第44話 魔法弓の詠唱って長いでござるのな

 陽が地平線の彼方へと沈み始め、二つの月が夜空に顔を出しつつある今、夜よりも暗い夕闇が周囲を包み込んでいました。


 ググッ!


 岩トロルの表面のあちこちに、うっすらと赤い光の筋が走ります。それはまるで血管のようにも見えました。


「岩トロルが動き始めました! 気をつけてください!」


 エルミアナが大声で全員に警戒を促しました。


 セリアは青く輝く魔法陣の中央に立って詠唱を続けています。


 まだ詠唱を始めてから30分しか経っていませんでした。

 

 両手を前に伸ばし、目を閉じて詠唱を続けるセリア。その黒髪は逆立って揺らめき、もともと青白かった顔が魔法陣の光に照らされ、まるで美しき冥界の女王のようにも見えました。


 グググッ!


 岩トロルが動き出そうとするのを感じ取ったのか、セリアの瞳が僅かに開かれます。その瞳の奥に燃える青い焔が、岩トロルをジッと見据えました。


 「セリア! 岩トロルのことは気にしないで集中するんだ! お前のことは絶対に守るから!」


 ユリアスの声が届いたのか、セリアは再び目を閉じて詠唱に戻りました。


「みんな気を付けて! 岩トロルの石化が解ける!」

  

 エルミアナの叫び声に、その場にいる全員が身構えます。


 キモヲタとキーラ、そしてユリアスは大木のやや後ろに立って、岩トロルの様子を見つめていました。


 ググググググッ!


 巨大な岩トロルの身体が、ゆっくりと立ち上がり始めます。体表面には血管に沿って赤い光が走り、それはまるで岩の中に流れるマグマのようにも見えました。


 ドゴンッ!


 まるで自分の身体を拘束していた岩を砕くかのように、岩トロルが大きく身体を開きました。


「グォオオオオオオオ!」


 岩トロルの叫び声に、その場にいる全員が身体をこわばらせました。


 目の前で巨大な岩の化け物が動き出すのを見て、キモヲタも口を開けて呆然とするばかり。


 ただ精霊のウィンディアルだけは――


「プハアーッ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 面白過ぎて、笑い死んじゃうぅっぅ!」


 空中で白いイルカの身体を思い切りくねらせながら、どっと笑い転げているのでした。


「グォオオオオオオオオオオオ!」


 立ち上がった岩トロルは、エルミアナやウィンディアルがわざわざ誘導するまでもなく、一目散に大木へと向かって行きました。


「わひっ!」


 飛び下がったキモヲタたちにも目をくれず、大木に辿り着いた岩トロル。


「グォオオオオオオオオオオオ!」


 その巨大な岩のお尻を擦りつけはじめます。


「グォオオオン❤ グォオオオン❤ グォオオオン❤」


 まったくもって誰得か分からない岩トロルの喜びの咆哮が、双月の浮かぶ夜空に響き渡るのでした。


 あまりにもあっけない誘導の成功に、その場の誰もが呆然とするしかありませんでした。


「キモヲタ様、あのお尻が痒くなる効果はどれほど持つのでしょうか?」


 ユリアスの問いにキモヲタは、顎に手を当てて首を捻ります。


「おおよそ1時間から1日といったところですな。対象の大きさや我輩の調子などで多少のブレはあるようでござる」


「ではセリアの魔法が終わるまで5分おきくらいに掛け直してもらっても?」


「全然かまわないでござるよ! ハッ!」


 返事をしながら、岩トロルに【お尻痒くな~る】を放つキモヲタでした。


「グォオオオン❤ グォオオオン❤ グォオオオン❤」


 この後は、セリアの魔法が完成するのをただ待つだけとなりました。




~ 魔法完成 ~


 岩トロルを大木に縛り付けておくことに成功したキモヲタたちは、セリアの魔法が完成するまで、魔法陣の横に座り込んで待っていました。全員、体育座りで待っていました。


 ときどき、キーラが岩トロルを指差しながら、


「あー、あれわかるー。これ言うの凄く恥ずかしいけど、わかっちゃうんだよね。お尻の表面っていうより、あの……もっと奥っていうか、その……あそこが痒いんだよ。ああして擦り付けてもなかなかポイントに届かないんだ。すごく辛い」


「デュフフ! キーラ殿、あそこって一体どこが痒かったのでござるか? 言ってミソでござる。一体、キーラタソのど・こ・が! 痒かったのでござるかぁ!? ソゲフッ!」


 キーラにセクハラ発言して顔面パンチを喰らうキモヲタ。


「あっ、セリアの準備詠唱が終わったようです!」


 体育座りのユリアスが、セリアの方を指差しました。


 魔法陣の中では、セリアが弓と矢を手にして構えて立っていました。


「これから発動の詠唱に入るのですね」


 エルミアナがユリアスに尋ねると、ユリアスは頷きました。そしてセリアの最後の詠唱が始まります。


「そは最古の女神ラヴェンナの怒り、鋼の矢に宿れるは竈と燻製の女神の雷撃、必殺の矢、必中の矢、轟く雷鳴の精霊よ、一切を貫くこの鋼に宿れかし……そは最古の女神ラヴェンナの怒り、鋼の矢に宿れるは……」


 セリアの詠唱が繰り返される度に、矢が帯電しているかのように青白い光を放ち、その輝きはどんどんと大きくなっていきます。


「そは最古の女神ラヴェンナの怒り、鋼の矢に宿れるは……」


「それにしても長いですな……」


 詠唱にかかる時間について、しっかり話を聞いていなかったキモヲタは、つい出来心でちゃちゃを入れてしまいました。


「しっ! キモヲタうるさい! 発動に3分くらい掛かるってって言ってたでしょ!」


「そ、そうでござったか。これは失敬したでござる」


 キモヲタが、頭を掻きながらキーラにヘコヘコ謝っていたその瞬間――


 ブォオオオオオオオオオオオンン!


 シュッ!


 巨大な光の矢がセリアの弓から放たれ、岩トロルの胸を貫いたのでした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る