2-3
そろそろ寝ようかという話になり、
「え?」
まさに
高貴なご令嬢が、どこの馬の骨とも分からない人間と一緒の寝袋に入るなんて考えられないだろう。私はアイテムの採取などでそこらへんで寝ることには慣れているが、普通の令嬢はそうはいかない。
「ですよね。困りますよね。どうぞ寝袋はお使いいただいて……」
「いえ! 貴女がお使いになってください! 私は地面で寝るのに慣れているので!」
顔を真っ赤にして言う彼女の言葉に、
「慣れている訳ないですよね。
「本当に慣れているんです」
「いえ! そういう訳には」
――と、再びしばらくの押し
「貴女がお使いにならないのなら、私も使いません」
「いや、本当にそんな訳には……」
断固とした表情で言った私の言葉にたじろいだように、彼女は「……では、ご一緒に……」と消え入りそうな声で言った。
申し訳ないと思いながらも、鞄から少し大きめの寝袋を取り出し、
極度の緊張で疲れていたのだろう。
すぐに眠気が全身を
翌日、目が覚めると彼女とヴァイスの姿はなく、『昨日はありがとう』と書かれた紙が枕元に置かれていた。
――あの時ご令嬢を助けたことによって、こんな状況に
なかった。
*****
「お嬢様、先ほどから一歩も進んでおりませんが?」
「うううう、動けないのよ」
王宮の入り口の受付場所から会場までの長い
「ねぇ、ちゃんと『強欲』で、『男好き』そうな感じに見えてる?」
「大丈夫ですよ。真っ赤なドレスにゴテゴテしたアクセサリー類がお嬢様の真っ白な
「よく分からないけど、とりあえず大丈夫ってことね」
そう言いながら廊下の窓ガラスに映った自分を見つめる。
普段後ろで
ガッツリ引かれた濃いめのアイライナーは
アイシャドウも口紅も全部真っ赤で塗ればいいんじゃないかとブランカに言うと、それではただのダサい人だと言われてしまい、ぐうの音も出なかった。
肌の上に重ねられた
「やっと、やっと『お嬢様を
「分かってるわよ。それにしても……耳も首も重くて、肩が
普段つけないイヤリングとネックレスのせいで、
けれど、張り切って私の着付けとメイクを頑張ってくれたブランカには感謝しかない。
「何をおっしゃいますか。アクセサリーもヒールの高さも、これでも最大限の
》ですよ。さ、進んでください」
ブランカに会場に
うにもならない。
この舞踏会までの間に、ブランカに『資料』として
し、『強欲』『わがまま』『男好き』の勉強はバッチリだ。
が。
が、しかし。行きたくないものは行きたくない。
「帰りたい……」
思わずポツリとこぼれた言葉に、ブランカがため息をついた。
「お嬢様一人でいらしてたらどうにもなりませんでしたね」
「……そうね」
今回の舞踏会は小規模でやるものだから『侍女も
貴族やお付きの人たちでごった返す廊下のどこが小規模かは分からないけれど、と周囲を見渡した。
「さ、という訳で引っ張ってあげますから、行きますよ」
「何が『という訳』なのよー!」
ぐいっと引っ張られた腕に
「なぁに?」
「今回ダンスホールでの演奏を最新の魔道具で各部屋に流しているそうですよ。音楽が庭や
音を外に流すというのは以前研究したことがあるけれど、ここではどんな風に流しているのかとても興味がある。
今日その魔道具が見られるだけでも、ここに来た価値はあったようだ。
「え! 何それ! 見たい! 先を急ぐわよ、通路が詰まってしまうわ! 殿下に関してはさっさと済ませてしまいましょう!」
「殿下との
先ほどまで膝が笑っていたことが噓のようにサクサクと動く私についてきながら、ブランカは何度目か分からないため息をついた。
長い廊下を歩いた先にある大きな会場では、
軽食コーナーで談笑している者もいれば、既にダンスを
ールは活気に溢れていた。
その煌びやかなダンスホールの先で楽団が
団員たちの横に見たことのない魔法陣の描かれた箱型の装置が置かれており、あれが『音楽を飛ばす』装置かと目が吸い寄せられる。
「お嬢様、あちらを……」
ブランカに示された先に視線をやると、
着飾った美しい女性たちに囲まれながら、優しく微笑む
以前建国祭で遠目から見たことがあるので、彼が王太子殿下で間違いない。
殿下は、令嬢が百人いたら九十九人は
あれだけ囲まれていては身動きなど取れないだろう。
