新田束早 ④

三階建ての雑居ビル。

その地下に、BAR「mix」はあった。店名はそのままミックスと読むようだ。

先週からそこで徹平がバイトをはじめていた。

壁は本棚で埋まり、図書館カフェのような趣がある。一角には楽器が演奏できるスペースもあり、秘密基地にも似た雰囲気を醸す。

昼間に喫茶店営業をはじめるにあたり、人を募集していたのだという。

大吉が店に入ると、客は誰もいなかった。

「流行ってないのか?」

「まだ昼営業はじめたって知られてないんだ。夜もさほど繁盛しちゃいないけどな」

徹平はカウンターの奥でグラスを磨いていた。髪型が黒のドレッドヘアに変わっていた。

「で、なにがあった?」

大吉は徹平の前のスツールに腰かけた。


大吉が話す間、一人だけ客が来た。

徹平はオーダーを取り、シチューを提供した。客席からは見えないが、カウンターの奥に厨房があり、調理は徹平ではない別の人間がしているらしい。

波旬はしゅんね。そんな妖がいるのか」

「俺も知らなかったよ。視えるだけで、詳しくはないしな」

「天狗とは違うのか」

「天狗は、そも妖じゃないんだと。亜人、デミってやつだ」

「っつーと、あの銀髪ねーちゃんの仲間か」

「フェンガーリンな」

大吉はカクテルに口を付ける。アルコールは入っていない。

「恨みや憎しみに囚われた天狗の魂が、波旬って妖になるって話だ」

「妹ちゃんに憑りついた波旬も、生きていた頃は天狗だったってことか」

「ああ」

「で、なにか恨みつらみを抱えて死んだ、と」

「…そうなるな」

大吉はカウンターに肘をつき、グラスを置いた。

「今晩もう一回お祓いしてくれんだろ。次うまくいきゃいいじゃねえか」

「ああ。いや、そうじゃないんだ」

「なんだ、言いづらいことでもあるのか?」

徹平に言い当てられる。その通りだ。だからここへ来た、ともいえる。

束早つかさにはもちろん、なんでも話してと言ってくれた春香にも、話しづらいことだ。

シチューを食い終わった客の勘定を済ませ、徹平が戻ってきた。

「片翼の波旬だったんだ」

大吉は言った。

「片翼だと、なんだってんだ?」

「片翼の天狗は不吉の兆しらしい」

「ほう」

「それで、生まれながらに片翼だったり、なにかの拍子に片翼を失ったりした天狗は、仲間に忌避され洞穴に閉じ込められちまうんだと」

「閉じ込めて、どうすんだよ」

徹平が眉根を寄せる。大吉も、この話をしずかからされた昨晩、同じ反応をした。

「どうもしないんだ。閉じ込めたっきり」

「それは、恨みもするな」

「ああ」

こんな話を知れば、春香は心を痛めるに決まっていた。

波旬となり束早に憑りついた天狗の、生前の苦しみ。それを想像し、さらにそれを無視して祓わなければならないのかと悩む。悩んだところで、束早を救うには祓うしかない。

徹平には、大吉の煩悶が伝わったようだ。

「穏便に妹ちゃんから出て行ってもらうってわけには、いかねえんだろうな」

「ああ。恨みと憎しみで生まれた妖だ。攻撃性がかなり高い」

徹平が頭を掻く。

「俺になにかできることはあるか」

「ないよ。今回、お前の出番はない」

「ふん、愚痴を言いにきただけか。いいけどよ」

徹平が軽く笑った。大吉も薄く自嘲する。まさにその通りだ。

「ごちそうさん」

大吉は代金をカウンターに置いて店を出た。

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