の状況に気がついたキーラは、慌ててキモヲタの耳を塞ぐのでした。


 キモヲタと言えば、少女が赤面している理由は分かっているものの、治癒した相手から憎々し気な視線を向けられるのにも慣れているので、特に慌てることはありません。


「少女殿、傷が治って良かったでござる。ふむふむ。目元の痣も消えてござるな。最初に出会ったときに思ったでござるが、やはり美人さんでござったな」


 キモヲタの言葉を聞いた少女の顔に、ハッとした表情が浮かびました。


 少女は自分の身体に目をやって、どこにも傷が残っていないことを知ると、途端にボロボロと泣き始めるのでした。


 自分に降りかかった突然の身請け話と、目の前にいるキモヲタがようやく結びついたのです。


「お、お兄さんが……わ、わたしを買ってくれた……の?」


「買った……といいますか、まぁ、身請けしたのでござる」


「……夜のご奉仕をすれば、食べさせてくれる? 痛くしない?」


 否定するつもりだったものの「夜のご奉仕」という単語が、喉に引っ掛かったキモヲタの代わりにキーラが答えました。


「夜のご奉仕」が具体的にどんなものかキーラには分かりませんでしたが、その苦役から解放されたと少女に伝えたかったのです。


「もう、そんなことする必要ないよ! もし家族のところに戻りたいっていうなら、そうすればいいし、もし行くところがないならボクたちと一緒に来ればいい! ねっ!」


 そう言ってキーラからしっかりと手を握られた少女は、再び号泣をはじめました。


 それは、もう特別な客の相手をさせられることはないという安心。洗い場での過酷な作業からの解放、そして日々の売春からの解放がもたらした嗚咽でした。


 キーラが彼女の背中を優しく叩いて慰め、

 エレナが馬車を出し、

 エルミアナが少女の服を買って宿に戻り、

 全員で食堂の席に着いたときに、


 キーラがふと気がついて少女に訊ねました。


「そういえば、キミの名前ってなんていうの?」


 全員が「アッ!?」という顔になりました。


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