第147話 この建物内は全員お尻制圧済みでござる!

 エロ以外のことであれば、基本的に小心者で臆病かつ事なかれ主義を信念としているキモヲタ。


 北西区紅蝶会の建物に入ってからは、ずっとオドオド&ビクビクしたままであり、隙あらばエレナやエルミアナの背後に隠れようとしていました。


 ところがそんなキモヲタでも、前後の見境なくブチ切れてしまうことがありました。


 それはこの世界にキモヲタが降り立った瞬間、オークたちに襲われ、血まみれで横たわるエルミアナを見つけたときのこと。

 

 死にかけているエルミアナと、今まさに彼女を襲おうとしているオークたちを見て逆上したキモヲタは、【お尻かゆくな~る】で悶えているオークたちを棍棒で撲殺します。


 それは普段のキモヲタや、前世のキモヲタからでさえ、想像することができない行動でした。あえて無理やり何かと結びつけるとすれば、前世でハマッていたフロムゲーでは棍棒を愛用していたことくらい。


 そのときに感じたのと同じ感覚を、優男を目にしたキモヲタは感じていました。


 オークに襲われたエルミアナのときと同じように、脳内に血流が集まって、自分のこめかみがブチッと切れそうになっているのを感じていました。


「おいおい。そう熱くなるなよ。だいたいアンタがコイツに銀貨なんて持たさなきゃ、俺たちもコイツが売り上げをガメたなんて疑うことたぁなかったんだよ」


 ブチンッ!


「グガガガガガッ!」


 キモヲタの口から奇妙な音が漏れ出します。


 キーラにとっては、キモヲタがこれほどブチ切れるのを見るのは初めてのことでした。


「キモヲタ! 駄目だよ! しっかりして!」


 怒りが抑えきれず震え始めたキモヲタの腰にキーラがしがみ付きました。それでもキモヲタの怒りの衝動は止まりません。


 そんなキモヲタの様子を見た優男が、少女の怪我について話始めます。


「誤解してもらっちゃ困るが、そいつの怪我は俺が殴ったわけじゃねーからな」


「どういうこと?」


 エレナの問いに優男が答えます。キモヲタに言われた通り、少女は銀貨を隠して1日1枚づつ、その日の売り上げとしていました。しかし他の娼婦に見つかってしまい、少女の弁明は一切聞き入れられないまま厳しい懲罰が加えられたのでした。

 

 そしてその懲罰は「質の悪い上客の相手をさせる」というものでした。


 女性に暴力を振るうことで性的興奮を感じるような客は、表向きには紅蝶会は拒絶しています。


 しかし実際には、損失を遙かに上回る金払いができる客に対しては、そのリスクを受け入れても稼ごうとする娼婦や、今回のように懲罰の対象となる娼婦が提供されることがあるのでした。


「まったく……痛めつけても、痕が残るような傷はやめろと言ってるんだが。まぁ、その分、金はたんまりと支払ってもらったけどな」


 優男の話を聞いたキモヲタの身体が震え始めました。それは目の前にいる男やサディストの客への怒りだけではありませんでした。


 そんな理不尽の中で生きるしかなかった少女がこれまで受けてきた痛みへの想い。

 

 そして何より、自分が安易に銀貨を渡してしまったことで、少女をこんな酷い目に遭わせてしまったという後悔。


 それらすべてがキモヲタの全身に怒りの衝動を走らせているのでした。


「ドドドドドドドッ」


 身体の震えが段々と大きくなり、まるでオーケストラの指揮者のように、人差し指を立てた両手があちこちに上下し始めました。


「お、おい……そいつ大丈夫か?」


 キモヲタの狂気振りに、優男の顔に不安が浮かびます。同時に、部屋の壁にもたれていた用心棒が、壁から身を離して警戒姿勢を取りました。


「もう証文は確認した。さっさとそこに転がってるガキを連れて帰ってく……」


 優男の言葉はそこで止まりました。


「ドドドドドドドッ」


「キモヲタ! こんなヤツらと争うより、この娘の治療が先だよ!」


「ハッ!? そうでござる。早くこの娘を治癒するでござるよ!」


 キーラが必死で訴えかける声を聞いて、キモヲタは正気を取り戻したのでした。


 キモヲタの目に光が戻るのを見たエレナが深いため息を吐きます。エルミアナは、完全に警戒を解いて、床に倒れている少女を助け起こしました。


「歩けますか?」


 エルミアナがそう尋ねると少女はコクコクと頷きました。しかし、少女の足が震えているのを見たエルミアナは、彼女を抱え上げました。


「先に馬車に戻ります。キモヲタ殿、


。安心して戻ってくだされ」


 キモヲタの返事を聞いたエルミアナは、両手で少女を抱えたまま馬車へと戻っていきました。

 

 キモヲタが落ち着いたことを感じ取ったエレナは、優男に向って声を掛けました。


「それじゃ、私たちはこれで帰るけど……いいわよね?」


 エレナは優男の返事を待たずキモヲタとキーラに振り返ると、


「さぁ、ここでの用事は済んだわ。私たちも戻りましょう」


 そう言って二人と一緒に部屋を出たエレナは、去り際に振り返って言いました。


「生ものでも食べてあたったの? それとも病気なのかしら? 北西区の衛生管理については、私の方からマダムに伝えておくわね」


 バタン!

 

 と閉まった扉の中では、


「かゆぃぃぃ! ケツがかゆぃぃぃぃいぃいいい!」

「かいいのぉおおお!」

「うほっ! ソファに尻を擦り付けると超きもちひぃいいい!」


 阿鼻叫喚なのでした。


 先ほどまで発狂していたキモヲタがつぶやいていた奇妙な言葉は、【お尻かゆくな~る】発動の気合。


 人差し指を立てた腕を振るわせていたのは、視界の索敵レーダーに映る建物内の人物に向けてのものだったのです。


「ドドドドドドドッ」


 とキモヲタが言ってから、エレナたちを除く建物内の全ての人間は、お尻の痒みに苦悶していたのでした。


 キーラの訴える声でキモヲタが正気を取り戻したのは、その時点で既にキモヲタがやらかし済みだったからなのでした。


 ちなみにエルミアナが途中で警戒を解いたのは、優男たちがお尻の痒みに苦しみ始めたのを見たから。


 キモヲタに「大丈夫ですよね?」と聞いたのは、「この建物内は全員お尻制圧済みですよね?」という意味だったのでした。


 そしてキモヲタたちが建物を出るまでに、廊下でも一階のフロアでも、あちこちで……


 スリスリッ! スリスリッ! スリスリッ! 


「ケツが! ケツが死ぬほどかえぇええええ!」


 スリスリッ! スリスリッ! スリスリッ! 


「ふはぁぁあぁ! この柱の角が最高ー!」


 地獄の様相が現れていたのでした。


 そしてこの日キモヲタは、【お尻かゆくな~る】が、射程範囲であれば索敵レーダーによる認識でも有効、かつ障害物を超えて有効であることを知ったのです。


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