于静 ④

街に魔法がかけられた。

豫園の古風の建物が一斉に明かりを点すのを目の当たりにして、春香はそんなふうに思った。

庭園を一通り見て回ると、董娜は伝統工芸品を扱う店などが軒を連ねる通りに連れて行ってくれた。

その中で、春香は扇屋に引き寄せられた。

店の中には様々な意匠を凝らしたデザインのものがあった。

「あの、これください」

朱染の絹地に手書きで風らしき模様が描かれ、竹製の骨の部分には草が靡く様が彫られていた。

この扇子が目に留まった瞬間、大吉が思い浮かんだ。

店を出ると、董娜がいなくなっていた。

「フェン、董娜さんは?」

「あ? どこいったんやろ」

「ここにいます」

振り返ると、董娜がいた。人通りが多く油断するとはぐれてしまいそうなほどだ。

「董娜さんもなにか買ったんですか?」

董娜は先ほどまでは持っていなかった紙袋を抱えていた。

「はい」

なにを買った、というふうには話題は広がらない。董娜の悪気のない素っ気なさも馴れてしまえば気にならなかった。

夕食は小籠包の店でテイクアウトした。

「フェン、またそんなに食べて大丈夫?」

「小籠包ならこのぐらい余裕や」

フェンガーリンは小籠包が詰められた大きな紙袋三つを抱えている。

河のそばに公園があるらしく、移動する。

道中、車道を挟んだ歩道で言い合う男女を見かけた。

「なんや、痴話げんかか?」

「あんまり見たら悪いよ。行こ、フェン」

道着を着た女の人と、白杖をついた男の人。男の人は、盲目なのだろうか。

カンフー映画に出てくるような拳法着を来た女の人は、酔っぱらっている様子で、人目を集めている。

「悪目立ちしとるわ」

にしし、と笑うフェン。

「人のこと言えないんだけどね」

艶やかな色彩の漢服姿の董娜とグラマラスなプロポーションに白銀の髪を靡かせるフェンガーリン。こちらも負けじと、人目は引いている。

当の二人は自覚がなく、二人に挟まれた春香だけが気後れしていた。

公園に着く。丁度良いベンチを見つけた。

対岸でライトアップされた街並みを眺めながら小籠包を味わう。

「董娜さんは食べないんですか?」

「食事は必要ないので」

「キョンシーってそういうものなんですか」

「ええ」

董娜の瞳に、対岸の上海の街明かりがきらきらと映り込んでいた。

「そういや春香、さっき扇子買っとったな。自分用にか?」

「ううん、大吉に。私たちばっかり楽しんじゃって悪いし、お詫びに」

「ほーん」

フェンガーリンは両頬をリスのように膨らませて小籠包を頬張っている。

于静は危険はないと言っていたけれど、大吉はいまどこで何をしてるのだろう。

空を見上げても、垂れ込めた雲が星を隠してしまっている。

「森宮様は」

董娜は背筋を伸ばした凛とした姿勢で座っている。

「はい?」

「森宮様は新田様を愛しているのですか?」

「はへぇ」

「なんやねん急に。春香びっくりして変な声出してもうとるやん。でもよお訊いた。どうなんや春香。この際やから言ってみぃ。ガールズトークや、ガールズトーク」

「な、なんでフェンがそんなに食いつくの」

左からは吸血鬼のフェンガーリンに突っつかれ、右からはキョンシーの董娜に見つめられ、春香はあわあわする。

ペットボトルの水を一口飲み、頬の火照りを冷ます。

「大吉は、大切な人だよ。子どもの頃から一緒だし、これからもそれが続いたらいい、って思う」

「なんや日和ひよっとるのぉ。恋愛より親愛っちゅうことか?」

「…わからないの。私が大吉を大切に思う気持ちが、フェンや他の人達が言う好きってことなのか」

恋を口にする同級生はいた。

みんな自分なりのかたちで、一生懸命に芽生えた想いと向き合っていた。

その姿が、どこか自分と重ならない気がした。

夢ならある。将来、こういうふうになりたいと思い浮かべる姿はある。

なのに交際とか、その先の結婚、家庭ということになると、現実味を帯びない。

そう同級生に言ったら、そんなこと考えてたら恋愛なんてできないでしょ、と笑われてしまった。

「難しいのですね、人を愛するということは」

董娜の口調は相変わらず淡々としている。表情も変わらない。

「そうなのかも。だからこそ、その想いに気づいたとき、大切にしたいって思えるのかな。董娜さんは? 于静さんのこと」

「ええ、愛しています」

隣で水を飲んでいたフェンガーリンが噴き出した。

春香も、思わず口が空いてしまう。

于静に対するときだけ董娜の物腰が違うのは感じた。

感情を表に出さないので、こんなにはっきりした返答が来るとは思っていなかった。

「ですが、これは生前の記録に過ぎません」

「生前って、キョンシーになる前の?」

董娜が頷く。膝の上には商店街で買い物した紙袋を置いている。

「私は自分が愛を知るために造られたのだと考えています。于静は本来虚ろな人形に過ぎないキョンシーを、こうして思考し会話できるように造ったのです」

「なんや、わかるようなわからんような話や」

「于静さんのこともキョンシーのことも、私たちよく知らないもんね。でも、董娜さんがなんで私に大吉のこと訊いたのかは、わかりました」

董娜の長いまつ毛。翡翠の瞳。儚げな面差し。

死体だと信じられないくらい、綺麗なヒト。

「董娜さんは人を愛するってことを知りたいんですね。なのにすみません、全然参考になるお話しできなくて」

「いえ、生きていてもそれを知るのは難しいことがわかりました。これは収穫です」

「なんの話やねんこれ」

フェンガーリンがツッコむ。

「私と董娜さんは同じ悩みを持ってるんだよ、フェン。だから決めた! 董娜さん、私と協力しましょう」

春香はベンチから勢いよく立ち上がり、董娜の前に回り込む。手を取って引くと、董娜も立ち上がった。

「愛を知り隊、結成です!」

董娜が首を傾げる。

「その隊は、具体的になにを?」

「それは、……また改めて考えましょう! とりあえず今は名前から!」

「名前?」

「私のこと、苗字じゃなくて名前で呼んでください。ずっと気になってたんです」

「春香様」

「違います。私みたいに」

「春香さん」

「はい、董娜さん」

春香は返事をして微笑みかける。

無機質な瞳が、春香の無垢な微笑みをじっと見つめる。

董娜が、頬をぴくりと動かした。呼び方に倣って、表情も返そうとしてくれる。

けれど笑顔は上手くできず、頬と口角を引き攣らせた妙な顔になってしまっている。

「すみません、笑顔は練習しておきます」

「また今度会う時までに一つ宿題ですね」

「また今度。そうですね」

春香が握っていた董娜の手が、微かに握り返してくれた。

「関西漫才大全観たらええ。笑えるで」

「それは結構です」

「なんでやねん!」

フェンガーリンの冴えたツッコミが、夜の上海の街に木霊した。

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