File1 三本傷の真相
第1話 変装!もくもく機関車でネコミミは行く
「誰だ!」
暗夜。多くの人間が寝静まる時間。男は自室で体を震わせ怯えていた。ふかふかなベッドのサイドテーブル。柔らかな灯りは脂汗を浮かべる寝間着姿の男を頼りなく照らしている。
男の右手には拳銃が、左手には幼子の髪が握られている。少女を自身の盾としながら、周囲の状況を確認しているようであった。乱雑に髪を掴まれる少女の顔は青ざめているが、抵抗する意思は微塵も感じられない。
男が侵入者の気配を感じ取り、今のような警戒態勢に入って間もなくの頃。この部屋に一つしかない扉は、
ギーギギー
という甲高い音を上げながら開いた。
男はその音に反応して銃を扉へ向けると、目標を確認する間もなく発砲する。
訪問者の正体は主の安全を確認しに来たメイドかもしれない。そんな考えは頭に浮かばないほどに男は動揺していた。もしくはメイドの命などは、どうでもよいと思っているのだろう。
大きな音が鳴り響く。
扉の真ん中よりも少し上に穴が開く。もし何者かによって扉が開けられたのであれば、丁度その者の頭に当たる位置である。何か襲われる理由に心当たりがあるのか。男は明確に大人の男。それも背がそれなりに高いシルエットの男を仕留める為の一撃を放った。男は銃の腕に自信があるようで、追い打ちの発砲はぜずに固唾を飲んで見守る。
すぐに、どさりと何かが落ちる音がする。
「やったか?」
再び扉は甲高い音を立てながら開き始める。やがて露になったのは一人のメイドが腰を抜かして座り込んでいる姿であった。口をパクパクとさせて何かを言おうとしているが男に声は届かない。
「おい! 紛らわしいぞ」
男はメイドに警戒態勢の緊張によるストレスをぶつけようとする。左手で捕まえていた少女を床へ放り投げるとメイドに近づく。
男が床に座りつくすメイドの違和感に気が付いた時には、男の体は血で赤く染まっていた。
殴られたのか、刺されたのか、撃たれたのか。誰にやられたかすらも確認出来ぬまま、即死であった。
床に投げつけられた少女が顔を上げると、そこにはよく知る人物が立っていた。姿形は同じだが、何かが違うことだけはわかったようだ。駆け寄ることはなく、目を見開いてその場から動けずにいる。
すると、下の階から少女の名前を呼ぶ声が部屋に届く。声は次第に大きくなっていく。バタバタと騒がしい足音も聞こえてくる。
メイドは口に一つ指を当てた後に、窓を指さした。しなやかに伸びた指は窓の外を指さしているようで、どこか遠い場所を指しているようにも思えた。少女はメイドの真意を感じ取ったのか、大きく首を縦に振るとメイドの横をすぐさま走り抜けて部屋から出た。
少女はドアノブにかけられたカチューシャには気が付かなかった。
♦
フシュ―フシュ―。
蒸気機関車はモクモクと煙を体の外へ排出する。時折ギタンゴトンと体を揺らす。裸ん坊の木々たちはこちらへお辞儀をしているみたいに通り過ぎていく。窓に映る景色はコマ送りのアニメーションみたいだ。
「ほら、レディはこんなにも楽しんでいるではないか。連れてきて正解だっただろう」
白髪の男性は腕を組みながら、フンと鼻を鳴らしている。
「今は安全な列車の中だ。答えを出すのは早すぎる。何より今から向かう場所は子供が楽しめるような場所ではない。それと……レディ呼びは控えてもらおうか。変装の意味がなくなる」
矢継ぎ早で、不服そうに口を開いたのは私のご主人様だ。私は数日前、彼によって落札され、身元を引き取られた。今はご主人様と彼の友人と一緒に列車に乗り、ある場所に向かっている最中である。
どうやら探偵である彼の元に一つの依頼が入って来たらしいのだ。詳しいことは教えて貰えないが、依頼主はあるお金持ちのパーティに参加するらしく、これからコンタクトを取りにいくのだと言っていた。
ただ、私をどうしても連れて行かなければならない理由があった。私は彼に高額で落札された為か、特殊な情報網を伝って厄介な人たちに存在が知られてしまったらしい。彼は留守の間、私に何かが起こることを怖がっているのだ。
「これは失敬。残念ながら私は男を敬う趣味はないからね。今回はシャルルと名前で呼ばせてもらおうか。お坊ちゃん」
私は笑みを浮かべる白髪に向き直ると頷いた。隣から白髪をたしなめる声が飛んでくるかと思ったが、それは無かった。
ご主人様は落ち着かない様子で個室の外へ目を光らせているようだった。
「ユア。シャルルが不安げだ。君は本当に女性の扱いがなっていないな。君はこの子が着替えてから一度たりとも容姿について言葉を掛けてあげていないではないか」
私の心情とは違う的外れな言葉であった。それでも彼は白髪の言葉を受けて私の方へ顔を向けた。
「シャルル。ごめん、ハーフパンツもよく似合っているよ。だけど君にはもっと可愛らしい服を着せてあげたいし、僕の仕事にも巻き込みたくないんだ」
男用の服であろうがなかろうが。私は上等な服を着られるだけで嬉しいのだ。なのに。この人は何故こんなにも悲しそうに頭を下げるのだろう。私はどんな顔をすればよいか分からなかった。
「何度も言うが連れてきたことが正解なのは明らかだ」
白髪はテーブルに置いてある新聞を指さす。それは今朝の朝刊だった。一面を大きく飾っているのは、殺人事件だ。有名な資産家として知られる男が無残な死を遂げた。不審な点は男が雇用していたメイドと奴隷の少女の行方が分からなくなっていることだ。現場に残された証拠から、このメイドが犯人として有力なのだという。
では、この事件がなぜ一面を飾っているのか。それは巷で話題の連続殺人事件の可能性が高いからだ。
「アイロフィサーピー」
彼は新聞紙に目を向けるとそう呟いた。
「ああそうだとも。またしても今回の被害者はオークションでネコミミを落札している。ここにも書いてあるが現場には──」
「ネコのカチューシャが残されていた」
白髪の解説に彼は割り込む。
「何だ、私が言いたいことは分かっているじゃないか」
「ああ、それなら狙われるのは僕の方だ。シャルルを僕の仕事に付き合わせている方こそリスクがある行動だと思うのだが……」
「いや、そうじゃない。君がシャルルと一緒に事件を解決するんだよ。そうすればアイロフィサーピーは君に必ず目をつけるさ」
「それの何が……」
「その方が今よりずっと面白いじゃないか!」
白髪は一切言い淀むことなく言い切った。それは鬱陶しいほど晴れ晴れとした顔で。
「ポルツィ……」
彼は白髪の発する光に耐えきれなくなったみたいに頭を抱えた。そのまま私の方に顔を寄越すと小声で「気を悪くしないでほしい。こいつはこういう奴なんだ」と申し訳無さそうに言った。
私は彼のことを見ながら首を縦に振る。
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