2-2
*****
――クレイトン公爵家から一通目の手紙が届く三日前。
「あ、アズナの実がなってる! あ、ここにも! あっちにも! クルク、こっちよ」
自分の愛馬を
足元には、三日前までは小さな花を
「一日で実が落ちちゃうから、今日中に採れるだけ採っておかないと。なんだか雨が降りそうだし……」
雨で実を落とされては
夢中になって地面に視線を落とし、アズナに心を
と、丘にいたはずが、いつの間にか山に入り、
「あら、ここの街道は……最近盗賊が出るから近づかないようにって言われていたのに……。引き返さないと。念のためこれを使っておこうかしら……」
我がカーティス家の隊商も何度も
今日もラーガの森から少し
今シーズンを
街道に近づかないようにと思っていたのに……、魔道具のことになると夢中になる
左手に
「よし。これで、私とクルクの姿は
その時、遠くから数頭の馬が
「
その
彼らは明らかにこちらに向かってきている。
例の盗賊たちだろうか……。
ざわりと恐怖が押し寄せ、反射的にクルクの
――大丈夫。
このままマジックアイテムで姿を隠して息を
私一人では、どうしようもできっこないに決まっている。
激しい心音を耳に感じながら、街道から離れた場所へと足を進めた。
大丈夫よ、このまま……。このまま。
馬の蹄の音と、山に
「逃がすな逃がすな! 上玉だぞ!」
「護衛とも
その言葉に女性が捕まる場面が頭を
彼女は捕まったらどうなるだろうか。
言葉にするのも恐ろしいことが起きるのだろう。
震える足で立ち止まったままでいると、クルクがじっとこちらの様子を
いる。
街道の方からヒヒーンと
「クルク。……そうよね。私なら、ここの森には
ぎゅっと
馬の足音がだんだんと近くなる度に、手綱を摑む手の震えを誤魔化そうと
逃げてくる女性の姿を確認すると、クルクの腹を軽く
腕につけた魔道具で姿を隠しながら、いつでも他の魔道具が取り出せるようにそれらの入ったポシェットに片手を突っ込む。
森の中を追いかけられている女性に
「あっ!」
矢は白馬の左の
幸い女性に
私は慌ててポシェットから小箱を取り出し、
キイイィィン……と甲高い音と共に目の前の盗賊たちが次々とその場に倒れ込んでいく。
「何だ!? おい……どう……し」
「おい! なん……だ……」
周りの人間が急に倒れて行く様に盗賊たちは驚きながらも、そのまま全員地面に
「全員寝たかしら……」
そっと彼らの元に足を運ぶと、グゥグゥと大いびきをかいて男たちは
人間にしか効かない睡眠用魔道具なので、何が起きたのかと混乱している馬が数頭いたが、構ってはいられなかった。
魔道具を解除して女性に駆け寄ると、彼女の白馬が心配そうに主人に鼻を寄せている。
「大丈夫よ、眠っているだけだから。……
矢の刺さった脚からは当然血が流れていて、早く手当てをした方が良さそうだ。
「クルク。彼女を乗せていいかしら」
クルクは女性の
「っ! ……おっも!」
彼女を乗せるため持ち上げようとするも、意識のない人間のなんと重いことか。
ずりずりと引きずる形で彼女を引っ張ると、彼女の白馬も彼女の体を持ち上げようと地面と体の間に鼻先を差し込み手伝ってくれた。
「よし、なんとか乗せられたけど……街に戻るにも貴方の怪我した脚では厳しそうね。雨も降りそうだし……。とりあえず近くの
そして、私たちはその場を離れた。
「……ん」
眠っていた彼女の側で白馬の手当てをしていると、小さな声が聞こえた。
「お目覚めですか? 落馬されたようですが、お怪我はありませんか?」
雨音が響く洞窟の奥で、パチパチと小さな
彼女の耳元では小箱がリンリンと
「え!?」
驚きに目を見開き、ガバッと体を起こした彼女がキョロキョロと周囲を見回す。
「ここは……? 確か森で……」
「安心してください。お嬢様を襲った盗賊たちはここにはいませんし、気づかれることもないと思います」
「……お嬢……? あっ! ええと、
て。……まさか、急に
こちらを見つめる
引きこもり歴も長く、社交活動も全くしない私がこんな綺麗な人と話すこともないので、