アカデミーで一緒の学部だった子も数人いて、そのご令嬢たちの中にミリアを見つけた。
声をかけたいけれど、こんな原型を
ないだろうし、話しかけても迷惑だろう。
それに、当時は諸事情により、アカデミーに平民として通っていたから、万が一でもあの時問題を起こした『平民のティア』がパレンティア=カーティスとバレるのは
濡れ衣といえど、そういった
貴族たちは
わずらわしく思っている人間も多いことだろう。
「あちらにいらっしゃるのが王太子殿下ですか?」
「そうね……。でも、大変だわ。話しかける
「こらこらこらこら」
思わず主従関係を忘れたブランカが出口に向かった私の肩をぐっと摑んだ。
「お嬢様?」
ブランカが
「……分かってるわよ。でも少しだけ。心を落ち着かせるくらい良いでしょう?」
そう言うと、死んだ目でこちらを見てくるブランカを
「まぁ、何でも良いんですが、『さっさと済ませる』んじゃなかったんですか?」
「一人でいるところを
「なんですか、その
その時、ざわりと周りの空気が変わり、視線が集中したのが分かった。
ふわりと良い香りがしたかと思うと……。
「こんばんは」
背後から声をかけられて、びくりと振り向く。
その姿は、先ほどまで女性に囲まれていた王太子殿下その人だ。
あの
「どちらのご令嬢?」「初めて見る方ね」「殿下から声をおかけするなんて。珍しいわね」
と、周囲から聞こえる声と
「お嬢様。『作戦開始』でございます」
私の後ろに立ち、殿下に頭を下げながら、私にだけ聞こえるようにブランカが言った。
そう、ここに来るまでの数日間、研究時間を
たのだ。
その努力を
「パレンティア=カーティス嬢。今日は来てくれて嬉しいよ」
「初めまして。王太子殿下。この度は舞踏会にご招待いただき、ありがとうございます」
サッと
けれど、殿下の言葉に、会場内には先ほどまでと異なるざわめきが広がった。
「あれが、パレンティア=カーティス!?」
「身につけている宝石は確かにお金をかけている感じがするわね」「高飛車な感じもイメージ通りだわ」
そんな声が聞こえてきて、とりあえず贅沢な令嬢に見えたことに安心する。
宝石の価値なんて興味もないし、分からないけれど、父が
「噂通り
「ほほほ。よく言われますわ」
というか、なぜ殿下は私が『パレンティア』だと気づいたのだろうか。
会場で会ったことのある貴族は見当たらないので、受付から私の外見の
「ところで手紙は読んでくれたかな? 例の話が聞きたいんだけど。それから
「紹介?」
にこりと笑ってそう言う殿下の後ろから現れた銀髪の男性に息を吞んだ。
「彼はラウル=クレイトン。我が国の騎士団長を務めている。君のおかげで盗賊を捕まえることができた。騎士団長としてお礼を言いたいそうだ」
『ラウル=クレイトン』『騎士団長』という紹介に、怖さと気まずさが先走り、彼の顔を直視できなかった。
まさか殿下と公子様同時に対面するとは思っておらず
それに、婚約の話を断ったからといって、『完璧公子』と呼ばれるほどの人だから、こんなところで
「ラウル=クレイトンです。パレンティア嬢、この度は『色々と』ありがとうございました。騎士団、クレイトン公爵家を代表しまして感謝申し上げます」
彼の声は、想像とは全く異なる
実力がものを言う騎士の世界で団長を務めるぐらいなのだ。
もっと熊のような野生的な感じで、声も低くて
チラリと彼の顔に視線を合わせてみれば、小さな顔に切長の目。綺麗すぎる鼻筋に柔らかく
ラーガの森で会った彼女と同じ輝くような銀の髪に、吸い込まれそうな紫水晶の瞳は、どう見ても
ちょっと、いや、かなり
この場であえてアリシア様の名前を伏せたのは、彼女の駆け落ちを隠すためだろうか。
「初めまして。ラウル=クレイトン公子様。パレンティア=カーティスと申します」
「貴女にお会いできて光栄です。想像通り、とても美しい方ですね」
「まぁ、よく言われます。ほほほ」
人生において他人に一度もそんなことを言われたことはないが、ブランカの頑張りが結果に現れたのだろう。
「殿下と公子様のおかげで、王都に久々に来られて良かったですわ。夜遊びのしすぎで父に外出禁止を言い渡されていたのですが、おかげで楽しい夜になりそうです」
「何をおっしゃいますか。遠路はるばるお
