桑乃瑞希 ⑪
-7月19日 PM6:50-
夏祭りで青年団の手伝いをした。
その礼に貰ったのが、日曜の朝に放送されているスーパーロボットアニメに登場する、キャラクターの面だった。
「もうこんなんで喜ぶ歳じゃないのによ」
自室の勉強机で尚継はぼやいた。プラスチック製のつるりとした質感の面とにらめっこする。
「水上、行っちまったな」
昨日、大吉が訪ねてきて協力を頼まれた。
断ってからも、尚継のうちの天秤は揺れ続けていた。
「悩むなんて、俺らしくねえ」
悩む時点で、自分の中で答えは出ている。これまで、思うより先に行動してきた。
大人や、靜には頭で考えろと再三言われ続けてきて、その方がいいのはわかっている。けれど、性分なのだ。
面を顔に当てた。
メカニカルな
いつか遊ぶ側から作る側、子供に届ける側になれたらいい、という漠然な思いがある。
尚継は立ち上がった。
「どこへ行くつもり」
部屋を出ると、靜が立っていた。
「水上さんが出て行ったようね」
靜は尚継の手にある面を一瞥する。
「成樟との縁組は、桑乃の意思よ。新田や水上さんがなにをしようが構わないけれど、あなたまで桑乃に盾突くのは見逃せない。うちの神社は、昔から桑乃とは協調してやってきたのよ」
「家を巻き込むつもりはねえよ」
「あなたにそのつもりがなくとも、そうなると言っているの」
靜が印を組んだ。
「『
光糸の術が、尚継の身体を縛る。
「ここまでするかよ」
「御三家に手を出したなんて
「なんたら会なんて知るか。要はバレなきゃいいんだろ」
「馬鹿だとは思っていたけど、ここまでとはね。弟ながら、呆れるわ。勝手にしなさい。でももし家に累が及ぶような事態になれば、縁を切るから」
術の拘束が解かれた。
尚継は姉に舌打ちを受けつつすれ違い、家を出た。
境内に響くヒグラシの鳴き声が、耳に残った靜の舌打ちをかき消してくれた。
◆
-7月19日 PM7:20-
フェンガーリンが家に帰ってきた。
いつの間に出かけていたのか。春香は気づかなかった。
「どこ行ってたの?」
「あー、やー、ちょっとカラオケにな。アニソン熱唱してきたわ」
「カラオケ?」
「あー腹減ったなぁ。今日の夕飯はなんですの?」
フェンガーリンは春香を避け、そそくさと父のいるキッチンへ行こうとする。
なにか様子が変だ。
「フェン、なに隠してるの」
腕を取って引き留めた。
「へ、なんも隠しごとなんてあらへんで」
「うそ。目が泳いでる」
「う、うぅ」
「フェン」
「堪忍やで、大吉」
春香が詰め寄ると、フェンガーリンは諦めて白状した。
春香は部屋で動きやすい格好に着替えた。
父が夕飯の支度を終え、ダイニングのテーブルに料理を並べていた。
「今から出かけるんですか」
「ごめんなさい、お父さん。ご飯は帰ったら食べるから」
「それは構いませんけど。こんな時間にどこへ?」
「大吉のところに。帰りは、もしかしたらちょっと遅くなるかも」
父が考える表情になった。
「なにをしに行くんですか?」
「困ってる友達がいて、大吉がその友達を助けに行ったみたいなの。私もそれに協力したい。私にできることがあるのかは、わからないけど」
「大吉くんは、一人で?」
「わからない。私には、行くのを秘密にしたかったみたい」
「大吉くんは、春香さんを巻き込みたくないと思ってる、ということですね」
大吉は、病弱な父と家で過ごせる限られた時間を邪魔したくなかったのだと思う。
父も、その大吉の気遣いは感じ取っている。
「大吉くんがいるなら大丈夫だと思うけど、時間も時間です。あまり無茶はしないように。春香さんになにかあったら、悲しいからね」
「ありがとう、お父さん」
フェンガーリンに大吉の行き先を聞いて、春香は家を出た。
大吉の行き先は、桑乃の屋敷ではなかった。
駅へ走る。
交差点で、横から出て来た人にぶつかりそうになった。
「春香、どうしたの、そんなに急いで」
束早だった。
「束早こそ、こんな時間にどうしたの?」
春香は早くなっている呼吸を落ち着かせながら尋ねた。
「コンビニに行くって出かけた大吉が帰ってこないから、捜してたの」
大吉らしい、不器用な嘘だった。そのあたり、フェンガーリンと似ている。
春香は束早にフェンガーリンから聞いた話をした。
「そう、大吉は強引にでも瑞希を助け出すつもりなのね。そんなところに春香が行って、危険じゃないかしら」
「大吉は、私に来てほしくないと思う。でも知っちゃったから。じっとなんてしてられない」
束早は交差点の信号にちょっと目を向けた。四方についた指示器が、赤と黄色、交互に点滅していた。
「春香らしい。わかった。私も行く」
「え」
「春香の力になれるかもしれない」
「それって、」
どういう意味、と訊こうとした。
束早が辺りを見回す。人がいないのを確かめシャツを脱ぎ出したので、それどころではなくなった。
「ちょ、ちょっと束早! こんなところで!」
シャツの下は背の開いたキャミソールを着ていた。
「待って、春香」
束早は慌てる春香を留め、少し背を丸め、力を籠めるように息を詰めた。
背中に残る、鳥の羽根のかたちに似た痣。その痣が光り、そこから翼が顕れた。
濡羽色をした、大きな片翼。
「それって、波旬の翼? どうして」
「わからない。気づいたのは何日か前。波旬が私に遺したのは、羽根の跡だけじゃなかったみたい」
翼の先が春香の頬をくすぐってくる。
「え、え、」
くすりと笑う束早。翼は、束早の意志で動かせるようだ。
「黙っててごめんなさい。でも、今はそれよりも」
束早がすっと身を寄せる。まるで王子様がするような所作で、春香をお姫様抱っこする。
「掴まって」
言われるがまま、春香は束早の首に腕を回す。
束早が、跳躍した。
信号を蹴り、民家の屋根に飛び移る。
「え、え、」
「大声をだすと見つかってしまうわ」
「だって束早、いま空飛んだよ⁉」
「大袈裟ね。ジャンプしただけ。波旬のようには飛べないの」
「だけ、って」
普通どんなに頑張ったって信号機の高さを垂直に跳ぶなんて無理だよ。
春香は束早の腕の中であわあわとする。
「電車を使うより直線距離で行く分、きっと早く着けると思う。いいかしら?」
「う、うん」
「行き先の案内は春香に任せるわ。走るから、腕は離さないで」
束早が再び跳んだ。屋根から屋根へと跳び移り、住宅街を抜ける。電信柱の先端を蹴って、宙高く舞う。
「すごいよ束早、まるで風みたい」
片翼が羽ばたく。束早は、空は飛べないと言っていた。けれど。
「飛んでる。飛んでるよ」
重い湿った空気を置き去りにし、夏の夜空を飛んでいた。
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