「ええと……。たまたま襲われているのを見かけて……。助けようと思って貴女たちと並走していたんです。そこで貴女が落馬して盗賊たちに囲まれてしまったので、この『ねんころボックス』を使いました」
そう言って、彼女の横に置いていた小箱を手に取る。
「……ねんころボックス?」
何それ? という表情丸出しの彼女に蓋を開けて説明する。
「これはですね。赤ちゃんを寝かしつけるために私が作った魔道具なんですが、ちょっと出力が強くなった上、音も不快な失敗作なんです……。この中にあるツマミを捻れば動かした目盛りの時間だけ眠るので、……盗賊たちは半日ほど眠ったままかと思います。お嬢様には目覚めの鈴の音をお聞かせしたので……寝ていたのは二時間というところでしょうか」
「あの甲高い音は、それだったのですね……」
「ええ。ちょっと
「とてもいいタイミングで出てこられて……、びっくりしました。並走なさっていたのも気づきませんでした」
「ああ、それはですね、これで姿や音を消していたんです」
そう言って、腕につけたブレスレットを彼女に見せた。
「それは?」
「姿を隠す魔道具です。これをつけていれば、私を含め、私に
「そんな魔道具が?」
綺麗な
「ええ、実は
そう言って、実演して見せようと腕輪に嵌め込んだ
もう一度魔精石に手を触れ、魔道具を解除した。
「どうですか?」
「すごい。本当に全く見えない。これを貴女が?
未完成品を
「……とんでもないです」
と照れながらもなんとか笑って返事をする。
「……っ」
「どうされました?」
急に固まった彼女に何かと
「あ、それにヴァイスまで手当てをしてもらって。何から何までありがとうございます」
「いえ、手当ての間も痛いでしょうに、嫌がる様子もなく、いい子で処置をさせてくれました。とても
「ええ。自慢の相棒で、大事な家族なんですよ」
彼女は立ち上がり、ヴァイスに目線を合わすようにして優しい手つきで白馬を
さっきまで横になっていたから気づかなかったが、身長は兄様と同じくらいありそうだ。
兄様も結構背の高い方だと思うけれど……。
そんな彼女にぴったりのドレスは顔の造作と
私は異国出身の母に似て、この国の女性の平均身長よりも小さいので、横に並ぶと『ちんちくりん』に見えることだろう。
そんなことを考えながら、愛おしむようにヴァイスを撫でる彼女と、彼女を
「ところで、ここはどこでしょうか?」
「ここは、レダ山の中腹にある洞窟です。もう少し先の領境まで行けば騎士団の駐屯地がありますが、雨ですし街に戻るにも同じくらい時間がかかるので、今夜はここで一晩明かそうと思うのですが、いかがでしょうか?」
「そうですね。確かに、……この雨では山を降りるのは危険ですね」
洞窟の入り口に視線をやった彼女は、「明日の朝には私の
「ですが、貴女のご家族は心配されていらっしゃいませんか?」
「いえ、薬草採取で帰らないのは
薬草や、魔道具の素材を採りに行くのに二、三日家に帰らないことは多いので、ブランカに言っておけば特に心配はされない。そう考えたら、私は本当に自由にさせてもらっているなぁと痛感する。
「とりあえず、食事にしましょうか」
そう言って、
「……その鞄、たくさん入っているんですね。出てくるものとサイズが合ってないような気がするのですが」
「あぁ、これは『マジックバッグ』と言って、見た目の五十倍の物が入るんです。物を入れたからといって、重くもなりません。今日は薬草採取に来ていたのですが、採取に来る時は
驚いたように彼女が大きな瞳を見開いた。
「『マジックバッグ』? まさか……」
「ええ、マジックボックスの
安直すぎる、ネーミングセンスがない、とブランカに言われたのは
『マジックボックス』とは、王家が所有する収納
かの有名な天才
魔道具は、
オルレインは約三〇〇年前に世界に魔道具を広めた人で、彼の存在が人々の暮らしを豊かにしたと言われている。
このソレイユ王国では誰もが
だから、誰でも
時間をかけずツマミ一つで火のつく
どれほど生活が豊かになったか計り知れず、人々はその後も生活の向上を目指して魔道具の研究を続けている。
