フェンガーリン ②

病院にいる春香の父は、色鮮やかな花々を喜んでくれたらしい。

平日になり、フェンガーリンの様子は学校で春香から聞くことが多くなった。

夕飯を作ったり、生活用品を買いに行ったり、フェンガーリンオススメの動画を見たり。

春香は二人でしたことを楽しげに話す。

そのせいで、大吉のフェンガーリンに対する警戒はすっかり解けていた。

吸血鬼だと自称する割に、平気で陽の下を出歩いている。吸血鬼といったら、陽光は天敵ではないのか。

その真偽も、週末になる頃にはどうでもよくなりかけていた。

土曜日。念のためフェンガーリンの様子を確かめに、春香の家に行った。

「お、ええとこに来たな。大吉も一緒に、この名作を観るとええ」

フェンガーリンはDVDのディスクをプレイヤーに挿入するところだった。

春香にビデオ屋で借りてこさせたらしい。

春香に促され、テレビの前のソファに座る。来る必要なかったな、と大吉は溜息を吐く。

アクション映画を観ていると、クライマックスの手前でインターホンが鳴った。

「なんやねん、いいところで」

「一昨日フェンがネットで注文したアニメキャラの抱き枕じゃない? あ、それとも衝動買いしたって昨日話してた漫画の全巻セットの方かな」

「おい」

フェンガーリンはサッと大吉から顔をそらす。こいつ、春香が怒らないからってやりたい放題してやがる。

「ちょっと私出てくるね」

と玄関に向かった春香が、しかし中々戻らない。

早く続きが観たい〜と雪崩かかってくるフェンガーリンの頭を突き放し、大吉も席を立つ。

玄関に立つ春香の背中。

その先に、ペンシルストライプのグレースーツを身に着けた男がいた。

「おや、他にもお家の方が。どうもワタクシ、アレッシオ・ロマンティとモウシマス」


針金のような男。そんな印象を受ける。

それはなにも、男が長身痩躯な体格だからだけではない。

「春香、先戻ってろ」

「・・・うん」

春香の表情は強張っていた。

「ご要件は?」

アレッシオの口角がつっと上がり、目を細める。

「ワタクシ、どうしてもお付き合いしてイタダキたい相手を追って、スペインからマイリマシテ」

「それは遠路はるばる」

気合の入ったストーカーかと、言葉の上だけでなら取れる。

「そちらに、フェンガーリンという吸血鬼はオラレマセンか?」

「吸血鬼?」

大吉は、知らんぷりして眉根を寄せて見せた。

「知りませんね。悪いですが、お引き取りを」

家へ入り後ろ手に扉を閉めた。

「なんだ、あいつ」

ポマードでビジネスマン風に固めた黒髪。一語一語がちくちく肌をつくように響く声。

ちゃちなストーカーなどとは考えられなかった。常人には抱きようのない、不快感。

シャツが汗で張り付く。

「待ちきれへんかったから再開しとるで。遅い大吉が悪いんやで」

毛足の長いラグマットに胡座をかき、フェンガーリンは戻った大吉に言う。

「大吉」

フェンガーリンの隣にいた春香が駆け寄ろうとするのを、目で大丈夫だと伝えて制した。

春香は小さな異物を飲み下すように頷く。

フェンガーリンはそんな二人の目配せに、少し首を傾げた。


         ◆


「先日はどうも」

週明けの月曜の放課後。部活を終え校門を出ると、声をかけられた。

アレッシオ・ロマンティ。

日が沈み、夜気が足元からひたひたと忍び寄ってきている。

驚きはなかった。また現れるだろうと確信に近い予感はあった。

「お時間、すこしヨロシイデスか?」

アレッシオが道を挟んだ向かいにあるカフェを掌で示す。

シャビーシックな入り口が、ポーチライトの灯りで照らされている。

店内に入る。

落ち着いた雰囲気で、客はまばらだった。

「フェンガーリンという吸血鬼について少しお話ししたくて。待ち伏せるような真似をしてしまってモウシワケアリマセン」

「知らない、とお答えしたが」

