第146話 少女との再会と怒髪天

「マダムのサイン入りの身請け証文を持っているということは、あんたらが重要な客だってことは理解してる」

 

 二階の部屋に通されたキモヲタ一行は、奥に腰かけた男からそんな風に声を掛けられました。


 細身で背の高いその男。


 栗毛のワル系イケメンを見た瞬間、キモヲタの脳内では関わりたくない人物にラベリングされていました。


 深紅のビロード製の上着を纏い、黒い革製のぴったりとしたズボンを履いています。机の上に投げ出した足には、艶やかな黒革のブーツ。そのかかとは少し高めで、つま先が尖っていました。


 左耳に小さな金のフープピアス。右手の人差し指に大きな紫水晶の指輪。首元に細めの金のチェーンネックレス。


 そういった些細なことが、いちいちキモヲタをイライラさせていたことは、間違いありません。しかし、それよりなにより、キモヲタがこの男を許せないと思った理由。それは――


(超セクシー美女を三人も侍らせているでござるぅぅぅ!)


 豊かな胸元や太ももを露わにした三人の美女が、男の左右と背後から身体を寄せていたからなのでした。


(うらやま畜生でござるうぅ! 今すぐコヤツのケツに【お尻かゆくな~る】を叩き込んでやりたいでござる!)

 

 と、内心では大荒れだったものの、そもそも肝っ玉が小さいうえに、圧倒的強者(男女関係)を前にするとデバフが掛かってしまうキモヲタ。


(ここ、こやつとの交渉はエレナ殿にお任せするでござるよ。デュフコポー)


 そっとエレナのGカップの後ろへと、その立ち位置を変えるのでした。


 そのエレナと言えば、こういう交渉の場は手慣れているうえ、目の前にいる三人の美女よりも、キモヲタ視点では美人度も巨乳度も上なのでした。 


(先生、こいつらやっちゃってください!でござる!)


 エレナの後ろで、そんなことを考えているどこまでも小物のキモヲタ。このままエレナに何から何までお任せコースで行こうとリラックスしていたのでした。


「で、あんたのその証文には名前が入ってねぇが、いったい誰を身請けしたいんだ?  

まぁ、俺としては立ってる女なら、誰を連れてってもらってもかまわねぇんだが?」


 お任せコースで安心していたキモヲタに、エレナが振り返ります。


「名前は聞いてなかったんでしょ? キモヲタ、その娘について話してやって」


 突然、全員の注目を浴びる存在になってしまったのでした。


「えっ……ええっとでござるな。一週間くらい前に橋の上で出会った少女で、えっと……こちらの少女よりも幼い感じで……ブロンドで……」


「そんなのいくらでもいるぞ?」


 要領を得ないキモヲタの説明に、男の細い目にキラリと光が走ります。


 エルミアナはキモヲタとキーラの後ろに立って、警戒を強めていました。この部屋に入った瞬間から、エルミアナは部屋の奥に居座る優男が、もっとも危険な男であると認識していたのです。


 部屋には、他にも用心棒らしき人物がいましたが、それよりも目の前の男に一番の脅威を感じ取っていました。


 キーラも犬耳族の動物的な感覚から、エルミアナと同じ認識を持っていました。


 しかしその警戒心よりも、南橋で出会った女の子を助けたいという一心から、臆することはありませんでした。


「その子は、銅貨5枚で良いって言ってた! 右目に殴られた痕があったよ! そのときはキモヲタがその子の時間を銀貨5枚で買ったんだから……あっ!?」


 余計なことまでしゃべってしまったと、キーラは思わず両手で口を塞ぎます。


 ヒクッ!


 と優男の片眉が引き上げられました。


「そいつなら……心当たりがあるな」


 そう言うと優男は、部屋の入り口にいる大男に声を掛けました。


「おいバンズ! 洗い場に放り込んだ盗人のガキを連れて来い! どうやら盗人ではなかったらしい」


「洗い場ですって!?」


 優男の言葉にエレナが大声で反応しました。洗い場とは、紅蝶会の中で最も過酷な職場のひとつで、病に倒れた娼婦の世話や亡くなったときの遺体の処理を行っています。


 他の売春組織のほとんどが、病気の女性は放逐し、野垂れ死ぬにまかせるだけ。この洗い場の存在は、紅蝶会が売春組織としては良心的であることを示すものでした。


 とはいえ、とても危険で辛い職場であることは間違いありません。問題を起こした娼婦に対し、懲罰として送られることも少なくありませんでした。


 紅蝶会との取引を通じて、洗い場のことを知っていたため、エレナは大声を上げたのです。


「その……なんだ……色々と行き違いがあったようでな。まぁ死んじゃいねーし、五体だって揃ってる」


 優男がキモヲタに視線を向けて言いました。


「アンタが銀貨五枚なんて大金をガキに渡したからでもあるだぜ? それを忘れてくれるなよ」


 その言葉の意味がわからず、キモヲタが頭を捻っていると、大男がズタ袋を担いで部屋に戻ってきました。


 キモヲタたちの前に降ろされたズタ袋は、もぞもぞと動いていました。


「!?」


 ズタ袋に見えたそれは、


 ボロボロの麻布の服に身を包んだ、南橋で出会った女の子でした。


 その身体のあちこちに殴られた痕や、鞭のようなもので叩かれて腫れあがった痕ができていました。


 女の子の両目は腫れあがり、青くなった大きなたんこぶの下にかろうじて目があるのが分かりるありさま。


 女の子は、自分に降りかかった状況が理解できず、しばらくの間、ただ怯え震えていました。


 腫れあがった顔がキモヲタに向けられると、女の子は少し考えてから、その目を僅かに開きました。


「あの……ときの……お……兄さん……」


 女の子の目から涙が滲んで溢れるのを見たキモヲタの、 


 怒髪が天を衝きました。

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