どこの国よりも素晴らしいものをと、ここソレイユ王国でも魔道具研究
そんなオルレインが作った魔道具の中でも特に有名な『マジックボックス』。
噂では、中に入っているのは
「王家のマジックボックスは貴重な魔法石と難解な魔法陣の技術を
収納できれば十分なので」
「いや、そうじゃなくて……。マジックバッグ自体が流通していないので……」
「確かにそうですね。でも、やはり消費者が求めるのは『上限なし』のものではないでしょうか?」
「……。上限があっても、誰もが欲しがると思いますけど……」
「うーん。どうでしょう。作るのに結構手間暇がかかるものなので手間賃に材料費、実際の効果を見た時に、値段が割に合わないと思いますけど……」
素材集めから、魔法陣の構築。魔法石を精製したり、
と、その時、私のお腹の虫が「ぐぅ」と、食事を要求する。
「あ……はは。とりあえず食事にしましょうか」
あまりの恥ずかしさに笑って誤魔化しながら、簡単なサンドウィッチと、野菜と干し肉のスープの調理に取りかかった。
「あの……今更ですが、お名前をお
温かなスープを手に、向かいに座った彼女に尋ねた。
美しいプラチナの髪に、
着ているドレスはオーダーメイドの一級品と一目で分かるし、
今の王家に王女はいないはずなので、高位貴族のご令嬢ではないだろうか。
社交界に詳しくないので、心当たりはないけれど……。
「あ、……ええと」
言いにくそうに口ごもり、視線を
どう見ても高貴な令嬢で、もしや
――例えば、お
「……ひょっとして、この先で誰かとお約束があったりしますか……?」
「あ、いえ。その……。それは、もういいんです」
間違いない! あまりに気まずそうに視線を逸らす彼女の雰囲気が全てを物語っている。
相手の男性は来なかったのだろう。
彼女の実家から手切れ金でももらったのか、
彼女を助けられて良かったと心から思う。
「え!? パレンティア様!? どうなさいました!?」
心配そうに私の顔を
恋人であれ、家族であれ、……友人であれ、信じていた人に裏切られた時の心の傷は簡単には
ましてや高貴なご令嬢が駆け落ちしようとしただなんて、社交界に知られたらもう『傷物』として見られてしまうのは明白だ。
ここで名前を聞かれても、名乗りたくないのも理解できる。
「いえ、ごめんなさい。無理に言わなくて結構です。……
「……え? あ、……ええ。そうですね。でももう本当に
そのあまりにも
「……」
「あの……?」
私が返答しなかったのを不思議に思ったのか、彼女は困ったように首を
どこまでも澄んだ紫の瞳には私がどんなふうに映っているのだろうか。
正義感に
「……ごめんなさい。その、本当はお礼を言われるような立場じゃないんです。あの時、貴女が襲われるのを見て、隠れていようと思ったんです。……怖くて足が動かなくて。でも、クルクが……クルクのおかげで貴女を助けることができたので、お礼はクルクに言ってください」
きっと彼女は私が何を言っているのか分からないだろう。けれど本当に、迷っている私の背中をクルクが押してくれたのだ。
――だって、私は、一度はその場から逃げた。
「でも、貴女が私を助けてくれた事実は変わりません。きっかけがクルクだったとしても、動いてくれたのは貴女です。貴女が助けてくれなくては、怪我をしたヴァイスでは逃げ切れなかったし、私もどうなっていたか分かりません。貴女の勇気に……感謝することが間違っているなんて言わないでください」
その言葉に……恐らく
本当は、魔道具が動作不良を起こしたらどうしようとか、余計なことをしたかもとか、……私の判断ミスで二人とも死んだらどうしようとかぐるぐると考えていたのだ。
「あ、ありがとう……ございます」
「え、いや。パレンティア様、お礼を言うのは助けていただいた私の方です!」
「いえ、そう言っていただけて嬉しかったので。ありがとうございます」
「いや、ですから……」
しばらく
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