「ええあなたは"知らない"のでしょう、本当に。なので話に来たのですよ」

大吉は口を噤んだ。

注文したコーヒーが運ばれてくる。アレッシオの元にも同じものが置かれる。

アレッシオの声。

やはり不快だった。

話を聞き終える頃には、その不快さが耳にへばりついた気分がした。

「長々とお話してしまいマシタが、吸血鬼は我々と似た姿をしていますが、我々とは異なる生物なのです」

アレッシオが節くれた指をテーブルにトンとついた。

「アナタたちが一緒にいて良いことなど一つもありマセンよ」

「コーヒー。飲まないのか」

伝票を持って先に立ち上がったアレッシオに問いかける。

「ワタクシは、"美食家"なもので」

アレッシオが去った後、大吉は温くなったコーヒーを流し込んで店を出た。

歩きながら、アレッシオから聞かされた内容について考えた。

霊や妖とも、そして人間とも違う、吸血鬼。

数日前までは、空想上の生き物だった。

しかし吸血鬼だと名乗るフェンガーリンと出会い、想い人のように彼女の名を口にする男が現れた。

「確かめなきゃだめか?」

大吉は暮らしの光が漏れる住宅地を歩きながら、独りごちる。

真実を確かめなければならない。

一方で、春香が心を許している相手を、疑いたくない気持ちもあった。


春香の家。

春香は中央病院へ行っていて留守だった。時間からして、じき帰ってくるだろう。

玄関口に出てきたフェンガーリンを、散歩に誘った。

「今からか? もう日ぃ沈んでんねんで?」

相変わらず吸血鬼らしくないやつだ。

大吉は片頬で笑う素振りをした。

「まぁええけど。ちょい待ちい、春香に書き置きしとくわ」

一度リビングに引っ込み、メモ書きして戻ってきたフェンガーリンと歩きだした。

フェンガーリンはパーカーを着てフードを被っていた。

この辺りを出歩くのに、あの髪は目立ちすぎる。パーカーは春香の父のもののようだが、サイズはぴったりだった。

「アレッシオとかいうやつに会った」

葉榁はむろ町を流れる河の土手に出た。

「で?」

これまでのフェンガーリンからは想像できない冷たい声が返ってきて、大吉はちょっと目を見張る。

眼下を流れる黒々とした川面。

フェンガーリンの表情はフードの影に隠れている。

後悔しそうな気がした。たが始めてしまった話だ。

「大昔、陽の光を克服しようとした吸血鬼がいた、と聞いた。不死の吸血鬼が太陽を浴びたら灰になるってのは、まぁ有名だよな」

「吸血鬼は不死、か」

フェンガーリンが、自嘲気味に息を吐く。

「不死なもんかいな。普通の吸血鬼は、むしろ人より短命や」

「そうなのか?」

「たしかに、吸血鬼の血ぃにはごっつい再生力がある。せやけど、陽の光を浴びたら灰になるんやで。考えてもみいや。一日の半分は外が炎に包まれる。そんな過酷な世界で、長生きできるわけないやろ」

「それは」

「多くの吸血鬼が陽の届かない谷の底や洞窟で暮らしとった。けどそんな何も無い場所で生き続けるのは不可能や。

陽に焼かれた同族を、ウチは何人も知っとる。ウチだけや、陽の下でも平気なんは」

「それじゃ、陽光を克服するために、十万の人間を代償にする術を使ったってのはー」

川面で、魚か何かが跳ねる水音がした。

大吉はフェンガーリンに胸を突き飛ばされ、最後まで言葉を言えなかった。

「大吉」

フェンガーリンがフードを脱ぐ。

白銀の髪が星明かりを吸い、放つ粒子の濃度が増す。

思えば、こうして夜空の下に立つフェンガーリンを見るのははじめてだった。

表情の消え失せた顔、その片頬を一条の涙が伝う。

「ウチにもな、話したくない過去くらいあんねん」

フェンガーリンが去った後、大吉の胸中に残ったのは後悔の苦さだけだった。

こんなかたちで、はじめて名前を呼ばれたくはなかった。

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