2-4
「ミッションクリアよ! ブランカ」
ホールから逃げるように、王宮の庭園までやってきて、握りしめた拳を天高く
美しい庭園に咲き乱れる花々の爽やかな香りが、達成感に満たされた私の気分を更に高めた。
ダンスホールで流れているのだろうワルツが、少し離れたこの庭でもはっきりと聞こえ、今にも踊り出したい気分だ。
「そうですね。これで来月の建国祭も問題ないですね。良い予行演習でした」
「……。胃が痛くなるようなこと言わないでよ」
近くにあったベンチに座り、夜空に
「公子様にもはっきり言えたし、気が楽になったわ。残念令嬢アピールも完璧でしょう。ちょっとお庭を
他の男性からもらったドレスというアピールも、男遊びが激しいという点をしっかり印象に残せたことだろう。
「え? もう帰るんですか?」
「え? なんで!? 帰るわよ」
「無料で、
ませんでしたけどね。……はぁ。帰って
さも悲しいという演技を
「どうぞ、好きなだけ食べてきて良いわよ。満足したら帰りましょう。それまで適当に身を潜めているから」
そうブランカに告げると、「では、お嬢様の分も確保して参りますので」と、
「連れてくる侍女を間違えたわね……」
と言っても、気のおけない侍女なんてブランカしかいないのだけどと思いながら、ブランカの後ろ姿を見ていた時、令嬢たちの「きゃー」という声がして、そちらに視線を送る。
迷うことなくこちらにまっすぐ進んでくるのは、先ほど挨拶したラウル=クレイトン公子様その人だった。
「ヤヤヤ、ヤバい……」
慌ててベンチを立ち、体を低くしてさらに奥の庭に向かう。
チラリと後方を見ると、キョロキョロしながら彼もこちらにやってきた。公子様から逃げるように、さらに奥に進むと
そしてその先には、複数のカップルが愛を語り合っていて、とてもじゃないがこんなところに止まってはいられない。
「逃げ場がない……。ホールに戻ってカーテンと一体化……、いやこの真っ赤なドレスはまだ廊下の
少し回り道をしながら、扇子で顔を隠しつつ急いでホールに戻り、庭がよく見えるカーテンの陰で一息ついた。
先ほどまでいた庭には公子様はおらず、
チラリと
「……まだ時間がかかりそうね」
慣れないハイヒールでうろうろしすぎて足も痛いし、もう少しここで隠れていようと、頭をカーテンの奥に引っ込めようとした時、ふと視線を感じ、目線を上げる。
少し離れたところで、令嬢たちに囲まれていた殿下がこちらを見て、笑顔で手を振っていた。
「……」
なんとか
「どこにも気が休まる場所がない。ブレスレットも持ってこれなかったし……」
父にスパイだと疑われるようなものを持っていくなと言われたおかげで
早く帰りたいけれど、色々と協力してくれたブランカにもゆっくり王宮のデザートを堪能して欲しいと思いながら、銀色に輝く月を見上げた。
その輝く月があの時の彼女の見事な銀髪を思い出させる。
「……アリシア様は、今日はいらしてないのかしら。実は間違いでした。なんてことを本当に期待していたんだけどな……」
綺麗な
「ちょっと音が大きいんじゃないかしら……」
音がどこから聞こえてくるのか気になって、周囲を見渡す。
魔道具を設置するなら足元かな、とキョロキョロしていると、音が大きかったからか、目の前に人がいることに気づかず、ドンッとぶつかってしまった。
「……っ! ごめんなさい。大丈……夫」
「こちらこそ失礼いたしました。……先ほどはどうも。パレンティア嬢」
月の光に照らされた銀の髪が、サラサラと風に
目の前には、絵画から抜け出してきたのではなかろうかと思わずにいられないほどの美しい男性がいた。私が先ほどから逃げようとしていた男性だ。
庭にはいないと思ったのに!
