〜吸血鬼は朝陽に踊る〜

フェンガーリン

噴水の飛沫が風に光る。

黒色の石で整備された水路を、水が流れてく。

水辺ではしゃぐ子どもが、宙を泳ぐ魚を掴もうと手を伸ばす。

その姿は、小さな羽虫を追っているふうに見えなくもない。

魚のかたちをした妖の姿は、その子の後ろにいる親には視《み》えていないのだ。

「あの妖、なにかに似てない?」

春香が、日向混じりの栗色の髪を耳にかける仕草をした。

「トビウオかな」

左右にある八つの目を除けば。

「春の水場でたまに見るんだ」

「そうなのか?」

大吉は春香と同じく霊や妖が見える。

観察は春香の方がしていた。

霊にも妖にも、人同様に関心をもって接する。時折それで寂しい思いをしたとしても、幼少から春香のスタンスは変わらない。

噴水の側。

青色のベンチに一人腰掛けている女がいた。

「あの人も、視えてるみたい」

白いシャツの袖を肘まで捲った春香が、大吉に耳打ちした。

「みたいだな。珍しい」

春香が抱える色彩豊かな花から、ふわりと匂いがする。

病床から出られない父に、春の花を届けたいという春香に付き合っていたところだった。


その女は子どもに手を振られ、照れ臭そうに振り返していた。

後ろの母親が恥ずかしそうにお辞儀している。

女は霊や妖の類ではない。

それは視れば判別がついた。

背は一八〇はあるだろうか。

座っていても目を引く容姿をしていた。

すっと伸びた脚を組み、締まりのある腰に豊満な胸。流れ落ちる白銀の髪は、光の粒子を纏っているように見える。

女がこちらに気づき、

「なんやねん、お前ら」

睨まれた。

西洋風な顔立ちをして、こてこての関西弁だった。

「不躾に見てしまってすみませんでした」

あまり関わらない方がいいかもしれない。

春香の手を引き立ち去ろうとするも、

「ちょい待ちいや」

呼び止められてしまった。

「なにか?」

白銀の髪の美女が、いやに優しげな笑みを向けてきた。

「うちな、吸血鬼やねん。ヨーロッパから旅してきたな。でも泊まるとこなくて困ってんねん。どやろ、今晩世話してくれへんか?」

西洋風な風貌も相まってエセ臭い関西弁。

「なんやねんその目」

「急にわたし吸血鬼って言われて、そうですかってなるわけないだろ」

「なんやと〜。そんならウチが吸血鬼っちゅー証の超スゴ技見せちゃるけんにぁ!」

「どこのなに弁なんだよ」

みとれぇ、と言い放つと、女はベンチから立ち上がる。大吉と同じ目線の高さだった。

手ぶらで、身体のシルエットが見てとれるタイトな服装をしている。

「ここに取り出したるは一冊の週刊少年ステップ」

「まて、どこから取り出した」

だいぶ厚みはあるぞ。

「これを、ほれ、この通り」

女は漫画雑誌の背表紙側を両手で掴み、「ふっ、ぅぅぅぅぅぬゅゅゅゅっ!」

び、びりり。り。

「どや! こんなん、吸血鬼にしかできん芸当やろ!」

無惨真っ二つに裂かれた雑誌。

「すごい!」

喝采する春香。

ん、見たことあるんだよな、そういうことしてる人。

「あ、まだ信じとらへんな! ならこれでどうや! これはもう人間技やあらへんで!」

白銀の女は地面に両手を着く。

「なんだろう?」

春香は興味津々だ。いいサーカス客になりそうだ。

白銀の女は膝を折り、スキニーデニムに包まれた脚を地面水平に上げ、身体の安定を取る。そこから左手を向かいの肩に当て、全体重を右腕に乗せる。

「ど、どどどど、ふぅっ、どうじゃ!」

「それも見たことあるだよ、再現してる人」

噴水の水場ではしゃぐ子供の声。

春晴れの温かな陽気。

「今晩泊まる場所がないなら、うちに来ませんか?」

避けたかった言葉が、春香の口から出てしまった。

「ええの!?」

「はい。私、森宮春香。こっちは新田大吉です」

女はポーズを解き、凛と立ち上がると、長い髪を手で掻き靡かせる。

白銀の髪が放つ光の粒子が、噴水から舞う水滴と混じり合う。

「ウチは真祖の吸血鬼、フェンガーリンや。よろしくな!」


         ◆


「大吉まで来ることなかったのに」

「お前なぁ」

自称吸血鬼女を一人で暮らす幼馴染の家に泊めさせるわけにはいかないだろ。

「急に外泊して、束早は大丈夫なの?」

夕飯の支度をする春香が、気遣げに言う。

「家には留守電入れたよ」

この時間、夜の仕事の母が家にいるわけもなく、去年から部屋を一歩も出なくなった妹も、電話には出なかった。二人とも、携帯電話は持っていない。

春香は、そっか、とだけ応え、米を研ぐ蛇口の水を止めた。


「春香は料理上手やなぁ。いい嫁やん」

風呂から上がってきた自称吸血鬼フェンガーリンは、食卓の料理に舌鼓を打ちながらしみじみと言う。

「嫁じゃねぇ。というか、先に食うなよな。まだ春香は風呂だし俺もまだなんだから」

「女二人のあとを所望するとは、えぇ、このムッツリ。気づいとるで、さっきからのお前さんのいやらしい目ぇ。春香の用意してくれた服、ウチにはちょっとサイズあっとらんもんなぁ」

「なっ!」

大吉が思春期盛りの懸命な反論をするのと、春香が風呂から上がり出てきたのは、ほぼ同時だった。

夕食後。

「漫画かアニメ見たいなぁ、あらへん?」

週刊少年ステップを取り出す辺り、フェンガーリンはやはりその手のオタクのようだ。

「どっちもないや」

「ホンマかいな。いつも家で何してるん?」

そう尋ねられ、春香が二階の部屋から持って降りてきたのは毛糸玉の詰まった紙袋だった。

「お、知っとるで、セーターとか編むやつや。やったことあらへんけど、いい趣味やないか」

「えへへ、セーターはいきなりじゃ難しいかもだけど、腕編みとかなら」

フェンガーリンは太めの毛糸を受け取る。リビングのソファに横並びになって春香の手元と見比べながら、腕に毛糸を巻き付けていく。

程なくして。

「ほれ、大吉の番やで」

フェンガーリンはダイニングテーブルに戻ってきて大吉と⚪︎×ゲームをしていた。

「お前、諦めるの早すぎるだろ」

大吉は角に×を書き込む。

「また大吉の負けや。○×ゲームの必勝法しらんのかいなジブン、ぷーくすくすww」

小学生かよ。

「フェンガーリンさん」

「うん?」

春香がこの三十分ほどで編み上げた、腕編みのマフラーをフェンガーリンの首にそっと掛ける。

「お、おお」

「やっぱり、黒ならフェンガーリンさんの綺麗な銀色の髪が映える。ね、大吉」

同意を求められる。よくわからないが、楽しげな春香を前には首肯せざるを得なかった。

「春香」

フェンガーリンが腕編みのマフラーを頬に添わせ、嬉しげに、けれどどこか切なげに、微笑んだ。

「ありがとな。ウチのことは、さん付けせんと気軽に呼びぃ」

「いいの? じゃあ、フェンガーリン、フェン」

「おう」

フェンガーリンが照れ臭そうに笑い出し、春香もつられて笑みをこぼす。

自称吸血鬼の真偽は怪しいものだが、悪い奴ではないようだ。

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