公子様の視線が、少し
それでも、心を
彼の周りには美しい女性がたくさんいるのだから、私のお断りなどすぐに忘れてしまうだろう。
「とんでもないことでございます。とても素敵なドレスでしたが、既に別の男性から頂いていたものですから」
ほほほと、
「そうですか。……貴女にドレスを着ていただける
先ほどと声のトーンは変わらないが少しひんやりした声に、思わず体が引けそうになるのをなんとか止める。
いや、止めるというよりも動けなかったというのが正しいかもしれない。
「……」
『兄です』なんて死んでも言えない。
『困ったら微笑んでおけばいいんです』というブランカの言葉を信じ、
「「……」」
周囲の視線が私たちに注がれる中、
「えーっと、パレンティア嬢。例の話がしたいから、場所を移しても良いかな?」
気を
パチンと音を立てて扇子を閉じ、二人に微笑む。
「それには
「え?」
きょとんとする殿下に、ブランカが私にさっと出した
「今日は我が
「……レポート?」
目を点にした殿下が、私の差し出した勢いにつられてそれを受け取ってくれたので、
「ええ。父から聞きましたが、何でも盗賊討伐時の魔道具についてお知りになりたいと。魔道具の仕組みは私にはよく分かりませんので、担当者にレポートを書かせましたの」
「あの魔道具は貴女が開発したものだと伺いましたが?」
クレイトン公子様が、すかさず突っ込んできて、どこまでアリシア様から聞いているのだろうと、内心
けれど、アリシア様本人がここにいない今、何とでも言いくるめられるはずだ。
「ええ。そうですわ。私があのような魔道具が欲しいと言って作らせたので、私が作ったと言っても過言ではございませんでしょう? 開発資金も我がカーティス家から出ているのですから」
ほほほ、と笑いながら再度広げた扇子で引き攣る口元を隠し、練習したセリフを間違えないように
「まぁ、彼女、開発者の功績を自分のもののように言ってるわ」「そうよね、いくらカーティス家の
『横取り令嬢』のあだ名も本日追加されることだろう。
「……レポート……」
またしても同じ言葉を呟いた殿下は笑うのを
「ええ。私は説明ができませんので、必要なことはコチラをお読みいただければ。詳しいことはいつでもお尋ねくださいと父からことづかっておりますわ。ほほほ」
何度目かの高笑いをしながら答えると、殿下はおかしそうに笑った。
笑われてもいい。どうせ元々悪い噂を流しているのだ。
悪評が増えることなどなんともないし、それでクレイトン公子様も『
結果オーライだ。
「それでは、私はこれで……」
「殿下とのお話が終わられたのなら、次は俺との時間を作っていただけませんか?」
その場を去ろうと身を
「……時間ですか?」
「ええ、先日手紙も差し上げましたが、婚約について一度会ってお話ししたいと」
彼の
「え!? 婚約!? 噓!」
「ラウル様が婚約だなんて信じられない!?」
「いやあぁぁ! 今までどなたともご婚約されなかったのに、なんであの女なのよ!」
パニック状態の会場は、今にもどこかからナイフが飛んでくるのではないかと思うほど殺気立っている。
「お話しするまでもなく、このドレスが私のお返事ですわ……」
空気読んで! 何のために貴方からのドレスを着てこなかったのか、普通の男なら分かると兄様が言っていたのに。
分かるでしょう? と目で
「俺のドレスを着ていただけなかったのは、先にドレスを贈られた方がいらっしゃったからでしょう? パレンティア嬢は
あとどれくらいですか?」
「いや、そうじゃなくて……」
「……それでは、はっきり申し上げますが、私は貴方と婚約するつもりはございません。まだ一人に
会場が更にザワリと
「では、私はドレスの送り主と先約がありますの、席を外させていただいても?」
「先約……?」
「ええ。クレイトン公子様からお手紙を頂く前にお約束した方がおりまして」
公子様は、なんだか
「あ……、ええ。もちろん。それではまた
「ありがとうございます。それでは
もう適当に帰りますけどね~。
と内心スキップしながら、殿下と公子様に礼をとって、ざわつく会場を後にした。
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