「ど……どうも……?」
「ドレスの贈り主とのお約束は終られましたか?」
「え? ええ、そろそろお
そう言いながら二、三歩下がると、公子様は笑顔を浮かべたまま一歩で間を詰めてくる。
「そうですか。ぜひ『贈り主』にお会いしたかったのですが」
「え? なぜですか?」
「貴女の関心を少しでも引ける男性に
ふっと笑った公子様に、思わず目を見張った。
さっき婚約に関しては断ったのにと思いながら、そもそもの疑問が頭に浮かんだ。
「公子様はなぜ私に
「目的とは?」
「例えば、カーティス家との経済的なつながりや商売上の付き合いを求めていらっしゃるとか」
クレイトン家はこの大陸で一番大きな
クレイトン家の魔法石は魔力量が多いため、より良い効果を発揮してくれる。
高品質なだけあって高価なので、魔道具でも大きな物を作る際にはクレイトン産のものを使い、小さな物は、外国産の安い魔法石でも事足りるので、
カーティス領はクレイトン家から
だから隣国とばかりでなくクレイトン家とも魔法石の取引量を増やすなどの目的のために私に結婚を申し込もうというのであれば、納得が行くが、もしそうならば、別に私が結婚をしなくても、業務上の付き合いをしていくことは可能だ。
私がこんな努力をする必要はない。
「いいえ。純粋に貴女に
かげでクレイトン家は大切な家族を失わずに済みましたし、盗賊もほとんど
あまりにまっすぐな紫水晶の瞳に目が吸い寄せられ、胸の
けれど
立っていそうだ。
「……何か誤解をなさっているようですが、アリシア様を助けた時の私を美化していらっしゃるのではありませんこと? あの一件に関してはほんの……気まぐれですわよ」
ちょっと苦しいと思いながらも、あれは私じゃないというのは噓になるのでブランカと話し合って考えた言い訳を述べる。
「気まぐれだったとしても、クレイトン家は貴女に感謝と尊敬の念しかありませんよ」
言いながら、公子様がどうぞと近くのベンチを勧めてくれた。
本当は座りたくなかったけれど、ヒールで足が痛かったので
ラウル様も隣に
「それに、今日のパレンティア嬢を見て、さらに貴女に
「はい?」
「会場に足を
美しいアメジストの瞳を熱っぽく煌めかせて言う公子様に、確かにこれはご令嬢方が
「お、お金をかけていますから。安っぽい格好なんてできませんわ」
「もちろんお召し物も素敵ですが、内面から光る貴女の美しさがそれを
優しく微笑む公子様に、このままでは言いくるめられそうだと頭の中で
「お褒めに預かり光栄ですが、綺麗も可愛いも
ブランカに参考資料として読まされた『
ここまで下品な物言いをすれば、きっと公子様も諦めてくれるだろう。なんせ天下のクレイトン家だ。
けれど、彼はふっと目元をさらに緩めた。
「ぜひ、その物色中の候補の中に俺も入れてください。舞台に立たせてももらえないなんて、諦められません」
「公子様は、……プライドがございませんの?」
『物色中』などと、失礼
見張った。
「貴女を手に入れるのに、プライドなど
「……」
そう言った公子様に、私は言葉を失くした。
恋愛スキルゼロの私では、この先なんと返していいのか分からない。
「……実は、今日貴女をデートにお
「まぁ! 残念ですが、私あまり観劇には興味がないんですの」
兄がデートの定番は、人気の舞台だと言っていたので、誘われることは想定済みだった。
これなら対応できそうだとすぐさま体勢を立て直す。
「いえ、お誘いしたいのは観劇ではなく、来週から
「え!?」
公子様は一枚のチケットを、型押しされた封筒からひらりと出した。
それは
数十ヶ国が共同で
新作の魔道具から伝説級の魔道具まで展示されており、魔道具師にとっては天国とも呼べるイベントだ。
「連日新聞でも取り上げられていますからね。お祭りのようなもので、魔道具の展示会はもちろんのこと、新作の魔道具体験コーナーのほか、博覧会に参加している各国の料理や伝統工芸品や宝飾品などの
「いいえ。大変人気で入手困難と聞きましたわ」
私だって何通も
今、そのチケットを売ってくれるというならば、倍の値段……いや、十倍の値段でも
「ええ、俺もたまたま入手できたんです。今話題のイベントですので、ぜひご一緒できればと思いまして」
「……」
言葉は
赤の他人と行くだけでもハードルが高いのに、求婚されている公子様と一緒だなんて、『無理』と言いたい。でも……、でも。
「どうか俺にチャンスを頂けませんか? 俺を知ってもらって、それを踏まえた上で貴女に求婚をお断りされるのなら仕方がないと諦められます」
月を背景に微笑みながらチケットを口元に当てた公子様の言葉にごくりと
「……それでダメなら諦めてくださると?」
「ええ、諦めもつくというものです。一度だけでもチャンスを……。もし、ご同伴いただけるなら、こちらの同伴者の
そう渡されたチケットの
胸ポケットから出したペンを笑顔で差し出され、流れで受け取ってしまう。
やめておけと頭の中で警鐘が鳴り響く。『完璧公子』は私の手に負える相手ではないと。
でも、四年に一度しかない博覧会。次の開催国は決まっていないし、行ける保証なんてどこにもない。
今行かなかったら二度と行けないかもしれない。何より、一度デートするだけで諦めてくれるならそれで……。
「分かりました。ご一緒いたしますわ」
そして、チケットの裏面に『パレンティア=カーティス』と署名し、公子様に返した。
「ありがとうございます! それでは来週、王都の
「お待ちしておりますわ」
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